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【1章】王位継承戦と魅かれゆく心

色恋管理

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「まぁ、衣装のコンセプトを揃えるんですの」

「えぇ。その方がより、宴自体を良いものにできますから」


 フリードはそう言って、とある令嬢に微笑みかけた。
 蜂蜜の色のようなブロンド髪が特徴の伯爵令嬢、レイチェルだ。

 レースでできた扇を口元に当て、優雅に微笑むその様は、理想的な令嬢のあり方だろう。
 けれど、フリードには何故か彼女の全てが嘘くさく、面白みがないように感じられる。


(まぁ、どの口がそれを言うんだって感じではあるけれど)


 自分こそ、嘘や偽りで構成されている最たるものだ。人をとやかく言う資格はない。


「残念ですわ。殿下にお見せしたいドレスがありましたのに」


 レイチェルはそう言って、フリードの胸元にそっと手を置く。甘ったるい花の香りに、ついつい顔を顰めそうになるが、代わりに余所行き用の笑顔を一つ。


「――――お料理の件、よろしくお願いしますね」


 耳元でぼそりと囁いてやれば、レイチェルは満足そうにニンマリと微笑んだ。


「良いわ。ハンスが不利にならない程度の情報ならあなたに上げるわよ」

「ありがとうございます」


 フリードはレイチェルから距離を置くと、ニコリと微笑んだ。


(今思えば、シリウスがカール側に付いたのはラッキーだったな)


 カール自身もそうだが、彼の内侍であるイゾーレは他者を寄せ付けようとしない。フリードの得意とする取引も駆け引きも全てが通用しないのだ。

 けれど、フリードにはシリウスがいる。彼を使って、ある程度情報操作ができることは、王太子争いにおける大きな意味を持つ。


「それにしても良いの?こんな素敵なブローチを戴いてしまって。あなたの婚約者に怒られるんじゃなくて?」


 その点目の前の令嬢、レイチェルは大変御しやすい。餌をぶら下げればすぐに喰いつくし、ヨハネスもそんな彼女のことを理解したうえで好きにさせている。おまけにヨハネスはレイチェルの他に側近を付けていないため、変な邪魔が入ることも無かった。


「もちろん。――――もしも俺が王太子になったら、妃の位はあなたのものですから」


 クララとレイチェルの圧倒的な違い。それは、レイチェルにとっては『王太子妃』の位が全てということだ。


「本当に大丈夫なの?スカイフォール家の令嬢はそれで納得する?」


 うっとりと微笑みながら、レイチェルは頬を赤く染める。
 レイチェルは王太子妃になれるならば、ヨハネスだろうがフリードだろうが、相手はどちらでも構わないのだ。


「えぇ。彼女は寧ろ、王太子妃の位を辞退したがっているぐらいですから」


 フリードはそう言って穏やかに目を細める。
 決して嘘は言っていない。
 けれど、もしも自分が王太子になったとして、クララを手放す気は微塵もなかった。




 王都から帰城後、クララは一人、自室にこもっていた。

 コーエンと二人きりの帰り道、クララは彼とどんなことを話したのか全く覚えていない。なんなら、どうやって帰って来たのかだって覚えていなかった。


(なんだかなぁ……どうしてこんなに胸が苦しいんだろう)


 気を抜けば、すぐに身体の中心がモヤモヤと気持ち悪くなる。頭の中がお世辞にも綺麗とは呼べない言葉で埋め尽くされてしまう。


(馬鹿だよなぁ、わたし)


 相手のことをよく聞きもしないまま、知った気になっていた。

 コーエンに大事な存在がいることを考えもしなかった。知ろうとしなかったのは自分だというのに、勝手に傷つけられた気になっている。


(いや、勘違いさせるような行動を取ったあいつも悪いと思う)


 考えながら、モヤモヤ以外の怒りの感情が湧き上がってきて、クララは必死に自分を落ち着けた。

 本来ならば貴族の令嬢が、王族との婚約を嫌がるなど言語道断だ。けれどコーエンは、クララの想いを理解してくれた。道を指し示してくれた。それに甘えてきたのはクララ自身だ。


(だからコーエンは、殿下と――――ジェシカ様のために、わたしを繋ぎとめようとしてくれていたのにね)


 この王太子争いは、クララが抜けては成り立たない。

 だから、運命の出会いと恋を望むクララに、彼女が欲しているものを与える。そうすればクララはこの場を離れはしない。好きになった男のため、その主君であるフリードのために身を挺すと考えたのだろう。


(わたしを落とすのは、殿下でもコーエンでも、どちらでも良かった)


 王太子争いの間、どちらかがクララの気を惹きつけておければ良かった。ただ、それだけの話だ。


(コーエンが思わせぶりな行動を取るのも当然じゃない)


 結局、コーエンが勘違いさせるような行動を取った理由もクララ自身にあったのだ。


(本当……救いようがない)


 目の奥がツンと熱く、目尻には涙が浮かびあがる。

 きっとこんなことがなければ、ふわふわと綿菓子のような甘さに身を投じ、ただ利用されていた。
 けれどクララは本来、利用されたと気づいても、こんなにも傷つかなかったのだと思う。王太子争いに巻き込まれた時点で、クララは大きな盤上の駒の一つになった。利用されることなど当たり前だ。


(それなのに、こんなにも悲しく思うのは……)


 コーエンの行動が、自分でもフリードでもない。『ジェシカ』という女性のために為されたものだと知ってしまったからだ。


(わたし……わたし…………)


 その時、クララの部屋の扉がノックされた。クララは思わず身体を震わせる。

 こんな時間に彼女の部屋を訪れる人間なんて、これまでいなかった。涙で泣きぬれた頬を拭いながら、返事もせずにそっと耳をそばだてる。


「クララ、俺だけど」


 その途端、ドクンと心臓が跳ねた。
 声の主が誰なのか、名前を聞かなくたって分かる。


(コーエン)


 今一番会いたくて、会いたくない人物だ。クララはベッドから起き上がると、恐る恐る扉の前へ進んだ。


「…………何か用?」


 扉を開けぬまま、クララは答える。努めて平然を装った声は痛々しくて、心が疼く。


「いや、なんか帰り元気なかったし、様子見に来たんだけど」


 コーエンはそんなことを口にした。

 きっとこれまでなら、無意識に舞い上がっていただろう。けれど、今のクララは、その言葉と行動の持つ意味を理解している。だから、これ以上心が揺れ動くことなんてない。

 クララは扉を開けながら、ニコリと微笑んだ。


「元気がないなんて心外だわ。こんなにピンピンしてるのに」


 困ったようなため息を吐きながら、クララはそっと視線を逸らす。コーエンの顔を見たら、泣き出しそうだった。そんな醜態は晒したくない。晒すわけにはいかなかった。


「――――だったら良いけど」


 そう言いながら、コーエンはクララの目元をそっと撫でる。ドキンと音を立てて、心臓が跳ねた。


「これ、もらっとけ」


 コーエンはそう言ってクララの耳元に顔を寄せる。


「なっ、なに!?」


 コーエンの吐息がクララに掛かる。もう何をされても揺らがないと決めたのに、こんなにも簡単に心が騒いでしまう。嬉しいと思ってしまう。それがクララは悔しくてたまらない。

 そんなことを考えている内に、クララの耳たぶにコーエンの指先が触れた。微かな温もりに次いで感じるのは、金属の冷たさだった。カチっと音が鳴るとともに、コーエンの指がそっと離れていく。


「休日なのに仕事に付き合わせたからな。そのお礼だよ」


 コーエンの手の中で、美しく大きなエメラルドの周りにダイヤがあしらわれたイヤリングが揺れている。先程コーエンが触れた方の耳にクララが指をやると、イヤリングの片割れがキラキラと輝きを放っていた。


(要らないって。わたしにはそんなの必要ないって。そう言いたいのに)


 気づけばコーエンはクララの反対側の耳に触れている。まるで壊れモノを扱うかのように、優しく丁寧に指を沿わせ、クララの心を繋ぎとめる。


「思った通り。よく似合ってる」


 そう言ってコーエンが浮かべた笑顔は、あまりも眩しくて、優しくて、それから残酷だ。
 クララが思わず俯くと、コーエンの指先がクララの顎を掬った。

 反射的にクララは、コーエンの瞳を覗き込む。美しく青い宝石のような瞳が、熱くクララを見つめていた。綺麗だと――――これが欲しいのだと思う刹那、クララは息を呑んだ。

 唇に柔らかく温かい何かが重ねられていた。
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