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11.コゼットの打ち明け話

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「カステルノー伯爵と会ったそうだな」


 その日の晩、一体何処から聞きつけたのか、エルネストがそう尋ねてきた。
 彼は見るからに不機嫌な様子で、モニカは思わず身構えてしまう。


「……はい。たまたま城内でお会いして、話がしたいと言われたものですから」


 こういう時、下手に隠し立てすると後が怖い。モニカはありのままの出来事を説明する。


「どうして断らなかった? 適当に理由をつけて拒否すれば良かっただろうに」

「けれど、相手はカステルノー伯爵ですし、そういうわけにもまいりませんわ。それに……ほら、伯爵の娘さんはわたくしの侍女ですし、実際に働いている様子をお知りになりたいでしょうから」

「侍女……ああ、そういえばそうだったな」


 エルネストはそう言って、思案顔を浮かべる。


「それでも、モニカが対応をする必要はないだろう。彼とは先週、僕が会っているのだから――――」

「実は、エルネスト様に側妃を勧めるように言われましたの」


 このままではずっと本題を切り出せそうにない。モニカは意を決し、エルネストの方へと身を乗り出す。


「エルネスト様、わたくしは――――」


 けれど、モニカのセリフは続かない。
 エルネストが彼女の口を塞いだからだ。

 ちらりと見える彼の瞳は、冷たい光を放っている。モニカは首を横に振り、エルネストのことを押し返す。
 けれど、彼は普段の数倍不機嫌な様子で、モニカを強引に組み伏せた。


「エルネスト様、わたくしの話を聞いてください」

「その必要はない」


 至極冷たい声音。衣擦れの音が、どこか他人事のように響く。


「わたくしの意思は、考えは、貴方にとって不要なものなのですね……」


 今にも消え入りそうなモニカの呟きが、エルネストに届くことはない。
 彼はモニカが涙を流していることにすら、気づいてはくれなかった。


***


 モニカは酷く沈んだ気持ちで朝を迎えた。
 エルネストはいつもよりも口数が少なく、碌な会話をしないまま、二人はそれぞれの執務室へと向かう。


「おはようございます、妃殿下」


 その日は、コゼットが久々にお茶を淹れてくれた。
 彼女は相変わらず、困ったような、申し訳無さそうな笑みを浮かべ、モニカをチラチラと見つめてくる。時折悩ましげなため息を吐き、何とも気になる状況だ。


『ん? 妃殿下に関係することなのかい?』

『い、いえ。直接的には。
けれど、このままでは妃殿下にあまりにも申し訳なくて』


 ふと、昨日のカステルノー伯爵とコゼットの会話が思い出される。
 
 護衛たちは扉の向こう側にいるし、今この部屋にはコゼットの他に誰も居ない。
 モニカは彼女に声をかけた。


「ねえ、コゼット。この間『どうしたら良いのか分からない』って言っていたけど――――あの問題は解決したの?」


 モニカが尋ねれば、コゼットは大きな瞳を震わせて、それからゆっくりと視線を逸した。


「いいえ、妃殿下。まだでございます。けれど……」


 コゼットは感極まったのか、モニカの前だと言うのに泣き始めてしまった。余程悩んでいたのだろう。モニカはハンカチを差し出し、彼女の肩をそっと抱いた。


「一体何があったの? 話してごらんなさい? 安心して。誰にも言わないから」


 ことはモニカに関わること。しかも、コゼットがこんなに追い詰められているぐらいだ。本当は知らないままのほうが幸せかもしれないとも思うのだが――――。


「実は……エルネスト殿下が、私に想いを寄せていらっしゃるみたいなんです」

「…………え?」


 思いがけない言葉。
 時間が止まってしまったかのように感じられる。


(エルネスト様が?)


 彼がモニカを想っていないことは明白で。
 本当だったら、驚くことなどなにもないのかもしれない。

 それでも、モニカはとてもショックだった。


 エルネストと側妃について話そうとしたのはつい数時間前のこと。
 その時にコゼットのことを打ち明けてくれていれば、ここまでショックは受けなかったかも知れない。

 返す言葉が見つからないモニカをよそに、コゼットが申し訳無さそうに口を開いた。


「殿下は毎日、私に会うたび『可愛い』『愛しい』と仰るんです。『君を見ていると自然と笑顔になれる』、『毎日が楽しい』って。
けれど、私は妃殿下の侍女。エルネスト殿下の想いに応えるわけにはいかないでしょう? ですから、どう反応すべきか、とても困ってしまって……」

「エルネスト様がそんなことを……?」


 『可愛い』に『愛しい』?
 そんなこと、モニカは当然言われたことがない。

 彼女に与えられるのは、とてもぶっきら棒な「おはよう」と「おやすみ」の言葉だけ。エルネストの笑顔を見れるのだって、彼が他人に対して微笑んでいるときだけだ。


(ああ、わたくしは本当に不要な存在だったのね)


 絶望がモニカの胸を突く。

 せめて、彼の口から『好きな女性が居る』と言ってくれたら良かったのに。

 ……いや、エルネストの想いなど知らないまま、コゼットが側妃に立ってくれたほうが、モニカは余程幸せだった。
 彼女の提案どおりに寝室を分けていれば、エルネストの願いはたやすく叶ったはずなのに。


(どうして?)


 この場に居ないエルネストに問い掛けたくなる。
 けれど、尋ねたところで彼は答えをくれないだろう。モニカはギュッと胸を押さえた。


「実は、今朝も殿下から『私に触れられたら良いのに』って言われたんです。『そうできたら僕は幸せなのに』って。
私、とても嬉しかった。殿下に愛されて、求められているんですもの。
だけど、そんなの無理ですよね? だって、エルネスト殿下は毎日、妃殿下と一緒にお休みになられているんですもの」

「――――貴女は、エルネスト様の想いに応えたいのね?」


 モニカが確認すれば、コゼットは躊躇いながらも小さく頷く。


 コゼットの表情を見れば分かる。
 彼女はエルネストを恋い慕っているのだ。


(ああ、だけど――――それはわたくしだって同じ)


 たとえどんなに冷たくされようと、モニカはエルネストのことを慕っていた。

 この三年間、夫婦として共に生活してきたのだ。
 今は無理でも、いつかはエルネストに愛情が芽生えるかも知れない――――そんな期待がなかったといったら嘘になる。


 結婚式を挙げたら。
 肌を重ねたら。
 子ができたら。
 一年後、二年後、三年が経てば或いは――――。


 けれど、今のところ彼女の期待が実現しそうな兆しはない。
 それでも、モニカのエルネストへの想いは日々強くなる一方だった。


 国に対する熱い想い。
 誰よりも真面目で、困難な課題にも果敢に立ち向かっていく姿。
 融通がきかないところが玉に瑕だけれど、それだって高い理想を持っているからこそ。


 エルネストが好きだ。
 妃として、そんな彼を支えていきたい。
 モニカはずっとずっと、そう思ってきた。

 今だってその想いは変わらない。


 だったら、モニカがすべきことは一つだ。


「今夜、わたくしは自分の部屋で休みます」


 深呼吸を一つ、モニカはそう口にする。


 エルネストの願いを叶えたい。
 彼のために、国益につながることをしたい。
 エルネストが心から愛する側妃が立ち、世継ぎが生まれるならば、これ以上のことはない。そう自分に言い聞かせる。


「けれど妃殿下……」

「エルネスト様が貴女を求めたのでしょう? だったら、彼の気持ちを優先して。今夜は貴女が彼の寝所に向かいなさい。タイミングを見て、わたくしと入れ替わりましょう。もちろん、貴女が嫌なら強要はできないけれど……」

「いいえ、妃殿下! いいえ!
私は本当はエルネスト殿下をお慕い申し上げておりました。ですから、彼に愛されて、誘われて、本当はすごく嬉しかったのです」

「…………そう」


 分かっていても、ハッキリと言葉にされると辛くなってしまう。

 モニカが喉から手が出るほど欲しくて、けれど決して与えられないものを、コゼットは容易く得ることが出来る。

 エルネストの愛情を。
 笑顔を。
 求められる幸せを。

 おじゃま虫はモニカの方。
 そう思い知らされた気がした。


「コゼット――――エルネスト様のこと、よろしくね」


 モニカが出来なかった分、彼を笑顔にしてほしい。
 幸せにしてあげてほしい。
 責任感の強い彼から、モニカという重い鎖を消し去ってあげてほしい。

 モニカの言葉に、コゼットはニコリと微笑む。


「どうか私にお任せください、モニカ様」


 心がズキズキと痛む。
 モニカは曖昧に微笑むことしか出来なかった。

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