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【1章】立志編

見えていなかったもの

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 木刀同士がぶつかり合う鈍い音と、荒い息遣いが聞こえる。ドサッて音とともに土埃が舞って、エメットの身体が地面に強く打ち付けられる。けれど、彼はすぐさま立ち上がると、真剣な表情で前を見据えた。


「もう一回、お願いします!」


 正面に向かい立ったアダルフォが小さく笑い、剣を構える。
 何度膝を付いても、エメットは愚直に剣を振り続けた。


(エメットにこんな一面があるとは思わなかったなぁ)


 わたしが家に帰って以降、エメットは時々、アダルフォに剣の稽古をつけてもらっている。
 元々アダルフォは、身体が鈍らないようにってことで、一人で訓練をしていた。走り込みや打ち込み稽古、筋トレ等々、ストイックに訓練を熟していく彼に憧れを抱いたらしい。エメットはすぐに弟子入り志願をした。


(アダルフォの方もそう。こんな一面があるとは思わなかった)


 彼はとても面倒見が良かった。どこをどんな風に鍛えていけば良いのか、言葉と態度できちんと示すし、良いところと悪いところをしっかりとフィードバックする。

 平民のエメットに武術の心得なんて無いし、騎士道をちょっと齧ってみたい程度の軽い気持ちで始めたことだろう。
 それなのに、アダルフォは嫌な顔一つすることなく、根気強く指導をしている。彼が自分に本気で向き合ってくれているって分かるからこそ、エメットも益々真剣になる。実に良い循環が出来上がっていた。


(アダルフォは将来、良い指導者になれるかもしれない)


 自己主張をあまりしないし、進んで前に出るタイプではない。けれど『この人に付いて行きたい』って思わせる何かがアダルフォにはあるんだと思う。


(これ以上危険はないって判断したら、アダルフォは城に返さなきゃね)


 いつまでもわたしの側に縛り付けちゃいけない。彼の実力と才能はきちんと認められるべきだ。国のために力を使って欲しいと、心から思う。


 見えていなかったものは他にもある。


 多分だけど――――シルビアはランハートのことが好きだったんだと思う。


 初めてシルビアに会った日、彼女はランハートに対して敵意を剥き出しにしていた。いつも穏やかでとても優しいのに、彼に対してだけ、妙に攻撃的だった。

 この間本人が言っていた通り、シルビアは聖女になって以降、極力感情を押し殺して生きてきたんだと思う。そんな彼女にとってランハートは、数少ない本音と感情を引き出してくれる相手だった。だからこそ好きになったし、その分だけ嫌いになったんじゃないだろうか。


(なんて、本当のところはシルビアにしか分からないんだけど)


 何でだろう。胸がモヤモヤする。
 シルビアには幸せになって欲しい。だけど、彼女がランハートと笑い合っている未来を想像すると、何とも言えない気持ちになった。


(変なの。最初はアダルフォと上手く行ったら良いなぁなんて思ってた癖に)


 相手が違うなら別の話なんておかしい。矛盾してる。


 ため息を一つ、わたしはエメットとアダルフォに視線を戻した。
 二人ともいい汗搔いてるし、何だかとても楽しそうだ。見ていて羨ましくなってしまう。


(わたしはこれから、どうしたいんだろう?)


 元々将来の夢があったわけじゃない。平和に、幸せに暮らすことが、わたしの願いだった。漠然と生きていても、誰からも文句を言われなかったし、問題意識を抱いたことだってない。


(良いのかな?)


 このままで良いの?お母さんとお父さんの元に戻って、その先は?
 全然、考えていなかった。


***


「ライラが手伝ってくれるから、用意がとっても楽だわぁ」


 その日の夕飯時、わたしはお母さんと一緒にキッチンに立っていた。
 お城に居る間は配膳されたものを食べることしかできなかったので、とても嬉しいし楽しい。お母さんみたいに手際良くできないけど、それでも『助かる』って言って貰えるのは有難いことだ。


「……ねえ、お母さんはどうしてお父さんと結婚したの?」

「えーー? ライラもそんなことが聞きたいお年頃なの?」


 わたしの問い掛けに、お母さんは照れくさそうに笑っている。


「好きな人でもできた?」

「ううん。そうじゃないんだけどさ――――最近色んなことが分からなくなってきたんだ。
だって、急に次の王様にならなきゃいけなくなって。そのためにいっぱい勉強して、王配に相応しい男性を見つけなきゃいけなくなって。
だけど、わたしはそういうのを全部捨てて『ただのライラ』に戻って――――――そしたら何だか、元々のわたしが空っぽだったように思えてきちゃったの」


 胸の中に漠然と存在したわだかまりを、ポツリポツリと言葉にすると、お母さんは穏やかに目を細める。


「初めて自分から、お城での出来事を話してくれたわね」


 お母さんは嬉しそうだった。訳もなく目頭が熱くなって、火にかけたままの鍋に視線を落とした。


「あのね……辛いことばかりじゃなかったよ。色んなことを学べて、楽しかったし、充実してた。
だけど、お父さんとお母さんに会えなくなって、二人からの手紙も届かなくて、物凄く寂しかったの。
それでも、この国のために頑張ろうって――――そうすることにやり甲斐とか生き甲斐みたいなものを感じ始めていたんだと思う」


 ふわりと優しく抱き締められて、わたしは堪らず涙を零す。


「そうね。ライラはとても頑張ったのよね」

「――――――うん」


 決して軽い気持ちで取り組んでいたわけじゃない。王太女としての教育も、王配選びも、全部本気で真剣に取り組んでいた。わたしがこの国を引っ張っていかなきゃいけないって思ったし、そのために頑張ろうって思ってた。

 だからこそ、自分が全部無くなってしまったかのような、そんな感覚に陥っている。馬鹿みたいな話だと思う。あんなに帰りたいって思っていたのに。
 だけど、そんなわたしの気持ちを受け止めてくれる人が居るって事実が、とても嬉しい。


「ねぇ……夕食の後、話をさせてくれる? あなたのもう一人の母親――――お母さんの妹のこと。ライラにきちんと話しておきたいの」


 わたしのことを撫でながら、お母さんは優しく尋ねる。コクリと大きく頷いて、わたしはもう一度、お母さんの胸に飛び込んだ。
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