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10.わたしは夫のことを、
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わたしの名前を呼びながら、ヴェルナーが激しく息を切らす。随分走り回っていたらしい。汗が滝のように流れている。
「ヴェルナー……」
イゾルデさまを横目で見ながら、わたしはひっそりと息を呑んだ。
『あなたはヴェルナーさまのことを、愛してなんていないのよ!』
今しがた彼女に言い放たれた言葉が、心の中で暴れている。
本当は、今すぐヴェルナーの元に駆け寄りたい。わたしはもう、彼の願いを優先出来ない――――そういう意味では、イゾルデさまの言う通りなのかもしれない。
(わたしは……それでもわたしは…………)
「アルマ!」
ヴェルナーは走って来た勢いをそのままに、わたしのことを抱き締めた。切なさに胸がギュッと締め付けられる。ヴェルナーを抱き返しながら、わたしはそっと顔を上げた。
「ヴェルナー、わたし……」
「行かないでくれ!」
それは、夜を切り裂くような切ない叫び声だった。骨が折れてしまうんじゃないかって程、強く強く抱き締められて、顔を埋められた肩が熱い。涙が服に染み込んで、わたしの目頭が熱くなった。
「ヴェルナー、あの……」
「ごめん! 俺、何がいけなかったのか、全然分からなくて……。悪いところがあったら全部直す! アルマが望むこと、何でもする!
……だから頼む! 俺を置いて行かないでくれ! 俺はアルマと一緒に居たいんだ!」
ヴェルナーの身体は小刻みに震えていた。縋る様にわたしを抱き締め、何度も何度も、腕に力を込め直す。
「ヴェルナー、違うの。あなたが悪かったわけじゃない。悪いのは寧ろわたしの方。
わたしは……わたしはもしかしたら…………あなたを愛していないのかもしれない」
「…………え?」
涙が止め処なく零れ落ち、嗚咽が漏れる。心が壊れそうな程に苦しい。
(こんなこと、認めたくなかった)
ヴェルナーは戸惑いつつも、わたしを真っ直ぐに見つめ続ける。何度か深呼吸を繰り返し、わたしは徐に口を開いた。
「あなたの望みを――――願いを叶えてあげることが、わたしには出来ない。寧ろ邪魔したいとすら思っている。
だってわたしは……ヴェルナーがわたし以外の人を――イゾルデさまを愛するなんて嫌! 二人が一緒になる未来なんて見たくないし、ヴェルナーの隣にいるのはわたしだけが良い。ヴェルナーの居ない何処かになんて、本当は行きたくないの!」
胸が燃えるように熱く、収まりそうにない。ヴェルナーは驚きに目を見開きつつ、わたしの頭を優しく撫でた。
「わたしには何の力もないから、イゾルデさまみたいに、もっと良い魔術師団を紹介することも、爵位を用意することも出来ない。
イゾルデさまと一緒に居たら、ヴェルナーは幸せになれるんだって分かってる。
それでもわたしは、ヴェルナーにわたしだけを想って欲しい。ずっと一緒に居て欲しいって思うの!」
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
いつかのイゾルデさまの言葉が木霊する。
彼女の言う通り、ヴェルナーの気持ちを――幸せを第一に思えないわたしは、ヴェルナーのことを愛していないのかもしれない。
だけどわたしは、それでもヴェルナーの側に居たい。
自己中心的だって言われたとしても、わたしの望みはいつだって、ヴェルナーの側に居ることだった。
離れたくなんてない。二人で泣いて、笑って、抱き締め合いたい。これから先の人生を、ヴェルナーの隣で送りたいと、心の底からそう願う。
「――――アルマ」
ヴェルナーが徐に口を開く。
いつだって流されてばかりのわたし。何かを選んだことも、欲したことも、こんな形で気持ちを露にしたことだって全然ない。ヴェルナーが何て答えるのか物凄く怖くて、反射的にギュッと目を瞑った。
「俺さ……アルマからめちゃくちゃ『愛されてるなぁ』って思うよ」
「…………え?」
ヴェルナーの言葉に恐る恐る目を開ける。すると、彼は満面の笑みを浮かべていた。涙が朝日でキラキラ光り輝き、心の中に染み込んでいく。
ギュッと力強く抱き締められ、わたしはまた、涙を流した。
「あの人になんて言われたかは分からない。
だけど、俺の望みはアルマと一緒に居ることだよ。アルマを幸せにしたい――――それ以外の夢なんてないんだ」
ヴェルナーの言葉が真っ直ぐ心に突き刺さる。
その瞬間、イゾルデさまは眉間に皺を寄せ、ふいと踵を返した。
「俺が魔術騎士団に入りたかったのは、アルマをしっかりと養いたかったからだ。苦労をかけたくないし、出来る限り良い暮らしをさせてあげたいって、幼い頃から思ってた。
本当は学園卒業後すぐじゃなく、就職して、ある程度お金を貯めてからプロポーズするべきだったんだと思う。恋人同士になって、もっと俺を好きになってもらうべきだって分かっていた。
だけど……もしも他に男が現れて、アルマを掻っ攫って行ったらって思うと、気が気じゃなかった。だから、アルマが断らないって分かってて、あの日、君にプロポーズをした。
全部が全部アルマのためじゃなかった。俺がどうしてもアルマと一緒に居たかったら――――そういう意味でいえば、俺のためだった。
アルマ――――そんな俺を、君は軽蔑する? アルマのことを『愛していない』って、そう思う?」
ヴェルナーはそう言って、困ったように微笑む。
「ううん……思わない」
愛おしさを胸に、わたしは彼に手を伸ばす。
ヴェルナーはいつだって、わたしのことを大切にしてくれた。それらは純粋に、わたしの幸せだけを願ったものではなかったのかもしれない。
だけど、そんなことは関係なかった。彼と過ごす日々は楽しかったし、嬉しかった。とても幸せだったから。
「アルマの望みは俺の望みだ。だから、俺達は何があっても離れちゃいけない。……大丈夫。これから先、アルマが不安になったとしても、俺が絶対に放さない。愛してるって伝えるし、アルマにも愛してもらえるように努力する。
だからさ――――俺の側に居てよ。一生、ずっと一緒に居て?」
ヴェルナーはそう言って、わたしのことを抱き締める。
彼の瞳にはずっと、わたししか映っていなかった。何度イゾルデさまが呼びかけても、ヴェルナーはわたししか見ていない。まるで存在そのものがないみたいに、耳を傾けることも、視線を投げかけることすらしない。
「…………っ! ………………っ!」
イゾルデさまはもう、何も言わなかった。夜明けの町に向けて駆け出す靴音が、微かに耳に届く。
どのぐらい時間が経っただろう。気づけば夜の帳が明け、朝日が町を包み込んでいた。
「帰ろう、アルマ」
二人きり、たっぷり抱き締め合った後、ヴェルナーはわたしに手を差し出す。
「――――うん」
ニコリと微笑み返しつつ、わたしは彼の手を握った。
***
あれから、三か月が経った。
(……早く帰ってこないかな)
わたしは今、家の中で一人、鼓動を高鳴らせている。
日中ソワソワして、仕事が手につかなかったため、所長に相談をして早引きをさせてもらった。おかげでご飯の準備はばっちりだし、何なら食卓にお花を飾ってみたり、クロスを新調してみたり、普段とは違ったことにまで手を出している。
(変なの)
心の中が温かく、ポカポカと満たされているのに、何故だかとっても気が急いてしまう。待ち遠しくて、少しだけ怖くて、とってもとっても幸せな気持ちだ。
「ただいま、アルマ!」
「!」
その時、玄関の扉が勢いよく開く。わたしは急ぎ、ヴェルナーの元へと駆け寄った。
「おかえりなさい、ヴェルナー!」
汗臭い身体を思いきり抱き締めれば、ヴェルナーはほんのりと目を丸くし、優しく微笑む。
「ただいま」
顔中にたっぷりキスをされて、息苦しい程に抱き締め合う。心の中が甘ったるく、幸せな気持ちで満たされていた。
「今日は随分帰りが早かったんだね」
「うん。……ちょっとね」
答えながら、小さく含み笑いをする。
「ちょっと?」
彼は小首を傾げつつ、困ったように微笑んだ。
「ねえ、それより、ちゃんとお見送り出来た?」
「え? ……ああ、うん。きちんと警護してきたよ」
ヴェルナーはそう言って、真剣な表情で顔を寄せる。仕事以上の関わりは無いって、そう伝えたいらしい。小さく笑いながら、わたしは彼の頬に口付けた。
「分かってるわ。
だけど、良かった。イゾルデさまを敵に回して、この土地でこれからも生きて行けるのかなぁって不安に思っていたんだけど」
幸いなことに、わたし達は職や家を失うことなく、こうして平和に暮らしている。
あの後、事態を知った領主さま本人から、物凄く丁重にお詫びをされた。イゾルデさまの企みを、父親として把握していなかったらしい。
そんなこんなでイゾルデさまは今日、つい先日婚約を結んだばかりの人の元へと旅立っていった。
元々彼女には、星の数ほど縁談が舞い込んでいたらしい。それら全てをイゾルデさまの意向で断り続けていたのだけど、ヴェルナーの気持ちが絶対に手に入らないんだって悟った彼女は、身を固める決心をした。
怒鳴られるよりも、罵倒されるよりも、ヴェルナーが彼女を居ないものとして扱ったことの方がずっとずっと、彼女の心を抉ったらしい。
お相手は彼女にべた惚れの資産家――――遠く離れた土地に住んでいるため、この地に戻ることは二度とないかもしれないという。
「――――俺はアルマと一緒なら、どんな場所でも構わないよ。もっと小さな家でも、大きな家でも、違う土地でだって、幸せに過ごせる。
っていうか、絶対幸せにする」
そう言ってヴェルナーは首を傾げる。コツンとおでこが重ねられ、背中をそっと抱き寄せられる。
彼は未だに、わたしを傷つけたイゾルデさまを許していない。だけど、彼女と関わり合うことより、少しでもわたしと一緒に居ることを選んでくれた。わたしはそのことが、とても嬉しい。
「そんなの、わたしも一緒だよ」
クスクス笑いながら、わたし達は触れるだけのキスをする。
「だけど、そうだなぁ。そろそろ引っ越しはしなきゃかも。春頃には、この家じゃ手狭になっちゃうから……さ」
「…………へ?」
服の裾をそっと引っ張り、上目遣いに見上げれば、ヴェルナーは呆然とわたしを見つめる。ややして彼は、わたしと、それからわたしのお腹の間に何度も視線を往復させ、瞳をウルウルと潤ませた。
「えっ? えぇ!? それ――――本当に?」
「うん。今、三か月だって。
ヴェルナー……もうすぐわたし達、お父さんとお母さんになるんだよ?」
そうなのだ。
ここ数日、何となく体調が思わしくなかったのだけど、その理由が今日、ハッキリと分かった。優秀な魔術師であっても、お腹の中で赤ちゃんがある程度の大きさにならないと、見ることが出来ない。所長や先輩たちに診てもらったので、間違いないだろう。
ヴェルナーの手を導き、お腹へと宛がう。小さいけれど確かに存在する赤ちゃんの鼓動。
「あっ……!」
ヴェルナーにもちゃんと聞こえたらしい。彼は瞳をキラキラ輝かせ、わたしをギュッと抱き締めた。
「アルマ!」
何度も何度も、わたしの名前を嬉しそうに呼び、ヴェルナーが涙を流して喜ぶ。
(幸せだなぁ)
あの時、もしもイゾルデさまに言われるがまま、馬車に乗っていたとしたら――――今のこの幸せは無かったかもしれない。ヴェルナーを想いながら、一生泣き暮らしていたんじゃないかな、なんて思う。
『それはないよ』
いつだったか――――ヴェルナーに胸の内を打ち明けると、彼は何てことない風にそう答えた。
『だって俺、アルマが見つかるまで諦めないもん。アルマが嫌だって言っても、どこまでも追いかけて、絶対に見つけ出して、一緒に家に連れて帰ったよ』
驚きに目を見開いたわたしに、彼はサラリとこう続ける。それを聞いた時、何だかとっても可笑しくて、涙を流して笑ってしまった。
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
あの時のイゾルデさまの言葉は、今でも心にしっかりと残っている。それはある意味、真理だと思う。
だけど、それだけが愛の全てじゃない。
だって、わたしはもう、『夫のことを、愛していないのかもしれない』なんて、とてもじゃないけど言えないから。
「愛してるよ、アルマ」
耳元で囁かれ、身体がビックリするほど熱くなる。ドキドキと胸が高鳴り、甘ったるい幸福感で心が満たされる。
明るくて優しくて、誰よりも素敵なわたしの旦那様。
わたしは夫のことを、
――――心の底から愛している。
「ヴェルナー……」
イゾルデさまを横目で見ながら、わたしはひっそりと息を呑んだ。
『あなたはヴェルナーさまのことを、愛してなんていないのよ!』
今しがた彼女に言い放たれた言葉が、心の中で暴れている。
本当は、今すぐヴェルナーの元に駆け寄りたい。わたしはもう、彼の願いを優先出来ない――――そういう意味では、イゾルデさまの言う通りなのかもしれない。
(わたしは……それでもわたしは…………)
「アルマ!」
ヴェルナーは走って来た勢いをそのままに、わたしのことを抱き締めた。切なさに胸がギュッと締め付けられる。ヴェルナーを抱き返しながら、わたしはそっと顔を上げた。
「ヴェルナー、わたし……」
「行かないでくれ!」
それは、夜を切り裂くような切ない叫び声だった。骨が折れてしまうんじゃないかって程、強く強く抱き締められて、顔を埋められた肩が熱い。涙が服に染み込んで、わたしの目頭が熱くなった。
「ヴェルナー、あの……」
「ごめん! 俺、何がいけなかったのか、全然分からなくて……。悪いところがあったら全部直す! アルマが望むこと、何でもする!
……だから頼む! 俺を置いて行かないでくれ! 俺はアルマと一緒に居たいんだ!」
ヴェルナーの身体は小刻みに震えていた。縋る様にわたしを抱き締め、何度も何度も、腕に力を込め直す。
「ヴェルナー、違うの。あなたが悪かったわけじゃない。悪いのは寧ろわたしの方。
わたしは……わたしはもしかしたら…………あなたを愛していないのかもしれない」
「…………え?」
涙が止め処なく零れ落ち、嗚咽が漏れる。心が壊れそうな程に苦しい。
(こんなこと、認めたくなかった)
ヴェルナーは戸惑いつつも、わたしを真っ直ぐに見つめ続ける。何度か深呼吸を繰り返し、わたしは徐に口を開いた。
「あなたの望みを――――願いを叶えてあげることが、わたしには出来ない。寧ろ邪魔したいとすら思っている。
だってわたしは……ヴェルナーがわたし以外の人を――イゾルデさまを愛するなんて嫌! 二人が一緒になる未来なんて見たくないし、ヴェルナーの隣にいるのはわたしだけが良い。ヴェルナーの居ない何処かになんて、本当は行きたくないの!」
胸が燃えるように熱く、収まりそうにない。ヴェルナーは驚きに目を見開きつつ、わたしの頭を優しく撫でた。
「わたしには何の力もないから、イゾルデさまみたいに、もっと良い魔術師団を紹介することも、爵位を用意することも出来ない。
イゾルデさまと一緒に居たら、ヴェルナーは幸せになれるんだって分かってる。
それでもわたしは、ヴェルナーにわたしだけを想って欲しい。ずっと一緒に居て欲しいって思うの!」
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
いつかのイゾルデさまの言葉が木霊する。
彼女の言う通り、ヴェルナーの気持ちを――幸せを第一に思えないわたしは、ヴェルナーのことを愛していないのかもしれない。
だけどわたしは、それでもヴェルナーの側に居たい。
自己中心的だって言われたとしても、わたしの望みはいつだって、ヴェルナーの側に居ることだった。
離れたくなんてない。二人で泣いて、笑って、抱き締め合いたい。これから先の人生を、ヴェルナーの隣で送りたいと、心の底からそう願う。
「――――アルマ」
ヴェルナーが徐に口を開く。
いつだって流されてばかりのわたし。何かを選んだことも、欲したことも、こんな形で気持ちを露にしたことだって全然ない。ヴェルナーが何て答えるのか物凄く怖くて、反射的にギュッと目を瞑った。
「俺さ……アルマからめちゃくちゃ『愛されてるなぁ』って思うよ」
「…………え?」
ヴェルナーの言葉に恐る恐る目を開ける。すると、彼は満面の笑みを浮かべていた。涙が朝日でキラキラ光り輝き、心の中に染み込んでいく。
ギュッと力強く抱き締められ、わたしはまた、涙を流した。
「あの人になんて言われたかは分からない。
だけど、俺の望みはアルマと一緒に居ることだよ。アルマを幸せにしたい――――それ以外の夢なんてないんだ」
ヴェルナーの言葉が真っ直ぐ心に突き刺さる。
その瞬間、イゾルデさまは眉間に皺を寄せ、ふいと踵を返した。
「俺が魔術騎士団に入りたかったのは、アルマをしっかりと養いたかったからだ。苦労をかけたくないし、出来る限り良い暮らしをさせてあげたいって、幼い頃から思ってた。
本当は学園卒業後すぐじゃなく、就職して、ある程度お金を貯めてからプロポーズするべきだったんだと思う。恋人同士になって、もっと俺を好きになってもらうべきだって分かっていた。
だけど……もしも他に男が現れて、アルマを掻っ攫って行ったらって思うと、気が気じゃなかった。だから、アルマが断らないって分かってて、あの日、君にプロポーズをした。
全部が全部アルマのためじゃなかった。俺がどうしてもアルマと一緒に居たかったら――――そういう意味でいえば、俺のためだった。
アルマ――――そんな俺を、君は軽蔑する? アルマのことを『愛していない』って、そう思う?」
ヴェルナーはそう言って、困ったように微笑む。
「ううん……思わない」
愛おしさを胸に、わたしは彼に手を伸ばす。
ヴェルナーはいつだって、わたしのことを大切にしてくれた。それらは純粋に、わたしの幸せだけを願ったものではなかったのかもしれない。
だけど、そんなことは関係なかった。彼と過ごす日々は楽しかったし、嬉しかった。とても幸せだったから。
「アルマの望みは俺の望みだ。だから、俺達は何があっても離れちゃいけない。……大丈夫。これから先、アルマが不安になったとしても、俺が絶対に放さない。愛してるって伝えるし、アルマにも愛してもらえるように努力する。
だからさ――――俺の側に居てよ。一生、ずっと一緒に居て?」
ヴェルナーはそう言って、わたしのことを抱き締める。
彼の瞳にはずっと、わたししか映っていなかった。何度イゾルデさまが呼びかけても、ヴェルナーはわたししか見ていない。まるで存在そのものがないみたいに、耳を傾けることも、視線を投げかけることすらしない。
「…………っ! ………………っ!」
イゾルデさまはもう、何も言わなかった。夜明けの町に向けて駆け出す靴音が、微かに耳に届く。
どのぐらい時間が経っただろう。気づけば夜の帳が明け、朝日が町を包み込んでいた。
「帰ろう、アルマ」
二人きり、たっぷり抱き締め合った後、ヴェルナーはわたしに手を差し出す。
「――――うん」
ニコリと微笑み返しつつ、わたしは彼の手を握った。
***
あれから、三か月が経った。
(……早く帰ってこないかな)
わたしは今、家の中で一人、鼓動を高鳴らせている。
日中ソワソワして、仕事が手につかなかったため、所長に相談をして早引きをさせてもらった。おかげでご飯の準備はばっちりだし、何なら食卓にお花を飾ってみたり、クロスを新調してみたり、普段とは違ったことにまで手を出している。
(変なの)
心の中が温かく、ポカポカと満たされているのに、何故だかとっても気が急いてしまう。待ち遠しくて、少しだけ怖くて、とってもとっても幸せな気持ちだ。
「ただいま、アルマ!」
「!」
その時、玄関の扉が勢いよく開く。わたしは急ぎ、ヴェルナーの元へと駆け寄った。
「おかえりなさい、ヴェルナー!」
汗臭い身体を思いきり抱き締めれば、ヴェルナーはほんのりと目を丸くし、優しく微笑む。
「ただいま」
顔中にたっぷりキスをされて、息苦しい程に抱き締め合う。心の中が甘ったるく、幸せな気持ちで満たされていた。
「今日は随分帰りが早かったんだね」
「うん。……ちょっとね」
答えながら、小さく含み笑いをする。
「ちょっと?」
彼は小首を傾げつつ、困ったように微笑んだ。
「ねえ、それより、ちゃんとお見送り出来た?」
「え? ……ああ、うん。きちんと警護してきたよ」
ヴェルナーはそう言って、真剣な表情で顔を寄せる。仕事以上の関わりは無いって、そう伝えたいらしい。小さく笑いながら、わたしは彼の頬に口付けた。
「分かってるわ。
だけど、良かった。イゾルデさまを敵に回して、この土地でこれからも生きて行けるのかなぁって不安に思っていたんだけど」
幸いなことに、わたし達は職や家を失うことなく、こうして平和に暮らしている。
あの後、事態を知った領主さま本人から、物凄く丁重にお詫びをされた。イゾルデさまの企みを、父親として把握していなかったらしい。
そんなこんなでイゾルデさまは今日、つい先日婚約を結んだばかりの人の元へと旅立っていった。
元々彼女には、星の数ほど縁談が舞い込んでいたらしい。それら全てをイゾルデさまの意向で断り続けていたのだけど、ヴェルナーの気持ちが絶対に手に入らないんだって悟った彼女は、身を固める決心をした。
怒鳴られるよりも、罵倒されるよりも、ヴェルナーが彼女を居ないものとして扱ったことの方がずっとずっと、彼女の心を抉ったらしい。
お相手は彼女にべた惚れの資産家――――遠く離れた土地に住んでいるため、この地に戻ることは二度とないかもしれないという。
「――――俺はアルマと一緒なら、どんな場所でも構わないよ。もっと小さな家でも、大きな家でも、違う土地でだって、幸せに過ごせる。
っていうか、絶対幸せにする」
そう言ってヴェルナーは首を傾げる。コツンとおでこが重ねられ、背中をそっと抱き寄せられる。
彼は未だに、わたしを傷つけたイゾルデさまを許していない。だけど、彼女と関わり合うことより、少しでもわたしと一緒に居ることを選んでくれた。わたしはそのことが、とても嬉しい。
「そんなの、わたしも一緒だよ」
クスクス笑いながら、わたし達は触れるだけのキスをする。
「だけど、そうだなぁ。そろそろ引っ越しはしなきゃかも。春頃には、この家じゃ手狭になっちゃうから……さ」
「…………へ?」
服の裾をそっと引っ張り、上目遣いに見上げれば、ヴェルナーは呆然とわたしを見つめる。ややして彼は、わたしと、それからわたしのお腹の間に何度も視線を往復させ、瞳をウルウルと潤ませた。
「えっ? えぇ!? それ――――本当に?」
「うん。今、三か月だって。
ヴェルナー……もうすぐわたし達、お父さんとお母さんになるんだよ?」
そうなのだ。
ここ数日、何となく体調が思わしくなかったのだけど、その理由が今日、ハッキリと分かった。優秀な魔術師であっても、お腹の中で赤ちゃんがある程度の大きさにならないと、見ることが出来ない。所長や先輩たちに診てもらったので、間違いないだろう。
ヴェルナーの手を導き、お腹へと宛がう。小さいけれど確かに存在する赤ちゃんの鼓動。
「あっ……!」
ヴェルナーにもちゃんと聞こえたらしい。彼は瞳をキラキラ輝かせ、わたしをギュッと抱き締めた。
「アルマ!」
何度も何度も、わたしの名前を嬉しそうに呼び、ヴェルナーが涙を流して喜ぶ。
(幸せだなぁ)
あの時、もしもイゾルデさまに言われるがまま、馬車に乗っていたとしたら――――今のこの幸せは無かったかもしれない。ヴェルナーを想いながら、一生泣き暮らしていたんじゃないかな、なんて思う。
『それはないよ』
いつだったか――――ヴェルナーに胸の内を打ち明けると、彼は何てことない風にそう答えた。
『だって俺、アルマが見つかるまで諦めないもん。アルマが嫌だって言っても、どこまでも追いかけて、絶対に見つけ出して、一緒に家に連れて帰ったよ』
驚きに目を見開いたわたしに、彼はサラリとこう続ける。それを聞いた時、何だかとっても可笑しくて、涙を流して笑ってしまった。
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
あの時のイゾルデさまの言葉は、今でも心にしっかりと残っている。それはある意味、真理だと思う。
だけど、それだけが愛の全てじゃない。
だって、わたしはもう、『夫のことを、愛していないのかもしれない』なんて、とてもじゃないけど言えないから。
「愛してるよ、アルマ」
耳元で囁かれ、身体がビックリするほど熱くなる。ドキドキと胸が高鳴り、甘ったるい幸福感で心が満たされる。
明るくて優しくて、誰よりも素敵なわたしの旦那様。
わたしは夫のことを、
――――心の底から愛している。
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タイトルの回収の仕方が素敵でした。
ざまぁ感が物足りないと思ったのは私だけでしょうか…
それと、旦那サイドも読みたかったです✨