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【3章】黒幕と契約妃

33.目を疑う

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 急いでわたしは金剛宮に戻った。金剛宮にはロキの直属の部下がいる。彼等なら何か詳しい事情を知っているのではないかと、そう思ったのだ。


「詳しい事情は我々もまだ――――ただ、ロキ様が消息を絶たれたのは既に三日前とのこと。報告が帝都まで届くのに時間が掛かったようで……」

「そんな……」


 けれどそんなわたしのあては、呆気なく外れてしまった。
 ロキが宮殿を発って今日で八日目。救助が遅れれば遅れるほど、助かる確率が低くなってしまう。


(今から救助に向かうのに三日以上掛かるってこと?)


 わたしは居ても立っても居られなかった。


「誰か……誰かわたしを内廷に! 陛下にお取次ぎを」


 胸がバクバクと鳴り響く。


(アーネスト様に会いたい)


 アーネスト様ならきっと、詳しい情報をご存じの筈。ロキを助けるために奔走してくださるに違いない。


「ミーナ様、どうか落ち着いてください」


 金髪の騎士がそう言ってわたしを宥める。わたしは首を横に振った。


(ロキ……ロキを助けなきゃ)


 わたしにできることなんて何も無い。そんなことは自分が一番よく分かってる。だけど、じっとしてなんていられなかった。


(あの時ロキは、何処に行くって言ってた?)


 薄れかけた記憶を必死に手繰り寄せる。
 セザーリン地方――――帝国の東部。国境に面したその土地へ視察に行くのだと、彼は言っていた。何のために行くのかは教えてくれなかったけれど、アーネスト様からの命令であることは間違いない。


(まさか……)


 もしもロキを襲ったのが、アーネスト様の命を狙う人物と同じだとしたら。その人物を探るためにセザーリン地方へ向かっていたのだとしたら――――そう思うと身の毛がよだつ。


「わっ……わたしもセザーリン地方に行きますっ! ロキを探しに行かなきゃ」


 恐怖で身体がガクガクと震える。
 全然、終わってなんていなかった。アーネスト様の命を狙う犯人は、今でも城内に潜んでいる。わたしの知らない間に、もうすぐそこまで迫っていたんだ。


(知らなかった)


 わたしが……わたしだけが、アーネスト様の身に危険が迫っていることに気づいていなかった。彼を守ると言いながら、わたしだけが何も、何一つ出来ていない。


「ミーナ様はそれ程までに、ロキ様のことを」


 カミラがポツリとそう呟く。
 そんなの、当たり前だ。だってロキは、わたしの同志だもの。共にアーネスト様に拾われた者同士、アーネスト様を一緒にお守りするんだって、そう誓ったんだもの。


(わたしがロキを心配しないで、誰がするの?)


 そう口を開こうとしたその瞬間、わたしの背中を誰かがそっと包み込んだ。


「落ち着いて、ミーナ」


 その時、それまで必死に堪えていた涙が一気に流れ落ちた。振り向かなくても、それが誰かなんてすぐに分かる。


「アッ……アーネスト様!」


 思わずアーネスト様に縋りつくと、彼はわたしの背中をポンポンと撫でた。


「来てみて良かった。ミーナがきっと心配していると思ったんだ」


 そう言ってアーネスト様は困ったように笑う。


「一旦部屋に戻ろう。その方が落ち着いて話ができる」


 アーネスト様の提案に、わたしは小さくコクリと頷く。肩を抱かれて部屋を出るよう促される。その間ずっと、胸の動悸が収まらなかった。


***


「アーネスト様、ロキは無事なのでしょうか⁉」


 部屋に戻るなり、わたしはアーネスト様にそう詰め寄る。


「それは……俺の口からは何とも言えない」


 アーネスト様はそう言って、わたしのことをギュッと抱き締めた。涙がポロポロと零れ落ちる。怖くて怖くて堪らなかった。今のわたしはアーネスト様の鼓動を感じていなければ、息もまともにできやしない。地面が唐突に無くなったような、そんな心地がした。


「ロキはセザーリン地方に一体何をしに行ったのですか? アーネスト様の命に関わることなのでしょう?」


 そう問い掛けるのに、アーネスト様は何も答えてくれない。カミラがティーセットを運ぶ微かな音が、静かな部屋に木霊する。頭の中がグチャグチャで、今にもおかしくなりそうだった。


「教えてくれないなら……だったらわたしもセザーリン地方に行きます。どうしてロキが襲われたのか――――その犯人が誰なのか、確かめなきゃ」

「ミーナ、それは許可できないよ」


 取り乱したわたしに向けて、アーネスト様は淡々とそう答える。


「どうしてですか? だって! だってわたしは……わたしだってアーネスト様を守りたい! あなたを脅かす理由がそこにあるのなら、わたしが行かなきゃならないんです」

「落ち着いて。……一旦お茶でも飲もう」


 そう言ってアーネスト様がカミラを呼び寄せる。涙でグチャグチャになった顔を、わたしはアーネスト様の胸に押し付けた。


「ミーナ、俺は大丈夫だから」


 ポンポンと背中を撫でつつ、アーネスト様がわたしの肩口に顔を埋める。


(全然、全然大丈夫じゃない)


 もしもアーネスト様がいなくなったら――――わたしは間違いなく生きていけない。彼がこの世からいなくなることを想像するだけで、心臓が止まってしまいそうなのに。
 アーネスト様はそのまま何も言わず、わたしを抱き締め続けた。
 ほんの少しだけ顔を上げると、お茶の良い香りがした。どこか心が穏やかになる香りだ。


(アーネスト様の言う通り、落ち着かないと)


 カミラや侍女達にも、みっともないところを見せてしまった。エスメラルダ様にあんなことをお願いしたばかりだというのに、意志薄弱にも程がある。


「ありがとう、カミラ――――」


 けれどその瞬間、わたしは己の目を疑った。カミラがアーネスト様に向かって、鋭く尖った刃を振り下ろしていたのだ。刹那のような瞬間の出来事の筈なのに、その瞳に映し出された黒く燃えるような殺意がハッキリ見える。


(アーネスト様を守らなきゃ)


 声を上げる暇なんてない。アーネスト様の腕をグイッと引っ張り、彼の体勢を大きく崩す。そのまま彼がいた位置に己の身を滑り込ませると、わたしはギュッと目を瞑った。


「随分と物騒なものを持っていますね」


 その時、アーネスト様のものではない、男性の声が室内に響いた。


「なっ……!」


 痛みの代わりに、カミラの呻き声が聞こえ、わたしは恐る恐る目を開ける。そこには、先程わたしを宥めてくれた金髪の騎士がいた。男性はカミラのことを後から羽交い絞めにすると、短剣を持っていた方の手をギリリと強くねじ伏せる。
 アーネスト様はふぅ、とため息を吐くと、わたしの手を引き、落ち着き払った様子でソファから離れた。


「――――思ったよりも時間が掛かったな」

「そうですね。想定よりもずっと慎重でした」


 アーネスト様と騎士はそんな言葉を交わす。カミラはワナワナと唇を震わせつつ、駆けつけた他の騎士たちに手足を縛り付けられた。顔が真っ青に染まっている。


「アーネスト様、これは一体……」


 尋ねながら、わたしは目を丸くする。


「一つずつ、順を追って話すよ」


 そう言ってアーネスト様はわたしを見つめると、繋がれたままの手のひらを強く握り直した。
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