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【2章】約束と欲

23.約束

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 声が聞こえる。可愛らしい子どもの声だ。


『ここが俺の秘密基地だよ!』


 誰かがわたしに向かって笑っている。男の子だ。顔はよく見えないけど、繋いでいる手がとても温かい。


『ミーナだけに特別に見せてあげる』


 そう言って男の子が指さした先には、わたしのよく知っている建物があった。金剛宮だ。今とちっとも変わっていない。


『そんな顔しないで? 絶対また会えるから』


 男の子がそう言って笑った。おぼろげだった輪郭がハッキリと見え始める。今と変わらない優しい笑顔。


『アーネスト様』


 そうだ――――この男の子はアーネスト様だ。涙がポロポロと零れる。アーネスト様はわたしの涙をそっと拭った。


『泣かないで。大きくなったら俺がミーナを迎えに行くよ』

『迎えに?』

『うん。だから、大きくなったら、ミーナが俺のお嫁さんになってね』

『お嫁さん? アーネスト様、お嫁さんってなに?』

『え? うーーん……お嫁さんは、美味しいご飯をたくさん食べれるし、可愛いドレスをたくさん着られるんだ。あと、俺とずっと一緒に居られる』

『そうなの?』


 そう言ってわたしはピタリと泣き止んだ。


『うん。だから、離れている間もちゃんと頑張るんだよ?』

『うん! わたし、頑張る』


 これは夢?それともわたしの記憶の一部なのだろうか。


(きっと夢だろうな)


 アーネスト様がわたしをお嫁さんにしてくれるわけがない。そんなの、おとぎ話ですら聞かないような、馬鹿げた話だ。
 だけど、これが夢なら、少しぐらい素直になっても良いよね?アーネスト様に『好き』って伝えても、彼に『わたしを好きになって欲しい』と思うことも自由だ。覚めないなら、それはわたしにとっての現実になる。


『好きだよ、ミーナ。約束、絶対に忘れないでね』


 あぁ、なんて幸せな夢なんだろう。このまま、ずっと――――。


「ミーナ」


 ドクンと大きく身体が跳ね、一気に身体が重たくなる。さっきまでと同じように、誰かがわたしの手を握っている。違うのは、その手がとても大きいことだ。


「ミーナ」


 アーネスト様の声がわたしを呼ぶ。手の甲に吹きかかる吐息が温かくて擽ったい。柔らかな感触に胸が疼いた。


(――――身体が動かない)


 自分が自分じゃないみたいだった。身体中どこもかしこも怠くて熱くて堪らない。喉がカラカラだった。瞼が重くて目が明けられない。顔が浮腫んでパンパンに腫れているのが分かる。


(だけど、生きてる?)


 初めて死んだときには感覚が無かったからよく分からないけど、多分わたしは生きている。アーネスト様の契約妃として生きた世界線のままで、なんとか生き残れたらしい。


「アーネスト様……」


 自分ではそう言ったつもりだけど、声は殆ど出なかった。虫の息程にか細い吐息を、辛うじて吐いただけ。


「ミーナ!」


 だけど、それでもアーネスト様は気づいてくれた。腫れぼったい目の隙間から、アーネスト様の顔が微かに見える。
 俄かに周囲がザワザワし始めた。医者を呼ぶ声や侍女たちがバタバタと移動する音、色んな音が聞こえてくる。だけど、どんなに騒がしい中でも、アーネスト様の声だけが真っ直ぐわたしの耳に届く。アーネスト様は、今にも消え入りそうな声で、『ミーナ』と何度も何度もわたしの名前を呼んでいた。


「ごめんなさい、アーネスト様」


 そう言ったつもりだけれど、アーネスト様に聞こえているのかは分からない。アーネスト様はわたしの胸に顔を埋めていた。温かい。身体が微かに震えている。気のせいかもしれないけど。


「心配掛けて、ごめんなさい」


 アーネスト様は優しい人だから。きっと倒れたのがわたしじゃなくても、こんな風に心配してくださるんだと思う。だけど、彼の心は今、間違いなくわたしに向けて注がれているから。


「生きた心地がしなかった」


 アーネスト様はそう口にした。ポツリと、他の誰にも聞こえないぐらいの声で、そう呟く。


「そんなことじゃいけませんよ」


 わたしの声がアーネスト様に届いているのかは分からない。それでも、必死になって言葉を紡ぐ。


「わたしは、アーネスト様をお守りするために死に戻って来たんですから」


 だから今後、わたしが死ぬことがあったとしても、アーネスト様は悲しんではいけない。
 わたしはただの契約妃。彼を守る駒の一つ。それがわたしの存在意義であり、ここに――――アーネスト様の側に――――居ても良い理由なのだから。


「違うよ」


 アーネスト様はそう言った。顔を上げ、わたしの手をギュッと握り、真っ直ぐにこちらを見つめている。


「ミーナは俺と――――幸せになるために、ここに戻って来たんだ」


 そう言ってアーネスト様は、わたしの額にそっと口づける。心の中に温かな何かが優しく降り積もっていくような感覚がした。


「今度は俺がミーナを守る。絶対に死なせはしない。生き抜いて、今度こそちゃんと約束を守るから」


 凛と力強いアーネスト様の声に、心が大きく震える。


(もう、十分に幸せなのに)


 わたしはあの日、アーネスト様と再会できただけで幸せだった。一目お会いできた――――それだけで、一生分の幸せを使い果たしたって、そう思った。
 その上、二度目の人生では契約妃のお役目をいただけた。アーネスト様の役に立てて、こんなにもお側に居られて――――十分すぎる。あり得ないくらい幸せだ。それなのに。


(この上、わたしは『求めて』も良いのだろうか)


 ここに居続けることを。契約以外の何かを。
 そう尋ねるだけの勇気を、今はまだ持ち合わせていない。けれど、縋るようにしてわたしを抱き締めるアーネスト様を見つめながら、わたしは密かに涙を流したのだった。
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