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31.遅くなってごめん!
3.
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***
ウルは走った。
一刻も早く、クロシェットをザックから引き離さなければならない。
英雄に恥をかかせた。
王族の婚姻に泥を塗った。
この国はもう、クロシェットにとって安全な場所ではなくなっている。
「ウル、もう良いわ……」
クロシェットが呟く。
ウルはなおも風を切りつつ、クロシェットの言葉に耳を傾ける。
「もう、どうでも良い。このまま消えてしまいたい」
涙がクロシェットの頬を伝う。
待っていた。
信じていた。
会えばきっと、笑ってくれる――――遅くなってごめんと言いながら、抱き締めてくれると思っていた。
けれどそれは、クロシェットの幻想に過ぎない。
ザックは彼女を裏切った。
まるで、はじめから存在すらしなかったかのように扱った。
己には何の価値もないと思い知るには十分だった。
『そんなことを言うな! この国を守ったのはあいつじゃない。クロシェットだ! 君が頑張ったからこそ、この国の民は救われたんだ!』
ウルが叫ぶ。
クロシェットは首を横に振った。
彼女の功績なんて、誰も知らない。
そもそもクロシェットは、国を守ろうなんて大それたことを思ったことはなかった。
全てはザックのためにしたことで、彼が居なければ何の意味もないのだから。
国境を抜け、深い森の中へと入る。
隣国にはまだ、魔獣がうようよ存在していた。
ウルやフェニは魔獣を滅しながら、前へ前へと進んでいく。
やがて、一行は森の出口へと差し掛かる。
クロシェットはそこで、誰かが魔獣と交戦していることに気づいた。
(どうしよう……)
遠目から判断するに、かなりの苦戦を強いられているらしい。
手助けすべきか悩みつつ、クロシェットは静かに唇を噛む。
(どうせわたしなんて)
助けたところで、何の価値もない。
存在しないも同然の人間なのに、一体何を迷うことがある?
けれど――――
「フェニ!」
クロシェットが呼べば、フェニは勢いよく魔獣へと襲いかかる。魔獣が燃え上がり、断末魔が森の木々を揺らし、やがて静寂が訪れる。
クロシェットはウルに連れられ、フェニの元へと向かった。
先程まで魔獣と交戦していた若い男性が、彼女のことを呆然と見つめている。
「あの……余計なことをしてごめんなさい」
クロシェットが言えば、男性は目を丸くし、大きく首を横に振る。
「余計なことだなんて、とんでもない。助かりました。心から感謝します、聖女さま」
「…………聖女? 一体、誰のことでしょう?」
首を傾げたクロシェットに、男性はまたもや驚く。
「もちろん、貴女のことですよ。だって、そちらのお二方は、神獣でございましょう?」
「お二方……ってウルとフェニのこと? そんな、まさか」
神獣だなんて。
これまで誰にも――――ザックたちには、彼等が特別な存在とは言われなかった。居て当然というような扱いを受けてきたというのに。
『いかにも、我等は神に仕えるものだ』
ウルが答える。
クロシェットは驚きに目を見開いた。
「そんな……! だけど二人とも、そんなこと、これまで一言だって……」
『言えばクロシェットは、壁を作ってしまうだろう?
たとえ神獣だとしても、君にとってはただのウルとフェニだ。神獣という名称など、なんの意味をなさない。そうは思わないか?』
「そうだけど……」
そうとも知らず、二人にかなりの無理をさせたのではないだろうか? 魔獣の討伐など、させるべきではなかっただろうに。
『我等は神の遣い。神に愛された娘――聖女である君を護ること、願いを叶えることもまた、我等の使命だ。クロシェットが気に病む必要は全く無い。我等が進んでしたことだ』
そう言ってウルは、クロシェットに向かって頭を垂れる。フェニもまた、同じように頭を下げた。
「そんな……」
「……貴女はご自分が聖女だとご存じなかったのですか?」
男性が尋ねる。
「ええ。そんなこと、夢にも思わなくて――――」
しかし、思い返してみれば、ウルやフェニだけは『クロシェットは特別な存在』だと言い続けてくれた。他の人間が全くそういう素振りを見せなかったので、全く実感がなかっただけだ。
「……ちょっと! 貴方、怪我していらっしゃるじゃありませんか!」
よく見れば、彼は腕に大きな傷を負っていた。
かなり痛むのだろう。相当我慢をしていたらしく、彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。
「早く、こちらに座ってください」
「一体何をする気です?」
クロシェットは傷口に手をかざし、力を込める。その瞬間、眩く柔らかい光が二人を包み込み、あっという間に傷を癒やした。
「すごい……! 傷が治っている」
男性は角度を変えながら、先程まで怪我していた腕をまじまじと見つめる。
「本当になんとお礼を言って良いか……ありがとうございます、聖女さま」
「そんな。お礼を言われるほどのことではございません。できて当然のことですから」
「当然? そんな馬鹿な! これは貴女にしかできないことですよ」
「そう……なのですか?」
クロシェットの言葉に、男性は力強く頷く。
「貴女は隣国のご出身でしょう?
もしも貴女が我が国で生まれていたら、すぐに王宮で保護されていたに違いありません。貴女はそれだけ貴重で、素晴らしい力をお持ちなんですよ?」
まさか――――そう口にしようとして思い留まる。
訳のわからないことだらけだが、思い当たる節が全くないわけでもない。
ザックやその仲間たちの発言、ウル達の反応を思い返すに、引っかかるものがあるのだが。
「ひとまず、俺の屋敷に来ませんか? 助けていただいたお礼をさせていただきたいです。貴女も、状況の整理をしたいでしょうし」
男性はそう言って穏やかに微笑む。
クロシェットは躊躇いつつも、コクリと静かに頷いた。
ウルは走った。
一刻も早く、クロシェットをザックから引き離さなければならない。
英雄に恥をかかせた。
王族の婚姻に泥を塗った。
この国はもう、クロシェットにとって安全な場所ではなくなっている。
「ウル、もう良いわ……」
クロシェットが呟く。
ウルはなおも風を切りつつ、クロシェットの言葉に耳を傾ける。
「もう、どうでも良い。このまま消えてしまいたい」
涙がクロシェットの頬を伝う。
待っていた。
信じていた。
会えばきっと、笑ってくれる――――遅くなってごめんと言いながら、抱き締めてくれると思っていた。
けれどそれは、クロシェットの幻想に過ぎない。
ザックは彼女を裏切った。
まるで、はじめから存在すらしなかったかのように扱った。
己には何の価値もないと思い知るには十分だった。
『そんなことを言うな! この国を守ったのはあいつじゃない。クロシェットだ! 君が頑張ったからこそ、この国の民は救われたんだ!』
ウルが叫ぶ。
クロシェットは首を横に振った。
彼女の功績なんて、誰も知らない。
そもそもクロシェットは、国を守ろうなんて大それたことを思ったことはなかった。
全てはザックのためにしたことで、彼が居なければ何の意味もないのだから。
国境を抜け、深い森の中へと入る。
隣国にはまだ、魔獣がうようよ存在していた。
ウルやフェニは魔獣を滅しながら、前へ前へと進んでいく。
やがて、一行は森の出口へと差し掛かる。
クロシェットはそこで、誰かが魔獣と交戦していることに気づいた。
(どうしよう……)
遠目から判断するに、かなりの苦戦を強いられているらしい。
手助けすべきか悩みつつ、クロシェットは静かに唇を噛む。
(どうせわたしなんて)
助けたところで、何の価値もない。
存在しないも同然の人間なのに、一体何を迷うことがある?
けれど――――
「フェニ!」
クロシェットが呼べば、フェニは勢いよく魔獣へと襲いかかる。魔獣が燃え上がり、断末魔が森の木々を揺らし、やがて静寂が訪れる。
クロシェットはウルに連れられ、フェニの元へと向かった。
先程まで魔獣と交戦していた若い男性が、彼女のことを呆然と見つめている。
「あの……余計なことをしてごめんなさい」
クロシェットが言えば、男性は目を丸くし、大きく首を横に振る。
「余計なことだなんて、とんでもない。助かりました。心から感謝します、聖女さま」
「…………聖女? 一体、誰のことでしょう?」
首を傾げたクロシェットに、男性はまたもや驚く。
「もちろん、貴女のことですよ。だって、そちらのお二方は、神獣でございましょう?」
「お二方……ってウルとフェニのこと? そんな、まさか」
神獣だなんて。
これまで誰にも――――ザックたちには、彼等が特別な存在とは言われなかった。居て当然というような扱いを受けてきたというのに。
『いかにも、我等は神に仕えるものだ』
ウルが答える。
クロシェットは驚きに目を見開いた。
「そんな……! だけど二人とも、そんなこと、これまで一言だって……」
『言えばクロシェットは、壁を作ってしまうだろう?
たとえ神獣だとしても、君にとってはただのウルとフェニだ。神獣という名称など、なんの意味をなさない。そうは思わないか?』
「そうだけど……」
そうとも知らず、二人にかなりの無理をさせたのではないだろうか? 魔獣の討伐など、させるべきではなかっただろうに。
『我等は神の遣い。神に愛された娘――聖女である君を護ること、願いを叶えることもまた、我等の使命だ。クロシェットが気に病む必要は全く無い。我等が進んでしたことだ』
そう言ってウルは、クロシェットに向かって頭を垂れる。フェニもまた、同じように頭を下げた。
「そんな……」
「……貴女はご自分が聖女だとご存じなかったのですか?」
男性が尋ねる。
「ええ。そんなこと、夢にも思わなくて――――」
しかし、思い返してみれば、ウルやフェニだけは『クロシェットは特別な存在』だと言い続けてくれた。他の人間が全くそういう素振りを見せなかったので、全く実感がなかっただけだ。
「……ちょっと! 貴方、怪我していらっしゃるじゃありませんか!」
よく見れば、彼は腕に大きな傷を負っていた。
かなり痛むのだろう。相当我慢をしていたらしく、彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。
「早く、こちらに座ってください」
「一体何をする気です?」
クロシェットは傷口に手をかざし、力を込める。その瞬間、眩く柔らかい光が二人を包み込み、あっという間に傷を癒やした。
「すごい……! 傷が治っている」
男性は角度を変えながら、先程まで怪我していた腕をまじまじと見つめる。
「本当になんとお礼を言って良いか……ありがとうございます、聖女さま」
「そんな。お礼を言われるほどのことではございません。できて当然のことですから」
「当然? そんな馬鹿な! これは貴女にしかできないことですよ」
「そう……なのですか?」
クロシェットの言葉に、男性は力強く頷く。
「貴女は隣国のご出身でしょう?
もしも貴女が我が国で生まれていたら、すぐに王宮で保護されていたに違いありません。貴女はそれだけ貴重で、素晴らしい力をお持ちなんですよ?」
まさか――――そう口にしようとして思い留まる。
訳のわからないことだらけだが、思い当たる節が全くないわけでもない。
ザックやその仲間たちの発言、ウル達の反応を思い返すに、引っかかるものがあるのだが。
「ひとまず、俺の屋敷に来ませんか? 助けていただいたお礼をさせていただきたいです。貴女も、状況の整理をしたいでしょうし」
男性はそう言って穏やかに微笑む。
クロシェットは躊躇いつつも、コクリと静かに頷いた。
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