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23.呪われ公爵は愛せない
4.
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「君がそんなに融通の利かない男だとは思わなかったよ」
呆れるような声音。ワイングラスを片手に、寛いだ様子で首を傾げる。幼馴染で伯爵位を持つ親友、リヒャルトだ。
「別に、融通が利かない訳では」
「利いてないって。だって、八歳も年下の可愛い奥さん貰っといて、同じ寝室で眠っといて、一回も手を出してないなんてあり得ない。女性に対してとても失礼だし、男としてカッコ悪いと思う」
首を横に振りつつ、リヒャルトは小さくため息を吐く。
「だからこそ、初めにきちんと『おまえのことは愛せない』と伝えたし、寝室は別にするよう説得しているのだが」
「だから! そこが一番馬鹿なんだって! 世の中には愛情のない夫婦なんて幾らでも存在するだろう? 政略結婚なんだし、わざわざ宣言する必要ないって。おまえにもそれなりの事情があるのは知ってるけどさ」
リヒャルトの言葉にアンブラはほんのりと目を丸くし、俯く。
(それなりの、か)
他人から見ればその程度の認識だろう。だが、アンブラにとっては違う。
目を瞑れば、暗く冷たい記憶が心の中を支配する。
幼少期から仲の悪かった両親。父が母を顧みることは無く、母はそんな父を毎日毎日責め続けていた。
『あなたと結婚するんじゃなかった! わたしの時間を返してよ!』
ハルリーと同じく、借金を肩代わりすることで結ばれた婚姻関係。それでも、人並みの幸せが手に入れられると信じていたのだろう。母親はいつも愛情に飢え、ヒステリックに泣き叫んでいた。そして、そんな生活に耐え切れず、アンブラが幼い頃に家を出た。以降、顔すら見ていない。
「魔女の呪い、だっけ? それって本当に子孫にまで継承されるもんなの?」
リヒャルトが尋ねる。好奇心と疑念の混ざり合った表情。アンブラは眉間に皺を寄せる。
「知らん。――――少なくとも、俺の両親は不幸だった」
それが全て。呪いというものは存在する。
アンブラの祖先は、とても美しい貴公子だった。公爵という地位も手伝い、実にたくさんの女性が彼へと群がったし、数々の浮名を流してきた。
けれどある日のこと、彼は唐突に恋に落ちた。後に、彼の妻となる女性だ。
愛を貫くため、彼はそれまでに関係を持った全ての女性との縁を断ち切った。その中の一人が暗黒の魔法を操る魔女だった。
魔女は彼のことを心から愛していた。そして、愛した分だけ、自分との関係を断ち切った男のことを激しく憎んだ。
『他の女を愛するなんて許せない! 幸せになんてさせない! あなたも、あなたの子孫も、皆不幸になれば良いのよ!』
魔女は男に呪いを掛けた。愛した人が不幸になる――――そんな呪いだった。
彼の妻は、男子を産んですぐに、流行り病で亡くなってしまった。
彼等の息子が愛した女性は、乗っていた馬車が崖から転落し、亡くなってしまった。
次も、その次の代も似たようなことが起こる。
呪いの効果を疑うには、それだけで十分だった。
以降、カドガン家に生まれた子は、決して誰も愛さぬよう、言い聞かされて育つようになった。己のせいで誰かが不幸になる――――そんな苦しみを味わわぬように。
アンブラは、結婚などするつもりがなかった。自分の代でこの呪いを終わらせよう――――そんな風に思っていた。
けれど、周りがそれを許さない。アンブラは公爵。力を求めて擦り寄ってくるものも多く、放っておくと縁談が山程持ち寄られる。
ならばと選んだ相手が、没落寸前貴族であったハルリーだった。仮に子を成さずとも、実家から口出しされることは無く、万事において御しやすい。そんな打算だらけの結婚だったのだが、今のところ悉く当てが外れている。
「全く、魔女も意地が悪いよね。どうせならさ、男の方が異形の化け物になっちゃうような呪いを掛けたら良かったのに。そしたら、魔女以外の女性は逃げ出して、独り占めできたかもしれないのに、って思わない?」
「…………そんな魔法があるなら、今すぐ俺に掛けて欲しい位だ」
そうすれば、ハルリーだって自分から離れていくだろう。アンブラを見つける度に瞳を輝かせることも、駆け寄ってくることも、花のような笑みを浮かべることだって、きっとなくなる。そう思うと、胸のあたりがチクリと痛んだ。
「でもさ、案外、君の奥さんだったらそれでも平気かもしれないよ。全然物怖じしないし、化け物を見たところでケラケラ笑ってる気がする」
「……どうだろうな」
ハルリーはこれまで一度も、アンブラの対応に怯んだことがない。どれだけ冷たい眼差しを向けようと、心無い言葉を浴びせようと、いつだって真っ直ぐに彼を見据え、それから花のように微笑むのだ。
「で? 本当に俺が君の奥さんにアプローチかけちゃって良いの? いくら自分から目を逸らしたいからって、やりすぎな気もするけど」
と、言いつつ内心ワクワクしているらしい。リヒャルトはニヤニヤと口の端を綻ばせる。
「…………好きにしろ」
胸の奥底から息を吐く。己の身体から闇が溶け出すような心地がした。
呆れるような声音。ワイングラスを片手に、寛いだ様子で首を傾げる。幼馴染で伯爵位を持つ親友、リヒャルトだ。
「別に、融通が利かない訳では」
「利いてないって。だって、八歳も年下の可愛い奥さん貰っといて、同じ寝室で眠っといて、一回も手を出してないなんてあり得ない。女性に対してとても失礼だし、男としてカッコ悪いと思う」
首を横に振りつつ、リヒャルトは小さくため息を吐く。
「だからこそ、初めにきちんと『おまえのことは愛せない』と伝えたし、寝室は別にするよう説得しているのだが」
「だから! そこが一番馬鹿なんだって! 世の中には愛情のない夫婦なんて幾らでも存在するだろう? 政略結婚なんだし、わざわざ宣言する必要ないって。おまえにもそれなりの事情があるのは知ってるけどさ」
リヒャルトの言葉にアンブラはほんのりと目を丸くし、俯く。
(それなりの、か)
他人から見ればその程度の認識だろう。だが、アンブラにとっては違う。
目を瞑れば、暗く冷たい記憶が心の中を支配する。
幼少期から仲の悪かった両親。父が母を顧みることは無く、母はそんな父を毎日毎日責め続けていた。
『あなたと結婚するんじゃなかった! わたしの時間を返してよ!』
ハルリーと同じく、借金を肩代わりすることで結ばれた婚姻関係。それでも、人並みの幸せが手に入れられると信じていたのだろう。母親はいつも愛情に飢え、ヒステリックに泣き叫んでいた。そして、そんな生活に耐え切れず、アンブラが幼い頃に家を出た。以降、顔すら見ていない。
「魔女の呪い、だっけ? それって本当に子孫にまで継承されるもんなの?」
リヒャルトが尋ねる。好奇心と疑念の混ざり合った表情。アンブラは眉間に皺を寄せる。
「知らん。――――少なくとも、俺の両親は不幸だった」
それが全て。呪いというものは存在する。
アンブラの祖先は、とても美しい貴公子だった。公爵という地位も手伝い、実にたくさんの女性が彼へと群がったし、数々の浮名を流してきた。
けれどある日のこと、彼は唐突に恋に落ちた。後に、彼の妻となる女性だ。
愛を貫くため、彼はそれまでに関係を持った全ての女性との縁を断ち切った。その中の一人が暗黒の魔法を操る魔女だった。
魔女は彼のことを心から愛していた。そして、愛した分だけ、自分との関係を断ち切った男のことを激しく憎んだ。
『他の女を愛するなんて許せない! 幸せになんてさせない! あなたも、あなたの子孫も、皆不幸になれば良いのよ!』
魔女は男に呪いを掛けた。愛した人が不幸になる――――そんな呪いだった。
彼の妻は、男子を産んですぐに、流行り病で亡くなってしまった。
彼等の息子が愛した女性は、乗っていた馬車が崖から転落し、亡くなってしまった。
次も、その次の代も似たようなことが起こる。
呪いの効果を疑うには、それだけで十分だった。
以降、カドガン家に生まれた子は、決して誰も愛さぬよう、言い聞かされて育つようになった。己のせいで誰かが不幸になる――――そんな苦しみを味わわぬように。
アンブラは、結婚などするつもりがなかった。自分の代でこの呪いを終わらせよう――――そんな風に思っていた。
けれど、周りがそれを許さない。アンブラは公爵。力を求めて擦り寄ってくるものも多く、放っておくと縁談が山程持ち寄られる。
ならばと選んだ相手が、没落寸前貴族であったハルリーだった。仮に子を成さずとも、実家から口出しされることは無く、万事において御しやすい。そんな打算だらけの結婚だったのだが、今のところ悉く当てが外れている。
「全く、魔女も意地が悪いよね。どうせならさ、男の方が異形の化け物になっちゃうような呪いを掛けたら良かったのに。そしたら、魔女以外の女性は逃げ出して、独り占めできたかもしれないのに、って思わない?」
「…………そんな魔法があるなら、今すぐ俺に掛けて欲しい位だ」
そうすれば、ハルリーだって自分から離れていくだろう。アンブラを見つける度に瞳を輝かせることも、駆け寄ってくることも、花のような笑みを浮かべることだって、きっとなくなる。そう思うと、胸のあたりがチクリと痛んだ。
「でもさ、案外、君の奥さんだったらそれでも平気かもしれないよ。全然物怖じしないし、化け物を見たところでケラケラ笑ってる気がする」
「……どうだろうな」
ハルリーはこれまで一度も、アンブラの対応に怯んだことがない。どれだけ冷たい眼差しを向けようと、心無い言葉を浴びせようと、いつだって真っ直ぐに彼を見据え、それから花のように微笑むのだ。
「で? 本当に俺が君の奥さんにアプローチかけちゃって良いの? いくら自分から目を逸らしたいからって、やりすぎな気もするけど」
と、言いつつ内心ワクワクしているらしい。リヒャルトはニヤニヤと口の端を綻ばせる。
「…………好きにしろ」
胸の奥底から息を吐く。己の身体から闇が溶け出すような心地がした。
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