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20.一目惚れも、ここまでくれば

3.

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 とはいえ、黙って言うことを聞いてやるつもりはサラサラない。わたしを育てるためのお金は全て父が捻出したものだし、母がわたしに与えたのは『王家を滅ぼすための知識と恨み言』だけ。

 それでも、最低限の望みぐらいは叶えてやろうと思っていたというのに、アイザック殿下のせいで全てがひっくり返ってしまった。


(母のせいで自分が死ぬなんて馬鹿げている)


 だったら、やるべきことはただ一つ――――この婚約を破棄することだ。


 幸い、わたしの目論みを成功させるための道筋は幾つもある。
 わたしとの婚約に反対するものを焚きつけるも良し、妃に相応しくない愚かな振る舞いを見せつけることも、他の令嬢に殿下を誘惑させることだって、幾らでもできる。暗殺なんかよりずっとずっと簡単だ。


 そうと決まれば迷っている暇はない。わたしはすぐに行動に移った。


 求婚の翌日、わたしは殿下に王宮へと呼び出されていた。
 落ち着いた雰囲気の宮殿の一室に二人きり。用意してもらったお茶にもお菓子にも手を付けることができないまま、わたしは殿下をおずおずと見つめた。


「あの……殿下」

「殿下だなんて堅苦しい。アイザックと名前で呼んで欲しいな」


 そう言ってアイザック殿下は穏やかな笑みを浮かべる。人の良い、聖人みたいな優しい笑顔だ。
 まだ二回しか顔を合わせていないというのに、どうしてこんなに警戒心なく、馴れ馴れしくできるのだろう。わたしには彼がちっとも理解できそうにない。


(わたし……やっぱり、この王家は放っておいても滅びると思うわ)


 人の悪意とか、敵意とか、そういうものに全く晒されずに生きているからこそ、こうして簡単に人を信用する。親や他の兄弟たちまでそうなのかは分からないけど、『平和ボケ』しているんじゃないだろうか。そう思えてならなかった。


「――――アイザック殿下はどうして、わたしを妃に?」


 気を取り直して、わたしは本題を切り出す。
 婚約破棄を成し遂げるにはまず、相手の本質を知らなければならない。密かに気合を入れつつ、わたしは身を乗り出した。


「理由ならこの間も話しただろう? 君に一目惚れしたんだ。もしかして、信じていなかったの?」


 そう言ってアイザック殿下は瞳をキラキラと輝かせる。


(信じるわけないじゃありませんか)


 こんな婚約、普通ならあり得ない。裏があるに決まっている。寧ろ信じられる人が居るなら教えて欲しい。
 言葉にせずとも想いは伝わるらしく、殿下はクスクス笑いながら、小さく首を傾げた。


「僕はずっと結婚相手を探していたんだ。そのことはローラも知っている?」

「ええ。異母姉のイザベラがその筆頭候補だと思っておりましたけど」


 初めて殿下にお会いしたのだって、異母姉さまがキッカケだった。

 新しく学園に入学してきたわたしを見つけた異母姉さまが嫌味を言うために近づいてきたその時、彼女と共にアイザック殿下が居た。そうして、脈略も無く唐突に投げ掛けられたのが、冒頭のセリフだったのである。


「そうだね。イザベラも含めて、僕には数人のお妃候補が居たんだ。どの人も美しく、素晴らしい人だけど、どうにも決めかねていてね。
だけど、ローラに出会って気づいた。君こそ、僕が求めていた運命の人なんだって」


 至極真面目な表情のアイザック殿下に、わたしは目を瞬かせる。


(いまどき運命の人って……)


 リアリストのわたしを相手に、この発言は結構きつい。本当はお腹を抱えて笑いたかったけど、必死になって我慢する。
 けれど、アイザック殿下はそんなわたしを余所に、穏やかに目を細めた。


「君のその美しい瞳に目を奪われた」


 そう言ってアイザック殿下は身を乗り出す。


「白い肌も、薔薇色の頬も、愛らしい唇も、ローラの全てが愛おしい」


 小説でも滅多にお目に掛かれないような恥ずかしい言葉の羅列に、わたしは思わず息を呑む。
 気づけば殿下は立ち上がり、わたしの背後に立っていた。


「えっ……ちょっ? 殿…………」

「この柔らかい栗色の髪もそう。どんな宝石でも映えそうな美しさで、君へのプレゼントを見繕うのはとても楽しかった。着けてきてくれたんだね……嬉しいよ」


 アイザック殿下はわたしの耳元でそんなことを囁く。心臓がドッドッと凄い音を立てて鳴り響き、全身から変な汗が流れ出る。


「母が……そうしろと言うものですから」


 だから、わたしが望んでそうしたわけじゃない。そう言外に伝えると、殿下はクスクスと笑い声を上げた。


「それで良いよ。つまり、少なくとも君の家族は僕との婚約を望んでくれているんだろう?」

「それは――――――その通りですけど」


 今、わたしの意思で婚約を破談にしては、後で母からどんな仕打ちを受けるか分からない。
 だから、しばらくの間は流れに身を任せている振りをしなきゃいけないし、殿下にもそうと気取られないようにする必要がある――――そう分かっているのだけど。


「大丈夫。僕はローラを逃す気は無いし」


 そう言って殿下はわたしの手を取り、薬指にそっと口付ける。ビックリするやら恥ずかしいやらで、身体がビクッと跳ねてしまう。


「婚約してくれたら、僕のことを好きになってくれるよう努力する。君をきっと幸せにするよ」


 殿下の言葉はまるで粉砂糖みたいに甘ったるい。
 だけどわたしは、その甘さ故に、そこには絶対裏がある――――そんな風に確信できた。


(この婚約は絶対に、破棄できる)


 心の中でそんなことを思いながら、わたしは「よろしくお願いします」と答えた。
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