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12.悪魔が憑いたから婚約を破棄したい?そんなの絶対、認めません!
1.
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「婚約を……破棄したい」
「……今、なんて?」
許婚からの思わぬ言葉に、サラは息を飲んだ。
「婚約を破棄したいんだ、サラ」
ハッキリと告げられた離別を望む言葉はあまりにも冷たい。震える己の身体をギュッと抱き締めながら、サラは唇を引き結んだ。
アザゼルとは、もう何年も前から交流を重ね、互いに婚約者として歩み寄ってきた。二人の仲は良好で、サラはアザゼルをとても慕っていた。アザゼルとなら誰もが羨む夫婦になれるーーーー少なくともサラはそう思っていたのだが。
「どうしてなの?アザゼル」
努めて冷静にサラは尋ねた。世の令嬢方がこぞって婚約を破棄される昨今でも、自分とアザゼルだけは安泰だと思っていた。だからこれは、何かの間違いだ。サラはそう、自分に言い聞かせる。
けれどアザゼルはサラの問い掛けに答えることもなく俯いていて、表情を窺うことができない。
(何か、止むに止まれぬ事情があるとか?)
そんな考えが頭に過るが、どうにもピンと来るものはない。
アザゼルの家族ーーーー公爵家の面々は穏やかな方ばかりで、爵位も財力も安定している。それに家の事情で婚約を破棄するなら、サラの父母へ先に話が来るだろう。
一番あり得るとすれば、サラ以外に好きな人ができた、というパターンだ。けれどサラは、アザゼルに限ってそんなことは無いと思っていた。
品行方正、誠実を絵に描いたようなアザゼルは、学園でもそれ以外の場所でも、常にサラと一緒だった。
周りにも『婚約者』だとハッキリ伝えていたし、態度で示していた。たとえアザゼルに言い寄るものがあっても、一切応じてこなかったことをサラは知っている。
(だったらどうして)
考えたところで埒が明かない。
サラは恐る恐るアザゼルに近づくと、そっと彼の顔を見上げた。
「…………っ!?」
その瞬間、サラは血の気が引いた。
悲しげな、苦しげな表情のアザゼルを想像していた。良心の呵責に堪えかねて、震えているアザゼルを。
けれど彼は、サラの予想に反して笑顔だった。しかもその笑顔は、サラの知っているアザゼルとは異なるもので。
「なっ……アザゼル?あなた、本当にアザゼルなの!?」
つい先ほどまでサラは、彼がアザゼルであることを疑いもしなかった。けれど今目の前にいる男性は、顔はアザゼルと同じ造りをしているが、ただそれだけだ。
爛々と楽しげに細められた光り輝く瞳に、ニヤリと弧を描く唇。十年近く付き合ってきたが、サラはこんな風に笑うアザゼルを知らない。
男はサラの髪の毛をクシャクシャとかき乱したかと思うと、声をあげて笑った。
「これで分かっただろう?お前の知ってるアザゼルはこの世にもういないわけ」
まるで子供のようにあっかんべーをしながら、男は笑う。あまりのことに、サラはワナワナと唇を震わせた。
(こんなこと、信じられない!どうして、どうして!?)
姿かたちや声がいくら同じでも、今目の前にいるのは、サラの婚約者だったアザゼルではない。そうサラは確信した。
「そういうわけだからさ、婚約は破棄!決定!だって無理でしょ、こんな俺と結婚するの」
アザゼルのかたちをした男はそう言って楽しげに笑う。
何が彼に起こっているのだろう。どうしてこんなことになったのだろう。サラの頭のなかは混乱を極めていた。
「な……納得できないわ。どうしてなの?アザゼル……どうして?何があなたをそんな風に変えたの?」
アザゼルの身体に縋りながらサラが尋ねる。涙が自然に浮かび上がり,心がひどく痛かった。
けれど男はサラを冷たく見下ろしながら,面倒くさげにため息を吐く。
「まるで悪魔に身体を乗っ取られたみたい……」
天使が如く優しく穏やかで,いつも笑顔だったアザゼル。それが今や別人のようだ。悪魔が入ったとでも言わなければ説明がつかない。そうサラは思った。
男はニヤリと笑うと、そっとサラの顎を掬う。驚きと戸惑いからサラの心臓がトクンと跳ねた。
「……ははっ。勘がいいじゃねぇか。もしも今、お前と話している俺が悪魔の化身ーーーーだったらどうする?」
妖し気に光る男の瞳に,サラはたじろぐ。彼は先ほどの仮定に対し肯定も否定もしていない。
(けれど)
サラはギュっと拳を握りしめると,男へと真っすぐ向き直った。
「それでも婚約破棄なんて認めない……いいえ,私がさせないから」
「は!?」
意外な返答だったのか,アザゼルは目を見開きサラを凝視する。視線からくるプレッシャーが凄まじい。けれどサラは,もうめげなかった。キリリと男を睨み返し,大きく息を吸い込む。
「私は!絶対に元のアザゼルを取り戻して、彼と結婚するの!」
そのまま高らかに宣言すると、アザゼルの身体をグッと引き寄せた。予想外の行動だったのか、男がグラッとバランスを崩す。途端に無防備となった男の唇に、サラは己のそれを押し当てた。
「なっ……!?」
男は頬を紅く染め、信じられないといった表情でサラを見つめている。
(そんな顔しないでよ……私だって驚いてるのに)
男にアザゼルの記憶が残っているかは分からないが、婚約者として長い付き合いをしてきた二人が、こうして口付けを交わすのは初めてだった。サラも、まさか生まれて初めての口づけをするだなんて今の今まで予想すらしていなかったというのに。
「っ……そっ、そういうわけだから!絶対、婚約破棄なんてさせないんだからね!」
そう言ってサラは、脱兎のごとくその場から駆け出した。気恥ずかしかった。たとえ相手がアザゼルの皮を被った悪魔だったとしても、恥ずかしくて堪らなかったのだ。
(でも、おかげで覚悟は決まったんだから!)
サラは両頬を思い切り叩きながら、前を向く。それから、目的地まで勢いよく走り出した。
「……今、なんて?」
許婚からの思わぬ言葉に、サラは息を飲んだ。
「婚約を破棄したいんだ、サラ」
ハッキリと告げられた離別を望む言葉はあまりにも冷たい。震える己の身体をギュッと抱き締めながら、サラは唇を引き結んだ。
アザゼルとは、もう何年も前から交流を重ね、互いに婚約者として歩み寄ってきた。二人の仲は良好で、サラはアザゼルをとても慕っていた。アザゼルとなら誰もが羨む夫婦になれるーーーー少なくともサラはそう思っていたのだが。
「どうしてなの?アザゼル」
努めて冷静にサラは尋ねた。世の令嬢方がこぞって婚約を破棄される昨今でも、自分とアザゼルだけは安泰だと思っていた。だからこれは、何かの間違いだ。サラはそう、自分に言い聞かせる。
けれどアザゼルはサラの問い掛けに答えることもなく俯いていて、表情を窺うことができない。
(何か、止むに止まれぬ事情があるとか?)
そんな考えが頭に過るが、どうにもピンと来るものはない。
アザゼルの家族ーーーー公爵家の面々は穏やかな方ばかりで、爵位も財力も安定している。それに家の事情で婚約を破棄するなら、サラの父母へ先に話が来るだろう。
一番あり得るとすれば、サラ以外に好きな人ができた、というパターンだ。けれどサラは、アザゼルに限ってそんなことは無いと思っていた。
品行方正、誠実を絵に描いたようなアザゼルは、学園でもそれ以外の場所でも、常にサラと一緒だった。
周りにも『婚約者』だとハッキリ伝えていたし、態度で示していた。たとえアザゼルに言い寄るものがあっても、一切応じてこなかったことをサラは知っている。
(だったらどうして)
考えたところで埒が明かない。
サラは恐る恐るアザゼルに近づくと、そっと彼の顔を見上げた。
「…………っ!?」
その瞬間、サラは血の気が引いた。
悲しげな、苦しげな表情のアザゼルを想像していた。良心の呵責に堪えかねて、震えているアザゼルを。
けれど彼は、サラの予想に反して笑顔だった。しかもその笑顔は、サラの知っているアザゼルとは異なるもので。
「なっ……アザゼル?あなた、本当にアザゼルなの!?」
つい先ほどまでサラは、彼がアザゼルであることを疑いもしなかった。けれど今目の前にいる男性は、顔はアザゼルと同じ造りをしているが、ただそれだけだ。
爛々と楽しげに細められた光り輝く瞳に、ニヤリと弧を描く唇。十年近く付き合ってきたが、サラはこんな風に笑うアザゼルを知らない。
男はサラの髪の毛をクシャクシャとかき乱したかと思うと、声をあげて笑った。
「これで分かっただろう?お前の知ってるアザゼルはこの世にもういないわけ」
まるで子供のようにあっかんべーをしながら、男は笑う。あまりのことに、サラはワナワナと唇を震わせた。
(こんなこと、信じられない!どうして、どうして!?)
姿かたちや声がいくら同じでも、今目の前にいるのは、サラの婚約者だったアザゼルではない。そうサラは確信した。
「そういうわけだからさ、婚約は破棄!決定!だって無理でしょ、こんな俺と結婚するの」
アザゼルのかたちをした男はそう言って楽しげに笑う。
何が彼に起こっているのだろう。どうしてこんなことになったのだろう。サラの頭のなかは混乱を極めていた。
「な……納得できないわ。どうしてなの?アザゼル……どうして?何があなたをそんな風に変えたの?」
アザゼルの身体に縋りながらサラが尋ねる。涙が自然に浮かび上がり,心がひどく痛かった。
けれど男はサラを冷たく見下ろしながら,面倒くさげにため息を吐く。
「まるで悪魔に身体を乗っ取られたみたい……」
天使が如く優しく穏やかで,いつも笑顔だったアザゼル。それが今や別人のようだ。悪魔が入ったとでも言わなければ説明がつかない。そうサラは思った。
男はニヤリと笑うと、そっとサラの顎を掬う。驚きと戸惑いからサラの心臓がトクンと跳ねた。
「……ははっ。勘がいいじゃねぇか。もしも今、お前と話している俺が悪魔の化身ーーーーだったらどうする?」
妖し気に光る男の瞳に,サラはたじろぐ。彼は先ほどの仮定に対し肯定も否定もしていない。
(けれど)
サラはギュっと拳を握りしめると,男へと真っすぐ向き直った。
「それでも婚約破棄なんて認めない……いいえ,私がさせないから」
「は!?」
意外な返答だったのか,アザゼルは目を見開きサラを凝視する。視線からくるプレッシャーが凄まじい。けれどサラは,もうめげなかった。キリリと男を睨み返し,大きく息を吸い込む。
「私は!絶対に元のアザゼルを取り戻して、彼と結婚するの!」
そのまま高らかに宣言すると、アザゼルの身体をグッと引き寄せた。予想外の行動だったのか、男がグラッとバランスを崩す。途端に無防備となった男の唇に、サラは己のそれを押し当てた。
「なっ……!?」
男は頬を紅く染め、信じられないといった表情でサラを見つめている。
(そんな顔しないでよ……私だって驚いてるのに)
男にアザゼルの記憶が残っているかは分からないが、婚約者として長い付き合いをしてきた二人が、こうして口付けを交わすのは初めてだった。サラも、まさか生まれて初めての口づけをするだなんて今の今まで予想すらしていなかったというのに。
「っ……そっ、そういうわけだから!絶対、婚約破棄なんてさせないんだからね!」
そう言ってサラは、脱兎のごとくその場から駆け出した。気恥ずかしかった。たとえ相手がアザゼルの皮を被った悪魔だったとしても、恥ずかしくて堪らなかったのだ。
(でも、おかげで覚悟は決まったんだから!)
サラは両頬を思い切り叩きながら、前を向く。それから、目的地まで勢いよく走り出した。
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