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8.女騎士アビゲイルの失態
2.
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何時間ぐらいそうしていただろう。段々と木漏れ日が薄れ、夜が近づいてきたことが分かる。
未だ、身体を休められそうな場所は見つかっていない。
いつでも入り口に戻れるよう、アビゲイルは木に切れ込みを入れてきた。けれど、夜になればそれも難しい。手持ちの水も明日には無くなってしまいそうだ。
(どうしよう)
その時、アビゲイルは目を疑った。
ここからそう遠く離れていない森の中。一ヶ所だけ木々の途切れている場所がある。
そこから薄っすらと煙が上がっているのが見えるのだ。
(人だ!人がいるんだ!)
見間違いかもしれない。敵の可能性だってある。
けれどアビゲイルはグッと手綱を強く握りなおすと、真っ直ぐにそちらの方へ歩いて行った。
「――――まさか森の奥にこんな場所があるなんて」
「ビックリですね」
煙が上がっていた場所にあったもの。それは大きな塔だった。とても古い建物だし、蔦が巻き付いているものの、中には灯りが灯っている。
「王女様、如何しましょう」
そう尋ねるが、アビゲイルの心は決まっていた。
(塔の中に入ろう)
剣の柄に手を掛け、アビゲイルは塔の入り口を睨みつける。
もしも中にいるのがロゼッタを襲った手のものであれば、殲滅する。違えば事情を隠して、しばらく身を寄せさせてもらう。こちらへ向かったときからそう決めていた。
「――――お前に任せるわ」
ロゼッタはそう言って優しく微笑んだ。
幼いころから仕えているこの姫君は、アビゲイルに全幅の信頼を寄せてくれている。だからアビゲイルはその信頼に答えたかった。
「王女様は身を隠していてください。十分経っても私が戻ってこなかったら、この子に乗って逃げるんですよ」
アビゲイルはロゼッタに馬を任せると、深呼吸を一つ。塔へと向かった。
塔の入り口は埃をかぶっていて薄汚い。もしかしたら、塔の主が到着したのもつい最近のことなのかもしれない。
耳をそばだてて中の様子を探ろうと試みるが、何の物音もしなかった。
もう一度深呼吸をし、心を落ち着かせてからアビゲイルは塔の扉を叩く。
「ごめんください」
けれど、待てど暮らせど反応は返ってこない。
(もう一度)
ゴクリと唾を呑み込んでから、アビゲイルはもう一度、大きく手を振り上げた。
「あっ……!」
けれど扉に向けて振り下ろした筈の手は空を掻き、アビゲイルは大きくバランスを崩してしまう。
「おっと……お前、女か?」
気づけばアビゲイルの身体は、見知らぬ男に抱き留められていた。驚いて顔を上げれば、男の右手には短刀が鋭く光る。
アビゲイルは素早く男の腕から逃れると、手にしていた剣を構えた。けれど男はアビゲイルを見つめたまま、切りかかってくる様子はない。
(…………あいつらの仲間ではない、のか?)
警戒心は解かぬまま、アビゲイルはゆっくりと剣を下ろした。
「私の名はアビゲイル。わけあってこの森に迷い込んだ」
金色に輝く男の瞳を真っ直ぐに見つめながら、アビゲイルは口上を述べる。男は品定めをするかのようにアビゲイルを上から下まで眺めると、不敵な笑みを浮かべた。
「女騎士様が迷子、ねぇ?」
男は不敵な笑みを浮かべながら、そっとアビゲイルの顎を掬う。アビゲイルは眉間に皺を寄せつつ、けれど男から顔を逸らさなかった。
「それで?何をお望みなんだ?」
「しばらくここに身を寄せさせてほしい。報酬は弾もう」
淡々とそう述べるアビゲイルだが、先程から緊張で心臓ははち切れそうだし、踏ん張った足は小刻みに震えている。けれど表情だけは、凛々しくて強い女騎士を演じた。
「……生憎と金には困ってないんだよなぁ」
男はそう言って目を伏せたかと思うと、ややして意地の悪い笑みを浮かべた。
「まぁ良い。泊まらせてやるよ」
「………っ、恩に着る!」
アビゲイルはほっと胸を撫でおろしながら、笑顔を浮かべた。
塔の中は広く、想像よりもずっと美しかった。造りも、設置された調度品の類も、一つ一つが洗練されていて無駄がない。
「おまえ、着替えは持ってるのか?」
階段を先導しながら、男が尋ねる。すぐ後ろを歩くロゼッタではなく、アビゲイルに尋ねているらしい。
「そんなもの、持っているわけがないだろう」
荷物は全て、捨て置いた馬車の中だ。アビゲイルも、ロゼッタも、今着ているものしか持っていない。
「その恰好では主が警戒してしまう。挨拶の前にその鎧は脱いでほしい。明日以降の着るものは、俺が何とかしよう」
男はそう言って、自身の襟元をそっと引っ張って見せる。
「おまえ、主がいるのか?」
アビゲイルは思わず疑問を口にした。
男の着ているものは肌触りも質も良いし、立ち居振る舞い一つとっても、誰かに仕えているより、仕えさせる側の人間に見える。
おまけにアビゲイルたちの滞在を許可したのはこの男自身だ。なにやら腑に落ちなかった。
「――――――まぁな」
何やら含みのある返答だが、男が詳細を語る気はなさそうだ。アビゲイルは心の中でため息を吐いた。
「こんな所に迷い込むなんて大変だったね」
男の主は穏やかで紳士な、美しい男性だった。未だ18歳という若さなのに、落ち着きと貫禄があって、懐も深い。アビゲイルはホッと胸を撫でおろした。
「突然のお申し出にも関わらず、私達を受け入れて下さったこと、心より感謝申し上げます。私はロゼリア。こちらは侍女のアビゲイルです。よろしくお願いいたします」
アビゲイルはロゼリアと一緒になって頭を下げる。
嘘を吐かせることは心苦しかったが、ロゼッタには偽名を使ってもらうことにした。こうすれば簡単に身元を割りだせないだろうし、余計な詮索は避けられるだろうとの考えからだ。
「僕はライアン、こっちはトロイだよ」
ライアンはそう言ってニコリと笑う。従者とは異なり、裏表のない、とても清々しい笑顔だった。
未だ、身体を休められそうな場所は見つかっていない。
いつでも入り口に戻れるよう、アビゲイルは木に切れ込みを入れてきた。けれど、夜になればそれも難しい。手持ちの水も明日には無くなってしまいそうだ。
(どうしよう)
その時、アビゲイルは目を疑った。
ここからそう遠く離れていない森の中。一ヶ所だけ木々の途切れている場所がある。
そこから薄っすらと煙が上がっているのが見えるのだ。
(人だ!人がいるんだ!)
見間違いかもしれない。敵の可能性だってある。
けれどアビゲイルはグッと手綱を強く握りなおすと、真っ直ぐにそちらの方へ歩いて行った。
「――――まさか森の奥にこんな場所があるなんて」
「ビックリですね」
煙が上がっていた場所にあったもの。それは大きな塔だった。とても古い建物だし、蔦が巻き付いているものの、中には灯りが灯っている。
「王女様、如何しましょう」
そう尋ねるが、アビゲイルの心は決まっていた。
(塔の中に入ろう)
剣の柄に手を掛け、アビゲイルは塔の入り口を睨みつける。
もしも中にいるのがロゼッタを襲った手のものであれば、殲滅する。違えば事情を隠して、しばらく身を寄せさせてもらう。こちらへ向かったときからそう決めていた。
「――――お前に任せるわ」
ロゼッタはそう言って優しく微笑んだ。
幼いころから仕えているこの姫君は、アビゲイルに全幅の信頼を寄せてくれている。だからアビゲイルはその信頼に答えたかった。
「王女様は身を隠していてください。十分経っても私が戻ってこなかったら、この子に乗って逃げるんですよ」
アビゲイルはロゼッタに馬を任せると、深呼吸を一つ。塔へと向かった。
塔の入り口は埃をかぶっていて薄汚い。もしかしたら、塔の主が到着したのもつい最近のことなのかもしれない。
耳をそばだてて中の様子を探ろうと試みるが、何の物音もしなかった。
もう一度深呼吸をし、心を落ち着かせてからアビゲイルは塔の扉を叩く。
「ごめんください」
けれど、待てど暮らせど反応は返ってこない。
(もう一度)
ゴクリと唾を呑み込んでから、アビゲイルはもう一度、大きく手を振り上げた。
「あっ……!」
けれど扉に向けて振り下ろした筈の手は空を掻き、アビゲイルは大きくバランスを崩してしまう。
「おっと……お前、女か?」
気づけばアビゲイルの身体は、見知らぬ男に抱き留められていた。驚いて顔を上げれば、男の右手には短刀が鋭く光る。
アビゲイルは素早く男の腕から逃れると、手にしていた剣を構えた。けれど男はアビゲイルを見つめたまま、切りかかってくる様子はない。
(…………あいつらの仲間ではない、のか?)
警戒心は解かぬまま、アビゲイルはゆっくりと剣を下ろした。
「私の名はアビゲイル。わけあってこの森に迷い込んだ」
金色に輝く男の瞳を真っ直ぐに見つめながら、アビゲイルは口上を述べる。男は品定めをするかのようにアビゲイルを上から下まで眺めると、不敵な笑みを浮かべた。
「女騎士様が迷子、ねぇ?」
男は不敵な笑みを浮かべながら、そっとアビゲイルの顎を掬う。アビゲイルは眉間に皺を寄せつつ、けれど男から顔を逸らさなかった。
「それで?何をお望みなんだ?」
「しばらくここに身を寄せさせてほしい。報酬は弾もう」
淡々とそう述べるアビゲイルだが、先程から緊張で心臓ははち切れそうだし、踏ん張った足は小刻みに震えている。けれど表情だけは、凛々しくて強い女騎士を演じた。
「……生憎と金には困ってないんだよなぁ」
男はそう言って目を伏せたかと思うと、ややして意地の悪い笑みを浮かべた。
「まぁ良い。泊まらせてやるよ」
「………っ、恩に着る!」
アビゲイルはほっと胸を撫でおろしながら、笑顔を浮かべた。
塔の中は広く、想像よりもずっと美しかった。造りも、設置された調度品の類も、一つ一つが洗練されていて無駄がない。
「おまえ、着替えは持ってるのか?」
階段を先導しながら、男が尋ねる。すぐ後ろを歩くロゼッタではなく、アビゲイルに尋ねているらしい。
「そんなもの、持っているわけがないだろう」
荷物は全て、捨て置いた馬車の中だ。アビゲイルも、ロゼッタも、今着ているものしか持っていない。
「その恰好では主が警戒してしまう。挨拶の前にその鎧は脱いでほしい。明日以降の着るものは、俺が何とかしよう」
男はそう言って、自身の襟元をそっと引っ張って見せる。
「おまえ、主がいるのか?」
アビゲイルは思わず疑問を口にした。
男の着ているものは肌触りも質も良いし、立ち居振る舞い一つとっても、誰かに仕えているより、仕えさせる側の人間に見える。
おまけにアビゲイルたちの滞在を許可したのはこの男自身だ。なにやら腑に落ちなかった。
「――――――まぁな」
何やら含みのある返答だが、男が詳細を語る気はなさそうだ。アビゲイルは心の中でため息を吐いた。
「こんな所に迷い込むなんて大変だったね」
男の主は穏やかで紳士な、美しい男性だった。未だ18歳という若さなのに、落ち着きと貫禄があって、懐も深い。アビゲイルはホッと胸を撫でおろした。
「突然のお申し出にも関わらず、私達を受け入れて下さったこと、心より感謝申し上げます。私はロゼリア。こちらは侍女のアビゲイルです。よろしくお願いいたします」
アビゲイルはロゼリアと一緒になって頭を下げる。
嘘を吐かせることは心苦しかったが、ロゼッタには偽名を使ってもらうことにした。こうすれば簡単に身元を割りだせないだろうし、余計な詮索は避けられるだろうとの考えからだ。
「僕はライアン、こっちはトロイだよ」
ライアンはそう言ってニコリと笑う。従者とは異なり、裏表のない、とても清々しい笑顔だった。
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