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1.恋人になってくれませんか?

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 扉を開けると、咽せ返るような白粉や香水の香りがした。部屋の真ん中には一国の王が座るような豪奢な椅子が鎮座しており、そこには一人の男性がどっかりと腰掛けている。

 クシャクシャッと無造作にセットされた金色の髪の毛、夜空みたいな色をした深い青の瞳、整った目鼻立ちに端正な身体。大きく開かれた襟元からはのど仏や鎖骨が見える。
 普段グラディアが接している貴族の男性たちとは全く異なる、どこか退廃的な雰囲気。緊張で心臓がドキドキと鳴り響いた。


「あなた誰? 入る部屋を間違っていない?」


 声を掛けてきたのは、快活な笑顔が魅力的な美しい少女だった。彼女はグラディアのことを上から下まで遠慮なく眺め、面白そうに肩を震わせる。場違いだと、そう言いたいのだろう。けれど、グラディアはめげなかった。フルフルと首を横に振り、そのまま部屋の真ん中へと進んで行く。

 その間、すれ違う幾人もの女性たち。皆、グラディアと同年代の少女だというのに、美しく自信に満ち溢れていて、『女性』という呼称が良く似合う。未だあどけなさの残るグラディアとは正反対だ。それでも、グラディアは引き返すわけにはいかなかった。


「――――エーヴァルト様にお願いがございます!」


 この部屋で唯一の男性の目の前まで進むと、グラディアはそう口にした。彼にしな垂れかかった少女たちが目を丸くする。対するエーヴァルトは、涼しげな表情でグラディアを見下ろしていた。


「わたくしの恋人になってくださいませんか?」


 グラディアの声が木霊する。室内が騒然とした。女性たちの嘲笑にも似た声が響く中、グラディアは真っ直ぐにエーヴァルトを見上げている。


「――――話だけは聞いてやる」


 そう言ってエーヴァルトの口角がニヤリと上がる。信じられないといった少女たちを尻目に、グラディアは嬉しそうに微笑んだ。



「それで? どうして貴族のお嬢様が俺のところに?」


 エーヴァルトは頬杖をつき、面白そうに首を傾げる。煩かった女性たちの声は今はしない。エーヴァルトが人払いをしたからだ。


「別に本気で俺の恋人になりたいって訳じゃねぇだろ? っていうか、俺は遊びの出来ない女はお断りだ」

「とっ、当然です! だからこそ、あなたにお願いに来たのですから」


 グラディアはそう言って胸を張った。エーヴァルトは眉間に皺を寄せ、黙ってグラディアを見下ろしている。グラディアは玉座の前にちょこんと正座した。


「――――わたくしにはクリストフという幼馴染がいます。侯爵家の跡取り息子で、先日、わたくしの親友ロジーナとの婚約が決まりました。ロジーナは由緒ある伯爵家の御令嬢で、すごく綺麗で強い女性なんです。
ですが彼は、とある理由からロジーナとの婚約を拒否していまして……」

「ふぅん――――で、その理由ってのがあんたなわけ?」

「……話が早くて助かります」


 グラディアは眉をへの字型に曲げ、深々とため息を吐く。エーヴァルトは椅子から降りると、グラディアの前へしゃがみ込んだ。


「幼馴染に恋して婚約を拒否、ねぇ。それで、俺があんたの恋人の振りをして、クリストフって奴があんたを諦められるように仕向けたいってことか」

「はい。わたくしに恋人がいると分かれば、彼はすぐにロジーナと婚約をすると思うんです。……お願いできませんか?」


 グラディアの瞳は憂いを帯びて揺れていた。断られることに対する不安なのか、はたまた別の理由があるのか、エーヴァルトには判じられない。


(けどまぁ、貴族に恩を売っておいて損はねぇ、か)


 魔術科の不動のトップとして君臨しているエーヴァルトだが、あくまで平民の身分だ。今後の人生を考えれば、伝手は多い方が良い。見た目よりもずっと、堅実な性格をしている。

 何より、エーヴァルトはひどく退屈していた。才能が突出しているが故、周りには友達やライバルと呼べるような人間はいない。言い寄ってくるのはいつも、似たような少女ばかりだ。ほんの短期間、普段とは違うことをしてみるのも悪くはない。


「良いけど」

「本当ですか?」


 エーヴァルトの返事に、グラディアは瞳を輝かせた。ひどく純粋で、無垢な表情。エーヴァルトの取り巻き連中とは正反対の少女だ。


「良い! 絶対俺にマジになるなよ? 面倒ごとは嫌いだ」

「なりません! 絶対絶対、あり得ませんわ」


 そう言って満面の笑みを浮かべるグラディアの額を、エーヴァルトは指で弾いた。無邪気なだけに、何となく腹が立った。
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