それが全てと言うのなら

楽川楽

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それが全てと言うのなら

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 高校三年の夏休み。
 ひと気のない部屋の中に乾いた音が響いていた。その音とともにひっきりなしに上がる、甘く甲高い声。
 光の塊みたいに明るい髪を乱して柔らかい体を揺すっている男は、嫌というほどよく見知った顔だった。
 見たくない、聞きたくない。
 目を塞ぎたいのに、耳を塞ぎたいのに、俺の体は固まって上手く動かない。

しょう

 振り向くこともできない俺の耳元に、そっと静かな声が囁く。

「大丈夫。もう、見なくて良いよ」

 いつもと変わりない穏やかな声がそう言って、後ろから大きな手で俺の視界を遮った。手と、俺の顔の間がじとりと湿る。そうされるまで俺は、自分が泣いていることにすら気づいていなかった。


 ◇


 俺と亜希あき出流いずるは小学校からの付き合いで、所謂幼馴染というやつだ。素行の悪い俺たちが三バカトリオなんて呼ばれていたのは低学年まで。その後は亜希と出流が色恋に目覚めた女子たちからやたらとモテて、気づけば俺一人だけがバカ扱い。
 まあ、そうされても無理ないほどに、亜希と出流の顔面偏差値はアホみたいに高かった。

「お前らのせいで生き辛い」
「はぁー?」

 ぼやいてみたって亜希は本気で意味が分かってないし、出流は表情筋が死んでるのかってくらい真顔のまま。

「しかし亜希、お前また女の子泣かせたのかぁ?」

 昼飯といえばここ、っていう馴染みのラーメン屋のカウンターに、いつものように三人で横並びに座る。左に出流、真ん中に俺、右に亜希。俺と出流は揃って首を右に向け、青紫色に染まった亜希の頬っぺたを見つめた。

「今回は何マタよ?」

 亜希がドヤ顔で長い指を四本立てると、俺の左隣からフン、と鼻で笑う音が聞こえた。そのまま何もいう気がない出流は、焼きたての餃子を口に頬張る。

「で、バレて殴られたわけか」
「『サイテー!』のお決まり文句と共にな!」
「なんで偉そうなんだよ、アホか!」

 金色に染めた髪が違和感なく似合う派手な顔には、いつだって不誠実の証がクッキリとつけられている。
 毎度の展開に俺が声を出して笑えば、何故か亜希は嬉しそうに顔を緩めた。

「亜希の女癖の悪さはまじでビョーキだな」
「あのなあ、尚。お前は俺にばっかそういうけど、そちらのお兄さんもなかなかよ?」

 亜希が指差す方へと顔を向けると、そこには亜希とは種類の違う美貌がこちらを静かに見返している。
 染めたりしていない艶やかな黒髪は、短めのショートで清潔感が溢れていて、とても女の子を食い散らかしているように……は……多少見えるっちゃ見えるが(童貞には出せないオーラが出てるから)、実際に出流が女とモメている場面には不思議と出くわしたことはなかった。
 亜希と同じで肌の色は白いが、太陽の下が似合う亜希とは違い、出流にはどことなく影があった。まさに『夜の男』感が凄いのだ。亜希には無い色気だ。

「尚、嘘だから気にしなくていいよ」
「なぁーにが嘘だ! 真っ赤なスポーツカーのお姉さんはどなたでしょう!?」
「大将、唐揚げ一人前追加で」
「おい、誤魔化すなよ!!」

 しれっと視線を逸らした出流から俺も視線を外し、前を向く。大将が黙々と俺たちの飯を作っているのを黙って見ていた。

 それなりに整った容姿の奴なんて案外ゴロゴロと転がっている。だけど一目見て息を呑むほどの容姿はそうそういない。それが俺の両隣に平然と並んでいるのだから、平凡な暮らしができるはずはなかった。
 亜希と出流の容姿では、黙って立っているだけで遊ぶ相手は向こうから嫌というほど寄ってくる。
 恨みや妬みは当たり前のように俺の体に纏わりついてきて、面倒で仕方ない時も正直あった。それでもふたりの側を離れなかったのは。離れ、られなかったのは……。

「亜希はそのうち刺されるな」
「はっ! 尚が味方になになってくれるからいーもんねー! な、しょーうー?」

 出流の嫌味に白い歯を見せて大きく笑うその顔を、俺は直視できなかった。

 いつから、と聞かれると困ってしまう。最初から俺の恋愛対象は男だったし、気づいた時には亜希にどっぷりハマっていた。
 女遊びの激しい亜希に呆れてはいたが、涙が出るほどアイツに惚れてると気付いたのは……奇しくも亜希が、俺たちの溜まり場で女とヤッているのを目撃した時だった。

 その日、目まぐるしく俺の世界が変わった。

 亜希に惚れていることを自覚して、その瞬間に失恋して……そして悲しみの淵に立った俺は、手を引かれ連れて行かれた出流の部屋で、何故かキスをしていた。
 ボロボロと流れて止まらない涙に溺れそうな俺に、何度も触れるだけのキスをする出流に戸惑い見上げる。

『い、いずるっ、……おれ、』
『大丈夫、分かってる』

 そう言ってふっと笑った出流の形の良い薄めの唇は、再び俺のそれに重なり、今度は深く繋がった。その日から俺と出流は、ふたりきりになると度々キスをするようになった。そんな俺と出流の関係は、大学二年になった今でも続いている。
 慰めか、哀れみか。出流が俺にするキスの意味は、相変わらず分からないままだが。


「ごっちそーさーん!」

 一番最後に食べ始めたはずの亜希が、一番最初に食べ終わる。

「はっや! 何お前、飯飲み込んだの!?」
「ちゃんと噛みましたー! 口ん中でお粥になるくらい噛みましたー! 俺今から用事あんだわ。秘密の部屋、借りるな」

 パチンとウィンクする亜希に、俺の箸が思わず止まる。
 秘密の部屋───それは俺が昔名付けた、俺たち三人の溜まり場だった。そしてそこは、あの夏の日から亜希のヤり部屋にもなってしまった。
 亜希が一人であの部屋を使う。それはつまり、そういうことだ。

「ちゃんと後始末しろよ」

 黙った俺の代わりに出流が咎めるが、亜希はどこ吹く風で笑うと、大将に挨拶をして店を出て行く。

「尚、行こうか」
「出流……」
「大将、ごちそうさま」

 カタカタと小さく震える手を、体温の低い大きな手が覆った。


「んっ、ん……んっ」

 あの夏、キスをした俺たちは間違いなく思春期真っ只中だった。悲しみの中でしたキスはだけど気持ちが良くて、当たり前のように俺の下半身を昂らせたし、涼しい顔をした出流のそこだって確かな熱を持っていた。
 触れ合いは少しずつエスカレートしていって、二年が経った今では最後の一線を越える以外のほとんどを出流相手に経験してしいる。
 そうして触れ合っているうちに、気づけばいつだって俺の震えは止まっていた。

「あっ、あ、いずっ、ぁあっ、や……」
「もうイきそう?」

 向き合って座った形で互いの昂りを擦り合わせ腰を揺らすと、その揺れで出流の長く綺麗な指が俺の中のいいところに何度も触れた。
 綺麗とはいえ立派な成人男性の指であるが、それも三本なら簡単に入ってしまうほどに慣らされている。

「ンやぁ"あ! あっ、ああっ!!」
「くっ、」

 特別“良いところ”を強く抉られ中の指を食い締めると、その反動で跳ねた体は昂った互いのソレまで擦り合わせてしまい、俺たちは呆気なくイッた。

「尚、口開けて」
「はっ、ぁ……ふ……んっ」

 終わりを惜しむように唇を合わせ舌を絡み合わせる。
 ここまでしていて挿入に至っていないのが不思議でならないが、こんな時ですら涼しい顔をしている出流を見ると『挿れてくれ』とも言えなければ、『なぜ挿れない』とも聞けずズルズルと危うい関係を続けている。
 腕の中にいるのが俺ではなく好いた相手であれば、こんな訳にはいかないのだろうけど。
 自分は亜希を想っているくせに、出流の余裕な顔を見ているとなんだか少し悔しかった。
 

「やべ、財布がない」

 出流と抜きあった後で、漸く大事なものがないことに気付いた。昼飯は出流の奢りになったから、今のいままで気付かなかったのだ。

「どこに忘れた?」
「……多分、秘密の部屋」

 今日は昼飯の前まで、三人で秘密の部屋にいた。昨日の夜からダラダラとつまらない洋画を観て適当に雑魚寝して、昼飯を食いに出て……その後に、亜希が一人で戻った。
 時計の針は、アレから六時間も進んでいる。

「一緒に行こうか?」

 眠そうにベッドに横たわる出流がそう言うが、俺は首を横に振った。

「ひとりで行くからいいよ」

 流石にもう、部屋には誰も居ないだろう。











「尚っ!! しょうッ!!!」

 視界は溢れる涙に潰されて見えない。叫ぶ亜希の声もどこか遠くて、自分がどうなっているのか分からなかった。
 苦しい、苦しい、苦しい。
 上手く息ができない。吸えるのに吐き方がわからなくて、まるで海の中で溺れるようにもがいた。

「あっ、うっ、ひっ」
「しょうっ! しょう!?」

 体に触れられた熱い手が不快で余計に涙が溢れる。違う、これじゃない。おれが……おれが安心できるのは……。

「尚」
 
 耳に、するりと入り込んでくる穏やかな声。

「はっ、はっ! ぁうっ」
「大丈夫、落ち着いて」
「んぅっ、ん……」

 体温の低い、柔らかなそれが俺の喘ぐ口を塞いだ。苦しいけど、苦しくない。口を塞がれているのに、まるで水面から顔を上げられたように楽になって力が抜けた。
 そっと、唇が離れる。

「亜希、今すぐそいつを退かせて綺麗なシーツ敷いて」
「は……? な、なん……」

 俺たちが唇を合わせたことに驚いたのか、亜希は瞠目したまま動かない。その後ろで、亜希に抱かれていた青年が素肌をシーツで隠しながらこちらを見ていた。
 亜希の遊び相手は、女だけだと思っていた。亜希を満たせるのは、自分には無いものを持った全く別の生き物なのだと、そう思えば少しは楽になれた。
 でも、違った。違ったのだ。
 

「い、いず……」
「大丈夫、分かってる」

 場違いにも穏やかな美しい顔で笑った出流は、床に倒れていた俺を抱き上げるとその身をベッドではなくソファに横たえた。
 三人でこの部屋を使う時、決まって出流が寝ている大きめのソファ。そこからはやはり、出流の匂いがした。
 ガタガタと震える体に、出流の低い体温が重なる。

「尚、大丈夫だよ」
「いずっ、いずるっ、ひっ」
「大丈夫、俺がいるから」

 ぐしゃぐしゃになった俺の顔に、優しいキスの雨が降った。そのまま再び唇を塞がれれば、俺は何の疑いもなく彼を招き入れ、腕をその首と背に回した。

「出流っ、なにやってんだよ!」

 出流の後ろで亜希が見たことのない怖い顔で叫んでいるが、俺の頭は上手く処理ができない。
 なんで亜希は怒ってるんだろう?
 なんで俺の安心を邪魔するんだろう?
 俺は、こんなにも出流に触れて欲しいのに。
 合わせていた唇を離した出流の腰に、自身の足を巻きつけ引き寄せる。今は何より、安らぎが欲しかった。

「いず……る」
「……ん?」
「おれに、いれて」

 ずっとずっと奥まで、挿れて─────

 出流の後ろで、ヒュッと息を呑む音がした。
 
 




「ぁああっ!! あっ、ぁあぁああっ!!」

 ぐちゅっ、ぐちゅんっ! ばちゅん!

 手だけの施しでは聞いたことのない音を立てて、出流が俺の中を激しく出入りしている。
 指では届かなかったところにまで届いて、指では感じられなかった熱を感じて、気が狂いそうなほどに気持ちが良くて。

「あぁあぁぁあっ!! あっ、ンあっ! いずるぅう!」
「尚、気持ちいい?」
「いっ、イイ、あっ! イイっ! あっ! ぁああっ!!」
「あげる。いっぱいあげる。コレは尚だけにあげるんだよ、安心してね?」

 多分俺は、これがずっと欲しかった。
 もう体は震えていなかった。一ミリも寂しくなくて、悲しくもなくて。今はただ、嬉しくて涙が溢れた。

 揺れる視界と、珍しく額に汗をかき肌を上気させている出流の後ろで、亜希が床にへたりこんで泣いているのが見えた。

 どうしたの、亜希。
 何で泣いてるの。
 俺なら大丈夫だよ。
 だって、出流がいてくれる。

 いつだって、悲しい時は出流がいてくれた。
 だから俺は、大丈夫。
 大丈夫なんだよ、亜希。
 俺はお前に愛されなくても、もう、大丈夫。

 俺を見下ろす出流の目を見つめ、笑った。








『なあ、出流。尚、めちゃくちゃ笑ってたな』

 女に殴られて腫れた口端を上げて、亜希が笑う。

『お前がバカだと尚が喜ぶ』
『言い方がひでぇ!』

 ケラケラと笑っていた顔が、だが急に真顔になった。

『俺、尚が笑ってんのが本当好きなんだよ……なあ、出流。あの、俺さ……俺、』
『わかってる』
『出流……』
『お前はバカをやってればそれでいい。それが、尚を笑顔にする』
『そ……か、そっか!』

 そうして女遊びを酷くしては、わざと顔に傷を作り、尚を笑わせている。そう信じていた亜希は、最後の最後まで馬鹿だった。

『この間、男に告白されたんだけどヤってみるべき? 男を相手にしたって言ったら、尚は笑うかな。……俺のこと意識したりする、かな』

 柄にもなく頬を紅潮させて話す亜希を思い出すと、バカバカしくて笑えてくる。

「お前は一度だって笑わせてなんかいない。いつだって尚は、泣いてたんだよ」

 愛しい相手の機微なんて、いつも見ていたら嫌でもわかる。それが分からない奴に、ましてや傷つけていることにすら気付かない奴に、それを教えてやる義理はない。

「尚が笑うのは、俺の隣だけだ」


 尚を手に入れるためならなんだってやれる。それが友人を裏切ることであったとしても、躊躇う理由になどならない。
 隣で尚が安心して笑ってくれるのなら、それ以外はなんだっていい。どうなってもいいのだ。

 俺には、尚が全てなのだから。



END

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