間違い探し

渡辺 佐倉

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メッセージが入っている事に気がついたのは夕飯を食べる少し前の事だった。
そこに書いてあったのは今日の夜八時の日時と、「話がある」という言葉だけだ。

見なかった事にしてしまおうかと思ったけれど、それでも最後に一度夏目の顔を見ておきたいと思ってしまった。

また、無様に泣いてしまうかもしれないことだけが心配だった。

夏目の家に泣きに行っても仕方が無いのだ。
じゃあ、今まで意味があって行っていたかというと、そんな事は多分一度も無かったことを思い出す。

とてもじゃないけれど、ご飯を食べる気にはなれなかった。
母親に出かける旨を伝えると心配された。

「友達の家に行くだけだから大丈夫。」

ご飯もそこで食べるからというと「仕方がないわねえ。」と返される。
その言葉に曖昧な笑顔で返事の替わりにしたつもりだった。

それなのに母親は少し驚いたような表情をして、それから「お友達のおうちにご飯もって行く?」と聞かれる。
夏目と一緒にご飯を食べる自分が想像できなくて断った。



夏目の部屋の前に立つ。
目の前には何度も見たドアがある。

セックス以外の為にここに来たのは、勿論初めてだった。

本当に夏目ともう一度あってしまっていいのだろうか。
今更また悩みそうになって、大きく深呼吸をする。

最後に彼の顔をもう一度だけ見ると決めたのだ。これ以上考えてもどうしようもない。

着いたとメッセージを入れるか、チャイムを押すか悩んで、ドアチャイムを押す事に決める。
押すと室内でドスンと大きな音がしてそれからすぐにドアが開いた。

中から顔を出した夏目と視線が合う。
妙に焦った様な顔をしていて驚いた。

夏目は「入れよ。」そう短く言っただけだった。


夏目の部屋はいつもより綺麗に見えた。
いつもはしきっぱなしだった布団も綺麗に畳んである。

「その辺に座れよ。」

夏目に言われたとおり腰を下ろす。

向かい合う様に夏目も座る。
狭い部屋だ、手を伸ばせば触れられそうな位近くに夏目がいる。

最初に話し始めたのは夏目だった。

「なんで、双子だって……、いや違う。
人違いだって知っていたなら、なんて、今更だな。」

夏目の言葉はとりとめも無い。
ただ最後に「悪かった。」とだけいう。

それが何に対してなのかはいわなかった。

けれど、夏目の言いたい事はだいたいわかった。
要は間違えて悪かったという事が言いたいのだろう。

言わなかった俺も、いけなかったのだ。
そもそも、夏目が誰であったとしても脅迫しなければよかったのだから、まあ夏目が悪い人なのは確かなのかもしれない。

夏目の瞳が何故そんな事をしたと言いたげに見えるのは、多分自分自身の罪悪感の所為だ。

何故という事に、思い当たる節があろうが無かろうが、言って意味のあることには思えない。

セックスに興味があったからの方がまだマシな言い訳な気がする。
それだと、最初の無様さはいっそ滑稽なのかも知れないけれど、どちらにせよ最初から最後まで自分が馬鹿な行動を繰り返している事は確かなのだ。

まるでそれをまともな人間の行動だったと取り繕うのは無理なのだろう。


ならば、言ってしまっていいだろうか。
どうせ、馬鹿なやつだと思われるのであれば言ってしまっても変わらないいんじゃないか。

今までで一番馬鹿みたいな考えが浮かんできてしまって泣きそうになる。

目の前に座る夏目が俺の顔に手を伸ばして目尻にそっと触れた。

夏目の手が思ったより暖かくて、色々と限界だった。

こんな時に触れないで欲しかった。


触れて欲しい、触れてほしく無い、触れて欲しい。
自分でもよく分らない。

夏目にどうして欲しいか分らなかった。

だけど、頬に触れた手の暖かさに涙が出そうになったことだけは事実で、だから思わず自分の気持ちを吐露してしまったのかも知れない。

「ずっと、好きでした。」

付き合いたいとかそういうことは、もう分らない。

でもどうせ、何もかもが終わりになってしまうのであれば、同じ事だからみたいな消極的な動機で言ってしまった言葉は、二人きりの静かな室内では充分夏目に届いただろう。

夏目は何も答えなかった。
馬鹿にされなかっただけ、マシなのだろう。

他に話すことがあるとは思えず、立ち上がろうとしたときだった。
夏目が俺の腕をつかんだのは。

そのときに、ようやくちゃんと見た夏目は顔が真っ赤で、その上首だの耳だのまで真っ赤になっている事に気が付いた。

つかまれた腕は少しだけ強い力で、まるで俺に行かないで欲しいと言っているみたいで、何故?という疑問しかわかない。

だって、あんなに俺のこと馬鹿にした様にどうでもいい様に扱っていたじゃないか。馬鹿みたいに叫んでしまいそうだった。

でも、この人の手を振り払えるほど気持ちが消え去ってしまっている訳でもなく、どうしたらいいのかわからないまま、ただただ夏目が口を開くのを待っていた。


「俺が嬉しいって言ったら、お前は困るんだろうな。」

夏目が最初に言ったのはそれだった。

思わず何かを言い返そうとして、何を言ったらいいのかいいのか分らず唇を戦慄かせる事しかできない。

「……俺のことが嫌いだと思っていました。」

搾り出した言葉はまるで恨み言だ。
普段であれば舌打ちをしている筈の夏目は、ただこちらを見ているだけだ。

それから、夏目は大きく息を吐いた。

「自分でも、何でこんなに気持ちが変わったのか、分からねーんだよ。」

夏目の言葉は嘘をついてない様に見えたし、そもそも嘘をつく理由が見当たらない。

それでも信じられない気持ちで夏目を見てしまう位に、今までの事は堪えていた。

「名前すら知らないなんて、お笑いだよな。」

自嘲ぎみに夏目は言う。

「空音(くおん)っていうんだってな。」

誰かに聞いたのだろう。その時初めて夏目に名前を呼ばれた。

限界だった。ずっとずっと限界だったのだ。

涙がぼろぼろとこぼれてしまう。

ずっと、本当は名前を呼んで欲しかった。
海音とは違うんだと言いたかった。

「だって……、あなたがっ!」

嗚咽にまみれた声でつかまれていた腕を反対の手でつかむ。
今度はこっちが縋っているみたいだ。事実すがってしまっているのだから俺の方が多分、性質が悪い。

夏目はもう一本の腕を悩むように彷徨わせた後、俺のことを抱きしめた。


何度も触れられてきた、手だった。
だけど、今までと少し触れる手の意味が違うって事位さすがの俺でも分かる。

「俺は海音じゃ無いですよ?」
「知ってる。」

はっきりと夏目は言った。
嗚咽の様な声が漏れてしまう。

「俺あなたと一緒に居ると、責めてしまうかもしれない。
許せないって言ってしまうかもしれない。」

今、責めているのと変わらない。そんな事は分かっていたけれどどうしても伝えてしまった。

「別に、いいんじゃねーのか?」

俺はそれだけのことをしたんだからと夏目は言う。
それでも、「でも。」とか「だって。」を繰り返す俺に夏目は俺をじっと見つめてからもう一度口を開いた。

「幸せをねだってもいいんじゃねーのか?」

俺が言えた義理じゃねーけど、と夏目は付け加える。
見上げると切なげな顔をした夏目の瞳が見えた。

狙った訳ではないけれど、ねだったのかもしれない。
視線をそらすために瞼を閉じただけだった。

けれど、ゴクリという唾を飲み込む音の後に、唇に触れるものがあった。
思わず目を開けると、夏目の唇が俺のそれに触れていた。

初めてまともにキスをしたことに気がつく。

触れ合ったまま、後頭部を撫でられると、ゾクリとした感覚が背中をはしった。


「好きだ。
許してほしいなんて言うつもりはないから。
だから、一緒にいて欲しい。」

離れた唇が至近距離で言葉を紡ぐ。

「もう一度、キスをしてもいいですか?」

ねだってしまっていいのだろうか。

夏目は返事を言葉ではしなかった。


もう一度唇が触れる。
今度は口内に舌が差し込まれて、舐め上げられた。

セックスの絡まないキスは初めてのことでどう応えたらいいのか分からない。

喉の奥で甘えた声が漏れる。

以前淫乱だと言われた言葉が脳裏をよぎる。
正直怖かった。

実は経験がないと言って呆れられる事も、経験豊富だと嘲られることもとても怖かった。
俺がギクリと固まってしまったからだろう。
夏目の唇が離れた。

「どうした?」
「俺、下手で、その……、夏目が楽しめないんじゃないかと。」

俺が言うと、夏目は大きく溜息をついてそれから「大丈夫だから。」と言った。


夏目の節の目立つ指が俺の唾液でぬれてしまった唇をなぞる。
思わず俺が口を半開きにしてしまうとそのまま上あごを、それから舌を指でなぞられる。

そんな事にも感じてしまう。
唾液があふれてきた俺を見ながら、夏目は目を細めた。

人差し指と思われるものが歯列を撫でる。

そうしながら夏目は「楽しいとかそういう次元じゃなくて、空音はそそられる。」と言う。
その声に思わず震えてしまうと、夏目がようやく笑顔を浮かべた。

それは多分初めて見る表情だった。



その後、二人でぽつり、ぽつりと話をした。
内容はあまり覚えていないけど、多分とりとめの無い話だったと思う。

途中で何度も何度もキスをして、空音と名前を呼ばれた。

ただただ、幸せで夏目の胸板に擦り寄るとそのまま眠ってしまった。
色々限界だったのだろう。

この人の部屋で朝を迎えたのも初めてだった。
俺は彼の布団で寝かされていて、布団の外で夏目は寝ていた。

「おはようございます。」

俺が声をかけると、一瞬眉根を寄せた後、夏目は目を開けてぼんやりとこちらを眺めた。
それから「おはよう。」と返される。

こみ上げてきた切ないような幸せなような感情に、思わず夏目にすがりつくと夏目は俺の髪の毛を撫でて「空音」と名前を呼んだ。

はい、と思わず返事をしてしまうと夏目は双眸を下げて「愛してる。」と呟いた。


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