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一章 いずみ屋編
第三十三話 ふるえる夜の先に
しおりを挟む「ふぅ……」
……寝よう。
今日はいろいろありすぎた。
一難去ってまた一難だけど、正直もう立ち向かう気力なんて残っていない。
布団に入って、目をつむる。
何も考えないようにしよう。とにかく明日からしばらくは、部屋の中でじっとしているんだ。
(もう二度とあんな目には遭いたくない……)
寝返りをうって体を丸める。
ふと、爆破された離れの惨状が頭をよぎった。
調度品は砕け散り、あちこち粉々になって天井の一部も崩れ落ちていた。
あのまま部屋の中にいれば、致命傷だっただろう。
続けて、いずみ屋が燃えた夜のことや、昨夜の深門の怒りに満ちた形相を思い出す。
彼らはきっと、これだけでは終わらせない。
また必ず私のもとに現れる――。
それも、近いうちにだ。
そっと気付かないうちに間近に忍びよって、そして……。
ぞくりと体が震える。
恐怖で身がすくみ、冷や汗が流れ落ちた。
だめだ、だめだだめだ!
一人になったとたんに、考えがぐるぐると悪いほうに巡っていく。
このままじゃ、私は殺されてしまうんじゃないか。
道を歩いているだけで。
路地から飛び出してきた人に刺されて。
もしくはすれ違いざまに。
――いや、危険なのは外だけじゃない!
屋敷の中にいても、今日みたいに部屋ごと吹き飛ばされてしまう。
どこにひそんでいるのか分からない。
どこに行ってもあぶない。
どこに逃げても嗅ぎ付けてくる。追いかけてくる。
殺される。殺される。
このままでいたら殺されてしまう――!
「……っ!!」
思わず飛び起きて部屋の中を見渡す。
どくどくと胸が脈打ち、うまく呼吸ができず背を丸めて布団をぎゅっと強く掴んだ。
部屋の中には誰もいないし、屋敷は静まりかえっている。
廊下にも縁側にも、警固人さんが立っているはずだ。
もう誰も侵入してきたりはしない。大丈夫だ。
必死にそう言い聞かせて。
私は呼吸を整えてふたたび横になり、頭まで布団をかぶって目をとじた。
やがて少しずつまどろみ、眠りに落ちようとする。
……その意識の途切れぎわ、耳の奥ではっきりと声がした。
『殺してやる』
「――っ!!!」
りくの声だ。
去りぎわに言ったあの言葉!
私は目を見開き、はじかれるように布団から這い出した。
(まだどこかにいるかもしれない!)
だって、煙玉で姿を消したあと、どこへ去っていったか確認できなかったもの!
ただでさえ神出鬼没な相手だ。
私が眠りにつく瞬間を狙って、この部屋に潜んでいるかもしれない……!
私は部屋のすみに立てかけてあった箒を手にとり、震えながら押し入れを開ける。
そして、その中に向かって思い切り箒を振りおろす。
――ボフッ
やけに気の抜ける音が小さく響き、私の一撃は何か柔らかいかたまりにぶつかってはじかれた。
(……なんだ、布団か)
中には、布団と行李が収まっているだけだった。
人影はなく、隠れられそうな隙間も見当たらない。
ほっと胸をなでおろして襖を閉め、部屋の中をぐるりと回る。
外からたまに犬の鳴き声が聞こえてくるほかに、音はない。
「……はぁ」
小さくため息をついて、布団の上に座り込んだ。
もう横になりたくはない。眠れる気がしないからだ。
寝てしまったらそのまま命を奪われて、一生目覚められないような気がする。
――もう、めちゃくちゃだ。
本当はかすみさんについていてあげたいのに。
明日は会いにいこうと思っていたのに。
こんな具合じゃ、かすみさんが目を覚ました時にそばにいられないじゃないか。
「かすみさん……」
ぼんやりと彼女の寝顔を思いだしながら、はっとする。
――そうだ。
もしかすみさんが目を覚まして、この家に帰ってくる日がきたら。
こんなに厳重に屋敷のまわりが警固されていることを不安に思ってしまうんじゃないだろうか。
まだ問題は解決していないのかと、怯えてしまうにちがいない。
……だめだ。よくない。それだけは避けなきゃいけない。
もう絶対に許されないんだ、今日みたいなことは。
またかすみさんや、神楽木家の人を危険な目に遭わせてしまうようなことは――!
今夜はやえさんにまで傷を負わせてしまった。
次にこんなことがあれば、雨京さんの身もあぶない。
こうなったのはすべて私のせいだ! 私がこの屋敷にいるからだ!
だって、りくが狙っているのは私一人なんだから――!!
膝をかかえてうつむき、ぼろぼろと大粒の涙をこぼす。
ぐちゃぐちゃになった頭の奥で、私はぼんやりと、今後の身の振り方を考える。
一人で生きていくのは怖いけれど、このままここにいるわけにもいかない――。
そう考えて、ふと頭を上げた。
気のせいか、今かすかに物音がしたような……。
トッ、トッ、ト……
――ほら、聞こえた!
はっきりと、天井から。
何かが歩く音!!
(上に、誰かいる!?)
私は布団の上から飛びのき、箒を握りしめて縁側のほうへと後退した。
そしてそっと後ろ手で障子を開ける。
外には警固人さんが立っているはずだ――!
天井をにらみながら縁側へ出て、助けを呼ぼうと振り返る。
そうして目に入った庭先で、真っ先に視界に飛び込んできたのは。
縁の下からこちらを見上げるように鎌首をもたげて、チロチロと舌をおよがせる、蛇だった。
その丸く不気味な瞳と、視線がぶつかる。
「う……ああ……」
脳裏を駆けめぐるのは、昨夜の記憶。
おびただしい数の蛇の海……。
「あああぁぁああああぁぁぁっ!! 誰かぁぁぁっ!!」
気が狂いそうだった。
いや、おそらくもうとっくに、私は正常ではなくなっていた。
持っていた箒をめちゃくちゃに振り回し、目の前の蛇を叩く。
昨夜の蛇と同じやつなのかどうかは分からない。
ただ、噛まれたらおしまいだと思った。
きっとあいつらが放った蛇なんだ。
やっぱりただでは帰らずに、屋敷の中に私を殺すための罠をばらまいているんだ!
「お嬢! どうしました!?」
「蛇か! 蛇がいるぞ!!」
すぐに二人の警固人さんが駆けつけてきてくれた。
声のほうへと視線をやれば、さらに後方からも何人かぞろぞろと。
「どうしたのだ、美湖!」
続いて雨京さんも部屋から飛び出してきて、暴れる私の手首をつかんだ。
そうして落ち着かせるように背中をさすり、困惑した表情をこちらに向ける。
「蛇が! あいつらが放ったんです!! それに天井にも誰かいます!! 殺される! 殺されてしまう……! ううっ……わあぁぁぁん!!」
子供のように泣きわめきながら、私は雨京さんにしがみついた。
あとはもう、ただただ嗚咽をもらすだけ。
おさえつけていた色々な感情が爆発して、もう立ち上がれないほどに疲弊しきっていた。
「その蛇を始末し、天井裏を調べてくれ」
雨京さんは雇い人数人にそう命じると、縁側に崩れ落ちた私を抱えて彼の部屋へと運んだ。
「美湖、心配するな。もうお前を脅かすものはいない」
「……」
「布団を敷こう。もう寝なさい、私は起きて見張っておく」
雨京さんは押し入れから寝具を出して、部屋の中央に寝床の準備を整えた。
それなりに距離があいてはいるものの、雨京さんの布団ととなりあわせだ。
「……雨京さん、私、ひとつ決めたことがあります」
「何だ? 話はまた明日聞こう。今夜はもう――」
「いえ! 大事なことですから聞いてください!!」
「……どうしたのだ、一体」
私は、布団の前に正座して正面から雨京さんを見据える。
これから話すことは、何と言われようと覆さない。
そんな強い意思をもって、口をひらいた。
「明日、ここを出ていきます」
「出ていく……? 無茶を言うな、あてもなかろうに。ここで大人しくしていなさい」
「あてならあります。何と言われようと絶対に出ていきます。敵が狙うのは私の命。ここにいては雨京さんやかすみさんに迷惑をかけるだけです」
「……誰を頼るつもりなのだ?」
ぐっと眉間にしわをよせ、厳しい顔つきになって雨京さんが問う。
私は、涙で濡れた目を着物の袖でぬぐいながら答える。
「田中さんたちのところです」
「診療所で会った浪士殿か……恩人ではあるが、引き取って面倒を見てもらうというのは……」
「彼の住まいは大所帯で、女中を探していると聞きました。当分そこで働かせてもらおうと思います」
「しかし、そこがどんな場所か分かっているのか? 浪士の集団なのだろう。まずは表だって付き合える人間かどうか見極める必要がある」
雨京さんはやっぱり、感謝の念は抱きながらも、根本的な部分で彼らのことを信用しきれていないようだった。
まだろくに話をしたこともないのだから、それは仕方がない。
判断材料がなく、不安に思ってくれているのだ。
「私なりに見極めたつもりです。たとえ反対されても彼らを頼ります。あの人たちなら、誰がこようと自分たちの力で撃退できると思うからです」
「……随分と信頼しているのだな、浪士殿たちを」
「一晩命をあずけ合った仲ですから」
一歩もひかないという覚悟をこめて、きつく口をむすんで雨京さんに談判する。
今回ばかりは絶対に退かない。神楽木家のためでもあり、自分のためでもある決断だ。
どんな返事が返ってこようと、明日には必ずここを出ていく。
――そんな私の強固な意思が伝わったのか、長い沈黙を挟んで雨京さんは小さく息をついた。
「ならば、私もついていこう。先方と直接話をして、信頼に足る人物であれば、お前を任せることにする」
「わ、ほんとですか……!? 雨京さんも一緒に?」
「伺う際は事前に連絡するとの約束は破ることになるが、仕方あるまい。朝餉を済ませてすぐに出るぞ」
「は、はい……! ありがとうございます!」
――信じられない。
これは、雨京さんにしては随分な譲歩だ。
もともとお礼に伺う予定はあったから、相手を知ろうという気持ちが強いのだろうか。
どちらにしろ、このことについての結論を出すのは、明日の話し合い次第になりそうだ。
「そうと決まれば、明日に備えて早く寝なさい」
「はい。おやすみなさい、雨京さん」
布団に入るように促されて、私はもぞもぞと横になる。
目が冴えて眠れないけれど、一応眠る努力はしてみよう。
となりの雨京さんは、起きて静かに本を読んでいる。
おそらく、天井裏を調べに行った警固人さんからの報告を待っているんだろう。
それを聞くまでは、私の気持ちも落ち着かないままだ。
疲れはてて息をする気力もわいてこない。
考えることが多すぎて頭から火を噴きそうだ。
(明日は、どうなるかな……)
もし雨京さんが強く反対すれば、中岡さんたちは私を受け入れてくれないかもしれない。
その時はどうしよう。
私の気持ちをきちんと訴えて、それでもダメなら……
また、酢屋さんを訪ねてみようかな。
やがて、朝をむかえた。
私は一晩中人の気配や物音におびえて、一睡もできなかった。
結局天井裏にも床下にも人影はなく、ねずみが数匹見つかっただけだそうだ。
『音の正体はねずみの足音』
とりあえず、そう片付けられた。
重たいまぶたをこすってあくびをかみ殺しながら、朝餉を済ませて出かける支度をととのえる。
頭の中がぼうっとして、なんだか足が地につかないような、ふわふわとした心持ちだ。
眠れなかったこと自体は苦じゃない。
暗い部屋の中で、震えながらおびえぬいて過ごした時間の地獄のような長さが、耐えがたい苦痛だった。
「美湖、支度はできたか? そろそろ出るぞ」
「はい、分かりました」
髪をとかして櫛を風呂敷の中へと突っ込むと、私は立ち上がって雨京さんのもとへ走った。
「場所はお前が知っているのだな?」
「はい。分かる……と思います、たぶん」
なんとかなるだろう。
と、楽観視してうなずいてみせたのを合図に、私たちは門を出て歩き出した。
脇には、見るからに強そうな大柄の用心棒が三人もついてくれている。
「えっと、たしか酢屋から北のほうに……あれ? どの道をいったっけ」
しばらく歩いて首をかしげる。
坂本さんたちに案内されて入りくんだ裏道ばかりを通ったから、道順を正確に思い出すのは難しい。
「覚えていないのか……目印となる店があるならば、そこに向かうぞ」
「すみません、それじゃあちょっと酢屋さんに寄らせてください……そこに長岡さんたちがいるんです」
「分かった、行こう」
『振り回してしまってすみません』と頭を下げつつ、私は先頭に立って酢屋さんへと進路をとる。
最初からこうしておけばよかったかな。
「……天野? どうしたんだ朝から」
酢屋さんの前で、濡れた髪を手拭いでかわかす陸奥さんと出くわした。
背後に雨京さんや用心棒を引き連れているからか、彼は一瞬表情を固くする。
「中岡さんたちに話があって、彼らの屋敷に行きたいんです。よければ、連れていってくれませんか?」
その場でざっと昨夜の出来事を説明する。
そして、道のりが複雑で一人では目的地にたどり着けそうにないことを訴える。
「……案内するのはいいが、本当にあそこの世話になるつもりか?」
「つもりですけど……だめでしょうか?」
「おすすめはしない」
「うーん……じゃあ、もし断られたりしたら、酢屋さんにお願いに来ますね」
「なぜそうなる……まぁいい、仕度してくるから少し待っていてくれ」
そう言って陸奥さんは、戸をしめて二階へと上がっていった。
私たちはお店の前に立って、彼が出てくるのを待つ。
「材木屋か……浪士の集団と比べれば、ここに預ける方が安全に見えるが」
お店の外観と往来する人々を交互に見渡しながら、雨京さんがつぶやく。
「そうですね。向こうで断られたら、こちらに頼みにこようかと思ってます」
「長岡殿は医者だろう。お前の傷はまだ完治していないのだから、ここに世話になって経過をみてもらう方がいいのかもしれん」
「……雨京さん、なんだか酢屋さん押しですね」
「ここはかぐら屋からそう遠くないのでな。商家であればそれなりに信用もおける上に、話を通しやすい」
「はぁ……なるほど」
問題は空いているお部屋があるかどうかだけど。
そこはとりあえず、中岡さんのところで断られた時にでも考えよう。
「すまない、遅くなった。坂本さんと長岡さんは留守にしているから、今回はおれ一人で案内させてもらう」
それから間もなく戸口から姿を現した陸奥さんは、荷物もなくふらりと散歩にでも出かけるような軽装だった。
少し準備が長かったから何か持っていくものがあるのかと思っていたけれど、そういうわけではないらしい。
「はい! 陸奥さん、ありがとうございます!」
「陸奥殿、急な申し出にも関わらず快諾していただき、感謝致します」
私が頭を下げるのとほとんど同時に、雨京さんは深々と丁寧にお辞儀をした。
「いえ、頭を上げてください……それでは、行きましょう」
感謝されるのが苦手な様子の陸奥さんは、なんとも居心地の悪そうな表情でじりりと後ずさりをする。
そして、おもむろに前を向いてずかずかと歩き出した。
「ところで陸奥さん、髪……」
見れば、頭のてっぺんから少しだけ跳ね返った毛束が歩くたびにぴょこぴょこと揺れている。
「言うな。ねばってみたが、なおらなかった」
寝癖部分を手でおさえこみながら、陸奥さんはムッとした表情で早歩きになる。
……そっか。準備に時間がかかったのは、寝癖と戦っていたからか。
今日歩いている道順は、前回通った分かりにくい裏道細道は一切通らずに、人通りの多い路ばかりをいくものだ。
これなら覚えやすい。
きちんとそのあたりを配慮しながら道を選んでくれているんだろうと思うと、静かに前を歩く陸奥さんの背中がとても頼もしく思えた。
それからさらに北東へと歩みを進めれば、次第に見覚えのある景色が広がりはじめる。
のどかな田舎道の先に建つ、広いお屋敷。
「わ、着いた! 雨京さん、あそこです!」
そう言って私が指をさすと、雨京さんは意外そうな表情をして小さく声をあげた。
「存外に立派な屋敷なのだな……」
「藩が用意したものですから、それなりの場所です」
陸奥さんが軽くこちらを振り返って言葉をかけてくれる。
「藩とのつながりがあるのか……」
屋敷に近づくにつれ、雨京さんは興味深げに周囲を観察しはじめた。
こんなに大きな屋敷に堂々と浪士さんたちが住んでいるというのは、たしかに信じがたい話だ。
私たちが思い描く浪士という存在は、数人で固まって橋の下あたりにたむろし、ろくに食べるものにもありつけずにあちこちでタカリをしているような人たちだからだ。
帰る家など当然あるはずもなく、安い宿に賃金を踏み倒しながら居すわるのが関の山――。
実際は、そんな人たちがほとんどのはずだ。
ほどなくして門前まで到着し、武装した門番さんに向かって陸奥さんが口をひらいた。
「客人をつれてきた。入れてくれ」
「あ、その娘っ子は昨日うちに来た例の!」
「そうだ。中岡さんに話があるらしいんだが……」
「隊長なら中にいますよ。天野さんだっけ? 君がきたら入れるように言われてるから、どうぞ中へ」
「ありがとうございます!」
快く敷地の中へと案内してくれる門番さんに頭を下げる。
そして、陸奥さんに並んで玄関を目指して歩きだした。
雨京さんは用心棒たちに門のそばで待つように命じたあと、少し先を歩く私たちのもとへと追い付く。
敷地内のあちこちに浪士さんの姿が見える。
今日は天気がいいからか、広い場所で体操をしている人や、ふんどし一丁で寝そべって日向ぼっこをしている人までいる。
のどかで、にぎやかで、生活感のある場所だ。
玄関付近まで歩いていくと、背後から声がかかった。
「おおーい! 天野! 神楽木さん! それにむっちゃん! 朝っぱらからどうしたよ!?」
銃を肩にかついで汗を拭きながら、田中さんがこちらに駆けよってきた。
「中岡さんに用があるそうだ」
陸奥さんがそう説明すると、田中さんはおどけるように眉を動かして、頭をかいた。
「歓迎っすけど、思ってたより早ぇなぁ……」
「事前に連絡できず申し訳ない。急ぎの用で、中岡殿にお会いしたいのだが」
「だったら今部屋にいるはずっすよ。とりあえず中へどうぞ」
田中さんは玄関の戸を開けて、私たちを招き入れる。
一歩中へと踏み出すと、そこはひやりと冷たい空気が漂っていた。
あれからたった一晩しか経っていないというのに、なんだかすごく懐かしい気持ちになる。
「おじゃまします……」
私たちは敷石のとなりに草履をぬいで、次々に屋敷へとあがる。
「んじゃ、案内するぜ」
田中さんを先頭にして、ぞろぞろと長い廊下を歩きだした。
雨京さんは相変わらず隅々まで視線を泳がせながら、あたりを観察している。
私は、静かにそのうしろを歩く。
そして案内役を田中さんに引き継いで一息ついた陸奥さんは、最後尾をのんびりとついてきていた。
中岡さんの部屋の前に着くと、田中さんが手をかけるよりも先に、障子が開いた。
「――おや、どうしたのですか……皆さん」
ばったりと出くわし、目を丸くして驚いているのは大橋さんだ。
「おはようございます、大橋さん。今日は、お話があって来ました」
「なんか中岡さんに話があるんだと。さ、天野も神楽木さんも、中へ入った入った」
そうして田中さんから背中を押されて部屋に入ると、文机の前でこちらを向いて立ち上がる中岡さんと目があった。
「ずいぶんと急な来客だな……」
中岡さんは外套を羽織りながらこちらに歩み寄り、障子の前に並ぶ私たちの顔を見渡した。
そしてもう一度口をひらく。
「そちらは神楽木殿ですね。かぐら屋にて一度お会いしましたが、覚えてらっしゃいますか?」
「もちろんです。あの夜あなたは、石川殿と名乗られました」
「失礼、それは変名です」
「でしょうな。美湖からは中岡殿と聞いております。そちらが本名ということでよろしいですか?」
「はい。中岡慎太郎と申します」
「……神楽木雨京です。本日は少し、話をさせていただきたく伺いました」
「どうぞ、お座りください」
淡々と自己紹介を終えると、中岡さんは中央に敷かれた座布団のほうへ手を広げる。
いつの間にか大橋さんと田中さんが、人数分並べておいてくれたようだ。
向かい合うように左右に三枚ずつ座布団が敷かれ、合計六つの席ができている。
雨京さんと私と陸奥さんが隣り合わせに座り、
そして、中岡さん田中さん大橋さんがその正面に腰をおろした。
「……おれも居ていいのか?」
なんだか少し居心地が悪そうにこちらの様子をうかがう陸奥さんに、大きくうなずいてみせる。
「いてください!」
聞かれて困る話ではないし、このまま帰ってもらうのもなんだかしのびない。
それに、となりに座っていてくれる人が増えるとそれだけで安心できる。
私の言葉に陸奥さんは頷いてみせ、そして視線を正面に向けて小さく頭を下げた。
話をはじめてくださいという合図だろう。
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