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一章 いずみ屋編
第二十六話 突入
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時刻は夜四ツ。
田中さんが率いる第一隊は、屯所を出て矢生一派の本拠地へと向かっていた。
四つの隊が別々の時間に出発し、別々の道をたどって現地に集合する。
そういう作戦をとっていたので、一番最初に屋敷を出た私たちの隊は、もうすぐ合流地点に到着するはずだ。
民家の連なる入り組んだ坂道を登っていくと次第に緑が多くなり、やがて雑木林のような場所に出た。
鬱蒼と木々が生い茂り、風にゆれている。
林の奥へと続く道は、腰の高さほどもある草におおわれて、人が踏み入った形跡も見当たらない。
「とりあえず、ここで残りの隊の到着を待つ」
田中さんはそう言って肩に担いでいた武器をおろすと、少しひらけた草むらに転がる岩に腰をかけた。
「嬢ちゃん、疲れたじゃろう。座って休みぃ」
「はいっ」
坂本さんに促されて私も、なるべく角がなめらかな岩を探して腰をおろす。
田中さんも隊士さんたちも、厳重に風呂敷で包み込んでいた長銃を取り出して静かに手入れをはじめた。
道中、私たちは誰ひとりとして言葉を発しなかった。
こうして合流地点に到着した今も、一同にはどこか張りつめた雰囲気がある。
(体が重い――……)
これからどんなことが起こるのか、正直想像がつかない。
ただ、言い知れぬ不安と危機意識だけは、一歩歩くごとに強くなっていく。
相手は、人の命を奪うことにためらいがない。
これはもう、間違いなく戦闘に発展する。
命のやりとりをくぐり抜けていくことになるかもしれない。
でも、ここまで来たからには一歩も引けない。
戦って、かすみさんを助け出すんだ――!
「嬢ちゃん、いざとなったら思いきり引き金を引きや」
緊張でふるえる手を抑えつけるようにして握る私に、坂本さんが落ち着いた声で語りかけてくれた。
「はい……練習の通りにできるか不安ですけど」
「コツがあると教えたじゃろう?」
「当たると思って撃つこと、です」
「その通り! 自信を持ちや」
坂本さんはにっと笑って、不安をやわらげるように優しく背中を叩いてくれた。
その手の包み込むようなあたたかさに、じわりと緊張がほぐれていく。
「あと四半刻ほどで全隊集結する予定だが……暇だし、あらためてこいつらの紹介でもすっか」
手入れの済んだ長銃を肩に立てかけるようにして抱えながら、田中さんが静かに口をひらいた。
そして隊士さんたちに『やれ』と顎でうながすと、すぐさま一人一人が自己紹介をはじめる。
「ヤマダっす、銃の扱いは隊の中でもうまい方す。戦の経験はねぇすけど、ケンカじゃ場数踏んでますんで!」
「頼りにしてるぜ、ヤマダ。全力でぶっ放していこうぜ」
「ウッス!!」
田中さんが差し出した拳に自らの拳をガッチリと合わせながら、気合いを入れるヤマダさん。
眉毛がなくて、こめかみ付近の剃りこみがすごい。
田中さんに負けず劣らずのコワモテさんだ。
そして、二人目の隊士さんがふらふらと立ち上がる。
「に、西山ですぅ……実戦は初めてであれなんですけど……てゆうか銃、練習でもほとんどうまくいったことなくて……ああ……! どうしよう! なんで僕がこんな大役を!!」
重圧に耐えかねたのか、西山さんは頭をかかえてその場をごろんごろんと転がり出した。
……あれ? この人たしか、先刻は『僕から離れないでネ』なんて頼もしいことを言っていたような……。
「西山! 自信持て!! 誰にでも初陣はあんだよ!」
田中さんが、バシンと派手に西山さんの頬を張る。
「僕、女を知らないまま死にたくありませんよぉぉ!!」
「今夜を乗りきればおめぇは男として一皮むける! そしたら女たちもおめぇの男気にバッタバッタ倒れるようになるぜ!」
「……がんばります!」
なんだかとっても不純な励ましに心をうたれた様子の西山さんは、別人のようにキリリとした顔つきになって、せっせと長銃を磨きはじめた。
そして、残る三人目。
「太田ス。ジブンでかいんで、いざとなれば壁にしてほしいス。坂本サンと天野サンの安全を最優先に動くよう隊長から言われていまス」
ぺこりと丁寧に頭を下げる太田さんは、見上げるほどの巨体の持ち主だ。
持っている槍が短く見えてしまうほどに。
縦にも横にも大きいので、壁という表現はとてもしっくりくる。
二人くらいなら背後にすっぽりと隠れられそうだ。
「太田、しっかり頼んだぜ! 坂本さん、こいつはひたすら二人を警護してもらうために呼んだんで、できるかぎりそばを離れないでくださいね。天野もな」
「了解じゃ」
「はいっ! わかりました!」
うなずいて太田さんのほうを見上げると、彼は頼もしく分厚い胸板を叩いてみせた。
「ふむ、今夜はこの六人でまとまって動くわけじゃな。よろしく頼むぜよ」
「よろしくお願いしますッ!!」
坂本さんの言葉にビシリと背筋を正して、隊士さんたちは頭を下げる。
「みなさん、夕餉のあとに真っ先に挨拶に来てくれましたよね。私も足手まといにならないように頑張るので、よろしくおねがいします」
「よろしく!!」
私の挨拶に対して、隊士さん方は声を揃えて胸を張り、頼もしげな視線を向けてくれた。
初対面の人たちからは部外者呼ばわりされて邪険に扱われるかもしれないと覚悟をしていたんだけど、それは杞憂だったみたいだ。
「ここからしばらく歩きゃ、奴らの根城が見えてくるはずだ。気を引き締めて行かねぇとな」
「中岡さんの話だと、敵は三人だけじゃないみたいですよね……どうなるでしょうか?」
「まぁ、行ってみねぇことには分かんねぇが、一人一人つぶして行くしかねぇわな」
田中さんはそうつぶやいて、足元に這い寄ってきた蜘蛛を踏みつけた。
林道なだけあって、このあたりは虫が多い。
さっから蜘蛛や蜂など、あまり遭遇したくないたぐいの虫ばかりが目につく。
「隊の長銃がいくつか盗まれたって聞きましたけど……相手が撃ってきたらマズイですよね、建物の中と外で撃ち合いとかになったりしたら……ああぁ……」
「てっとり早くおれらが建物を占拠できませんかね。こういう戦いは砦をとった方が有利だって兄さん言ってたじゃないすか」
ガタガタと震えながら身を縮める西山さんを一発なぐりつけて、ヤマダさんは田中さんに意見を求める。
田中さんって、隊士さんからは兄さんって呼ばれてるんだ。
「そりゃもちろん、できるかぎり短時間で敵の本拠地をブンどるのがオレらの役目だ。女将もその根城のどこかにいるわけだしな」
「建物に突入したら、手分けして探ってみるんがええかのう。女将はもちろん、盗まれた金と武器も探さねば」
「そうっすねぇ、ちょい危険かもしんねぇけどタラタラやってらんねぇすからね。三人ずつ、二組に分けましょうか」
田中さんと坂本さんは互いに納得したように顔を見合わせて、ぐるりと一同に視線をめぐらせた。
どんな組み合わせにするか考えているんだろう。
「坂本さんと天野はバラすかなぁ……」
「いんや。嬢ちゃんは俺が守るき、そばに付けとおせ」
熟考しながらうなる田中さんの案に、坂本さんがさらりと却下を告げる。
「あの、私もできれば坂本さんと一緒がいいです! ピストールの先生だし……」
いざという時にいろいろと助言してもらえると安心だ。
何より、坂本さんの隣にいると気持ちが落ち着く。
「分けた方が、護衛はしやすいんだがなァ……二人が一緒にいたら、片方しか守れねぇだろうしよ」
「心配はいらんぜよ。おのれの身くらいは守り通せるき、いざとなれば残る一人に嬢ちゃんを守ってもらえばええ」
「うーん……」
田中さんはますます考え込む。
この場では一応、すべての責任を負う立場だ。
慎重になるのは分かるけど……。
「じ、じゃあ僕が天野ちゃんを護衛しますよ! 女の子にいいとこ見せなきゃ!」
「テメーだけはねぇよ!!」
やる気満々で手を挙げた西山さんが、ヤマダさんの肘鉄をくらって倒れる。
「ジブンは、坂本さんと天野さんの壁になれと隊長から言われてるス。ジブンを二人の護衛につけてほしいス」
「太田さん……!」
無口な太田さんが口をひらくと、皆はいっせいにそちらに視線を向けた。
「まぁな、オレか太田が適任だとは思うんだが……」
「兄さんは、まず銃を取り戻してください。それまでジブンが二人を守ります」
「――んじゃあ、そうすっか! どちらも、すぐに合流できる距離で探索しようぜ」
「了解!!」
作戦がまとまって、全員が輪になり声をあげる。
初めて行動を共にする六人だけど、なんだか少しずつ一体感のようなものが生まれつつある。
お互いを信頼して、全力で挑まなきゃいけない現場だ。
私も、守られてばかりにならないよう慎重に行動しよう。
それからすぐに第二隊、第三隊と到着し、すべての隊が集うころには辺りに物々しい雰囲気が漂っていた。
無理もない。
なにせ武器を持った男の人たちが十数人ずらりと並んでいるんだから。
それぞれが何かしらの武器を手にしているけれど、それ以外は比較的軽装だ。
中に何か着こんでいる様子の隊士さんもちらほらと見受けられるものの、ほとんどは防具を身につけていない。
私だってそうだ。おそらく坂本さんも。
(ここからは本当に気を抜けないな……)
あらためて作戦を伝える中岡さんの言葉も、いまいち頭に入ってこないほどに緊張が高まってきた。
いよいよだと思うと、足が震えてくる。
「出発だ」
中岡さんの一言で、隊は動き始めた。
生い茂った草木をかき分け、足で踏みつけながら前進していく。
隊士さんだけで構成された第四隊が先頭を。
つづいて中岡さんが率いる第三隊がそのうしろにつく。
そのあとを大橋さん率いる第二隊が進み、残る第一隊の私たちはしんがりをつとめながらじりじりと前進していくことになる。
「うわ、またムカデ」
今日何度目かの台詞が、はるか前方で上がる。
「げッ! 蜂!」
息をひそめながら歩いているつもりでも、ふいに視界に入ってきたものには皆敏感なものだ。
気をつけなければいけないのは分かっていても、つい反応をしめしてしまう。
ふだん踏み入らないような場所を、こんな時間に歩いているというだけでも怖い。
頭上を見上げれば、夜の闇よりも暗い木々の輪郭がくっきりと浮かび上がり、不気味に揺れている。
昼間の雨で濡れた地面はわずかにぬかるみとなって足をからめとる。
あたりには、しめった草木と土の匂いが満ちていた。
人の気配なんてまるでないこんな場所に、ほんとうに奴らの根城なんかあるのだろうか。
――そんな考えがわずかに頭をよぎった瞬間。
前方で小さく声が上がった。
「あれだな」
中岡さんの声だ。
背が低い私は、目の前で列をなす大きな背中に隠れて先に広がる景色はよく見えないけれど、どうやらそれらしき場所が見つかったようだ。
「坂本さん、見えますか?」
「うーむ、ようは見えんが、何やら立派な屋敷のようなものが……」
坂本さんは目を細めてしかめっ面になりながら、首をつきだして進行方向を見やる。
もしかして目が悪いのかな?
「こっからはちっとばかし速度上げるぞ。全隊作戦通りに屋敷を囲んでく。オレらは正面戸まで一直線だ」
田中さんは隊の仲間たちにそう告げるとすぐに、銃を構えて早歩きになった。
前を進んでいた大橋さんの隊も速やかに前へ前へと駆け出し、決められた持ち場へ向かう。
しばらく進むと草むらが消えて、ぽっかりと穴があいたように開けた場所に出た。
中央に建つのは、坂本さんが言った通りの屋敷。
こんな場所に建っているのだから小さな山小屋のようなものだろうとばかり思っていたけれど、予想外に大きい。
不気味にそびえ立つ木造平屋のそれは、窓もなく周囲を垣根が覆っていて、中の様子が窺い知れない。
「だいたい配置についたころだな……オレらも突入の準備だ」
田中さんは、足をゆるめてそろりそろりと前に進んでいた一同にそう告げると、皆の意識が正面戸に向くよう視線を誘導する。
正面戸は、私たちが突っ切ってきた草むらからそのまま真っすぐに進んだ場所にある。
見たところ錠前などもかかっておらず、存外に簡素な木戸だ。
あらかじめ突入の際は『戸を破って侵入する』と決められていたけれど、これなら破壊するのもそう難しくはないと思う。
こんな、誰も来ないような場所にひっそりと建っている屋敷だ。
人に見つかることはないと油断しているのかな。
「ワンワンッッ!!」
戸口へと忍び足で近づいた私たちを最初に出迎えたのは、一匹の犬だった。
皆その無邪気な鳴き声に心底肝をつぶして硬直する。
「し、しずかにしてよぉ! 敵に気づかれるよおぉぉ」
西山さんは半泣きになりながら、ぐりぐりと慣れた手つきで犬を撫で回している。
「グルルル……!」
しかし、さんざん機嫌をとろうとなだめすかした西山さんの努力は実ることなく、犬は体勢を低くしてうなりはじめた。
「まずい、離れろ西山!」
田中さんが叫ぶと同時に西山さんは転がるようにその場から距離をとる。
間一髪のところで、飛びかかってくる犬の攻撃を避けることができた。
ついさっきまでの人懐っこさは嘘のように消え失せて、ダラダラとよだれを垂らしながらこちらを威嚇する犬。
どうやら、敵だと認識されてしまったようだ。
「ヤマダ、西山! そいつ黙らせろ! あとの三人は戸をブチ破る役だ!!」
田中さんの号令に従って、私たちは別々に動き出す。
戸口へと集合すると、まずは太田さんが分厚い木戸に手をかけて、ゆっくりとそれを引いてみる。
「――あ」
それは、スッと。
拍子抜けするほどにあっさりと開いた。
どういうことなのこれは……!
戸締まりひとつされていないなんて、盗人集団のくせに無用心すぎる!
あっけにとられた私たちが屋内をのぞき込むように頭を動かすと、目の前をかすめるように上から何かが降ってきた。
ぼとり、ぼとり、
ドサドサドサッッ――!!
縄のようなものが、無数に天井からぶら下がったように見えた。
一体なんだったのかとその正体を理解するよりも先に、それは私たちの足にうねうねと絡みついてくる。
「うわッッ!!」
「きゃあぁぁっ! 蛇!?」
おびただしい数の蛇だった。
暗い色あいにまだら模様が浮かぶ不気味な柄。
十、二十どころの騒ぎじゃない。五十はいる。
それらは身をよじらせながらいっせいに戸口から這い出し、こちらへ向かってくる。
あっという間に正面戸付近の草むらを蛇たちが包囲した。
「離れてよ……っ! もうっ!!」
足にまとわりつく蛇を必死に振り落とそうとしていると、坂本さんが横からすくうようにして刀の先で絡め取ってくれた。
そしてそのままそれを宙に投げて、一閃。
蛇はまっぷたつになって地に落ちた。
「嬢ちゃん、大丈夫か!? こっちに来ぃ」
「あ、ありがとうございますっ」
泣きそうな顔でたたずんでいる私をひょいと小脇に抱えて抱き上げると、坂本さんは地を這う無数の蛇を飛び越えながら戸口へと近づく。
「二人とも無事だな。中にはもう何もねぇみたいだ……とにかく突入しよう」
田中さんと太田さんは、一足先に玄関へと侵入して様子を見ていたようだ。
正面戸の真上の天井を見ると、板が一枚はがれてぽっかりと穴があいている。
ここから蛇が流しこまれたのかな……。
だとすると、もう――。
「オレたちの存在はたぶんバレてる、さっきの犬が番犬だったんだろう」
忌々しげに田中さんが吐き捨てると同時に、西山さんとヤマダさんが玄関へと走り込んできた。
二人はぜえぜえと息をしながら戸を閉める。
「やべぇ……! あの犬、どうなってんだ」
「ふくらはぎ噛まれたよぉぉ……」
二人は、命からがらといった様子で壁に身を預ける。
ヤマダさんが持つ脇差の刃先からは血がしたたっているから、おそらく犬をしとめたんだろう。
まだ人間には一人も出くわしていないのに、ずいぶんと疲弊してしまっている。
体だけじゃない、心もだ。
何が出てくるか分からない気味の悪さと、あえて侵入者を迎え入れようとしているような得体の知れない悪意のようなものに、進む足取りが重くなる。
「不気味だが、進むしかねぇな。やっぱ二手に別れんのはヤメにして全員で行くか?」
田中さんの提案に、誰もが頷きかけたと思う。
だけれどただ一人、坂本さんだけはいつも通りの様子でかぶりを振った。
「いんや、別れよう。見たところ廊下は一本で、両脇に部屋がある作りじゃ。互いに背をあずけながら向かいの部屋を探っていこう」
「うーん……坂本さんが言うならそうしますか。皆、出会い頭に発砲されたらひとたまりもねぇから、そこは十分気ぃつけていこうぜ」
「了解!」
私たちは、先ほど取り決めた二組に別れて部屋の探りをはじめる。
長い廊下の脇にある各部屋には、ぽつりぽつりと灯りがともっていた。
おかげで視界は、おぼろげながらひらけている。
問題は、その部屋のどこに敵が隠れているかだ。
「先頭はジブンが。二人は後ろに隠れていてください」
太田さんが私と坂本さんの前に立って、目の前の障子をゆっくりと開く。
「……っ!」
思わずぎゅっと目をつむった。
部屋の中に敵が待ちかまえていて、一斉に銃撃されるかもしれないという最悪の事態が脳裏をよぎる。
「……ここは、何もなさそうじゃのう」
「物も少ないスね。あるのは布団くらいス」
「念のため、押し入れも見ておくかのう」
二人が安堵した様子で言葉を交わしはじめたことで胸をなでおろし、私も目をあけて部屋の中に足を踏み入れる。
「ほんとに布団だけですね……寝起きするだけの部屋かな」
「うむ。あやしいのはあそこだけじゃ」
「ジブンが開けてみます」
がらんとして何もない寂しい部屋の押し入れに、私たちは恐る恐る近づいた。
太田さんがゆっくりと襖を引いていく。
坂本さんは刀を構え、私は懐からピストールを取り出した。
「……人は、いないみたいス」
押し入れの中まで体を乗り出して、太田さんは手にしていた槍を振った。
それは獲物をとらえることなく空をきる。
確認してみた結果、ここには何もなかった。
おそらくただ布団を収納していただけの場所だろう。
念のため坂本さんが詰んであった布団を蹴倒して、間に何か隠されていないか調べてみたものの、そこにも取り立てて変わったものはなかった。
「どうっすか坂本さん? こっちは何もなかったっすけど」
引き返そうかときびすを返したその時、廊下からひょっこりと田中さんが顔をのぞかせた。
「なぁんもないのう。見ての通りじゃ」
「盗んだモンはまとめて置いてあるだろうし、踏み入りゃ一目瞭然だと思うんすけど……」
「でもあの人たち、いずみ屋では一つ一つを別々の場所に隠したりしてましたよ」
「オイオイ、勘弁してくれよ……そりゃあ探すだけで骨が折れるぜ」
田中さんはうんざりした様子で吐き捨てると、太田さんから槍を借りて天井板に思い切り突き刺した。
すると一枚板が外れ、上からぼたぼたと虫が降ってくる。
「げっ!!」
透き通るような淡い色あいの蜘蛛と、真っ黒で頭だけが赤いムカデがぞろぞろと。
畳の上に散らばりだしたそれらを見て、私たちはいっせいに飛びのいた。
さらに、驚いて目を見開く一同は、次の瞬間穴からすべり落ちてきたものに目をみはることになる。
――ジャラッ
無数の虫とともに天井の穴から落ちてきたのは、小判だった。
一枚、二枚、三枚が畳の上に重なって音をたてる。
「こりゃあ……目当ての品は天井裏っちゅうことか」
坂本さんがそうつぶやくと、田中さんと太田さんも表情をこわばらせて頷いた。
「でもここ、天井裏に何がいるか……」
蛇に蜘蛛にムカデ。
出くわすたびに常軌を逸した数だ。
ほかに何が待ち受けているのか分からない。
「援軍を呼ぶか……ヤマダ、全隊回って人手を借りてこい」
「わっかりやした!!」
「蛇に気ぃつけろよ!」
そうして、ヤマダさんはそっと戸口を抜けて外へと走って行った。
私たちは一旦蜘蛛とムカデから逃れるべく、となりの部屋に身をうつす。
「にしても、変だよな。あいつらオレらの侵入に気づいてるはずなのに、何も仕掛けてこねぇ」
「やっぱりこの先の部屋で、息をひそめて待ち構えてるんですよぉ……!」
西山さんは銃を構えたままきょろきょろとあたりを見回し、震えている。
「ざっと見たところ、この先にある部屋は左右に三つずつじゃったな」
「たぶんそのどっかに、女将さんがいますね」
ひそひそと交わされるそんな会話に、鼓動がはね上がった。
かすみさんは、ちゃんと無事でいてくれるんだろうか――。
こんな気味の悪い屋敷で、今までどんな扱いを受けていたんだろう。
もう間近に、それこそ手を差しのべられる距離まで来ているはずなのに、不安ばかりがつのる。
だって、ここはおかしい。
人の気配が感じられない。
話し声はおろか、足音も息づかいも聞こえてこない。
まるで空き家のようだ。
部屋に灯りはともっているというのに……。
それぞれがこの屋敷の不気味さに言葉を失って息苦しくなってきたころ、変化はおとずれた。
閉めきっていた障子越しに、廊下から発砲されたのだ。
ズガァァァン!!
「きゃあっ!!」
足元に銃弾が突き刺さり、私は大きく飛びのく。
慌てて全員が壁際に退避し、銃を構える。
だらりと冷や汗が背中をつたっていく。
私の悲鳴から一呼吸おいて二度、三度と銃声が響き、部屋のあちこちを銃弾がかすめ飛ぶ。
気が狂いそうだった。
もうこれ以上この場に立っていられないと思った。
ズガァァァン!!
さらにもう一発が、太田さんの肩をわずかにかすって押し入れを突き抜けた。
それと同時に田中さんが勢いよく障子をあけて、廊下に立つ何者かを蹴り倒す。
「太田! もう一人いる! 取り押さえろ!!」
「ウス!!」
太田さんが障子を突き破って廊下の向こうに出ていくと、バタバタと揉み合うような音が聞こえてくる。
すかさず私も、坂本さんと一緒に廊下へ出る。
すると、顔を黒い頭巾で覆った男たち二人が床に這いつくばるようにして押さえつけられていた。
田中さんは、一方の男の後頭部に銃口を突き付けて背中を強く踏みつけている。
太田さんは敵の背にのしかかり、両者が手にしていた長銃を取り上げて西山さんへと手渡した。
「これ、うちの隊の銃だ」
「そうなんですか? どちらも?」
私が駆け寄ると西山さんは頷いて、取り上げた二挺の長銃を見せてくれた。
たしかに、西山さんが肩からかけて持ち歩いているものとそっくりだ。
「残りの銃はどこだ?」
引き金に指をかけて脅しながら、田中さんは顔も見えない黒づくめの敵に問う。
「……」
しかし相手は、あくまでも沈黙を貫く。
――ズドンッッ
「ぎィッッ!!」
田中さんは銃口を敵の肩に添えて、引き金を引いた。
頭巾の男は短く悲鳴を上げて跳ねるように上半身を浮かせる。
「じゃあ望み通り黙ってろ。太田、そいつも肩ぶっ壊して連れてこい」
だらだらと血を滴らせながら悶え苦しんでいる男の首根っこをつかんで、玄関口までひきずって来た田中さんは、そのまま戸を開けて彼を外へ放り投げた。
太田さんもそれに続く。
頭巾の二人はどちらも肩を破壊され、立ち上がることもできずに苦悶の表情で転がり回っている。
そこに、ぞろぞろと蛇が群がる。
「うわぁ! 来るな、やめろぉぉ!!」
「ぎゃあぁぁッッ!!」
蛇が二人の体にまとわりつくと、彼らは狂ったように全身をくねらせて暴れまわる。
「……やっぱ毒蛇か」
そんな光景を見下ろしながら冷たい目で吐き捨てる田中さんを見て、少しばかり背筋が寒くなった。
相手は人の命を奪うことにためらいがない。
となれば、こちらも同じく殺意を向けて立ち向かっていかなければ太刀打ちできないはずだ。
武器を手にして敵と向かい合うというのは、たぶんそういうことだ。
情けをかけている余裕なんてない。
一歩間違えたら死ぬというあの状況で、誰が加減などできるものか。
私はここに来てようやく、自分が置かれている状況の恐ろしさを理解した。
仲間の命を守るために、このピストールの引き金を引かなければならない状況が必ず来るだろう。
「怖かったろ、ケガはねぇかよ?」
田中さんが私のそばまでやってきて、おでこを指ではじく。
先刻のように乱暴にではなく、優しくかるく当てるだけの挨拶。
「う……あの、大丈夫です」
私は身をちぢめて小さく後ずさりをする。
「ん? オレもしかして怖がられてる?」
「兄さんめちゃくちゃ怖かったですよぉ……容赦ないんですもん」
西山さんが大きくため息を吐いて、玄関口に座り込む。
申し訳ないけど、私も同意見だ。
「田中くんはようやってくれた。しっかし、あの飛び出しは絶妙の間じゃったのう」
事態を静観していた坂本さんが、ねぎらうように田中さんの肩を叩く。
「先込めは連発できねぇし、慣れてねぇと次弾まで時間かかるんで、撃ち終わってすぐを狙ったんすよ」
「よう先込めじゃと分かったのう」
「まぁ、音でだいたいは」
そう言って廊下の奥へと目をやると、田中さんは胴乱から細長い紙の包みを取りだし、それを破いて中身を銃口に注ぎこんだ。
その上から、何やら銃弾のようなものを詰めこむ。
そして銃身の下にくっついていた細長い棒を抜き取ると、それを銃口へと突き入れる。
「なにをやってるんですか?」
撃ったばかりだから、すすけた中のお掃除かな、なんて素人ながら想像をめぐらせる。
「一発撃つごとにこうやって弾を込めんだよ」
「え、そうなんですか!? 一発ずつ!?」
「おうよ。めんどくせぇだろ? これが先込め式の銃だ」
「へぇ……」
ピストールみたいに一気に六発分の弾を装填できたりはしないんだ。
撃ち終わったあとに隙ができてしまうというのはそういうことか。
「静かに――! 皆、いったん屋敷の外に出るんじゃ」
目をこらして閉ざされた奥の障子を見張っていた坂本さんがふいに声をあげて、私たちの背中を玄関の外へと押し出す。
「どうしたんですか!?」
「今、かすかに障子が動いた! 左の部屋に誰かおる!」
ザッと地面を蹴ってふたたび屋敷の外に散らばる私たち。
後方では、もはや声も出せなくなった頭巾の男二人が力尽きたように倒れている。
足元を這う蛇の数はいくらか減ったようだけど、足先が隠れる丈の草むらにまぎれて、その姿は間近に寄るまで見落としがちだ。
しるべとなる灯りは、おぼろげな月の光のみ。
そこらじゅうに張り巡らされた罠と、いつ出くわすか分からない刺客への警戒心から、私たちは自然と一歩踏み出すことにも慎重になる。
廊下のほうへと顔をのぞかせれば、その瞬間を狙い撃ちされてしまうかもしれない。
そんな緊張感に支配され、それぞれが息をのんで屋敷の壁に背をあずけながら様子をうかがっていた。
そんな背筋の凍る沈黙の中、
――カタン
あたりに響く虫の声にまぎれて、かすかに上がったその音は、まぎれもなく……
「障子が開いたようじゃ」
敵が一歩踏み出したことを知らせる音。
一同はごくりと息をのむ。
私と坂本さんをかばうようにして矢面に立つ太田さんが、そっと槍を構えて戸口へとにじり寄った。
――次の瞬間。
「兄さんたち、どうしたんすか! 援軍呼んで来ました!!」
まさに、天の助け。
息がつまる駆け引きの現場にぞろぞろと駆けつけてくれたのは、ヤマダさん率いる増援組だった。
隊士さんが二人と、そして――……
「無事ですか!? みなさん!」
疾風のように駆けながら刀を抜いて、足元で首をもたげる蛇の頭を斬りおとし、こちらへと向かってくるのは、大橋さんだった。
その頼もしい姿に、私は思わず声を上げる。
「大橋さんっ!」
「天野さん、大丈夫ですか? お怪我は?」
大橋さんは普段通りの優しい口調でこちらを気遣うと、すぐさま私の足元に這いよろうとしていた蛇の存在に気づき、その腹を横薙ぎにはらって絶命させた。
血しぶきとともに刃先でえぐられた土が飛び、屋敷の壁を汚す。
「けがはないです、大丈夫です」
「それはよかった」
「でも、中で敵が待ち構えてるみたいで……」
手早く刀身をぬぐい、玄関の奥を覗きこもうとする大橋さんの袖を引っ張って、私はそっと首を振る。
その言葉に足を止めて、了解したと静かにうなずくと、大橋さんは田中さんのほうを向いて口をひらいた。
「盗品の隠し場所の目星がついたそうですね。田中くんはそれを回収に向かってください。私が屋敷内の探索を引き継ぎます」
「そりゃありがてぇけどよ、ハシさんが抜けて大丈夫か? 向こうは今どうなってる?」
田中さんは構えていた銃口を下げて、増援の三人へ壁際に来いと手招きをする。
「周囲は壁で出入口もないようですから、当初の作戦通り四方を囲む必要はなさそうです。他に戸口らしきものがあるのは一ヶ所のみでした」
「どこだ?」
「北側の最奥に位置する部屋です。そちらには堅牢な鉄の扉がありまして、現在ほとんどの隊士をそこに集結させて銃口を向けています」
「ふぅん……最奥ってことは、こっから突入して部屋に踏み込めば、外の隊士とはさみうちにできるっつうわけだ」
納得したように頷く田中さんの言葉に、第一隊の面々も状況を理解する。
とにかく脇の部屋にひそむ敵を一掃して最奥までたどり着くことができれば、こちらに有利な形をとれるということ。
「もたもたしてても仕方ないんで、とりあえず中の様子を――」
増援に来てくれた隊士さんが、半分ほど開いた状態の玄関戸をそろりと開け放った。
その瞬間。
ズガァァァン!!
「うわあっ!!」
廊下の向こうから飛んできた銃弾が、隊士さんの腹部をかすめていった。
貫通こそしなかったものの、血が噴き出している。
「クソッ! やっぱ待ち構えてやがったかっ!!」
田中さんが銃を構えて玄関口へと走る間に、さらに一発耳をつんざくような銃声があがる。
すごい音だ。
空気をふるわせ闇を切り裂くようなその発砲音は、しばらく耳に残り恐怖で足がすくんでしまう。
「また先込めスか? 兄さん」
「みてぇだな、たぶん敵は二人」
太田さんの問いに田中さんが答えたのを聞いて、坂本さんが一歩前に出た。
「ほいたら、次の発砲のあと俺がいく」
「でしたら私もお供しましょう」
坂本さんと大橋さん。
どちらもその手に持つのは銃ではなく、刀だ。
大丈夫なのかな……。
二人の決意の表情を見てとると、太田さんがおとりを買って出てくれた。
敵がひそむ戸口にそろりと身を乗りだして相手を挑発する。
そんな動きを間近で見守りながら、不安げな表情で田中さんが口をひらいた。
――けれどその言葉は、重なるように響き渡った二度の銃声によってかき消される。
「今じゃ、大橋くん!」
「はいっ!」
坂本さんに続いて大橋さんも屋敷の中へと飛び込んでいく。
二人は廊下を踏みならしながら最小限の歩幅で間合いを詰め、次弾を込めていた二人の敵に斬りかかる。
鮮やかな速業だった。
下からえぐるように斬り上げる大橋さんと、裂くように上から打ち下ろす坂本さん。
その斬撃はどちらも肩口から腹部にまでおよぶ深いもので、男たちは叫び声を上げて重なりあうようにその場に沈んだ。
「――これも、うちの銃ですね。持っていてください」
大橋さんは床に転がった長銃を拾い上げて、後続の隊士さんに手渡した。
前方がひらけたことで皆が胸をなでおろし、ぞろぞろと廊下になだれ込む。
「お見事! んじゃ、ここからは盗品回収の隊と探索隊に別れっか」
「そうしましょう」
田中さんの言葉に、全員が頷く。
そして、その場で隊は再編された。
まず、盗品回収隊の隊長は田中さん。
ヤマダさんが連れてきてくれた増援二人をつれて、押し入れの上から天井裏に忍び込む。
いっぽう探索隊の隊長は、大橋さんに変わった。
ついていく面々は今まで通り、ヤマダさんに西山さんに太田さん、そして坂本さんと私だ。
田中さんと大橋さんは、できる限り速い合流を誓い合ってそれぞれの任務にとりかかった。
田中さんが率いる第一隊は、屯所を出て矢生一派の本拠地へと向かっていた。
四つの隊が別々の時間に出発し、別々の道をたどって現地に集合する。
そういう作戦をとっていたので、一番最初に屋敷を出た私たちの隊は、もうすぐ合流地点に到着するはずだ。
民家の連なる入り組んだ坂道を登っていくと次第に緑が多くなり、やがて雑木林のような場所に出た。
鬱蒼と木々が生い茂り、風にゆれている。
林の奥へと続く道は、腰の高さほどもある草におおわれて、人が踏み入った形跡も見当たらない。
「とりあえず、ここで残りの隊の到着を待つ」
田中さんはそう言って肩に担いでいた武器をおろすと、少しひらけた草むらに転がる岩に腰をかけた。
「嬢ちゃん、疲れたじゃろう。座って休みぃ」
「はいっ」
坂本さんに促されて私も、なるべく角がなめらかな岩を探して腰をおろす。
田中さんも隊士さんたちも、厳重に風呂敷で包み込んでいた長銃を取り出して静かに手入れをはじめた。
道中、私たちは誰ひとりとして言葉を発しなかった。
こうして合流地点に到着した今も、一同にはどこか張りつめた雰囲気がある。
(体が重い――……)
これからどんなことが起こるのか、正直想像がつかない。
ただ、言い知れぬ不安と危機意識だけは、一歩歩くごとに強くなっていく。
相手は、人の命を奪うことにためらいがない。
これはもう、間違いなく戦闘に発展する。
命のやりとりをくぐり抜けていくことになるかもしれない。
でも、ここまで来たからには一歩も引けない。
戦って、かすみさんを助け出すんだ――!
「嬢ちゃん、いざとなったら思いきり引き金を引きや」
緊張でふるえる手を抑えつけるようにして握る私に、坂本さんが落ち着いた声で語りかけてくれた。
「はい……練習の通りにできるか不安ですけど」
「コツがあると教えたじゃろう?」
「当たると思って撃つこと、です」
「その通り! 自信を持ちや」
坂本さんはにっと笑って、不安をやわらげるように優しく背中を叩いてくれた。
その手の包み込むようなあたたかさに、じわりと緊張がほぐれていく。
「あと四半刻ほどで全隊集結する予定だが……暇だし、あらためてこいつらの紹介でもすっか」
手入れの済んだ長銃を肩に立てかけるようにして抱えながら、田中さんが静かに口をひらいた。
そして隊士さんたちに『やれ』と顎でうながすと、すぐさま一人一人が自己紹介をはじめる。
「ヤマダっす、銃の扱いは隊の中でもうまい方す。戦の経験はねぇすけど、ケンカじゃ場数踏んでますんで!」
「頼りにしてるぜ、ヤマダ。全力でぶっ放していこうぜ」
「ウッス!!」
田中さんが差し出した拳に自らの拳をガッチリと合わせながら、気合いを入れるヤマダさん。
眉毛がなくて、こめかみ付近の剃りこみがすごい。
田中さんに負けず劣らずのコワモテさんだ。
そして、二人目の隊士さんがふらふらと立ち上がる。
「に、西山ですぅ……実戦は初めてであれなんですけど……てゆうか銃、練習でもほとんどうまくいったことなくて……ああ……! どうしよう! なんで僕がこんな大役を!!」
重圧に耐えかねたのか、西山さんは頭をかかえてその場をごろんごろんと転がり出した。
……あれ? この人たしか、先刻は『僕から離れないでネ』なんて頼もしいことを言っていたような……。
「西山! 自信持て!! 誰にでも初陣はあんだよ!」
田中さんが、バシンと派手に西山さんの頬を張る。
「僕、女を知らないまま死にたくありませんよぉぉ!!」
「今夜を乗りきればおめぇは男として一皮むける! そしたら女たちもおめぇの男気にバッタバッタ倒れるようになるぜ!」
「……がんばります!」
なんだかとっても不純な励ましに心をうたれた様子の西山さんは、別人のようにキリリとした顔つきになって、せっせと長銃を磨きはじめた。
そして、残る三人目。
「太田ス。ジブンでかいんで、いざとなれば壁にしてほしいス。坂本サンと天野サンの安全を最優先に動くよう隊長から言われていまス」
ぺこりと丁寧に頭を下げる太田さんは、見上げるほどの巨体の持ち主だ。
持っている槍が短く見えてしまうほどに。
縦にも横にも大きいので、壁という表現はとてもしっくりくる。
二人くらいなら背後にすっぽりと隠れられそうだ。
「太田、しっかり頼んだぜ! 坂本さん、こいつはひたすら二人を警護してもらうために呼んだんで、できるかぎりそばを離れないでくださいね。天野もな」
「了解じゃ」
「はいっ! わかりました!」
うなずいて太田さんのほうを見上げると、彼は頼もしく分厚い胸板を叩いてみせた。
「ふむ、今夜はこの六人でまとまって動くわけじゃな。よろしく頼むぜよ」
「よろしくお願いしますッ!!」
坂本さんの言葉にビシリと背筋を正して、隊士さんたちは頭を下げる。
「みなさん、夕餉のあとに真っ先に挨拶に来てくれましたよね。私も足手まといにならないように頑張るので、よろしくおねがいします」
「よろしく!!」
私の挨拶に対して、隊士さん方は声を揃えて胸を張り、頼もしげな視線を向けてくれた。
初対面の人たちからは部外者呼ばわりされて邪険に扱われるかもしれないと覚悟をしていたんだけど、それは杞憂だったみたいだ。
「ここからしばらく歩きゃ、奴らの根城が見えてくるはずだ。気を引き締めて行かねぇとな」
「中岡さんの話だと、敵は三人だけじゃないみたいですよね……どうなるでしょうか?」
「まぁ、行ってみねぇことには分かんねぇが、一人一人つぶして行くしかねぇわな」
田中さんはそうつぶやいて、足元に這い寄ってきた蜘蛛を踏みつけた。
林道なだけあって、このあたりは虫が多い。
さっから蜘蛛や蜂など、あまり遭遇したくないたぐいの虫ばかりが目につく。
「隊の長銃がいくつか盗まれたって聞きましたけど……相手が撃ってきたらマズイですよね、建物の中と外で撃ち合いとかになったりしたら……ああぁ……」
「てっとり早くおれらが建物を占拠できませんかね。こういう戦いは砦をとった方が有利だって兄さん言ってたじゃないすか」
ガタガタと震えながら身を縮める西山さんを一発なぐりつけて、ヤマダさんは田中さんに意見を求める。
田中さんって、隊士さんからは兄さんって呼ばれてるんだ。
「そりゃもちろん、できるかぎり短時間で敵の本拠地をブンどるのがオレらの役目だ。女将もその根城のどこかにいるわけだしな」
「建物に突入したら、手分けして探ってみるんがええかのう。女将はもちろん、盗まれた金と武器も探さねば」
「そうっすねぇ、ちょい危険かもしんねぇけどタラタラやってらんねぇすからね。三人ずつ、二組に分けましょうか」
田中さんと坂本さんは互いに納得したように顔を見合わせて、ぐるりと一同に視線をめぐらせた。
どんな組み合わせにするか考えているんだろう。
「坂本さんと天野はバラすかなぁ……」
「いんや。嬢ちゃんは俺が守るき、そばに付けとおせ」
熟考しながらうなる田中さんの案に、坂本さんがさらりと却下を告げる。
「あの、私もできれば坂本さんと一緒がいいです! ピストールの先生だし……」
いざという時にいろいろと助言してもらえると安心だ。
何より、坂本さんの隣にいると気持ちが落ち着く。
「分けた方が、護衛はしやすいんだがなァ……二人が一緒にいたら、片方しか守れねぇだろうしよ」
「心配はいらんぜよ。おのれの身くらいは守り通せるき、いざとなれば残る一人に嬢ちゃんを守ってもらえばええ」
「うーん……」
田中さんはますます考え込む。
この場では一応、すべての責任を負う立場だ。
慎重になるのは分かるけど……。
「じ、じゃあ僕が天野ちゃんを護衛しますよ! 女の子にいいとこ見せなきゃ!」
「テメーだけはねぇよ!!」
やる気満々で手を挙げた西山さんが、ヤマダさんの肘鉄をくらって倒れる。
「ジブンは、坂本さんと天野さんの壁になれと隊長から言われてるス。ジブンを二人の護衛につけてほしいス」
「太田さん……!」
無口な太田さんが口をひらくと、皆はいっせいにそちらに視線を向けた。
「まぁな、オレか太田が適任だとは思うんだが……」
「兄さんは、まず銃を取り戻してください。それまでジブンが二人を守ります」
「――んじゃあ、そうすっか! どちらも、すぐに合流できる距離で探索しようぜ」
「了解!!」
作戦がまとまって、全員が輪になり声をあげる。
初めて行動を共にする六人だけど、なんだか少しずつ一体感のようなものが生まれつつある。
お互いを信頼して、全力で挑まなきゃいけない現場だ。
私も、守られてばかりにならないよう慎重に行動しよう。
それからすぐに第二隊、第三隊と到着し、すべての隊が集うころには辺りに物々しい雰囲気が漂っていた。
無理もない。
なにせ武器を持った男の人たちが十数人ずらりと並んでいるんだから。
それぞれが何かしらの武器を手にしているけれど、それ以外は比較的軽装だ。
中に何か着こんでいる様子の隊士さんもちらほらと見受けられるものの、ほとんどは防具を身につけていない。
私だってそうだ。おそらく坂本さんも。
(ここからは本当に気を抜けないな……)
あらためて作戦を伝える中岡さんの言葉も、いまいち頭に入ってこないほどに緊張が高まってきた。
いよいよだと思うと、足が震えてくる。
「出発だ」
中岡さんの一言で、隊は動き始めた。
生い茂った草木をかき分け、足で踏みつけながら前進していく。
隊士さんだけで構成された第四隊が先頭を。
つづいて中岡さんが率いる第三隊がそのうしろにつく。
そのあとを大橋さん率いる第二隊が進み、残る第一隊の私たちはしんがりをつとめながらじりじりと前進していくことになる。
「うわ、またムカデ」
今日何度目かの台詞が、はるか前方で上がる。
「げッ! 蜂!」
息をひそめながら歩いているつもりでも、ふいに視界に入ってきたものには皆敏感なものだ。
気をつけなければいけないのは分かっていても、つい反応をしめしてしまう。
ふだん踏み入らないような場所を、こんな時間に歩いているというだけでも怖い。
頭上を見上げれば、夜の闇よりも暗い木々の輪郭がくっきりと浮かび上がり、不気味に揺れている。
昼間の雨で濡れた地面はわずかにぬかるみとなって足をからめとる。
あたりには、しめった草木と土の匂いが満ちていた。
人の気配なんてまるでないこんな場所に、ほんとうに奴らの根城なんかあるのだろうか。
――そんな考えがわずかに頭をよぎった瞬間。
前方で小さく声が上がった。
「あれだな」
中岡さんの声だ。
背が低い私は、目の前で列をなす大きな背中に隠れて先に広がる景色はよく見えないけれど、どうやらそれらしき場所が見つかったようだ。
「坂本さん、見えますか?」
「うーむ、ようは見えんが、何やら立派な屋敷のようなものが……」
坂本さんは目を細めてしかめっ面になりながら、首をつきだして進行方向を見やる。
もしかして目が悪いのかな?
「こっからはちっとばかし速度上げるぞ。全隊作戦通りに屋敷を囲んでく。オレらは正面戸まで一直線だ」
田中さんは隊の仲間たちにそう告げるとすぐに、銃を構えて早歩きになった。
前を進んでいた大橋さんの隊も速やかに前へ前へと駆け出し、決められた持ち場へ向かう。
しばらく進むと草むらが消えて、ぽっかりと穴があいたように開けた場所に出た。
中央に建つのは、坂本さんが言った通りの屋敷。
こんな場所に建っているのだから小さな山小屋のようなものだろうとばかり思っていたけれど、予想外に大きい。
不気味にそびえ立つ木造平屋のそれは、窓もなく周囲を垣根が覆っていて、中の様子が窺い知れない。
「だいたい配置についたころだな……オレらも突入の準備だ」
田中さんは、足をゆるめてそろりそろりと前に進んでいた一同にそう告げると、皆の意識が正面戸に向くよう視線を誘導する。
正面戸は、私たちが突っ切ってきた草むらからそのまま真っすぐに進んだ場所にある。
見たところ錠前などもかかっておらず、存外に簡素な木戸だ。
あらかじめ突入の際は『戸を破って侵入する』と決められていたけれど、これなら破壊するのもそう難しくはないと思う。
こんな、誰も来ないような場所にひっそりと建っている屋敷だ。
人に見つかることはないと油断しているのかな。
「ワンワンッッ!!」
戸口へと忍び足で近づいた私たちを最初に出迎えたのは、一匹の犬だった。
皆その無邪気な鳴き声に心底肝をつぶして硬直する。
「し、しずかにしてよぉ! 敵に気づかれるよおぉぉ」
西山さんは半泣きになりながら、ぐりぐりと慣れた手つきで犬を撫で回している。
「グルルル……!」
しかし、さんざん機嫌をとろうとなだめすかした西山さんの努力は実ることなく、犬は体勢を低くしてうなりはじめた。
「まずい、離れろ西山!」
田中さんが叫ぶと同時に西山さんは転がるようにその場から距離をとる。
間一髪のところで、飛びかかってくる犬の攻撃を避けることができた。
ついさっきまでの人懐っこさは嘘のように消え失せて、ダラダラとよだれを垂らしながらこちらを威嚇する犬。
どうやら、敵だと認識されてしまったようだ。
「ヤマダ、西山! そいつ黙らせろ! あとの三人は戸をブチ破る役だ!!」
田中さんの号令に従って、私たちは別々に動き出す。
戸口へと集合すると、まずは太田さんが分厚い木戸に手をかけて、ゆっくりとそれを引いてみる。
「――あ」
それは、スッと。
拍子抜けするほどにあっさりと開いた。
どういうことなのこれは……!
戸締まりひとつされていないなんて、盗人集団のくせに無用心すぎる!
あっけにとられた私たちが屋内をのぞき込むように頭を動かすと、目の前をかすめるように上から何かが降ってきた。
ぼとり、ぼとり、
ドサドサドサッッ――!!
縄のようなものが、無数に天井からぶら下がったように見えた。
一体なんだったのかとその正体を理解するよりも先に、それは私たちの足にうねうねと絡みついてくる。
「うわッッ!!」
「きゃあぁぁっ! 蛇!?」
おびただしい数の蛇だった。
暗い色あいにまだら模様が浮かぶ不気味な柄。
十、二十どころの騒ぎじゃない。五十はいる。
それらは身をよじらせながらいっせいに戸口から這い出し、こちらへ向かってくる。
あっという間に正面戸付近の草むらを蛇たちが包囲した。
「離れてよ……っ! もうっ!!」
足にまとわりつく蛇を必死に振り落とそうとしていると、坂本さんが横からすくうようにして刀の先で絡め取ってくれた。
そしてそのままそれを宙に投げて、一閃。
蛇はまっぷたつになって地に落ちた。
「嬢ちゃん、大丈夫か!? こっちに来ぃ」
「あ、ありがとうございますっ」
泣きそうな顔でたたずんでいる私をひょいと小脇に抱えて抱き上げると、坂本さんは地を這う無数の蛇を飛び越えながら戸口へと近づく。
「二人とも無事だな。中にはもう何もねぇみたいだ……とにかく突入しよう」
田中さんと太田さんは、一足先に玄関へと侵入して様子を見ていたようだ。
正面戸の真上の天井を見ると、板が一枚はがれてぽっかりと穴があいている。
ここから蛇が流しこまれたのかな……。
だとすると、もう――。
「オレたちの存在はたぶんバレてる、さっきの犬が番犬だったんだろう」
忌々しげに田中さんが吐き捨てると同時に、西山さんとヤマダさんが玄関へと走り込んできた。
二人はぜえぜえと息をしながら戸を閉める。
「やべぇ……! あの犬、どうなってんだ」
「ふくらはぎ噛まれたよぉぉ……」
二人は、命からがらといった様子で壁に身を預ける。
ヤマダさんが持つ脇差の刃先からは血がしたたっているから、おそらく犬をしとめたんだろう。
まだ人間には一人も出くわしていないのに、ずいぶんと疲弊してしまっている。
体だけじゃない、心もだ。
何が出てくるか分からない気味の悪さと、あえて侵入者を迎え入れようとしているような得体の知れない悪意のようなものに、進む足取りが重くなる。
「不気味だが、進むしかねぇな。やっぱ二手に別れんのはヤメにして全員で行くか?」
田中さんの提案に、誰もが頷きかけたと思う。
だけれどただ一人、坂本さんだけはいつも通りの様子でかぶりを振った。
「いんや、別れよう。見たところ廊下は一本で、両脇に部屋がある作りじゃ。互いに背をあずけながら向かいの部屋を探っていこう」
「うーん……坂本さんが言うならそうしますか。皆、出会い頭に発砲されたらひとたまりもねぇから、そこは十分気ぃつけていこうぜ」
「了解!」
私たちは、先ほど取り決めた二組に別れて部屋の探りをはじめる。
長い廊下の脇にある各部屋には、ぽつりぽつりと灯りがともっていた。
おかげで視界は、おぼろげながらひらけている。
問題は、その部屋のどこに敵が隠れているかだ。
「先頭はジブンが。二人は後ろに隠れていてください」
太田さんが私と坂本さんの前に立って、目の前の障子をゆっくりと開く。
「……っ!」
思わずぎゅっと目をつむった。
部屋の中に敵が待ちかまえていて、一斉に銃撃されるかもしれないという最悪の事態が脳裏をよぎる。
「……ここは、何もなさそうじゃのう」
「物も少ないスね。あるのは布団くらいス」
「念のため、押し入れも見ておくかのう」
二人が安堵した様子で言葉を交わしはじめたことで胸をなでおろし、私も目をあけて部屋の中に足を踏み入れる。
「ほんとに布団だけですね……寝起きするだけの部屋かな」
「うむ。あやしいのはあそこだけじゃ」
「ジブンが開けてみます」
がらんとして何もない寂しい部屋の押し入れに、私たちは恐る恐る近づいた。
太田さんがゆっくりと襖を引いていく。
坂本さんは刀を構え、私は懐からピストールを取り出した。
「……人は、いないみたいス」
押し入れの中まで体を乗り出して、太田さんは手にしていた槍を振った。
それは獲物をとらえることなく空をきる。
確認してみた結果、ここには何もなかった。
おそらくただ布団を収納していただけの場所だろう。
念のため坂本さんが詰んであった布団を蹴倒して、間に何か隠されていないか調べてみたものの、そこにも取り立てて変わったものはなかった。
「どうっすか坂本さん? こっちは何もなかったっすけど」
引き返そうかときびすを返したその時、廊下からひょっこりと田中さんが顔をのぞかせた。
「なぁんもないのう。見ての通りじゃ」
「盗んだモンはまとめて置いてあるだろうし、踏み入りゃ一目瞭然だと思うんすけど……」
「でもあの人たち、いずみ屋では一つ一つを別々の場所に隠したりしてましたよ」
「オイオイ、勘弁してくれよ……そりゃあ探すだけで骨が折れるぜ」
田中さんはうんざりした様子で吐き捨てると、太田さんから槍を借りて天井板に思い切り突き刺した。
すると一枚板が外れ、上からぼたぼたと虫が降ってくる。
「げっ!!」
透き通るような淡い色あいの蜘蛛と、真っ黒で頭だけが赤いムカデがぞろぞろと。
畳の上に散らばりだしたそれらを見て、私たちはいっせいに飛びのいた。
さらに、驚いて目を見開く一同は、次の瞬間穴からすべり落ちてきたものに目をみはることになる。
――ジャラッ
無数の虫とともに天井の穴から落ちてきたのは、小判だった。
一枚、二枚、三枚が畳の上に重なって音をたてる。
「こりゃあ……目当ての品は天井裏っちゅうことか」
坂本さんがそうつぶやくと、田中さんと太田さんも表情をこわばらせて頷いた。
「でもここ、天井裏に何がいるか……」
蛇に蜘蛛にムカデ。
出くわすたびに常軌を逸した数だ。
ほかに何が待ち受けているのか分からない。
「援軍を呼ぶか……ヤマダ、全隊回って人手を借りてこい」
「わっかりやした!!」
「蛇に気ぃつけろよ!」
そうして、ヤマダさんはそっと戸口を抜けて外へと走って行った。
私たちは一旦蜘蛛とムカデから逃れるべく、となりの部屋に身をうつす。
「にしても、変だよな。あいつらオレらの侵入に気づいてるはずなのに、何も仕掛けてこねぇ」
「やっぱりこの先の部屋で、息をひそめて待ち構えてるんですよぉ……!」
西山さんは銃を構えたままきょろきょろとあたりを見回し、震えている。
「ざっと見たところ、この先にある部屋は左右に三つずつじゃったな」
「たぶんそのどっかに、女将さんがいますね」
ひそひそと交わされるそんな会話に、鼓動がはね上がった。
かすみさんは、ちゃんと無事でいてくれるんだろうか――。
こんな気味の悪い屋敷で、今までどんな扱いを受けていたんだろう。
もう間近に、それこそ手を差しのべられる距離まで来ているはずなのに、不安ばかりがつのる。
だって、ここはおかしい。
人の気配が感じられない。
話し声はおろか、足音も息づかいも聞こえてこない。
まるで空き家のようだ。
部屋に灯りはともっているというのに……。
それぞれがこの屋敷の不気味さに言葉を失って息苦しくなってきたころ、変化はおとずれた。
閉めきっていた障子越しに、廊下から発砲されたのだ。
ズガァァァン!!
「きゃあっ!!」
足元に銃弾が突き刺さり、私は大きく飛びのく。
慌てて全員が壁際に退避し、銃を構える。
だらりと冷や汗が背中をつたっていく。
私の悲鳴から一呼吸おいて二度、三度と銃声が響き、部屋のあちこちを銃弾がかすめ飛ぶ。
気が狂いそうだった。
もうこれ以上この場に立っていられないと思った。
ズガァァァン!!
さらにもう一発が、太田さんの肩をわずかにかすって押し入れを突き抜けた。
それと同時に田中さんが勢いよく障子をあけて、廊下に立つ何者かを蹴り倒す。
「太田! もう一人いる! 取り押さえろ!!」
「ウス!!」
太田さんが障子を突き破って廊下の向こうに出ていくと、バタバタと揉み合うような音が聞こえてくる。
すかさず私も、坂本さんと一緒に廊下へ出る。
すると、顔を黒い頭巾で覆った男たち二人が床に這いつくばるようにして押さえつけられていた。
田中さんは、一方の男の後頭部に銃口を突き付けて背中を強く踏みつけている。
太田さんは敵の背にのしかかり、両者が手にしていた長銃を取り上げて西山さんへと手渡した。
「これ、うちの隊の銃だ」
「そうなんですか? どちらも?」
私が駆け寄ると西山さんは頷いて、取り上げた二挺の長銃を見せてくれた。
たしかに、西山さんが肩からかけて持ち歩いているものとそっくりだ。
「残りの銃はどこだ?」
引き金に指をかけて脅しながら、田中さんは顔も見えない黒づくめの敵に問う。
「……」
しかし相手は、あくまでも沈黙を貫く。
――ズドンッッ
「ぎィッッ!!」
田中さんは銃口を敵の肩に添えて、引き金を引いた。
頭巾の男は短く悲鳴を上げて跳ねるように上半身を浮かせる。
「じゃあ望み通り黙ってろ。太田、そいつも肩ぶっ壊して連れてこい」
だらだらと血を滴らせながら悶え苦しんでいる男の首根っこをつかんで、玄関口までひきずって来た田中さんは、そのまま戸を開けて彼を外へ放り投げた。
太田さんもそれに続く。
頭巾の二人はどちらも肩を破壊され、立ち上がることもできずに苦悶の表情で転がり回っている。
そこに、ぞろぞろと蛇が群がる。
「うわぁ! 来るな、やめろぉぉ!!」
「ぎゃあぁぁッッ!!」
蛇が二人の体にまとわりつくと、彼らは狂ったように全身をくねらせて暴れまわる。
「……やっぱ毒蛇か」
そんな光景を見下ろしながら冷たい目で吐き捨てる田中さんを見て、少しばかり背筋が寒くなった。
相手は人の命を奪うことにためらいがない。
となれば、こちらも同じく殺意を向けて立ち向かっていかなければ太刀打ちできないはずだ。
武器を手にして敵と向かい合うというのは、たぶんそういうことだ。
情けをかけている余裕なんてない。
一歩間違えたら死ぬというあの状況で、誰が加減などできるものか。
私はここに来てようやく、自分が置かれている状況の恐ろしさを理解した。
仲間の命を守るために、このピストールの引き金を引かなければならない状況が必ず来るだろう。
「怖かったろ、ケガはねぇかよ?」
田中さんが私のそばまでやってきて、おでこを指ではじく。
先刻のように乱暴にではなく、優しくかるく当てるだけの挨拶。
「う……あの、大丈夫です」
私は身をちぢめて小さく後ずさりをする。
「ん? オレもしかして怖がられてる?」
「兄さんめちゃくちゃ怖かったですよぉ……容赦ないんですもん」
西山さんが大きくため息を吐いて、玄関口に座り込む。
申し訳ないけど、私も同意見だ。
「田中くんはようやってくれた。しっかし、あの飛び出しは絶妙の間じゃったのう」
事態を静観していた坂本さんが、ねぎらうように田中さんの肩を叩く。
「先込めは連発できねぇし、慣れてねぇと次弾まで時間かかるんで、撃ち終わってすぐを狙ったんすよ」
「よう先込めじゃと分かったのう」
「まぁ、音でだいたいは」
そう言って廊下の奥へと目をやると、田中さんは胴乱から細長い紙の包みを取りだし、それを破いて中身を銃口に注ぎこんだ。
その上から、何やら銃弾のようなものを詰めこむ。
そして銃身の下にくっついていた細長い棒を抜き取ると、それを銃口へと突き入れる。
「なにをやってるんですか?」
撃ったばかりだから、すすけた中のお掃除かな、なんて素人ながら想像をめぐらせる。
「一発撃つごとにこうやって弾を込めんだよ」
「え、そうなんですか!? 一発ずつ!?」
「おうよ。めんどくせぇだろ? これが先込め式の銃だ」
「へぇ……」
ピストールみたいに一気に六発分の弾を装填できたりはしないんだ。
撃ち終わったあとに隙ができてしまうというのはそういうことか。
「静かに――! 皆、いったん屋敷の外に出るんじゃ」
目をこらして閉ざされた奥の障子を見張っていた坂本さんがふいに声をあげて、私たちの背中を玄関の外へと押し出す。
「どうしたんですか!?」
「今、かすかに障子が動いた! 左の部屋に誰かおる!」
ザッと地面を蹴ってふたたび屋敷の外に散らばる私たち。
後方では、もはや声も出せなくなった頭巾の男二人が力尽きたように倒れている。
足元を這う蛇の数はいくらか減ったようだけど、足先が隠れる丈の草むらにまぎれて、その姿は間近に寄るまで見落としがちだ。
しるべとなる灯りは、おぼろげな月の光のみ。
そこらじゅうに張り巡らされた罠と、いつ出くわすか分からない刺客への警戒心から、私たちは自然と一歩踏み出すことにも慎重になる。
廊下のほうへと顔をのぞかせれば、その瞬間を狙い撃ちされてしまうかもしれない。
そんな緊張感に支配され、それぞれが息をのんで屋敷の壁に背をあずけながら様子をうかがっていた。
そんな背筋の凍る沈黙の中、
――カタン
あたりに響く虫の声にまぎれて、かすかに上がったその音は、まぎれもなく……
「障子が開いたようじゃ」
敵が一歩踏み出したことを知らせる音。
一同はごくりと息をのむ。
私と坂本さんをかばうようにして矢面に立つ太田さんが、そっと槍を構えて戸口へとにじり寄った。
――次の瞬間。
「兄さんたち、どうしたんすか! 援軍呼んで来ました!!」
まさに、天の助け。
息がつまる駆け引きの現場にぞろぞろと駆けつけてくれたのは、ヤマダさん率いる増援組だった。
隊士さんが二人と、そして――……
「無事ですか!? みなさん!」
疾風のように駆けながら刀を抜いて、足元で首をもたげる蛇の頭を斬りおとし、こちらへと向かってくるのは、大橋さんだった。
その頼もしい姿に、私は思わず声を上げる。
「大橋さんっ!」
「天野さん、大丈夫ですか? お怪我は?」
大橋さんは普段通りの優しい口調でこちらを気遣うと、すぐさま私の足元に這いよろうとしていた蛇の存在に気づき、その腹を横薙ぎにはらって絶命させた。
血しぶきとともに刃先でえぐられた土が飛び、屋敷の壁を汚す。
「けがはないです、大丈夫です」
「それはよかった」
「でも、中で敵が待ち構えてるみたいで……」
手早く刀身をぬぐい、玄関の奥を覗きこもうとする大橋さんの袖を引っ張って、私はそっと首を振る。
その言葉に足を止めて、了解したと静かにうなずくと、大橋さんは田中さんのほうを向いて口をひらいた。
「盗品の隠し場所の目星がついたそうですね。田中くんはそれを回収に向かってください。私が屋敷内の探索を引き継ぎます」
「そりゃありがてぇけどよ、ハシさんが抜けて大丈夫か? 向こうは今どうなってる?」
田中さんは構えていた銃口を下げて、増援の三人へ壁際に来いと手招きをする。
「周囲は壁で出入口もないようですから、当初の作戦通り四方を囲む必要はなさそうです。他に戸口らしきものがあるのは一ヶ所のみでした」
「どこだ?」
「北側の最奥に位置する部屋です。そちらには堅牢な鉄の扉がありまして、現在ほとんどの隊士をそこに集結させて銃口を向けています」
「ふぅん……最奥ってことは、こっから突入して部屋に踏み込めば、外の隊士とはさみうちにできるっつうわけだ」
納得したように頷く田中さんの言葉に、第一隊の面々も状況を理解する。
とにかく脇の部屋にひそむ敵を一掃して最奥までたどり着くことができれば、こちらに有利な形をとれるということ。
「もたもたしてても仕方ないんで、とりあえず中の様子を――」
増援に来てくれた隊士さんが、半分ほど開いた状態の玄関戸をそろりと開け放った。
その瞬間。
ズガァァァン!!
「うわあっ!!」
廊下の向こうから飛んできた銃弾が、隊士さんの腹部をかすめていった。
貫通こそしなかったものの、血が噴き出している。
「クソッ! やっぱ待ち構えてやがったかっ!!」
田中さんが銃を構えて玄関口へと走る間に、さらに一発耳をつんざくような銃声があがる。
すごい音だ。
空気をふるわせ闇を切り裂くようなその発砲音は、しばらく耳に残り恐怖で足がすくんでしまう。
「また先込めスか? 兄さん」
「みてぇだな、たぶん敵は二人」
太田さんの問いに田中さんが答えたのを聞いて、坂本さんが一歩前に出た。
「ほいたら、次の発砲のあと俺がいく」
「でしたら私もお供しましょう」
坂本さんと大橋さん。
どちらもその手に持つのは銃ではなく、刀だ。
大丈夫なのかな……。
二人の決意の表情を見てとると、太田さんがおとりを買って出てくれた。
敵がひそむ戸口にそろりと身を乗りだして相手を挑発する。
そんな動きを間近で見守りながら、不安げな表情で田中さんが口をひらいた。
――けれどその言葉は、重なるように響き渡った二度の銃声によってかき消される。
「今じゃ、大橋くん!」
「はいっ!」
坂本さんに続いて大橋さんも屋敷の中へと飛び込んでいく。
二人は廊下を踏みならしながら最小限の歩幅で間合いを詰め、次弾を込めていた二人の敵に斬りかかる。
鮮やかな速業だった。
下からえぐるように斬り上げる大橋さんと、裂くように上から打ち下ろす坂本さん。
その斬撃はどちらも肩口から腹部にまでおよぶ深いもので、男たちは叫び声を上げて重なりあうようにその場に沈んだ。
「――これも、うちの銃ですね。持っていてください」
大橋さんは床に転がった長銃を拾い上げて、後続の隊士さんに手渡した。
前方がひらけたことで皆が胸をなでおろし、ぞろぞろと廊下になだれ込む。
「お見事! んじゃ、ここからは盗品回収の隊と探索隊に別れっか」
「そうしましょう」
田中さんの言葉に、全員が頷く。
そして、その場で隊は再編された。
まず、盗品回収隊の隊長は田中さん。
ヤマダさんが連れてきてくれた増援二人をつれて、押し入れの上から天井裏に忍び込む。
いっぽう探索隊の隊長は、大橋さんに変わった。
ついていく面々は今まで通り、ヤマダさんに西山さんに太田さん、そして坂本さんと私だ。
田中さんと大橋さんは、できる限り速い合流を誓い合ってそれぞれの任務にとりかかった。
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