よあけまえのキミへ

三咲ゆま

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一章 いずみ屋編

第九話 異変

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 夕方にまた川沿いの道の上で会おうと約束していた彼らが、ここにいる。

 一体どういうことなんだろう。


 別々に知り合った田中さんと坂本さんが、気心の知れた様子で会話している現実に、思わず目を丸くする。


「田中さんこそ、どうしてですか!? 坂本さんとお知り合いなんですか……!?」


 思考が追いつかず、私は座布団の上に正座したまま置物のようにかちんこちんになっていた。


「俺と嬢ちゃんは、たまに高瀬川沿いで話をする程度の顔見知りじゃ。田中くんや大橋くんも嬢ちゃんとつながりがあるがか?」


 襖の前でつかえるように停滞している田中さん達の背を押して部屋の中へと招き入れながら、坂本さんはさらりと私との関係に触れる。


「まぁ、なんつぅか……いろいろあってオレも顔見知りなんすよ」


 狐につままれたような、いまいち釈然としない表情で首をひねりながら田中さんが答える。



 その言葉に続くように、穏やかな足取りで私の目の前に片膝をつき、頭を下げるのは、写真で見た通りの顔立ちの――


「初めまして、大橋慎三(おおはししんぞう)と申します。田中くんから話は聞いています。ほとがらを拾ってくださったそうですね」


 間違いなく、写真に写る三人目の男の人。


 結って肩にかけた髪がゆるやかに波うち、真っ白でパリッとした羽織は全身を清らかに誇り高く包みこむようで――その姿は、例の写真からそのまま抜け出してきたかのようだ。


 ただひとつ、私が知っているのと違うことといえば……


「おおはしさん……ですか? あれ? かすみさんからは、橋本さんだと聞いていましたけど、人違いだったかな」


 そう言って首を傾げる私を見て、はっとした様子で息をのむと、大橋さんは申し訳なさそうに小さく苦笑する。


「人違いではないでしょう、いずみ屋には何度か通いましたからね。混乱させて申し訳ありません、今は大橋と名乗っています」


「そうなんですか……わかりました、大橋さん。私は、天野美湖といいます」


 変名、というやつかな。


 いろいろな理由があって、宿やお店を訪れた時に仮の名前を名乗る人が存在すると、むかし雨京さんから聞いたことがある。

 それは偉い人がお忍びで利用する場合だったり、仕事の都合上おおっぴらに名前を出したくない場合であったり……更には、何かうしろめたいことがあって名前を伏せたい場合であったり。


 どんな事情があるのかは知らないけれど、本人の語り口から見てそんなにやましい感じは受けないし、あまり追及はしないでおこう。



「さて、皆の衆! まずは座っとおせ。そして、混乱しちゅう嬢ちゃんにひとつ説明しておくと、俺や陽之介と、田中くん大橋くんは仲間じゃ。仕事仲間とでも言っておこうかのう。普段から親交がある」


 私は、こくこくと頷きながら坂本さんを見上げる。

 まさか田中さんと坂本さんが知り合いだなんて思ってもみなかった。

 奇妙な巡り合わせに目をぱちぱちさせながら、四人の顔を見渡す。


 軽く彼らの関係に触れたところで五人全員がその場に腰を下ろし、丸く円を描くような形になった。

 両隣は、坂本さんと田中さんだ。



「いろいろ話さなきゃなんねぇことがあったんすけど、こいつの前だとアレなんで……まずはオレの個人的な要件を済ませちまっていいっすか?」


「おお、構わんぜよ」


 坂本さんの許可をもらった田中さんは、私の方へと向き直り、大橋さんを親指でさしながら口をひらく。


「約束通りハシさん連れて来たぜ。ほとがら返してくれ」


「分かりました。田中さんは今日も写真のお顔と違う気がしますけど、大橋さんは確かに写真のままです! お返ししますね」


 懐から写真を取りだし、シワになっていないか手で払いながら確認したあと、そっと田中さんに手渡す。


「そういえば田中くんは、ほとがらを撮るたびに写りが気に入らないと騒いでいますねぇ。そんなに実物と違います?」


 大橋さんは田中さんの手元に渡った写真をちらりと見て、小首を傾げる。


「ハシさんの目はフシアナかよ……天野のがよっぽど分かってくれてるぜ」


 ぶつぶつとぼやきながらも、自分の手元に戻ってきた写真を見て、喜びを噛みしめるような表情を浮かべる田中さん。

 そんなやりとりを傍で眺めていた坂本さんが、興味津々といった顔でこちらへと身を乗り出してくる。


「ほとぐらふか! どれどれ……おお! 三人で撮ったが? 田中くんも男前に写っちゅう!」


「いや、そりゃねぇっすから! 逆にそういう言い方されるとへこみますから!」


「実物より良く写るほど、都合よくはできてないからな……悪く写ることはあるそうだが」


「むっちゃんコラァ! 喧嘩売ってんのか!? 今すぐ買ってやんよ! オモテ出ろや!!」


 写真を回覧しながら、なにやら場が盛り上がって来た。

 こんなやりとりを見ていると、普段から確かに交流があって、親しくしているんだということがよく分かる。


 坂本さんは、田中さんたちのことを『仕事仲間』と呼んでいた。

 ということは、中岡さんのことも知っていて、仲間である可能性は高い。



(それじゃ、やっぱり昨夜ここを訪ねて来た人というのは――)


 確信に近いものを感じ、私は懐からお守りを取り出した。

 昨夜中岡さんから預かって、首からさげて持ち歩いていたものだ。


 そしてそれを畳の上へ置き、円の中心近くへと指ですべらせる。



「昨夜いずみ屋に中岡さんが来ました。さきほどの話からすると、酢屋さんにもいらしたんですね?」


「はぁ!? なんでお前んとこに中岡さんが!?」


 両目を見開き信じられないといった表情で、田中さんがこちらへ身を乗り出す。

 それと同時に酢屋の二人は、神妙な顔つきで私の言葉に頷き返してくれる。


「偶然通りかかった茶屋で匿ってもらったと聞いていたが、やはりお前のところか。中岡さんはその後酢屋に来て、朝方には出て行った」


「詳しい話は聞けんかったし、今どこにおるんかも不明じゃ……大橋くん、そっちは何ちゃあごたごたしちゅうようじゃのう」


 陸奥さんと坂本さんは淡々と言葉をつなぎ、少し難しい顔をしながら田中さんと大橋さんに視線を向けた。


「そうですね、ここ数日は特に……」


 大橋さんは重い口調で言いよどみ、隣の田中さんは何やら苛立たしげに眉間に皺を寄せて黙りこんでいる。


 一体何があったんだろう……?


 聞きたいことはいろいろあるけれど、とても部外者が口出しできるような雰囲気じゃない。



 つかの間の沈黙を破るように、田中さんがふぅと大きく息をつく。

 そして眼前のお守りに手をのばすと、袋の口を拡げて中の文をするりと抜きだした。

 慣れた手つきだ。


「こいつを読む前にまず、昨夜中岡さんと会った時のことを詳しく話してくんねぇか?」


 あぐらをかいた膝の上に文を乗せ、ぱしんと掌でそれを押さえると、田中さんは鋭い視線をこちらへ向けた。


 私は、うなずいて静かに語り出す。




「――そしてこのお守りを受け取って、中岡さんを送り出しました」


 追われていた中岡さんをかくまってから別れるまでの流れや会話を、できるだけ細かく、あらいざらい吐き出した。

 話はここまでです、と小さく頭を下げて四人を見わたせば、皆一様に難しい顔をして黙り込んでいる。


「おめぇのおかげで助かったっつうわけだな。暗いのによく中岡さんだと気付いたぜ」


 田中さんはよくやったと頷きながら、かすかに口角を上げてこちらに笑みを向ける。


「それはもう、穴があくほどあの写真を見つめてますからね!」


「そもそも、なぜ天野が中岡さんたちのフォトグラフを持っていたんだ?」


 少し得意げに胸を張る私を横目に見ながら、陸奥さんが冷めた口調で問いを投げる。


「あー、言っちまうとまた呆れられそうだから伏せときたかったんだが、オレが川で落としたからだよ! んで、こいつがたまたま拾ってくれてよぉ」


「落とさないだろう普通……」


「ほら、そういう反応だよ! ため息ついたろ今!」


 陸奥さんがぼそりと囁いた一言が胸に突き刺さったらしく、田中さんはやっぱり言うんじゃなかったと苛立たしげに声を荒げた。


「まぁ、拾ってくれたのがこん子で良かったのう。ほとぐらふも無事田中くんのもとに戻って、めでたしめでたしじゃ」


「そうですよぉ。ふたりとも、ケンカはやめてくださいね。本題は今、中岡さんの話ですし……」


 なんだか今日は田中さんの機嫌があまり良くないようなので、助けを求めるように私は大橋さんのほうへと視線を向けた。

 鋭い目をいっそう細めて、真剣な表情で黙り込んでいた大橋さんは、場が静まったのを見計らってそっと口をひらく。


「なんとなく昨夜の出来事については掴めました。それで、聞きたいのは追っ手のことです。何人いたか、どのような格好だったか。何でもいいのでもう少し思い出せることはありませんか?」


「うーん、たしか人数は、三、四人だったと思います。暗くて姿まではよく見えませんでしたね……若い男の人たちだったことくらいしか、分からないです」


 昨夜の記憶をできるかぎりよみがえらせようと、頭をひねってはみるものの。

 いくら考えても思い出せるのは、真っ黒に塗りつぶされた人影や足音ばかりで、有力な手がかりは何一つ思い浮かばない。

 近くで見てはいないからなぁ……。


「三、四人の若い男か……天野からはこれ以上情報を引き出せそうにありませんし、中岡さんからの文を確認してみては?」


「そうしましょうか、田中くん」


 陸奥さんの提案をうけて、大橋さんは田中さんに文をひらくよう促した。


「おし、読むぜ……うん、たしかに中岡さんの字だなぁ」


 小さく折り畳まれていた半紙はガサガサと音を立てて田中さんの手のひらの上に広がっていく。

 思っていたよりも細かく、何やら書きつらねてあるみたいだ。

 田中さんの両隣から、大橋さんと坂本さんがそれをのぞきこむ。


 シンと、場が静まり返った。

 連なった文字を追って、三人の瞳がせわしなく上から下へと動いている。

 緊張感に満ちたその表情から、なにか重大で深刻なことが書かれているんだろうと、おぼろげながらも察する。


 ――この人たちの身に、一体何がおこっているんだろう……?




「……あいつらかよ、やっぱ」


「早いところ何か手を打たなければなりませんね」


 文を読み終わった田中さんと大橋さんが、互いに言葉を交わして頷き合う。


「あの、中岡さんは何と……? あいつらって、田中さんはもしかして誰が中岡さんを追いかけていたか知ってるんですか?」


 私の問いに、田中さんは大きくうなずいてみせる。


「おう、知ってる。ちょっといろいろあって揉めててな。こっちもそいつらを探してんだが……まぁ、こりゃあこっちの問題だ。おめぇを巻き込むつもりはねぇよ」


「そうですね。天野さん、何かとお世話になりました。落ち着き次第またお礼にうかがいますので、今日のところはこれでお帰り願えますか?」


 大橋さんが申し訳なさそうに微笑みながら、丁寧に一礼する。

 写真もお守りも渡し終えた今、私は単なるおじゃま虫みたいだ。


 なんだか張りつめた雰囲気になってきたし、部外者には聞かれたくない話もあるだろう。

 ここは言われた通り、さくっと退散したほうがいいのかも。


「それじゃ、私は帰りますね。よかったら皆さん、いつでもかぐら屋まで遊びにいらしてくださいっ」


 立ち上がってぺこりと、大きく体を折り曲げて礼をする。


「かぐら屋? いずみ屋じゃなかったのか……?」


 空になった湯飲みに急須を傾けながら、陸奥さんがかすかに眉を寄せる。


「わ、すみません! 言い忘れてました……! 今日からしばらくいずみ屋をしめるんですよ。明後日から本店のかぐら屋でお世話になる予定です」


「ほう、そりゃ残念じゃ。近々いずみ屋さんに寄ってみようと思うちょったんじゃが」


 そう言って額に手をあて、ふるふると顔を左右にふる坂本さんの隣で、田中さんは口をとがらせながらこちらに目を向けた。


「けどよ、かぐら屋っつったら貧乏人お断りの高級料亭だろ? オレらにゃ行けねぇよ」


「あ、中岡さんとおんなじこと言ってます。大丈夫ですよ、私はかぐら屋でもただの居候ですし……気軽に訪ねてきてください。お茶とお菓子くらいならいつでもお出ししますから」


「んで、その菓子が五両とかしたりすんだろ?」


「しませんよぉ。ですから、お客さんとしてじゃなくて、お友達として訪ねてきてくださいという意味で……!」


「ダチか、そっか。オレ、ダチとはまず同じ風呂につかりながら語り合う派なんだけどよ、いつ行く? 風呂」


「い、行きませんっ! 何言ってるんですか!」


 だんだんからかうような口調になってきている田中さんに向かって、あわてて言葉を返す。

 やだな、もう。顔が赤くなってるのが自分でも分かる。


「はいはい、田中くん。からかうのは、そのくらいにしておあげなさい。それでは天野さん、かぐら屋でまたお会いしましょう。かすみさんにも宜しくお伝えください」


 長引いていた別れぎわのやりとりをスッパリと断ち切ってコホンと咳ばらいをすると、大橋さんは笑顔で私の背を押しながら、部屋の外へと導いた。

 なんだか、優しそうでいて一番現実的でさっぱりとした人だなぁ。


「はいっ。坂本さんや陸奥さんも、お邪魔しました!」


 てきぱきと、箒でチリを掃きだすようにサッと廊下まで押し出された私は、部屋の中に向かってもう一度頭を下げ、そっと障子をしめた。

 ぽつんと冷えた廊下の真ん中に立ちつくして、私はふぅと大きく息をつく。



(中岡さん、無事にお守り渡せましたよ)


 気になることはたくさんあるけれど、何も知らない私が首をつっこんじゃいけないこともある。

 田中さんたちが問題を解決して、笑顔でかぐら屋に遊びにきてくれる日を待っていよう――。




 そんなことを考えながら、ひやりとした階段にそっと足をのせたところで、背後から声がかかった。


「……途中まで送る」


 振り返ると、そこには陸奥さんが立っている。


「陸奥さん! いいんですか? みなさんのお話に加わらなくて」


「ああ、あとで坂本さんから詳しく聞くから構わない……おい、ちゃんと足元を見て気をつけて下りろ」


「あ、はい。ごめんなさい……」


 背後の陸奥さんを見上げながら階段をおりていた私は、注意をうけて視線を正面にうつす。

 階段をおりてすぐのところに、昨夜の少年が立っていた。


「お帰りですか? いずみ屋のおねえさん! 兄さんから昨夜のお菓子をいくつかもらって食べたけど、すごくおいしかったです! ぼく、甘いもの大好きで!」


「わ、本当ですか? そんなふうに言ってもらえると嬉しいなぁ」


「中でも大福が一番でした……! あんなにふんわりもっちり口の中でとけるものは、なかなか……」


「長くなりそうだな、その話。すまないが、また今度にしてもらえないか? これから送っていくところなんだ」


 なにやら突然熱く語りはじめた酢屋の息子さんの話をさえぎって、陸奥さんはポンとその子の肩に手をのせる。


「えー? 残念だなぁ。それじゃ、おねえさんまた遊びにきてくださいね!」


「はいっ! また今度、大福もって遊びにきます!」


 名残惜しそうに戸口までついてきてくれる少年をほほえましく思いながら、私は小さく手を振ってみせる。


 陸奥さんは、と視線を上げると、すでに戸を開けて外で待ってくれている。



(もうあんなところに……!)


 もたついて待たせてしまうのも悪いので、片足でぴょこぴょこと跳ねながら急いで履き物をはき、戸口を抜けて陸奥さんの隣に立つ。



「お待たせしました陸奥さん!」


「べつにそう慌てる必要もないんだが。転ぶから履き物は座って履け」


 あきれたように私を一瞥すると、店の中の少年へと声をかけ、陸奥さんはゆっくりと戸を閉める。

 そしてそのまま、すたすたと早足で歩き出した。


「あ、待ってください!」



 人通りの少ない川沿いの道を、のんびりと歩いていく。

 横並びになるのを避けるように陸奥さんが先を行くので、私はうしろからそっとその背中を追いかける。

 ぴたりと一列だ。なんとも声をかけにくい。


 おかげで会話はない。

 この様子だと、無言のまま目的地についてしまうなんてこともあり得る。

 ……なにか話をしたほうがいいかな?

 そういえば陸奥さんとは昨夜会ったばかりで、どんな人なのか何も知らない。


「あのう、陸奥さん」


「何だ?」


 陸奥さんは、立ち止まることも振り返ることもなく、返事をくれる。


「陸奥さんは、写真をとったことがありますか?」


 ついさっき、田中さんたちとも写真の話題で盛り上がっていたし、陸奥さんや坂本さんも少なからず関心は持っているはずだ。


「一応ある……」


「ほんとですか!? いいなぁ! どんな写真ですか!? 一人でとったんですか? それとも、誰かと一緒に?」


「一人だ」


 目を輝かせながら小走りで陸奥さんの隣まで移動し、あれこれ質問をぶつけると、面倒くさそうに気だるい返事が返ってくる。


 相手の反応がどうあれ、私の興奮はおさまらない。

 なにせ写真は今、私の中で一番の関心事なのだ。激アツなのだ。


「一人ですかぁ、いいですね! 絵でもそうですけど、一人だとゆとりある構図でどっしり仕上がるじゃないですか。そうだ! 写場にはたくさん小道具もありましたし、傘とか刀とか持っても絵になりますね! 陸奥さんの写真、どんなのかなぁ、見てみたいですっ!」


「……断る」


 この情熱を受け止めろとばかりに喋り続ける私を見て、面くらったような表情で陸奥さんが呟く。


「どうしてですか? もしかして陸奥さんも、田中さんみたいに写真にうつると別人のようになっちゃうとか……?」


「あまり人に見せびらかすようなものじゃないだろう、気に入ってもいないしな」


 ため息まじりに私の言葉をつっぱねる陸奥さんを見て、つられるようにこちらも肩をおとした。

 田中さんも陸奥さんも、あまり写真が好きじゃないんだな。


「でも、いいことですよ。写真をとっておくってことは。ずっと、紙の中にそのままの姿でその時の自分を残しておけるんですから。これって、本当にすごいことですよ!」


「……なんだ、急に。フォトグラフが偉大な発明なのは分かってる」


「今までは、絵しかありませんでしたから。いくらそっくりに描いても、“そっくりな絵”に過ぎなかったんです。写真は、その時その瞬間をそのまま切り取ったものでしょう? だから、本物なんです。何年経っても、本人がいなくなっても、紙の中で生きていられるんです!」


「それはまぁ、そうだな」


 陸奥さんは歩きながら、聞き流すようにさらりと返答する。


「生きてるうちに一枚は残しておきたいですよね! もうちょっと早く写真のこと知っていたら、父の姿も残しておけたんですけど……残念です」


「随分熱く語るんだな。そんなにフォトグラフが好きか」


 写真への思いを垂れ流し続ける私に陸奥さんが向ける視線は当初とはちがって、少しだけこちらの返答を期待するようなやわらかさが感じられる。

 なにか興味を引くようなことを言ったかな?


「好きというか、あこがれに近いです。もっとくわしく知りたいなぁって……まだ私は写真をとったことがないですし、まずはそこからだとは思うんですが」


「一枚でもそれなりの値がかかるからな。今後もっと普及していくだろうから、いずれとる機会もあるんじゃないか?」


「はいっ! 近いうちに必ずとりに行きますよ! 実はもう、かすみさんと一緒に行く約束もしてるんです」


「……そうか」


 早足で歩く陸奥さんの隣を小走りで移動しながら、自然に頬がゆるむ。

 最初にとる一枚は、家族とって決めてるんだ。

 かすみさんと……雨京さんにも声をかけてみようかな。

 大切な人と同じ場所に立つ貴重な時間を、ちゃんと残しておかなきゃ。



「……あれは」


 陸奥さんが、ふと足を止めた。


 視線の先――斜め前方に目をやると、小走りで駆けて行く集団が見える。

 ぞろぞろと、十数人はいるだろうか。

 浪士のような風体のその一団は、全員が揃いの羽織をまとっており、遠目から見てもかなり目立つ。

 それぞれが腰に差した刀に手をかけ、中には担ぐように槍をたずさえた人もいる。

 武装し、結託したその一団が走り抜けて行くのを、街の人々は道の端で身を縮めながら見守っている。


 陸奥さんは息を殺して、古びた宿の脇から伸びる暗い路地へとすべり込むように身を隠した。

 それに合わせてひやりとした小路に足を踏み入れた私は、彼らが走り去った大通りに顔を出して、ゆくえを追う。



「――もう完全に見えなくなったみたいですね、あのダンダラの羽織は……」


 見覚えがある。

 京に住む人間なら、誰でも知っている分かりやすい目印だ。

『新選組』

 京にたむろして悪さをする浪人たちを取りしまっている組織だ。


 その名をよく聞くようになったのはここ三、四年のこと。

 あやしい浪人を見つければ、街中であろうがかまわず刀を抜いて力ずくでしょっぴいたり、場合によってはその場で斬ってしまうこともあるらしい。

 遠目からでもよく目立つダンダラ模様の羽織が隊服だそうで、浪士さん達だけにとどまらず、街の人々からも厄介事の象徴のようにおびえられている。



「新選組か……確かいずみ屋は、やつらが向かった方向にあったな。すまないが、送るのはここまでにさせてもらっていいか?」


「あ、はい! でも陸奥さんはちゃんとしたお仕事で京に来てらっしゃるんですよね? だったら新選組に何かされるようなことはないと思いますけど」


「単純に、あの手のやつらが好きじゃないんだ。悪いが、今日はここで帰らせてもらう……すまないな」


 小路から抜け出して左右を見渡すと、陸奥さんは大きく一息つく。


「いえ、送ってくださってありがとうございました。坂本さん達にもよろしくお伝えください!」


「ああ――それと、一つ言っておきたいことがある」


 これまで気だるそうに力の抜けた会話をくり返していた陸奥さんが、急に真剣なまなざしでこちらを見据える。


「……何ですか?」


「今後はあまり、坂本さんや田中達には関わらないことだ。酢屋に来るのもやめておけ。先刻の話で少しは分かったと思うが、おれたちにもいろいろと事情がある。何かと揉め事も多い。関わらないにこした事はない」


「そんな……でも、みなさんいい人たちですし! またその、揉め事が解決したら……」


 たしかに、ここ数日で出会ったばかりの人たちだ。

 くわしくは何も知らない。

 でも、またかぐら屋で会おうと約束したばかりじゃないか。


「中岡さんが何故わざわざおまえに文を託したのか理解できなかったが……話してみるとなかなか面白いところもあるようだ。おれも、個人的にはおまえのことは嫌いじゃない」


「だったら、いいじゃないですか。またそのうち……」


「そうだな……覚えていれば何年か後にかぐら屋を訪ねることもあるかもしれないが、当分は駄目だ。しばらく酢屋には来るな」


「そんな……」


「伝えたいことは、それだけだ。じゃあな」


 うつむいて言葉につまる私を見下ろしてつぶやくようにそっと言葉をかけると、陸奥さんはきびすを返し、人の波をするするとすり抜けるように、もと来た道を走り去って行った。



(送ってくれたのは、その一言を言うためだったんだ……)


 嬉しかったのに。

 やっぱり酢屋を訪ねたのは迷惑だったのかな。


 ――田中さんたちも。

 文を届けるところまではよかったはずだ。

 でもそのあと、彼らの問題に首を突っ込もうとしたのは良くなかったかも……。


 せっかくできた縁だと、喜んでいたのに。

 もし彼らにとって迷惑なら、陸奥さんが言うようにもう会いに行かないほうがいいのかな。



 大きくため息をついて、一人とぼとぼと帰路につく。

 気がつけば空もうっすらと橙に染まり、かあかあと二、三羽飛び立つ烏が、なんともいえない夕暮れのわびしさをそっと目の前に運んでくる。


 ――結局、田中さんや大橋さんを夕餉に誘えなかったな。

 かすみさんは、はりきって腕をふるってくれているかもしれない。

 だとしたら申し訳ないな。頭を下げて、私が二人の分もたいらげよう。


 そんなことをぼんやりと考えながら、いつも通るにぎやかな路地を早足で歩いてゆく。



(なんだか今日はいつも以上に賑やかだなぁ、人が集まって……何かあるのかな?)


 いずみ屋に近づくにつれ、何やら眉をひそめてひそひそと言葉を交わす人々が、遠巻きにこちらを見つめてくる。

 何だろう。何かあったのかな?



 異様な雰囲気にのまれて足が止まりかけたその時――まばらな人だかりの奥から見慣れた顔の女の人が駆けよって来て、私の腕をぐいと引きよせた。

 あさひ屋のおかみさんだ。


「美湖ちゃん! どこ行ってたん!? いずみ屋さん、大変やで……! 新選組の御用改めやて、今かすみちゃんが中で尋問されてるみたいや」


「え……? 新選組が?」


 なんで、いずみ屋に?

 おかみさんは、困惑した表情で震えながら私に詰めよる。


「うちら、何度も忠告したはずや。どこのもんかもよう分からん、銭無しの浪士達にええ顔ばっかしとると、いつかえらい目に遭うって……」


「それは私たちも分かっています……すみません、今までご近所さんに心配をおかけして。ですけど、今日からお店を閉めているんです。もう揉め事は……」


 起こりようがないはずだと、たどたどしく主張しようとする私の言葉を、あさひ屋のご主人がため息をつきながら否定する。


「それがなぁ、今日の昼すぎにまた三人づれで浪士どもが来よって……何や、ごちゃごちゃと揉めよったみたいやで。新選組が駆けつけたんは、それからほどなくしてのことでな」


「そんな……どうして……」


 ――三人づれの浪士。

 きっと深門さん達だ。

 揉めたって、何を?

 かすみさんは無事なの……?


「すみません……! 私、いずみ屋に戻ります! くわしい話はまたあとでさせてください!」


 何がどうなっているのか分からないけれど、とにかく一刻も早くいずみ屋に帰らなきゃ。

 人の波をかきわけながら、前だけを見て全力で走る。



 いずみ屋前までたどり着くと、先ほど陸奥さんと目撃したダンダラ羽織をまとった集団が、店のまわりを囲んでいる。


 ものものしい雰囲気だ。

 見慣れた小路からは、人の流れがぷつりと途絶えている。

 私が店を出た時にはかたく閉じられていた表の木戸は、一部が破壊され、強引にこじあけたように斜めにゆがんでいる。



(どうしてこんなことに……)


 あまりの状況にがくぜんとしながらも、折れそうな膝に力を入れて戸口へと足をふみ出した。


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