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家族

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動物のような奇声を発した少年は、私たちが黙り込むと食事を再開させた、
私はヒカルと、今のは何だと顔を見合わせた。

何を話しかけても返事がないのは、虐待を受けていて無気力になってしまったのか、腹が減りすぎて声が出ないのかの、どちらかだと思っていた。でもこんなに大きな声を彼は出せた。それ自体は喜ばしいことだけれど……。ひょっとして彼は言葉を知らないのだろうかという疑念が湧いた。

誰も言葉を発しない空間で、少年の咀嚼音と皿と歯とテーブルがたてるカチャカチャという音が響いている。
やがてそれが止んだので、少年が皿から顔を上げたタイミングで話しかけた。

「……キミ、じぶんの、なまえ、いえる?」

聞き取りやすいようにゆっくりと大きな声で話すと、少年は茶色い大きな瞳で私をじっと見つめ僅かに首を傾げた。

「ビィィィ。」
「な、なまえは、ビィィィって、いうのね。」
「おい、そりゃ絶対違うだろ。」

ヒカルの冷静な突っ込みに、この場にいるのが自分だけではなくて良かったと心から思った。私が危惧しているような事態ならば、これから先どうしていいのか取り乱してしまいそうだったから。

私はもう一度少年に名前を訊ねることにした。今度はジェスチャーを交えて。
自分の顔を指差しながら『わたしは、ミツコ』と言い、ヒカルを指差しながら『ヒカル』と教える。するとヒカルも意図を汲んだのか私を指差し『ミツコ』、自分を指差し『ヒカル』と言った。
それをじっと見ていた少年は自分のことを指差し、口を開いた。

「おぃ、こぉ、ぶた。」

明瞭ではない発音だったけれど、少年の発した二回の鳴き声から察するに、

――オイ、子豚。

彼は『子豚』と呼ばれていたのだ。
私の良くない想像が当たってしまったことに、頭がずん、と重くなった。

彼は、おそらくだけれど『子豚』と呼ばれていただけではない。

彼は子豚そのもの、だったのではないか。

鳴き声、食事の仕方、少年から放たれている家畜小屋のような臭い、無表情さ。それらは彼が家畜としてされていたことを証明しているかのようだ。
彼の今までの境遇を思うと涙が溢れそうになる。

私には何ができる?体調管理、教育、人との関わり方の指南……ヒカルの時よりもやることは沢山ある。気ばかりが逸ってしまうが、今真っ先にしなくてはいけないことがある。それは自分の想いを伝えること。彼の境遇に同情してみっともなく涙を流すなんてことじゃない。そんなのは夜に一人でベッドの中ですればいい。

私が、今すべきことは――。

「キミにね、私の家族になってもらいたいの。……家族、っていうのはね、一緒にいるとホッとして、心があったかくなれる"場所"のことなの。どんな自分でも正々堂々と居てもいい場所、が家族なの。……例えば悲しくて辛いことがあって逃げ出したくても、一緒に悩んでくれる人がいる、キミにとってのその場所がここであればいいと思うから。だから今、キミと家族になりたいの。」

前世の家族、今世の家族が頭に浮かんだ。前世の家族は私をとても慈しんでくれた。今世の家族も考え方の違いはあったけれど、頭を過るのは楽しかった思い出だけ。そこは残念ながら私の帰る場所ではなくなってしまったけれど、私自身が誰かの『いつでも戻れる場所』にはなれるのだ。


私は少年に歩み寄り、椅子に座ったままの小さい体を抱き締めた。抵抗はされなかったが、抱き返してくれることも無かった。解りやすい言葉で伝えたつもりだけれど、多分私の話も通じていない。
それでも体をくっつけて、想いを伝えることに意味がある。そう思いたかった。

ここにきて良かったと思って貰えるように頑張ろう。
よし!と気合いを入れ、少年から離れようとした時に私は、力強い腕に引き寄せられた。

ヒカルが私を抱き締めている。少年を間に挟むようにして。

「俺だって、家族だ。」
「……うん。」

ヒカルも家族。

そう言ってもらえたことに胸がほわほわと温かくなり、私もヒカルの背中に手を回した。

そんなヒカルと私の熱い抱擁も、少年にとっては息苦しいだけだったのか、赤ちゃんがむずがるように体をひねられ、私たちの間から抜け出されてしまった。そして少年は『暑苦しかった』とでも言うように、着ているダボダボの服の胸元を手で摘まんで中に空気を送っていた。
それがなんだか微笑ましくて、ヒカルと二人で笑い出してしまった。それは気恥ずかしさを誤魔化す為でもあったのだけれど、笑い出すと止まらなくなってしまい、涙が溢れた。

「ふふふっ、…さて、体のチェックして、風呂に入ろっか。」
「……俺がやるって言っても無駄なんだろうな。」

まだ諦めていなかったらしい。

「うん。私には健康を管理する責任があるからね。……でも、ヒカルにも手伝ってほしい。だから三人で、風呂場に行こう?」
「三人!!!」

ヒカルと一緒に風呂に入るのは数ヶ月振りだった。


脱衣場で、サイズの合っていない服と靴を脱がせ少年を全裸にさせて、体のチェックを行った。
暴力を受けた痕は見られなかった。物凄く汚れてはいたけれど、目立った傷や火傷痕はなく、肛門の状態も裂傷や腫れはなかった。

「良かった。」

ホッと息を吐いた私に対して、ヒカルは何も言わなかった。

「何か気になること、あった?」
「あ、……いや、……うん、大した怪我が無くて良かった。」

なんだか少し歯切れの悪い返事を不思議に思ったけれど、すぐにヒカルは自分以外のオスの体を見たことが無かったのだと気が付き、それでじっくり観察してしまい変な感じになったのだろうと自己解決した。

「あ、そうだ。ほら、ヒカルとおんなじで睾丸があるよ。」

ヒカルが前に睾丸を奇形だと思い込んでいたことを思い出した私は、少年の皮を被った小さなぺニスの下にある陰嚢を軽く指で突っついた。すると、やられた本人は平然としているのに、ヒカルは顔を真っ赤にした。


ヒカルに手伝ってもらったことで、大した時間も要さずに少年は綺麗になった。髪の毛は脂と埃の重さがなくなったお陰で元からの癖が甦り、ふわふわとしている。更に私が、カットしてショートヘアーにしてあげると、大きくてくりくりとした瞳も相まって、とても愛くるしい見た目の少年になった。

風呂で疲れたであろう少年を、ゲストルームのベッドへ寝かせ、ヒカルと私は遅い昼食を取った。

「達成感、半端なかった。」
「うん。見違えたよね。ヒカルより酷い汚れだったから、手伝ってもらえて、ほんと助かった。ありがとう。」
「こんなことぐらい、なんてことねぇから。い、いつでも頼ってくれていいからよ。」

ヒカルは手にしていたナイフとフォークを、音もたてずに皿の端にそれぞれもたせかけると、気恥ずかしそうに笑った。

矯正した言葉遣いは、私の前だけでは以前のままだ。エンリや護衛の者と話す時(なんとヒカルはそれらの人々と打ち解けた!)は、キチンとした言葉遣いなので、問題はない。それに本人が私とはこの方が話し易いと言っていたし、私もその方が特別感があって嬉しい。

「ふふ、頼りにしますね、ヒカルさんっ。」



オスを救うという目標は一人では叶えられない。

私の考えは甘いところがあるし、思い込みも多分激しいので自分だけでは行き詰まる。それを打破してくれるのは、信頼のおける人たち。
ヒカルだったり、エンリだったり、多分、沢山の人の協力がなくてはこの大きな目標は成し得ないことなのだ。

そんな当たり前のことに、私は今更ながら気が付いたのだった。

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