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黒カビ

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それからアザリ君とはただの同居人としてうまく接することが出来たと思う。

私はもう彼に料理を作ってあげることはなかったし、アザリ君も契約の話をしてくることもなかった。
穏やかに差し障りのない話をして、たまにハーブティーを飲んだりするゆるい関係だ。

そして、青山くんの情報を彼から得ることはやめた。アザリ君は、お試し期間はとっくに過ぎているのに関わらず、教えてくれようとした。けれど私は敢えて断った。なんだかアザリ君に悪い気がしたから。

でも彼は、時折、隣の部屋をじっと見ている。そして私の顔をチラリと見ては目を逸らす。その行動は気になったけど、元々アザリ君が居なければわからない情報ならば、知る由もないことなのだからと何も聞かなかった。

そして、いつものように会社帰りにカフェに寄り、たまに青山くんの尾行をする、そんな毎日を過ごしていた。

ただ、一つ変わったことは、青山くんに私が常連客として認識してもらえたよになったことだった。しかし私を隣人だと気がついた風でもないので、ひょっとしたら青山くんは胸で私を認識しているのかもしれない。それはちょっと悲しいけど、元々は全く認識されていなかったのだからこれでも喜ばなくてはいけない。



その日も、私はいつものように、枕と向き合った。
なんの進展もない、青山くんの関係を愚痴交じりに枕に語り掛けた時に、小さな異変に気がついた。

「えっ、やだっ、ヒゲっ。青山くんに髭が生えてるっ。」

それは青山くんの顔どころか、枕全体にポツポツと黒っぽい点として浮かび上がっている。

私の声が聞こえたのだろう、アザリ君もリビングから駆け付けてきた。

「どうしたの?」

私は涙目で抱き枕をアザリ君に差し出した。

「え、これ……カビ?昨日、テレビの情報番組でやってた。梅雨時期はカビが生えやすいんだって。」

間違いなくカビだろう。
梅雨時期なのもあるけど、コンディショナーを薄めた液を、毎日吹き付けていたのがいけなかったのかもしれない。

「黒カビは、クリーニングに出さないと取れないんだって。」

……これを、クリーニングに?

「無理っ。」

こんなリアル抱き枕、クリーニング屋さんにどう思われるのか、考えるだけでも恐ろしい。

自力でどうにかしようと『カビ シルク 落とし方』でスマホで検索してみる。
しかし書いている通りに洗ってみても、若干薄くなる程度でカビは取れなかった。

終わった。
私の13まんえん…。

カビが取れない以上、この抱き枕はもう捨てるしかないだろう。布団にもカビが生えたら困る。

私は半泣きでゴミ袋に抱き枕カバーと中身を入れた。
もちろんカバーの方は外から見えないようにひっくり返して。

「さようなら、青山くん。」

感傷に浸っていると、私の行動をずっと見ていたアザリ君が近付いてきた。

「爽子さん、かわいそう。」

そう言うと、私の額に手を置いた。

「目、瞑って。」

アザリ君の思いがけない行動に固まっていると、もう片方の手で目を隠された。
置かれた手から、アザリ君の体温が感じられる。

温かい。
悪魔も、人間と同じくらいの体温なんだ。

そんなことをぼんやりと考えていたら、やがて手は両方とも離された。

「……え。」

そこには、青山くんがいた。

「嘘っ。」

でもすぐ気が付く。
これはアザリ君だ。

「や、やだ、これ幻覚?」

「そうだよ。」

彼は、青山くんの顔で微笑む。

「怖いよ。…どうして。早く解いてよ。」

「これでも不合格?」

青山くんの眉が八の字になる。
その表情はアザリ君だ。でも顔は青山くんで…。でも声はアザリ君で。

私は頭が混乱してくる。

「僕はカビ生えないよ?」

だから枕の代わりにしろって?
そんなの無理。

「早く、幻覚解いてよ。」

「サーニャたんの時と違って、うまく出来たと思うんだけどな。」

確かに、そっくりだ。サラサラの髪の毛も、メガネも。肌質も。

「でも、青山くんじゃない。」

中身はアザリ君だから。

「同じだよ。僕、お隣さんの観察、頑張ったもん。」

「違う、よ。」

私は泣きそうだった。幻覚を見せられているという恐怖と、アザリ君が何を考えているか分からないことへの戸惑い。その二つが私の頭の中を占めていた。

「何にも違わないよ。だって、枕だっていいんでしょ?」

青山くんの顔をしたアザリ君にじっと見つめられて、私はとうとう泣き出してしまった。

「やだっ。もう止めてよ。」

私は顔を手で覆った。
恐くて見ていたくない。

「…っ、ごめん、なさい。」

彼はそう言うと、また私の額に手を置いた。

「…もう、解いたから。爽子さん、泣かないで。」

顔を覆った手の、指の間から正面を見る。
そこには、泣きそうな顔をしたアザリ君が見えた。

元に戻ってる。

私は安堵でその場にへたりこんだ。

「怖かったよぉ。」

「ごめんなさい。…喜んでもらえると、思った。」

喜べるはずない。
だって二人は全然違う。
姿形は一緒でも中身が全然違うんだもの。

――全然違う?
――本当に?
――どこが?

突如湧き上がってきた思いに首を捻る。

私はアザリ君の性格を知っている。だけど、青山くんの中身なんて何も知らない。
全然違う、なんて言えないんじゃないだろうか。
だって比べる対象が片方無いんのだから。

私は、青山くんの見た目が私の理想通りだから好きになった。
だったら中身がどんなでもいいのだろうか?
例えば黒カビが生えてても?
そんなことはない筈だ。

「爽子さん、怒った?」

「ううん。今、気が付いた。青山くんの中身を私、何にも知らないの。だから、もっと知る努力をしないといけないと思うの。」

だったら話し掛けられるのを待ってちゃ駄目だ。見ているだけでいいなら幻覚でも同じってことになってしまう。

「……そう、だね。」

アザリ君は複雑そうな顔をして私を見たが、その気持ちを汲み取ってはいけない気がした。

「気付かせてくれて、ありがとう。」

「……うん。爽子さんの役に立てて、嬉しい。」

よし、明日から頑張らなくては。

私の心はやる気で満ちていた。

だから、アザリ君がどんな気持ちで『役に立てて嬉しい』と言ったのか知ろうとしなかった。
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