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番外・クリスマスイブ ④
しおりを挟むコーヒーを買いに行ったはずの春日部が手ぶらで戻ってきた。
僕はツリーをぼんやりと見ていたのだが、人が走って近づいてくる気配に気付き、見ると春日部だった。
春日部は凄く険しい顔をしていて、ただならぬ威圧感を放っている。
コーヒーを持っていないということは買う際に何か問題があったのかもしれない。だとしたら責任を感じる。
寒がった僕の為に春日部は温かいコーヒーを買いに行ってくれたのだから。
スカートがこんなに寒いものだとは思って無かった。
体を動かしていれば平気だったが、ベンチに座っていると足元から体が冷えてきた。
女装をする際、ヘアサロンの女性美容師にカツラのセットとメイクをお願いしたのだが、その時に「寒いですからタイツも履いた方がいいですよ」とアドバイスを貰っていた。しかしタイツ選びが悪かったのか、靴選びが悪かったのか分からないが寒さは防げなかった。
僕がくしゃみをしたのを見て春日部は帰るか?と聞いてきたが、僕はまだ帰りたくなかった。
僕の女装のせいで調子を狂わせ表情をころころと変える春日部が可愛くて、もう少しデートを続けていたかったから。
「春日部、何かあったの?」
春日部は僕の問いに対して返事をしない。そればかりか隣に座ろうともしない。険しい顔をしたまま、座っている僕の正面に立っているだけだ。
「なにか嫌なことされた?」
取り敢えず座ってもらおうと、手を引こうとして、手に触れた瞬間に春日部は口を開いた。
「……お前っ、男にナンパされそうになってんじゃねぇよ!」
「……へ?」
ナンパ?
男に?
僕が?
全く身に覚えが無いことだが、どうやら不機嫌の理由はそれらしい。
しかし僕は誰とも話してないし、目も合った記憶も無い。
人が近付いてくればいくらなんでも分かるが、そんな気配も無かった。
春日部の勘違いだろうか。
しかしコーヒーの移動販売の車はここから百メートルほどの距離だ。見間違いは起こらないだろう。
色々と考えを巡らせていると、春日部が先に口を開いた。
「女だったら……お前が女にナンパされんなら、まだいい。でも、男は、ぜってー駄目だ。お前が男に興味持たれんの、マジで嫌だ」
苦しげに言葉を吐き出した春日部は、言い終わるなり僕のコートの胸ぐらを掴んできた。ぐいと引き上げられるままに僕がベンチから腰を浮かせると、近い距離で見つめ合う形になった。
春日部の瞳は感情の波を表すように揺れている。
さっきまで険しかった顔は、拗ねたような悔しがってるような切ない顔に変化していて、それを見た僕は胸がキュンとしてしまった。
春日部が爆発させた可愛い嫉妬心に、僕の心は丸ごと掴まれてしまう。
ゴクリと息を呑んでいると春日部の顔は、さらに僕に近付いた。
キスの予感がして嬉々として瞼を閉じた。待っていると、唇がギリギリまで近付いた気配がした。触れてはいないが春日部の温もりを感じる距離だ。
ほとんどゼロの距離で春日部は小さく掠れた声を出した。
「女の格好なんて、すんじゃねぇよ」
春日部は僕の返事を待たず唇を押し当ててきた。
柔らかいけれど少し乾燥した薄い唇。
啄むようなキスを何度もしていると、あんなに寒かった筈の体が温まってきた。
もっと温まりたくて春日部の背中に腕を回すとキスは吐息を奪い合うような深いものになっていった。
春日部に何があって、何を思ったのか、なんとなく分かった。
多分、僕の知らないところで僕の話をしている男がいたんじゃないかと思う。それで焦って僕のところに戻ってきて、怒りを爆発させた。
二人で街を歩けば女の子から逆ナンされることは日常茶飯事で、その度に僕が女の子に対して優しく接し過ぎ――僕的には穏便に断る為の最善策だが――だと少し不服そうだった。
しかし、それとは比較にならないほど男が僕をナンパするのは、例え未遂であっても、許せないことのようだ。
僕の恋愛対象が男だから、焦燥と嫉妬に駆られ、春日部はこんなところで堂々とキスをしてしまっている。
このキスはどこかで見ているかもしれないその男に対しての牽制が含まれているのだろう。
今の僕は他の男から言い寄られても鬱陶しいとしか感じないというのに。
安心させる為にも、そして何よりこの甘い時間を楽しみたくて僕は唇と舌を濃厚に絡ませた。
暫くそうしていたが、キスだけでは収まりがつかなくなってきて、唇は離れた。
これ以上続けていると通報されかねない事態に陥りそうだと互いに判断したのだ。
春日部の顔を見れば、先程までの激しい嫉妬心は収まったように見えた。
興奮で潤んだ瞳を気まずそうに泳がせながらも、唾液と口紅で汚れた僕の唇を優しく指で拭ってくれている。
「ツリーの消灯、見れなかったな。悪ぃ」
キスをしている間に10時を回ってしまったらしい。
今このタイミングでそんなことを謝ってくるのが、なんだか可笑しくて僕は笑ってしまった。すると春日部もぎこちなく笑ってくれた。
「春日部。分かってると思うけど一応言っておくから。僕には春日部だけだよ。どんなに好みの見た目をしてる男が現れても、僕にとっては春日部じゃなきゃ意味がないから。春日部か、春日部以外。それしかないんだよ」
僕にとっての『オトコ』は未来永劫、春日部だけ。
思いを込めて伝えると春日部は泣きそうに、でも嬉しそうに顔を歪ませた。
「……お前の気持ちは分かってんだけど、ついカッとなっちまった。……悪ぃ。女装だって、手間かけてしてきたのに」
カツラの毛の乱れを直すように春日部は頭を撫でてくれた。
「ううん、いいんだよ。春日部が女装を喜んで、またしてくれって言ってきたら、それはそれで多分モヤモヤしてたと思うから。春日部は僕が女の子の方がいいのかな? って。だから逆に良かった」
「はぁ? 何言ってんだよ。男とか女とか関係ねぇから。俺は町屋っていう塊が好きなんだ」
――僕という塊が好き。
僕を形取るすべてを春日部は愛してくれている、という意味だと僕は受け取った。
堂々と春日部とイチャイチャしたくて女装をしてきたくせに、女装を気に入られたらモヤモヤする面倒臭い心理まで包み込んでもらえた気がした。
春日部らしい表現が嬉しくて、すっと心に馴染んだ。
「そっか」
「ああ。……じゃ、そろそろ帰るか」
春日部は僕の手を握り、駅の方へと歩き出した。
「うん。早く帰って、春日部には僕の塊を受け入れて貰わないといけないし」
「……っ。下ネタぶっ込むなよ」
「あははー。それに、おっぱい揉まれたお礼も沢山しないと駄目だし」
「はぁ? あれは、お前の乳じゃねぇだろ! つーか、そう言えば何詰まってんのか教えてもらってねぇぞ」
「そんなに知りたいの?」
「気になるだろ」
「えーと、……下着」
「下着って……パンツかよ!?」
「うん。春日部のパンツ」
「あ゛!? なんで俺のっ」
「自分のは嫌だもん。それに使用済みは一つだけだよ? 片胸はちゃんと洗濯済みのヤツ使ったから」
「は!? は? はああ? 使用済みってお前っ」
「今朝、春日部が脱いだのを洗濯機の中から回収しておいたんだ」
「……」
「だから僕、夢と希望が詰まってるって言ったでしょ」
「……言ったでしょ、じゃねぇよっ。オイ、ふざけんな! 今すぐ返しやがれ!」
「胸、触っちゃ駄目だって。春日部の変態っ」
「お前の方がよっぽど変態だろうが!!」
「あははー、大好きだよ春日部」
「っ、急に違う話すんなって……俺も好きだ。やべぇくらいに愛してる。……でもパンツだけは返せ!!」
番外・クリスマスイブ【終】
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