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しおりを挟む「え?本籍?」
「・・・うん」
突然、本籍地はどこか聞かれた。
そんなこと知りたいんだ、と不思議に思ったけど、ここにしてあるよ、と答える。
「アパート?102号室までが本籍地?」
「いや、部屋番号はいらないよ。番地まで」
「へえー」
うんうんと頷いて、涼くんはデザートを食べ進める。
何か気になることでもあったのかなと思いつつ、まぁ深く聞かなくてもいいかと話題を変えた。
涼くん自身がそれ以上話してこなかったから、他愛のない会話の一部だったのだろうし。
「あの、」
明日の支度まで済ませて、ベッドに入ってキスをしようとした時だった。
強張った表情でおれを見つめると、ぎゅっと服の裾を掴んだ。
「なぁに?」
「・・・お願いがあって、」
「うん」
「・・・地元に、着いてきてほしい」
「・・・え」
涼くんの地元?
聞いたことはあるけど行ったことはなかった。
ましてや、着いてきてほしいなんて言われるなんて。
服を掴んだ手が白くなっている。
力を抜いて欲しくてそっと撫でると、すごい力でぎゅっと指を掴まれた。
「・・・前に、1人で行こうとしたんだけど、・・・駅、降りられなかったんだ」
「うん」
「・・・もうこれで最後にしたいから、着いてきてほしいです・・・」
「もちろん一緒に行くよ。どこに行きたいの?」
「・・・役所」
「役所?・・・あ、」
「・・・い、嫌じゃなかったら、その、おれも、」
先ほど聞かれたことを思い出し、なぜか顔も体も熱くなる。
いいのかな。
涼くん、本当に、いいの?おれもう絶対に離してあげられないよ?
いや別に、他人から見たら大したことのないことなんだけどさ・・・。
おれからしたら、すごく、特別なことに思えるんだ。
「嫌じゃないです。むしろ嬉しいし、照れるね」
「・・・最後にしたい」
「え?」
「本籍地を変えるの、最初で最後にしたい」
「・・・ぐ、ゔ・・・!!」
「わぁ!?」
押し倒して顔をしっかり押さえ、キスをする。我慢ができなくて、話の途中なのにがっついてしまった。
あ、あんなのさ、あんなの・・・プロポーズじゃん!?
可愛い顔して、かっこいいとこ全部持っていくんだから・・・。けしからん。愛おしい。
******************************
「・・・大丈夫?」
黙って頷くその顔は、真っ青どころか真っ白だった。瞬きが多くて、緊張していることがすぐに分かった。
電車ではなく車で行こうと声をかけ、高速に乗って涼くんの生まれた街に来た。
どんどん中心部に近づくにつれて口数が減り、とうとう黙り込んで俯いた。強く握りしめた手はまた白くなっている。
顔を見られないようにするために、黒いキャップを深く被っていた。
「涼くん、もうすぐだよ」
「・・・」
「都会だね。高いビルばっかりだ。高そーな物ばっかりあるね」
「・・・」
「うどんが食べたくなるな」
「・・・え?うどん?」
「うん。駅前の立ち食い」
「・・・あの、家のそばの駅の、立ち食いのこと?」
「そうだよ?前食べて、おいしーって言ってたじゃん?おれあそこ、好き。一皿2000円もするパスタなんて食った気しないもん」
窓の外を指差す。
カフェの前に出ている看板にはカルボナーラ2000円と書かれていた。
涼くんは呆れたように笑うと、この街はあんなのばっかりだよ、と言った。
役所につくと大きく息を吐いて車から降りたので、おれも一緒に降りた。着いてきてくれるの?と驚かれたので、こちらまで驚く。ここで着いていかなくていつ行くのさ。
「もちろん行くよ。ほら、早く転籍届もらって帰ろ。居心地よくねーや、この街」
「え・・・」
「みんな高そうな物持ってるし、高級住宅地だし、おれの地元と違いすぎて体痒くなる」
「・・・あはは、うん。行こ」
涼くんは困ったように笑って、そっと歩き出した。
綺麗な役所に足を踏み入れ、下を向いて早足に歩く。
カウンターで転籍届の手続きをするために用紙を書いていると、涼くんは新しい本籍地を記入するところでペンを止めた。
「・・・本当に、いい?」
「え?」
「・・・迷惑じゃない?」
「なんで迷惑なの?嬉しいけど」
「え?」
「だって、おれたちは結婚ができないから。こうやって同じことが増えていくのは嬉しいよ」
「・・・結婚、」
「うん。もしできるようになったら嬉しいけど、きっと遠い未来の話だから・・・今はこうやって、同じことを増やしていくのが幸せ。早くおれのところにおいで」
小さく囁くと、静かに目を輝かせて頷いた。
丁寧に新しい本籍地を記入すると、窓口に提出した。
隅っこに腰掛けてそっとおれの指先を掴み、書類が来るまで黙って待った。手は冷たかった。
名前を呼ばれるとすごい速さで立ち上がり、駆けていく。追いかけて書類を受け取る姿を見届けて、大事に封筒を抱え背中を丸める姿を見つめながら隣に並び早足で歩き、市役所を出る。車に乗り込んですぐにアクセルを踏むと、涼くんは深く息を吐いた。
「や、やった、やった・・・やっと、やっと、これで、」
安心したように呟いた。横目で見ると、大量の汗をかいて肩で息をしていた。
慌ててコンビニに入り、ハンカチで拭いてやる。
どれだけトラウマがあるんだろう。見ているこちらが苦しくなった。
「飲み物買ってくるね。シート倒す?」
「ね、ねぇ、見て、おれ、もう、もう、」
震えている手が、封筒を差し出す。強く手を握って何度も頷く。
「うん、もう、全部おれのものだよ。同じだね、全部」
「あ、あはは、あは・・・!10年も、かかっちゃったよ・・・」
「うん、よかったね。よかった。お茶買ってくるからね」
手を離してお茶を買いに店内に入る。
10年もかかったのか。
この街に来て、役所で書類をもらうことが、彼にとってどれほどハードルの高い行為なのか、おれは知らなかった。
この街に、どれだけ傷つけられたのだろうか。
考えても考えても、分からなかった。
分からないから、理解ができない。でも、理解ができないからこそ受け入れたいと思った。
今日の彼の勇気を、今までの苦しみを、苦悩を、受け入れたい。
「お待たせ」
「あ、ありがと、」
「寝てていいからね。疲れたね」
「・・・うん、やっと、おれ・・・この街から、離れられたね・・・」
「うん。帰ろう。帰って・・・お祝いしよ」
「うどんで?」
「あはは!それでもいいけど、うどんは明日にしよ。遅番だもんね」
「うん・・・」
「今日はそうだな・・・中華、行く?」
「うん、好き・・・」
「・・・おやすみ。ついたら起こすよ」
「ありがとう・・・」
涼くんは少しお茶を飲むと、書類を抱えて目を閉じた。まだ、汗は止まらない。
車を走らせて高速に乗り、サービスエリアで少し休憩しようと車を止めると、ハッとしたように目を開いた。
キョロキョロ見渡し、汗を拭く。
「・・・もうここまで来たんだ」
「平日だし、空いてるからね」
「・・・ね、ソフトクリーム食べようよ。おれ、ご馳走する」
「いいの?嬉しい」
車を降りるときも、涼くんはしっかりと書類を抱えていた。
カバンに入れるように促すと、封筒の中身を確認してからそっとしまった。
バニラ味のソフトクリームを2つ買い、ベンチに腰掛ける。
暑くてすぐに溶けそうだった。
「美味しいね」
「ん。昔のコーンてさ、すぐびしょびしょになって下から垂れてきてたよね」
「そうなの?」
「うん。あんまり食べたことない?」
「うん・・・アイスは基本カップだったなぁ」
「おしゃれな街はカップが主流なの?」
からかうと、ぺち、と肩を叩かれた。
ぺろ、ソフトクリームを舐めてからふふ、と笑う。
あ、笑顔。よかった。手を握ると、体温が戻ってきているようだった。
「さっきね、あの街が居心地がよくないって言われたとき、嬉しかった」
「え?」
「おれも居心地悪かったからさ」
「ははっ!おれの生まれ育った街と正反対な街だったね」
「そう?」
「おれのところは2000円のカルボナーラなんてないよ。200円の焼きそばはあったけど」
「ふふっ!安いね。いいな」
「1000円の紅茶もないし」
「高いよねー、1000円」
「そのお金でうちの近所の中華屋でビールとおつまみ、たくさん頼めるね」
「そうだね。夜はそこに行きたいな」
「そうしよ。昼は適当に。ね、お土産見て行かない?」
「行く」
ソフトクリームを食べ終えて、指を絡めてお土産を見る。
家で食べようと話しながら、カップケーキとパイを買って帰宅した。
涼くんはニコニコ笑っていた。
******************************
「じゃ、乾杯」
「乾杯」
グラスをぶつけ合う。
帰宅してから、市役所に行って転籍届を出した。
無事、本籍地がおれのアパートの住所になった。何度も住民票を見ては2人でニヤニヤしてしまった。
世帯主は各々だけど・・・嬉しいものは嬉しいのだ。
いつか世帯主の欄におれの名前が記載されたらいいなと思いつつ、涼くんが仕事先に提出することを考えると難しいものだ。
そのまま中華屋に来て、乾杯をした。涼くんは美味しそうにビールを飲んで、ニコニコ笑う。
顔色もだいぶいい。
「飲みすぎないようにね」
「うん。美味しいね。春巻き食べよ」
「おれはメンマ。あ、追加で餃子と・・・」
「蒸しパンとバンバンジー」
「あとチャーハン。大盛り」
「ふふ」
中国人の店主に追加で注文すると、ニコニコしながら頷いた。
安くててんこ盛りで、美味しいのにいつも空いている謎のお店。
何度か利用しているからか、今日はサービス、と餃子が2人前やってきた。
お礼を言ってビールを飲みながら食べ進める。
「わはは、チャーハン大盛りすごいね」
「ふふっ。普通のチャーハンもてんこ盛りなのにね」
「緊張しててお昼もあまり食べられなかったから・・・いっぱい食べられるよ」
「本当に?ほら、はい」
「わ!一気に盛りすぎ!ふふっ。和多流くん、今日はありがとう。すごく、勇気がいったけど・・・和多流くんがいたから頑張れた」
「よかった。・・・ねぇ」
「ん?」
「カルボナーラと紅茶で3000円。ここはこれ全部で3000円いかないくらい。どっちが好き?」
「断然、こっちだよ」
「だよね。絶対あの街でご飯食べれないや」
「おれも!」
「どんなカルボナーラだよって」
「ねー?あ、エビチリ食べよ?」
「小籠包も捨て難いな」
「食べよ。食べきれなかったら持って帰ろ」
「いいね」
もう一度乾杯をして、2人で笑う。涼くんの笑顔は綺麗だった。
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