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しおりを挟む「食べないのか?」
いや、食べられる訳ないだろ。どんだけ肝が据わってんだこの人。
背中に汗をかきながら、ちらりと成瀬さんの手元を見る。
綺麗にお箸を持って、淡々と食べ続けている。食べてるというか、消えていく。
さっき結構な量取ってなかったっけ?
目の前でクルクル回る中華テーブルが、おれの目を回していく。
「春日部くん、中華は苦手だったかな」
向かい側に座る白髪の混じった髪の毛が少し揺れた。
この人は、塾長で、一番偉い人だ。なんでこんな人と食事をしているのか分からない。
緊張しすぎて吐きそう。
「あ、いえ、あの、緊張してます!正直こんなところで食事をしたことがないのでマナーが!わかりません!すいません!」
「素直で面白いよね、キミ」
「春日部は変に言葉を飾ったりしないので、そういうところも生徒に人気があります。多感な時期に嘘偽りのない大人と出会うのは、生徒にとっても貴重だと思ってます。私にはできないので、見習わないといけないですね」
いきなり褒められて、仰天してしまった。
顔をまじまじと凝視する。
何事もなかったかのように淡々として、春巻きを口に入れていた。
ほんとに、食べ方綺麗だなこの人。
「成瀬くんは機械みたいに正確だからね。無駄がないし。それがいいという生徒さんも沢山いるよ。春日部くんは今何歳だっけ?」
「25です!すいません!」
「お前、大丈夫か?緊張しすぎだろ」
「な、成瀬さんがおかしいんですよ!塾長がいんのによくまぁそんだけ食べれるな!」
「一旦落ち着け」
「無理ですよ!おれ、契約終わるんですか?おれ、あの、何かしましたか?」
「・・・お前、おれの渾身の褒め言葉を聞いてなかったのか?」
塾長が吹き出した。
肩を震わせて俯いて笑っている。
あ、やばい、おれ、間違えた・・・。
「いや、あの、最後だから褒めてくれたのかと・・・」
「とりあえず水を飲め」
「・・・はい」
「面白いよねー、2人とも。僕はね、勉強だけが大事なんて思ったことないんだよね。癒しも必要でしょ?人によって癒やされ方は違うけど、絶対に春日部くんみたいな人が必要な生徒さんもいると思うんだよ」
「私もそう思います。ただ、少しネガティブな印象で捉えがちなことが多いので、そこは時々呆れますが・・・」
「うんうん。そうだね。僕は契約が終わる人に自分の好きなお店を紹介したりしないよ。今春日部くんは非常勤でしょ?他の塾でもコマを持っているよね」
「はい!すみません!持ってます!すいません!」
「いや、何を謝ってんだお前・・・。普通のことだろ。おれも以前はそうだったし、塾長だってそうだったぞ」
「いやでもなんか、すいません!」
「いやいや、悪いことじゃないよ。だって生活もしていかなきゃならないしね。で、本題なんだけど、うちで常勤で働かない?」
さらっと言われて口が開いてしまう。
バシッと頭を叩かれて我に返った。
成瀬さんが心底呆れた顔でこちらを見ていた。
「春日部くん、奨学生だったよね」
「は、はい、あの、一応・・・新聞奨学生でした・・・」
「多分、ご苦労なさったと思うんだ。大変だからね」
「あ、で、でも!すごくいいところだったんで、なんとか・・・お、あ、僕がいたところは、ですけど・・・。とにかく、大学は行きたくて・・・」
早起きも、学校も、少し慣れてきた頃に和多流くんと会ったんだっけ。
新聞奨学生だって話したら、かっのいいねって言ってくれたんだった。
大変だったけど、そればっかりでも、なかったな。
「春日部くんが最年少だったよね」
「はい。何人か入ってきましたけど、すぐ辞めていきました。私の指導も厳しかったのだと思います。塾長にも主任にも、ご迷惑をおかけしました」
「うん、そうかもね。でも僕はそれについて悪いことだとは思わないよ。だって人の一生を左右することに関わってるからね、僕らは。途中で放り投げられても困っちゃうからね」
「でも春日部は残りました。どんな生徒の言葉にも耳を傾けて、よく見て、細心の注意を払って話を引き出し、ケアをしてます。関わりを持とうとしています。私にはできません」
「え、でも、成瀬さん、すごく人気じゃないですか・・・」
「授業だけだ」
「でも、」
「おれは、お前にしかできないことだと思っている。いい加減素直に受け入れろ。自分のこと、もっとちゃんと理解しろ」
強く言われて、何も言い返せなかった。
それと同時に胸が苦しくなって、顔が、体が熱くなって、目が痛むように熱くなった。
堪え、何度も頷いた。
尊敬している人にこんなこと言われて、なんと言えばいいんだ。
ありがとうございます、も違う気がする。もちろん、否定することも。
頷くことしかできなかった。
「成瀬くんがここまで言うんだから、大丈夫だね」
「はい」
「主任にはね、僕からもう話してあるから。というか成瀬くんが主任に話して僕のとこにきたんだけど。・・・やってくれるかな?」
「・・・は、はいっ。やります。もっと、しっかり、やります。やれます」
「お前は十分しっかりしてる。・・・少し席を外します。2人で話すこともあるでしょうし。一旦失礼します」
成瀬さんは立ち上がり、ドアの方を向いた。
その時、少しだけ笑ってくれた。
ドアが閉まると、塾長が言う。
「欠員が出たんでね、どうしようかって話をしてたら、成瀬くんが春日部くんを推薦してくれたんだよ。びっくりしちゃった。だって彼、あまり人のこと褒めないじゃない?」
「・・・はい、褒められたこと、ないです。でも・・・ちゃんと、面倒見てくれてるの、分かるから・・・」
「だからね、成瀬くんが言うなら間違いないし、主任もね、春日部くんなら生徒に慕われてるし、若いから生徒の気持ちの理解もできるんだねって話しててね。おじさんになると、どうしても自分の頃と比べちゃうからさ」
「・・・僕でいいんですか?嬉しいけど、他にも優秀な先生が、いるから・・・」
「優秀だからって生徒の気持ちに寄り添えるかと言ったら、それは違うよ。成瀬くんは勉強を教えるのはピカイチだけど、彼も人だからね。切り捨てる時は容赦ないよ。無理だと思ったらクラスも落とすし。それは他の先生もそう。きっと春日部くんもそうなっていくのかな。でもさ、本質って変わらないじゃない?それに期待してるよ」
「・・・本質、」
「うん。成瀬くんはダメだと思ったら切り捨てるけど、根性のある子は見捨てないでしょ。根はね、優しくて面倒見がいいんだよ」
「・・・はい」
「頑張ってね」
「はい」
膝の上でぎゅっと拳を作る。
成瀬さんの期待を、裏切りたくない。
自分のこと、信じてやりたい。
「あ、今日はごめんね、主任が不在で。都合が悪かったんだ」
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「また別の席を設けよう。さて、成瀬くんを呼んでこよう」
「僕、呼んできます」
席を立ち、部屋を出る。すぐに見つけた。壁に寄りかかって、腕を組んでいた。
「先輩、」
「ん」
「え、」
手を差し出された。こんなこと初めてだった。
緊張しながら手を出すと、しっかり握られた。骨張った大きな手だった。
「これからもよろしく」
「・・・は、はい、はい・・・!」
「・・・ふ、お前、かわんねぇな」
「え?」
「汗びっしょり」
手が離され、ぷらぷらと目の前で手を振られた。
あ、そうだ。確か、入ったその日に、握手したんだ。
その時も緊張しすぎて汗だくだった。手汗がひどかったな。
おれ、かわんねぇんだな。
つい笑うと、額を叩かれた。
襟元を引っ張られ、部屋に戻る。
あぁ、もう、頑張ろう。頑張って、頑張って、それで・・・おれも、誰かを勇気づけよう。
おれが成瀬さんにしてもらったみたいに。
「涼くん」
食事会が終わって、成瀬さんと塾長と別れた後和多流くんに連絡をした。
ぼんやりと駅のロータリーで待っていると、車が来て窓が開き、声がかかった。
ノロノロと近づいて助手席に乗り込む。
「お疲れ様」
「・・・ありがとう、和多流くんも、お疲れ様」
「で、いい話だった?昇進?あ、塾の講師ってそうは言わないのか」
「・・・なんで分かるの?なんで?」
急遽食事会が決まったので、その時点で和多流くんには連絡していた。
なぜ食事会に呼ばれたのか分からず、かなりパニックになって電話した。クビになったらどうしよう、おれ何かやったかもしれない、などなど。かなり、かなりパニックになっていた。
「えぇ?分かるよ。だって涼くんだもん」
「・・・な、なんで、そんな、分かるのさ。おれ、おれ、」
「分かります。涼くんは真面目だよ。優しいし、生徒思いだよ。きっといい話だろうなって思ってた。で、詳しい内容は?」
「・・・常勤になった」
「・・・え、ってことは、他のところ辞めるってこと?」
「う、うん・・・。コマ数はまだ、確定してないんだけど・・・」
「よかったね。おれも嬉しい。おめでとう」
「・・・うん、ありがとう。できるかな、おれ・・・ちゃんとさ・・・でき、」
「できる」
強く、強く言われた。
先程の成瀬さんの比じゃないくらい、強く。
びっくりして、肩が跳ねる。
「できるに決まってる」
「・・・自分のこと、信じられない、かも、しれない」
「うん、いいよ」
「え?」
「おれが信じてるから」
なんでもないように言うから、驚いて声も出せなかった。
不思議そうにおれを見て、首を傾げる。
「涼くん?どうしたの」
「・・・なんで、信じられるの・・・」
「だって、涼くんだし・・・」
「おれだからって、」
「信じてるよ。知ってるもん、おれ。涼くんがすごい頑張って奨学生で大学入って、毎日朝早いのに弱音も吐かないで配達して、勉強して、教職とって・・・むしろ、どうしたら疑えるの、涼くんのこと」
あ、どうしよう。
どうしよう、目が、熱い。喉の奥も震えてる。
「きっと、涼くんの話を聞いて頑張ろうって思う人もいるし、こんな方法があるんだって発見する人もいると思うよ。大学に進学する方法だってたくさんあることを知らない子は多いと思うし。知りたい子もいると思うから、教えてあげた方がいいよ。だってさ、勿体無いでしょ。知らないでいるの」
「・・・んっ、」
「おれ見てたよ。ずっとずっと、見てたよ。本当はね、すっごくすっごく、助けたかった。でもさ、違うよね。そんなことしたら、涼くんは頑張り続けることができなかったと思う。今の仕事に、ついてなかったと思う。涼くんかっこいいよ。全部自分でやり遂げた。だからね、おれ、信じてるんだ。涼くんのこと」
「ゔん・・・!ゔ、うっ・・・!」
「・・・自分のこと、信じられなくていいよ。でも、おれのことは信じて。ね?」
「うん、うん・・・!和多流くん、おれ、おれ・・・!」
「おめでとう。よかった・・・よかったね」
「お、おれ、おれ、成瀬さんに、ほ、ほめて、もらったのに、自信なくて、でも、わ、和多流くん、和多流くんに、信じてもらえるのが、嬉しい、嬉しい・・・!安心、する・・・!」
憧れの先輩に褒められた時には我慢できた涙が、今はもう我慢が利かなかった。
ぼたぼたと涙が落ちて、スラックスを濡らしていく。
優しく頭を撫でられた。
この手、ずっと、そばにあったな。
挫けそうになる時に、いつも撫でてくれてた。
自分から求めたことだってあった。
それくらいおれを安心させて、勇気づけた。
成瀬さんの時より大きな勇気だった。
少しだけ、ほんの少しだけ、自信が出てきた気もする。
大事にしなくちゃ。大事に、育てなきゃ。ようやく生まれたんだから。
ずっとずっと胸の奥底に押し込めて眠ってた、この気持ちを、大事にしなくちゃ。
「和多流くん、ありがとぉ・・・」
「んー・・・なんも、特別なことしてないんだけどなぁ・・・。ていうか、当たり前だよ。涼くんのこと信じるの。ずっとそばにいたんだもん」
「あ、あははっ!ありがと・・・!和多流くんがいて、よかった・・・よかったぁ・・・!」
抱きついて、首筋に顔を埋める。
背中に大きな手がまわって、しっかり抱きしめてくれた。
頑張ろうって、また、強く思えた。
******************
「りょーおーくん」
仕事が休みだったので部屋にこもっていたら、ドアが開いた。
振り返ると、和多流くんが笑っていた。
「勉強?」
「あ、うん。おれ、塾の方中心に教えてたけど、予備校にも行くことになったんだ」
「へぇー。大変だ。おれ、もう分かんないや。通っちゃおうかな」
「えー?ここで教えてあげるよ。特別授業してあげる」
「本当?じゃぁ、先生。上手なキスの仕方を教えてください」
いきなり首筋を撫でられて、体が跳ねる。
慌てて顔を見上げると、ニコッと微笑まれた。
「先生、教えてください」
「や、おれそんな、あの、」
「先生。キスの仕方。教えてください。はい」
とんとん、と唇を指差した。
わ、わ・・・!好きな人に先生なんて呼ばれたら、プレイだと分かってても、すっごく、興奮する・・・。
「ん、と・・・しても、いいの?」
「先生としたいです」
「・・・ん」
頬を包んで顔を寄せる。舌で唇を撫で、そっと重ねる。
ちゅるっと音を立てて舌を吸うと、いきなり顔を固定されて激しく口内を犯された。
ガタガタと椅子が揺れ、机に手をかけてバランスをとるけど、ぐいぐい押されて結局椅子から落ちた。
「んぎゃっ!」
「あははっ!猫みたいだ。可愛いなぁ」
「も、からかわないでよ・・・」
「焦らすのうますぎ。我慢できなくなっちゃった。唇舐めるの気持ちよかったなー」
「も、やだからね・・・こんな時間にするの、」
「え?期待した?」
「・・・!!和多流くんのバーカ!いじめっ子!!」
「ごめんごめん。いや、本当はね、めっちゃめちゃしたいよ?したいけどー・・・先に、これ」
いつの間にか机の上に白い箱が置いてあった。
キョトンとしていると、改めて手渡しされる。
「はい。お祝い」
「・・・あ、ありがとう。ケーキ?」
「そ」
「あ、わ!シュークリームだ!やったぁ!おれクリームいっぱいの、好きなんだ!へへ」
「うん。知ってる」
言ったことないのに、知ってるんだ・・・。
あまり深く考えないようにして、箱から取り出してかぶりつく。
んまっ!やっぱクリームいっぱいじゃないとね。
カシャっと音がして和多流くんを見ると、ニコニコしながら写真を撮っていた。
「え、何?やめてよ」
「可愛いからつい・・・。ね。やっぱ、したい」
「えっ!?あ、」
「食べてていいよ。勝手にしてていい?」
「・・・や、やだよ・・・するなら、ちゃんと・・・その、」
「でも、この時間は嫌って・・・」
「だから、その・・・こ、これ以上、意地悪言うならしないから!絶対、しないから!」
「えー!ひっでぇ・・・そりゃないよ・・・ちんこいたーい」
「ち、ちんことか、言わないでよ!」
「あーあ。バッキバキなのになぁ。どうしよ、これ」
「・・・意地悪言わないなら、いいよ」
「言わないよ。言ったことないもん」
「嘘じゃん」
「・・・うーん。やっぱね、大好きな子にはかまってもらいたいしこっちを見ててほしいからさ、意地悪言っちゃうんだよ多分。許して?」
首を傾げて言うもんだから、不覚にもキュンとしてしまった。
て、いうか、なんか、可愛いし・・・。
大好きな子って言い方も、めっちゃ可愛いし・・・。
「ね、夜はさ、ビール飲んじゃおう」
「え、和多流くん仕事は?」
「これからやって、ひと段落つけるよ。そしたら乾杯して・・・夜は楽しく過ごそう?それまで我慢する。おれ、我慢得意だから」
「・・・じゃ、おれも、我慢する・・・」
「我慢できる?」
頬を撫でられて、ゾワゾワと腰が疼いた。
吸い寄せられるように顔を寄せる。
和多流くんはくすくす笑いながら、可愛い先生だね、と言った。
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