サンスポット【完結】

中畑 道

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最終章 ウォーク・ツゥギャザー

第十二話 帰宅

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 夢を見た。長い、長い夢を。



「息吹。可愛い、可愛い息吹。私の大切な宝物」

 いつ以来だろう。母さんに抱きしめられるのは。いつの間にか母さんの背丈を抜いていたことに気付いてすらいなかった。

「お父さんとお姉ちゃんを困らせないようにね」

「わかった」

「あと、あまり女の子に恥をかかせるものではないわ」

「そうだね」

「もう行きなさい。貴方には待っていてくれる人が居るのだから」

「うん」




 微睡の中、目を擦る。覚醒する意識。知らない天井。

「おはよう」

「・・片桐・・・ここは・・病院か・・」

「そうよ。気分はどう」

「すこぶる快適だ」

「それはよかった」

 そう言って席を立つ片桐。彼女の後姿を眺めながら混乱した記憶を整理していく。

 結城、臨、たまき。彼女達が俺を止めた。ここに居る片桐も本当は俺を止めようとしていたのかもしれない。彼女達に俺は救われた。

 林檎を持った片桐が席に戻ると、それを手際よく剥き始める。瞬く間に白い実を晒した林檎に小さなフォークを刺すと、皿ごと渡された。

「食べて」

「ああ。ありがとう」

 甘酸っぱい林檎の果汁が口いっぱいに広がる。

「美味い」

「当然よ。御祖母様の差し入れですもの」

「それは随分と値が張りそうだ」

 空腹だった胃袋が満たされていく。本当に美味い林檎だ。

 完食した林檎の皿とフォークを俺から奪い取り片桐が席を立つ。そういえば部室でも片付けは片桐の仕事になっていた。彼女の後姿を見ながら自分が犯した罪を改めて考える。

 彼女を巻き込んだ。春京さんから大切な孫を、結城から友人を、臨から先輩を、俺は奪ってしまうところだった。謝らなければならない人が沢山いる。

「片桐・・・俺は・・お前を巻き込んで・・・」

「それは違うわ。これは私達二人の罪。一緒に謝りに行きましょう」

 片付けを終えた片桐がカーテンと窓を開けると、これでもかと日の光が差し込む。いつも彼女と会話をする暗い部屋がやけに恋しい。

「俺は何時間寝ていたんだ」

「何時間ではないわ。二日間よ」

「そうか・・心配かけたな」

 快適なはずだ。過去に病気や怪我でもないのに二日も寝続けた記憶などない。



「それで、お母さんには会えたの」

「ああ。沢山話したよ」

「聞かせて。どんな話をしたのか」

 優しい風が片桐の綺麗な髪を揺らす。微笑む彼女がいつもより大人びて見える。

「最初に謝られた。その後いっぱい叱られたよ」

「当然ね」


「抱きしめてくれた。俺を宝物だと言ってくれた」

「貴方は愛されているもの」


「最後に・・・」

「最後に、何」

「あまり女性に恥をかかせるなと言われたよ」

 片桐の顔が一気に綻ぶ。

「まあ素敵。流石貴方のお母様だわ」




 ゆっくりと時間が流れる。片桐が淹れてくれた珈琲の香りが心を落ち着かせてくれる。

「ねえ息吹君。貴方、私に言うことがあるのではなくて。お母さんにも言われたのでしょ。あまり女性に恥をかかせるなと」

 折角珈琲で心身共に落ち着いていたのに心拍数が一気に上がる。もう少し待ってくれてもいいものを。

「ああ・・・まあ・・その・・・・」

「なによ、貴方らしくも無い。即決断、即行動、いつもの息吹君はどこへ行ったの」

「せかさないでくれ。俺にだって苦手なことはある」

「わかったわ。待っていてあげるから。言いなさい」

 ニコニコしながら俺の顔を覗き込む片桐。なんとも楽しそうだ。

「えっと・・そのだな・・・あれだ」

「なに」

「これからも・・俺と共に学んでほしい」

 上機嫌だった片桐の頬が膨らむ。

「なんだか違うわ。もっとはっきりと言いなさいよ。男らしくない」

 くそ。優位に立った片桐は本当に厄介だ。入部届を持ってきたときもこんな感じだった。

「傍に居て欲しい。共に歩んでくれないか」

「まあ、息吹君にしては上出来ね。わかりました、貴方の彼女になってあげます。ただし、条件が三つあるわ」

「言ってくれ」


「一つ目。これからは私のことを志摩子と呼ぶこと」

「わ・・わかった」


「二つ目。お母さんの命日にはお墓参りに必ず私を連れて行くこと。もし他の女にうつつを抜かすことがあったら言いつけてやるんだから。覚悟してね」

「おお・・了解だ」


「三つ目。これは条件と言うよりも努力目標ね」

「ああ、努力で何とかなる事なら何でも言ってくれ」

 部屋には二人しかいないのに彼女は口に手を添え俺の耳元に持ってくると小声で言う。

「出来るだけ早く私の処女を奪うこと」

「お・・お前・・」

 顔を赤くした俺を見て志摩子が恥ずかしそうに笑った。

「自分で恥ずかしがるなら言うなよ」

「だって、言わないといつまで経っても手を出してきそうにないのだもの」

「お前なあ・・・」

 志摩子が噴き出す。そんな彼女を見て俺も噴き出す。二人でケラケラ笑った。

「嬉しい・・息吹君が笑ったの・・・初めて見た」

「そうか・・俺ってそんなに笑っていなかったのか」

「ええ。でも、これからは沢山笑顔にしてあげる。だって、息吹君が笑った顔、想像していたより何倍も可愛いもの」

 そう言って笑った志摩子の顔は、女神のように美しい。マドンナと呼ばれるのも納得だ。




「大事な話は終わったかい」

「と・・父さん」

 聞かれた・・・女性への告白を・・・・実の父親に・・・これは確実にトラウマになる。

「こんにちは、志摩子さん。君とは長い付き合いになりそうだね」

「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ。息子をよろしく頼むよ」

「お任せください」

 俺の気持ちなど構うことなく打ち解けあう二人。もうどうにでもしてくれ。



 話の弾む二人を尻目に病院を出る準備を始める。病気ではないので目を覚ませばすぐに退院だ。
 
 大した荷物も無いので片付けは十分とかからず終わった。学生服に着替え手続きの為ロビーに向かうと志摩子を迎えに来ていた春京さんと塔子さんの姿が目に入る。
 手続きを父さんに任せ二人のもとへ向かった。

「春京さん、塔子さん。この度は大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる。以前、春京さんから自分に頭を下げるなと言われたが今回はそうもいかない。春京さんと塔子さんの大切な身内を危険に晒したのだ。今回のことで春京さんも俺の見方が変わっただろう。

「もう大丈夫ですか」

「はい。ご心配をおかけしました」

「では、私ごときが息吹さんに意見することを、一つだけお許しください」

 全然変わっていない。

「どうか、自分の価値を見誤らないで下さい。もし、貴方様が自ら命を絶ったならば、私も後を追います。殉死いたします。これは脅しではありません。老害の戯言と思っていただいて構いません。ですが、私の想いを、ほんの少しでもお心内に留めていただければ、これに勝る喜びはありません。どうか、どうかご自愛ください」

「わ・・わかりました。今後このような事は二度と起こしません」

 完全な脅しだ。微笑んではいるが、相当怒っている。この人を敵に回してはいけない。



「ところで志摩子。首尾の方は」

「はい、御祖母様。やりました。私、遂にやりました」

「本当。本当に息吹さんと・・」

「はい。片桐志摩子は息吹君の彼女になりました」

「ああ・・なんと素晴らしい。これはお祝いしなければ。塔子さん、すぐに戻ってご馳走を用意しましょう。そうだわ、臨ちゃんと武志君も呼びましょう。律ちゃんも呼ばないと。 ああ、長生きはするものですね」

「御祖母様。まだまだこれからですよ。私のウエディングドレスも見ていただきたいですし、ひ孫も抱いていただかないと」

「まあ・・なんと素晴らしい未来なのでしょう。生きる活力が漲ってくる。こうなったらとことん長生きしてやります。それでは息吹さん、所用が出来ましたので私共は失礼させていただきます」

 美しく一礼すると、塔子さんと志摩子を引き連れ颯爽と去っていく。

 賢くて優しい人だ。言いたいことは言いつつも、話題を変えてからは嵐のようにまくしたて終始明るく振る舞う。本当の気遣いを学ばせてもらった。

「帰ろう。息吹」

「ああ」

 帰ろう。もう一人の愛する家族が待つ家へ。




 警察車両で病院へ搬送中に姉さんは目を覚ましたらしい。目覚めた直後は随分と取り乱したようだが、俺の無事を知り落ち着きを取り戻したとのこと。念のため一晩病院に泊まって翌日には父さんと家に帰った。

「皐月。息吹が帰って来たぞー」

 二階からドタバタと音がしたかと思えばしばしの静寂。姉さんは面倒くさそうにゆっくりと階段を降りて玄関に向かってきた。

「お父さん、洗濯物は籠に入れておいてよ」

「了解」

「あと、息吹。昨日お父さんと相談して家事は分担することに決めたから。お父さんがゴミ出し、息吹はお風呂掃除ね」

「わかった」

「洗濯とご飯は今迄どおり私がしてあげるわ。息吹やお父さんにご飯なんて作らせたら何食べさせられるかわかったものじゃないし、私の下着を男どもに触らせるなんて想像しただけで虫唾が走るもの」

「そうだね」

「それと、これからは自分の部屋は自分で掃除しなさい。息吹にだって私に見られたくない物の一つや二つはあるでしょ」

「ああ」

 フン、とそっぽを向き不機嫌そうな姉さん。そんな姉さんが可愛らしく見える。

「姉さん」

「何よ」

「ただいま」

 次の瞬間、姉さんの頬を一筋の涙が伝う。慌てて俺に背を向け両手で目をゴシゴシと擦る姉さん。

「おかえり」

 目を真っ赤にしたまま微笑む姉さん。子供の頃、いつも見せてくれていた、本当の笑顔。俺は姉さんに歩み寄り抱擁する。

「ただいま。姉さん。大好きな姉さん」

「わ・・わかったから。離しなさい。気持ち悪い」

 口ではそういうものの、まったく抵抗しない姉さん。

 今日の姉さんは本当に可愛い。

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