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最終章 ウォーク・ツゥギャザー
第四話 崩壊
しおりを挟む二度目とはいえ、この雰囲気には慣れない。私達を拒むようなに聳える『ニュー松原』それでも躊躇なく足を踏み入れる。彼を失うより怖いものなど私には無い。
談話室という名の物置兼皐月さん専用個室に入ると彼女は不機嫌そうに顔を向ける。
「久しぶりね、片桐さん。もっと頻繁に連絡をくれると思っていたのに」
「すみません。携帯電話を持っていないもので」
本当の理由ではない。私は皐月さんを信用していない。
「これは片桐さんの携帯番号ではないの」
「はい、紹介します。竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の部員で同級生の結城律子です」
私の背に隠れるように付いて来た律子がヒョッコリと顔を出す。
「初めまして。結城律子です」
律子にしてはおとなしい挨拶だ。この店と皐月さんの雰囲気に吞まれている。
「もう一人も竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の部員で一年の立花臨です」
私の背に隠れていた律子の更に後ろから臨が姿を見せる。
「初めまして。立花臨です。りんは臨時の臨です」
臨は存外度胸がある。紹介すると礼儀正しく頭を下げ、いつもの調子で挨拶をした。
「初めまして。私は息吹の姉の皐月、みんなの先輩でもあるから緊張しなくていいわ」
互いに自己紹介を終えたので皐月さんの正面に座ると、私の両サイドに律子と臨が陣取る。
「珈琲でいいかしら」
「はい」
皐月さんが席を立ちインターホンで注文すると、一旦談話室から出ておしぼりを三つ持ってきた。
「顔を拭きなさい。あなた達、酷い顔よ」
「あ、すみません」
慌てて三人でごしごし顔を拭く。
「それで、何があったの」
今日病院であった出来事を皐月さんにありのまま伝える。彼女は肘を付き、頭を振って大きなため息をついた。
「どうして・・・あれほど・・私もお爺ちゃんも・・勝手に行くなと言っているのに・・」
理事長と皐月さんが、彼と母親を出来るだけ接触させたくない気持ちは分かる。だが、彼の足に枷を掛ける事は出来ない。
「皐月さんは、息吹君が部室で毎日何をしているか知っていますか」
「宿題をしたり本を読んだりしているのでしょ」
「ええ、ですがもう一つ。彼が毎日欠かさない日課があります」
「息吹が欠かさない日課・・・」
「筋トレです」
皐月さんの目が見開く。信じられないことを見たり聞いたりしたときの反応だ。
「嘘・・私が処分させたのに・・・お爺ちゃんは何をしているの・・・・」
なるほど。竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の特殊な環境が裏目に出たのか。大人が近寄らない環境を彼に利用されたのだ。
「私達はこれ以上息吹君を放ってはおけません。どんな手段を使っても、あんな悲しい筋トレは止めさせます。たとえ彼に嫌われても、彼と母親の関係は正常ではないと訴えます。全て教えてください。彼と母親がどうして今の様になってしまったのか。それと・・・」
ショックを隠せない皐月さん。だが、同情などしない。私は厳しい眼光で問い詰めるように言う。
「あなた達姉弟が、どうしてこれ程歪な関係なのかを」
本当に、ただ、運が悪かった。
息吹が小学四年の秋、その日シャープペンシルの芯を切らした息吹は学校の帰りにコンビニへ寄った。普段ならば家に帰ってから近くの文房具店へ足を運ぶのだが、なぜだかその日はコンビニへ寄った。理由などない。ただ、なんとなく。
コンビニに入ってすぐに文房具の商品棚でシャープペンシルの芯を物色する。いつも使っているのと同じ物を手に取ったところで店の出入り口が騒がしくなった。息吹はシャープペンシルの芯を一旦棚に戻し何事か確認しに行く。
そこでは大捕物が行われていた。三人の小学生が大勢の大人に取り押さえられている。どうやら店の関係者が複数で一般客に化け張っていたらしい。余程万引きの被害が酷かったのだろう。体を押さえつけられたまま顔を上げた小学生の一人と目が合った。
それがクラスメイトだったことに息吹は驚く。
「入間川・・・」
「なに、お前も仲間か。取り押さえろ」
あっという間に組み伏せられる。
「違います。俺は買い物に来ただけです」
「黙れ。直ぐに警察へ突き出してやるから、言い訳はそこでしろ」
店側も興奮している。今、何を言っても取り合ってもらえないと思った息吹は警察で説明することにした。
誤解は直ぐに解けた。店側は平謝りするが息吹はそれ程腹を立てていない。あの状況では疑われても仕方がない、運が悪かったのだ。
警察から学校に連絡が行き、教師と親が警察に向かっている。本来無罪放免の息吹は教師を待つ必要などないが、連れられてきた警察署は学区から離れた場所にあり、小学四年生が歩いて帰れる距離ではない。仕方なく息吹も万引きをしたクラスメイト達と待つことにした。
最初に現れたのは教師三人。教頭とクラス担任の早川先生、そして学年主任である息吹の母親、入間川美月。教頭と美月が警察と店の関係者に事情聴きながら何度も頭を下げ、クラス担任は目を血走らせながら罪を犯した三人に熱弁を振るっている。離れた席に座り、息吹だけが蚊帳の外だった。
暫くしてクラスメイトの親たちが一人、また一人とやって来た。警察に捕らわれた我が子を見て泣き叫ぶ母親、今にも殴り掛かりそうに怒号をあげる父親、クラスメイト達は今更ながら事の重大さを知り蒼褪める。当然だ。彼らはいたずら半分だったかもしれないが窃盗は犯罪であり、店側があれ程の人員で見張っていたことを考えると今迄に相当の被害を与えているのだろう。お灸をすえられる程度では済まない。店側は過去に遡り損害を請求してくるだろうし、学校や近所にも知れ渡り彼等とその家族はこれから大変な思いをする。なんて馬鹿なことをしたのだと息吹は冷めた目でクラスメイト達を見ていた。
一時間程で一旦話は決着する。損害に関して学校は関知せず店と親達で後日話し合うことになった。クラスメイトと親たちは今後について話し合う為学校に向かうことになり、息吹も同伴する。それから一人で帰ることになるのだろうと息吹は考えていた。
学校の職員室に着くと教頭が息吹を家に帰らせるよう、母親である学年主任の美月に言う。これから長時間の説教が始まるのだろうが、部外者の息吹には関係ない。
「いいえ。入間川君も居るべきです」
美月は学校で息子を息吹とは呼ばない。
「彼は不運にも巻き込まれただけです。ここは私と早川先生に任せて、入間川先生は母親に戻って息吹君を帰宅させてください」
「よろしいのですか」
「ええ、息吹君もこんなことに巻き込まれて疲れたでしょう」
「分りました。では、母親に戻らせていただきます」
美月は息吹のもとまで来ると、おもいっきり頬を張った。息吹は生まれて初めて母親にぶたれた。
「この大馬鹿者が」
職員室は水を打ったように静まり返る。教頭とクラス担任、万引きをしたクラスメイトもその親達も美月の行動が理解できない。
「寄り道は禁止」
もう一発頬を張る。
「なぜその程度のルールが守れない」
更に頬を張る。慌てて教頭が止めに入った。
「何をしているのですか入間川先生」
「今は先生ではなく母親です。躾に口を挟まないでいただきたい」
「やり過ぎです。こんなものは躾ではない、暴力だ」
教頭と美月が怒鳴り合いを始める。互いの主張を変える気は全く無く、どんどんヒートアップしていく。見かねたクラス担任が携帯電話で入間川家に連絡し、父親が来るまで怒鳴り合いは続いた。
クラスメイトとその親達は、まだ小学四年生の子供を全力で引っ叩く教師に、母親に戦慄を覚える。息吹だけがその場を冷静に眺めていた。
翌日、美月は学校に辞表を出す。辞表を出したからといって直ぐに辞められるわけではない。教師の補充もしなければならないし引継ぎもある。協議の結果一ヶ月後の退職が決まったが、美月は最低限の引継ぎ以外その一ヶ月間の殆どで有給休暇を使った。
辞表を出してから美月は息吹を徹底的に監視するようになる。毎朝同じ時間に起床させ、同じ時間に洗顔や歯磨き朝食を摂らせる。学校へは校門まで一緒に登校、下校時には校門で待ち伏せし一緒に帰宅する。今迄は別の小学校で働く父親の帰りに合わせていた夕食も毎日同じ時間に変った。
午後九時までは自由時間、ただし宿題が終わっていれば。その後風呂に入り歯を磨いたら十時に就寝。一時も生活の乱れを許さない徹底した管理。少しでも気が緩めば容赦なく手をあげる。姉の皐月には一切せず、息吹のみを徹底的に管理した。
当然父親は止めさせようとする。あまりの変貌ぶりに病院で診察を受けるよう持ち掛けてもみるが美月は聞く耳を持たない。それ程美月の行動は常軌を逸していた。
来る日も来る日も父親と美月は話し合い、その度に意見がぶつかる。父親はいつしか美月の説得を諦め、陰で息吹を助けることに専念するようになる。休日に連れ出して美味しいものを食べさせたり、子供が楽しめる施設へ行ったりして少しでも息吹のストレスを発散させようとした。
それが美月は気に入らない。いつしか二人は会話することも無くなり、遂には離婚することとなる。クラスメイトが万引き事件を起こして半年後のことだった。
離婚に際して美月が求めたものは息吹の親権。慰謝料も養育費も求めなかった。父親は皐月の親権と条件を付け美月の要望を受諾する。その条件とは、中学を卒業するまで月に一度双方の家に子供達を泊まらせること。結果、息吹は毎月第二週の土日、皐月は第四週の土日に泊まりに行くこととなった。
せめて月に一度でも息吹に自由を与えてやりたいと思った父親の苦肉の策だった。
息吹と違い既に思春期を迎えていた皐月にとって突然の家族崩壊は簡単に受け入れられるものではなかった。明るい性格で常に会話の中心にいた皐月が目に見えて落ち込んでいる姿に、父親は何度も心の中で詫びた。
離婚して一カ月、互いの家を行き来するようになったころから皐月は漸く元気を取り戻し始める。今度息吹が来た時には美味しいものを作ってびっくりさせたいと料理を始めたり、月に一度しか使用されない息吹の部屋を綺麗に保っておいてあげたいと掃除をしたりする姿に父親は安堵する。
月に一度やってくる息吹は新しい生活を父親に話す。生活の為塾の講師を始めた美月が以前の様に学校の下校時に校門で待つことはなくなったと聞いたとき父親は大層喜んだ。共に暮らすことは出来なくなってしまったが、数年もすれば精神的にも体力的にも美月が息吹を押さえ続ける事は出来なくなる。美月にも変化が表れてくるのであればもう一度話し合いをしたいと父親は考えるようになった。
離れて暮らすようになってから四カ月。この生活にも慣れ始めたころ、美月と息吹が暮らすマンションに泊まる予定だった皐月が夜帰って来た。友人との予定が急遽入ったとのことで、父親は大して気にも留めなかった。この年頃の子供が家族より友人を優先するのはいたって普通のことだ。
翌月、皐月は美月と息吹が暮らすマンションへ行かないと言う。夏休み最後の日だから新学期の準備があるとのこと。ここで漸く父親は何かあったと気付く。新学期の準備をぎりぎりまでしていないのは要領の良い皐月らしくない。そういえば二週間前息吹が来た時もこれまで程はしゃいでいなかったような気がする。父親が問い詰めると皐月は少し震えながら重い口を開いた。
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