サンスポット【完結】

中畑 道

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第三章 パーフェクト・マザー

第十五話 援助

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「塔子さん、ありがとう。塔子さんは俺に全てを与えてくれる」

「大げさね、立花君は。それより抱いてあげてよ」

「うん。だ、大丈夫かな」

「初めまして赤ちゃん。私がお母さんの塔子です。この人がお父さんよ」

「わ、動いた。見てよ塔子さん。俺の指を握っている」

「当り前じゃない。もう」

「可愛い。可愛すぎるよ俺達の子は。決めた、この子の名前は天使だ。立花天使だ」

「駄目よ。そんなキラキラネームでは、この子が将来苦労してしまうわ」

「えー、駄目かな。どこからどう見ても天使にしか見えないよ」

「だったら、こんな名前はどう。『臨』私達に降臨した天使。天使降臨の臨」

「それだよ、塔子さん。立花臨、決まりだ」

「臨ちゃん生まれてきてくれてありがとう。これからよろしくね」

「臨。最高の名前だ。俺と塔子さんの天使の降臨だ」




 片桐邸へ向かう道中、立花塔子は臨の手をずっと握っている。この手を放してなるものかと大切に、それでいて臨が痛がらないように細心の注意を払って。

『御祖母様、只今戻りました』

 インターホンで帰宅を知らせ門を潜る。玄関を開けると武志が立っており、半歩後ろで結城と春京さんが見守っていた。

「武志・・・」

「お母さん・・・」

 漸く臨の手を離した立花塔子が武志に近付こうとしたところで武志が話し始める。

「お母さんは、もう俺達のことが嫌いになったの」

 武志は震えていた。俺達の前でグッと耐え、一度も流さなかった涙がボロボロ零れ落ちる。

「お母さんは、俺達がいない方が幸せなの」

 一度決壊した涙腺を止めることは出来ない。

「う・うぅぅ・・えーん・・うえぇーん」

 嗚咽する我が子をたまらず母親が抱きしめた。

「ごめんね、ごめんね、武志。ずっと寂しい思いをさせて。武志とお姉ちゃんは、お母さんの宝物だよ。嫌いになんて絶対にならない。絶対に離さない。私を二人のお母さんでいさせて」

 片桐と結城、臨も泣いている。やっと家族が元の形に戻ったのだ。




「志摩子。皆さんと部屋で待っていて。私は塔子さんに少しお話があるので」

「わかりました」

 春京さんが武志に抱き付いている立花塔子の隣に立つ。

「久しぶりね、塔子さん」

「会長・・」

「今後について少し話をしましょう」

「はい」

 春京に連れられた母親の背を臨と武志は心配そうに眺めている。

「息吹君が御祖母様に貴方達のお母さんのことは頼んでくれたから、心配しなくても大丈夫よ」

「どうして部長が?春ちゃんは片桐さんのお祖母さんなのに」

「武志君。御祖母様は息吹君には絶対服従なの」

 武志が俺を睨みつける。

「部長。春ちゃんは友達だ。酷いことするなら俺が許さないぞ」

「違う、違う。片桐も誤解を受けるような言い回しをするな」

「ふふふっ。ごめんなさい、武志君。御祖母様は息吹君の大ファンだから、彼のお願いなら何でも聞いてくれるよ。ところで、武志君と御祖母様はお友達になったの」

「うん。俺だけじゃないよ。律ちゃんも」

「そうだよ。さっきも三人でケーキ早食い競争をしていたんだ。勿論優勝は私。春ちゃんの鷲掴み一気食には肝を冷やしたけれど何とか逃げ切ったよ。武志はちょろかったけど」

「なんだとー」

 結城と武志がふざけ合う横で片桐がつぶやく。

「御祖母様がケーキを鷲掴みで。信じられないわ・・・・」

 同意する。本当に春京さんは掴みどころのない人だ。

「さあ、私の部屋で待ちましょう」

 片桐が臨の背中にそっと手まわす。ふざけ合いながら結城と武志がそれに続き、そんな四人を最後方で眺めながら俺も歩を進める。

 ここからはガキの俺では口を出せない世界だ、大人に頼る他ない。春京さんならきっといいように取り計らってくれる。この姉弟から笑顔を奪うようなことは絶対にしない。





「これから、どうするつもり」

 片桐グループのような規模の会社で会長と一社員が話す機会など殆どない。立花塔子も片桐春京と話すのは初めてだった。

「働きます」

「当てはあるのですか」

「ありません。職安で探します」

 塔子にとっての最優先事項は臨の健康回復だ。その為には一日でも早く収入を得る必要がある。選んでなどいられない。

「三年も引きこもった四十路女に条件の良い働き先が簡単に見つかるとでも」

 辛らつな言葉だ。だが事実でもある。塔子もそんなことは百も承知だった。

「仕事内容は何でも構いません。職安によい仕事が無ければ、当たれるものは全て当たります。最悪、夜の・・」

 バン!

 春京が立派な座卓に平手を打ち付ける。その音に塔子が背筋を伸ばす。

「それで、あの子たちをまた悲しませるのですか」

 春京の言いたいことは塔子にも分かっている。だが時間が無い。

「臨の健康状態を回復するのが最優先です。他の問題は全て後回しで構いません。とにかく、今はあの子の健康を取り戻さなければならないのです」

「その通り。第一優先は臨ちゃんの健康回復。そこで提案があるの」

「提案ですか」

「ええ、貴女、家で働かない」

「片桐印刷でと言うことでしょうか」

「違うは、この家でよ。この家には今、私と孫の二人で住んでいるの。私もこの年になると管理が大変で」

「・・・・・・・・・」

「掃除だけでも一苦労、最近じゃ庭の手入れもさぼり気味で。だから貴女、家で働いてくれない。お給料は三人で十分に暮らせて、臨ちゃんや武志君が大学に進学しても困らないように準備するわ。片桐グループの従業員として扱うから福利厚生も心配いらない。時間は・・そうね、武志君はまだ小学生だし色々と家の用事もあるだろうから、月曜から金曜の十時から十五時くらいでどうかしら。そのあたりは追々考えていけばいいわ」

 春京の出した条件は破格だ。ほぼ援助と言っても過言ではない。塔子はさすがに返事に戸惑う。ここまで他人に甘えていいのか迷った。

「そこまで甘えるのは・・」

 バン!

 またも春京が座卓に平手を打ち付ける。塔子は二回り以上歳の離れた目の前の老齢女性の迫力に気圧された。

「甘えなさい。今は甘えなさい」

「・・・・・・・・・」

「貴女が優秀なのは知っています。プライドもあるでしょう。でも、それはあの子達より大切なの」

 塔子にとって我が子より大切なものなど世界中探しても無い。そんなことはわかり切っている。

「お願いします。どうか働かせてください」

「よろしい。では、これは契約金です」

 和装の春京がおもむろに袖から分厚い封筒を取り出すと塔子に差し出す。中を確認すると帯封された札束が三つ。三百万だ。

「こ、こんな大金・・さすがにこれは・・」

 バン!

 三度目。それでも塔子はビクりと身を固めた。

「まずはそのお金で生活を立て直しなさい。臨ちゃんはかなり無理な節約をしていましたから、子供達の足りていないものを確認して即座に補充しなさい。紹介状を準備しておいたから臨ちゃんを一度病院でしっかりと検査もすること。武志君は野球をやりたがっているわ。道具と環境をそろえてあげなさい。慌てなくてもいいですからね。家で働くのは全て終わってからで構いません」

 塔子が片桐邸に呼ばれたとき、藁にもすがる思いで何らかの手助けをしてもらえるのではと期待した。だが、ここまで片桐グループ会長が手を差し伸べてくれるとは思いもよらない。塔子は疑問をそのまま口にする。

「どうして、ここまでして頂けるのでしょうか」

「そうね、確かに理由がわからないのは不安よね」

 塔子は首を上下に振る。子供ならまだしも大人にとって理由の分からない施しは怖いものだ。

「一つ目は私自身の落ち度よ」

「会長の・・」

「ええ、立花君・・いえ、貴女のご主人の克己さんが亡くなった後、立花家がこんなことになっていると気付いてあげられなかったのは私達の落ち度よ。四十九日も一周忌も無かった時点で何らかの確認を取るべきだった。その点については本当にごめんなさい」

 慌てて塔子はかぶりを振る。

「やめて下さい。会長に謝っていただく必要などありません」

「その会長ってやめてくれないかしら。私と武志君は友達なのよ。そんな呼び方じゃ武志君が気を使ってしまうじゃない。あと、間違っても武志君が私のことを『春ちゃん』と呼ぶのを止めさせたりしないでね。そんなことをしたら貴女のこと一生恨むわ。まったく、女の盛りをとうに超えてから次々と魅力的な男性を私の前に登場させるなんて、神様は本当にいけずなのだから」

「は、はい、かしこまりました。それでは失礼ながら春京さんと呼ばせていただきます」

「呼び方はそれで構わないのだけれど、話し方が硬すぎないかしら。親戚の叔母さんと話すくらいでいいのよ」

「そ、それは・・・」

「まあ、そのあたりも追々ね。そうそう、理由だったわよね。もう一つの理由、それがほぼ全てなのだけれど・・」

 塔子は息を飲む。どれ程の理由なのかと。

「入間川息吹様が仰ったからよ」

「入間川・・あの少年ですか」

「ええ。あの御方は、臨ちゃんと出会った翌日には、私のところへ貴女の就業について相談にいらしたわ」

 塔子から見て入間川息吹は不思議な少年だった。知らぬ間に家に入られ、気付けば口論をしていた。彼によって目を覚ますことができたと塔子は認識している。

「いままで色々偉そうなことを言ってきたけれど、本当は私も貴女に何かを言えるような母親ではないの。娘を苦しめ、孫に代償を支払わせた最悪の女。そんな私達を救ってくださり、叱っていただき、気付かせてくださったのが入間川様」

 春京は塔子に自分たちの全てを話した。これから働いてもらう為に知っておいてもらった方がいいのもあるが、それ以上に今後もし入間川に何かあった時は力になってもらいたいからだ。

 入間川を知った者が皆感じる危うさ。誰でも救ってしまう入間川を誰も救えていない現状。少しでも入間川の助けになる力は増やしておきたい。それは入間川を知っている者の総意だ。

「塔子さんは六年前、この街で起きた事件を覚えている」

「鍋島美月さんの事件ですか」

 塔子もこの街に住み、二人の子を持つ親だ。あの事件には衝撃を受けた。

「そう。あの時の被害者が・・」

「彼なのですか!」

 塔子の胸が締め付けられる。誰よりも人の痛みに敏感な少年は、誰よりも痛みを受けた少年だった。自分も一歩間違えば取り返しのつかない事態を巻き起こしていた。
 少年はふらりとやって来たかのように見せ、綿密な計算のもと事件を解決する。何の関係もない、偶然出会った迷える者は勿論、出会う前の人間さえ片っ端から救っていく。自らが傷つくことも厭わず。

 尋常ではない。いくら優秀でも、どれ程身体的に優れていても、入間川息吹は未成年なのだ。完成する前の心に負担が掛かり過ぎている。

「私も彼に、娘を、私自身を救っていただきました。何かあれば何時でも言ってください。協力は惜しみません」

「ありがとう。それではとりあえず台所へ向かいましょう」

 春京は深刻な表情から一転、十代の乙女のような笑顔を塔子に見せる。

「台所ですか」

「ええ。実は内緒で大量のジャガイモを蒸かしておいたの」

「ジャガイモを・・」

「武志君が言っていたわ。立花家の人気ナンバーワンメニューはコロッケだって」

 立花克己の大好物がコロッケだった。いつの間にか夕食にコロッケを用意した日は、克己と一緒に子供達も喜ぶようになっていた。

「サプライズよサプライズ。武志君にもばれていないから急いで揚げちゃいましょう。何か特別な食材は必要」

「いえ、一般的な材料で構いません。ただ、卵だけ多めにあれば助かります」

「大丈夫よ。ふふふっ、臨ちゃんと武志君どんな反応するかしら」

「ふふふっ、私も楽しみになってきました。あの子達の笑った顔、見られますかね」

「それは塔子さん次第ね。頑張りなさい、私も手伝うから」

「はい」

 春京と塔子は心配で待っているだろう子供達をよそに台所へ向かった。

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