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第三章 パーフェクト・マザー
第十三話 幸福
しおりを挟む「塔子さーん、伝票よろしく」
まただ、また彼が来た。
「立花さん。私を下の名前で呼ぶのは止めてください」
「だって、佐々木さんは二人て紛らわしいから」
確かに経理部には佐々木が二人居る。だがもう一人の佐々木さんは課長だ。佐々木課長と呼べばことは済む。
「塔子さんこそ俺の方が年下なんだから敬語は止めてよ。呼び方も呼び捨てでいい、と言いたいところだけど塔子さんは真面目だから難しよね。そうだ、立花君もしくは克己君、克ちゃんってのも有りだな」
子供の頃から真面目だと言われてきた。本来は誉め言葉なのに誰も褒めてなどいないのはわかっている。私が生真面目で面白くない人間なのは自分自身が一番わかっているのだ。
「用が済んだのなら仕事に戻ってください。私も暇ではないのですから」
彼に悪気は無い。それどころか人付き合いの苦手な私に助け舟を出してくれる優しい青年だ。その優しさが辛い。気付けばいつも突き放してしまっている。
「塔子さーん。この席空いている」
配送部の彼が社内食堂で昼食を摂るのは多くても週に一度。彼は必ず私を探す。
「どうぞ。丁度食べ終わったところなので使ってください」
「ちょっと待ってよ、すぐに食べちゃうから。珈琲奢るから少し話そうよ」
「結構です。年下の立花さんに奢ってもらう謂れはありません」
「年は下だけど男だから。女性には奢らせてよ」
「生憎、私は男女平等論者ですので」
「俺だってそうだよ。カッコつけさせてよ」
「立花さんの事情など知りません。お一人でごゆっくりどうぞ」
そのまま立ち去る。本当に嫌な女だ。自分でも吐き気がする。だが、長年培った性分は簡単には変えられない。
「塔子さーん。社員旅行楽しみだよね」
「私は行きません。どうぞ楽しんで来てください」
「えー。塔子さんがいないんじゃ詰まらないじゃん」
そんなことはあり得ない。私とは正反対で明るく優しい彼は人気者だ。放っておいても人が集まってくる。
「塔子さーん。これお土産」
綺麗に装飾された漆塗りの櫛。それなりに値が張るのは美容とは無縁の私にもわかる。
「頂けません。頂く謂れがありません」
「いつも迷惑かけているから。折角だから貰ってよ」
「これで少しはお前の汚い髪を整えろということですね」
彼がそんなことをしないのはわかっている。それでも嫌味を言ってしまうのは私の性格が捻じ曲がっているからだ。
「ち、違うよ。折角綺麗な黒髪だから大切にしてほしいだけだよ」
そう言って彼は私に返す隙を与えず、他の社員旅行に参加しなかった社員にお土産を配りに行ってしまった。彼は自分が何を言っているかわかっているのだろうか。
「塔子さーん。今度のソフトボール大会見に来てよ」
「行きません。興味がありません」
「えー。塔子さんが応援してくれたらホームランが打てそうなのに」
彼が野球名門校で四番打者だったのは社員皆が知っている。私の応援など無くても彼なら活躍は間違いない。
「この度はご愁傷様です」
「塔子さん。わざわざごめんね」
「いえ、心からお悔やみ申し上げます」
「ありがとう。一人になっちゃったよ」
彼の母親が亡くなった。いくら私でもお葬式に参列しいない程白状ではない。
「塔子さーん」
相変わらず彼は声を掛けてくる。流石の彼も唯一の肉親を失ったのはショックだったのか最近少し瘦せたように見える。
「塔子さーん。こんなところで会うなんて珍しいね」
季節の変わり目に毛布を選択する為やってきたコインランドリーに彼は居た。
「立花さんこそコインランドリーに来ることなどあるのですね」
「毎週来ているよ。家、洗濯機ないから」
「どうして買わないのですか」
「お袋が亡くなってから実家を処分して、今はアパート暮らしなんだ。洗濯なんて週末に纏めてやるだけだから要らないと思って」
彼が引っ越したことは知っていた。社会保険や健康保険証の住所変更手続きをしたのは私なのだから。
「お弁当、二つも食べるのですか」
彼は洗濯の合間にコンビニエンスストアーで買ってきたであろうお弁当を食べていた。何故か袋には手付かずのお弁当がもう一つある。
「ううん、これは夕食分」
「夕食もお弁当なのですか」
「うん、最近のコンビニはすごいよね。お客を飽きさせないよう何種類も弁当がある。店によっても色々違うから助かるよ」
「そうですか」
彼のことが少し心配になった。
週明けの朝、事務所に一番乗りした。始業時間の一時間前、ほぼ毎日私が一番乗りだ。出社後すぐに電話が鳴った。この時間に電話が掛かってくるのは珍しい。
『はい片桐印刷です』
『すいません。配送部の立花です』
『立花さん』
『あっ、塔子さん』
『はい。何かありましたか』
『ごめん。体調を崩したので今日は休ませてもらおうと思って』
『分かりました。配送部の方には私から伝えておきます』
『お願いします』
『お大事にしてください』
彼が会社を休むのは珍しい。多少体調が悪くても無理をして出社してくるタイプだ。
彼のことが心配で今日は仕事が手につかない。
来てしまった。
彼の住むアパート、彼の住む部屋の前。迷惑だろうか。でも、嫌な予感がする。電話を取ったのは私だ。以前高価な櫛を貰ってお礼も言っていない。彼の部屋を訪れる言い訳を幾つも考えるがこれといった決め手がない。
彼は人気者だ。優しく困っている人がいれば、どの部署だろうと率先して助けに行く。女性社員にも受けがいい。もしかしたら恋仲の女性がいるかもしれない。いや、彼ほどの男性にそういった女性がいない方が不自然だ。
迷惑だ。私なんかに心配されなくても彼を心配する人は沢山いる。迷惑に決まっている。
やっぱり帰ろう。彼の住む部屋から立ち去ろうとしたとき扉が開いた。
「塔子さん」
「あ、立花さん。えっと、これは・・」
「ごめんね、急に休んで。大分体調が回復したから明日は大丈夫だよ」
「そ、そうですか。それで何方へ」
「夕食を買いに行こうと思って」
「何を買いに行くのですか。私が行ってきます」
「悪いよ。そこのコンビニまでお弁当を買いに行くだけだから」
「お弁当!?」
「うん。お弁当」
よく見れば顔色は悪いし声も鼻声だ。これで回復したと言うなら、その前はどんな状態だったのだ。私は彼の許可を求めず、おでこに手を当てる。熱い。相当熱もある。
「あ、あの、塔子さん・・」
頭にきた。
「そんな状態で消化しにくいコンビニのお弁当なんて食べて言い訳がないでしょ。熱もあるし声も鼻声じゃない。すぐに布団へ戻りなさい」
「でも、昨日から何も食べていないから・・・」
「いいから、すぐに布団へ戻りなさい。食事は私が用意してあげるから」
「えっ、でも、部屋汚いし、せめて掃除してから・・」
「いい加減にしなさい。貴方私を何歳だと思っているの。男性の一人暮らしの部屋なんて大方想像できるわ。いいから黙って私の言うことを聞く」
私は彼の背を押し強引に部屋の中へ入る。出せていないゴミや溜まった洗濯物はあるものの部屋は思った以上に綺麗だ。というより物が無い。女っ気も無い。シンクの横に雪平鍋とフライパンに薬缶、コップと茶碗とお椀が一個ずつとお皿が一枚。食器棚も無ければ炊飯器も無い。小さな冷蔵庫とその上に乗った電子レンジはあったが、インスタントラーメンぐらいしか作っていないのは手に取るようにわかる。
広いとは言えないリビングには、床に直置きしたテレビと子供がままごとに使っていそうな小さいテーブルに座椅子。本棚すら置いていない。襖を開けると布団が一式敷かれており、箪笥代わりにホームセンターでよく見るボックス型のプラスチッククローゼットが一つだけ。
心配だ。彼のこれからが本当に心配だ。
「いいこと。私が買い物に行っている間に、もし掃除なんてしていたら二度と口を聞いてあげないわよ。おとなしく布団で寝ていること。わかった」
「・・・・・・・・・」
「返事は!」
「はい・・」
彼が布団に入るのを見届け近くのスーパーマーケットへ走る。まったく、あれはずぼらと言うより生活自体に興味が無いのね。本当に困った人。あんなの見てしまったら放っておけないじゃない。いいわ、散々ちょっかいをかけてきたのだから、私を独りぼっちにしないように散々。私にも彼の面倒を見る権利がある。彼にお節介を焼く権利がある。
買い物を終え彼のアパートに戻ると彼は静かに寝息を立てていた。数少ない調理器具で早速お粥を作る。彼はお腹がすいていそうだったからお米だけでなく消化の良い野菜も入れて味も少し濃いめ。一緒に作るスープには少しだけベーコンを淹れてあげよう。卵をふんだんに使って栄養を取らせないと。多めに作って明日の朝も食べられるようにしてあげないとまたコンビニへ行きそうだ。
出来上がった料理を小さなテーブルに並べると、匂いに釣られてか彼が目を覚ました。
「うわ、美味そう」
「さあ、召し上がれ。まだ完治していないから今日はお粥で我慢しなさい」
「いただきまーす」
「ガッついては駄目よ。ゆっくり食べなさい」
彼は私の言いつけを守り熱々のお粥をゆっくりと口に運ぶ。一口、また一口噛みしめるようにゆっくり咀嚼し喉に通す。
美味しい、美味しい、と言いながらお粥を食べる彼の姿に、いい得ない幸福を感じる。誰かの為に料理を作るのがこんなにも嬉しい事なのだと今日初めて知った。
「私から会社には伝えておくから明日も休みなさい。会社が終わってからまた夕食を作りに来るから、それまではおとなしく寝ているのよ」
「明日も塔子さんがご飯を作ってくれるの」
「ええ、明日はもう少し栄養のあるものを作ってあげるから期待していいわよ」
「わーい、やったー」
既に自分の気持ちには気付いていた。誰にでも優しく明るくて素直なこの青年に自分の気持ちが動いていることに。
本当はずっと前から彼を意識していた。昼食の時、彼が来るのをどこかで待っていた。自分だけが彼に下の名前で呼ばれていることが本当は嬉しかった。彼の貰った櫛で毎朝髪を梳いている時間が好きだった。
今日、彼の駄目な部分を知ったとき、彼にお節介を焼く理由を必死で探していた自分に何の疑問も感じなかった。
「塔子さーん。今日のご飯なに」
「今日は立花君が大好きなコロッケよ」
「わーい、やったー」
あの日からほぼ毎日、彼は私のアパートへ夕食を食べにくる。私がそうするように言い聞かせた。気付かぬうちに彼のことを立花君と呼んでいた。コインランドリー通いを辞めさせた。彼の衣類は私が洗濯している。
夕食を食べ終えると彼が珈琲を淹れてくれる。珈琲の香りが部屋中を幸福感で満たしてくれる。
「あのー、塔子さん」
「どうしたの、改まって」
「俺のお嫁さんになってください」
「私なんかでいいの」
「塔子さんがいいんだ」
「嬉しい。ありがとう。私、これからもずっと立花君の世話を焼いていいのね」
「ああ、俺は一生懸命働くから、塔子さんには、これからも美味しいご飯を作ってほしい」
「任せなさい。家は私が守るから、立花君は今までどおり頑張るのよ」
「うん。本当に俺と結婚してくれるんだよね」
「ええ、喜んで」
「わーい、やったー」
太く力強い腕が塔子を抱きしめる。塔子が痛がらないように力を加減するその腕が塔子を幸福で満たしてくれた。
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