39 / 63
第三章 パーフェクト・マザー
第七話 好漢
しおりを挟む片桐邸に着くと自宅にもかかわらず片桐はインターホンを鳴らした。
『はい、片桐です』
『あ、御祖母様、志摩子です。息吹くんも一緒です』
『まあ、すぐに上がっていただきなさい』
『はい』
片桐に続き門をくぐると静謐な庭が広がる。これだけの庭を管理するのは大変だろう。春京さんが一人でやっているのだろうか、そんなことを考えながらよく見ると芝生から雑草が顔を出しているのに気付く。早めに駆除しておかないと面倒なことになりそうだ。
「どうかした、息吹君」
「片桐はちゃんと家の手伝いはしているのか」
「何を藪から棒に、当然じゃない」
「そうか、ならいい」
「変な人ね」
問題が無い限り他人の家庭に口出しするものではないなと思い直し口を閉じる。今のは完全なお節介だ。俺らしくもない。
しかし、あらためて見ると本当に大きな屋敷だ。この屋敷に二人暮らしでは掃除も大変だろうに。存外、春京さんの若さの秘訣はこの大きな屋敷なのではないだろうか。掃除するだけでいい運動になりそうだ。
「ようこそおいでくださいました息吹さん」
「突然お伺いして申し訳ありません」
玄関まで迎えに出てきてくれた春京さんと軽い挨拶を交わしながら、礼儀として突然の訪問を詫びる。
「何を仰います。この家は自分の家だと思っていつでもお越しください」
「いえ、そんな訳には・・」
「そうだわ、いっそのことこの家を差し上げます。色々と思い出はありますが、二人で暮らすにはこの家は広すぎますから」
「ちょ、ちょっと御祖母様、そんなことを言って息吹君を困らせないでください」
「え、駄目かしら」
勘弁してもらいたい。春京さんと話していると、いつの間にかおかしな方向に話が進んでいく。
「駄目です。贈与税と固定資産税が幾ら掛かると思っているのですか。その話は息吹君と私が結婚してからにしましょう」
片桐は片桐でおかしな方向へ話を持っていく。よく似た家族で結構なことだ。
「フフフ、冗談はこれぐらいにして、私はお茶の準備をしてまいりますので、どうぞごゆっくりしていってくださいませ」
小さく一礼して台所に行こうとした春京さんを引き留める。
「いえ、今日は春京さんにお話があってお伺いしました」
「あら、まあ、聞きましたか志摩子。貴女でなく、息吹さんは私にお話があるのですって」
「わかっています。私がお連れしたのですから」
「そう、それでは私の私室へお茶を持ってきてちょうだい。あら、やだ、私ったら年甲斐もなくはしゃいでしまって。先ずは浴室で御背中をお流しさせていただかなければ」
「お、御祖母様。そのような破廉恥な話を、例え冗談でも息吹君の前でしないでください」
見る見るうちに機嫌が悪くなる片桐に対し飄々と春京さんが受け答えをする。
「この子は何を想像しているのでしょう。私は息吹さんに我が家自慢のお風呂でリラックスしていただいてからお話をしたいと思っただけなのに。大恩ある息吹さんの御背中をお流しさせていただくことがそれ程破廉恥なのかしら」
顔を真っ赤にして春京さんを睨みつける片桐に、春京さんは更なる追い打ちをかける。
「まあ、この子ったら、息吹さんと私がそのような関係に。なんていやらしい子なのでしょう。きっと息吹さんを、いつもそのような目で見ているのでしょうね。いくら思春期とはいえ節度というものは必要ですよ。まったく、誰に似たのやら。あ、息吹さん、勿論息吹さんが求められるのであれば私はいつでも身も心も捧げますわ」
「お、御祖母様。いい加減にしていただかないと、御祖母様とはいえ許しませんよ」
片桐もまだまだだ。怒れば怒るほど春京さんが揶揄い易くなるのが分かってはいても、羞恥心が勝り結局揶揄われる。感情の制御が今後の課題だな。
「あー怖い、怖い。まったく、冗談も通じないのだから」
「御祖母様の冗談は過激すぎます。品性の欠片もないのですから」
「はいはい、それは悪うございました。それじゃあ息吹さんを客間にお通しするので、貴女はお茶を用意して」
「かしこまりました」
寸劇のような家族のスキンシップが漸く終わり俺が通された客間は心地よい藺草の香りがする大きな畳敷きの和室で、中央にはこれまた大きく立派な木の座卓が置かれており、親族が遺産相続で骨肉の争いをするテレビドラマに出てきそうな部屋だった。
「どうぞ上座へ」
「いえ、俺なんかが・・」
「でしたら私は立ったままお話をお伺いします」
「わかりました。言われたとおりにしますので、春京さんも腰を下してください」
ニコニコしながら下座に腰を下ろす春京さん。生きてきた年数の差がこういったところに出てしまうのか、どうもこの人と話すと主導権を持っていかれる。
「失礼します」
自宅にもかかわらず丁寧なあいさつと共に現れた片桐が、俺と春京さんの前にお茶を出すとそのまま春京さんの隣にチョコンと腰を下す。まるでこの屋敷の主人になったようで居心地が悪いが、どうせ言っても取り合ってもらえないのでそのまま話を始めた。
「今週の初めから一人の一年生が竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部に顔を出すようになりました・・・」
立花臨が部室を訪れてから今日までの話を包み隠さず話す。協力を仰ぐ以上、隠し事はあってはならない。
「よーし、今日はこれぐらいで勘弁してやるか」
「何がこれくらいだ。てんで下手糞じゃねぇか」
乱暴な口調とは裏腹に満足そうな表情の少年を夕日が照らす。二人はどちらかが言うでもなく、初めに言葉を交わした場所に腰を下した。
「少年はいつも一人なのかい」
「少年じゃない。武志、立花武志だ」
「そうか、武志は友達がいないの」
「いるよ。ただ、今時の小学生は塾や習い事に忙しいから、平日に広場でサッカーする奴なんていないだけだ」
「ふーん、武志は何もしていないの」
「ああ」
「いつもここに」
「外で遊んでないと姉ちゃんが心配・・って、お前には関係ないだろ。俺にも色々あるんだよ。お前こそ高校生がこんなところに一人で来て、友達いないのかよ」
「お前って言うな。私は律ちゃんだ」
「はいはい。それで、律ちゃんは友達いないのか」
「去年までは一人もいなかった・・今は、三人いる。あと、後輩がひとり・・・少ないよね」
「多けりゃ良いってもんでもないだろ。でも、まあ、寂しいなら俺が四人目になってやるよ」
「お前良い奴だな」
「お前って言うな。俺は武志だ」
二人同時に噴出しケラケラ笑った。落ち着いたところで律子は立ち上がるとスカートに着いた土を払い右手を差し出す。
「ありがとう武志。これからもよろしく」
「ああ、よろしく律ちゃん」
こんな風に友達ができたのは初めてで律子は嬉しかった。それと同時に、この小さな友人を早く本来の生活に戻してあげなければと強く思う。
「明日も同じ時間に来るから、約束だよ」
「うん、約束だ」
「バイバイ」
「バイバイ」
別れの挨拶を交わし律子は駆けだす。
「バイバーイ」
足を止め、もう一度大きな声を出して手を振る。こんな風に友達と約束をするのも初めてだ。
臨や武志を救おうと頑張る律子の世界は、本人が気付かぬ間に広がっている。
「立花君の娘さんがそんなことに・・」
「春京さんは臨の父親を知っているのですか」
意外だった。確かに臨の父親は春京さんが会長を務める片桐グループの従業員ではあったが、総社員数が千人を優に超える大企業の一社員まで記憶できるものではない。
「ええ、立花君・・いえ、立花克己さんは片桐印刷内ではとても有名でしたから。事故で亡くなられた時は会社全体がとても落ち込みました」
なんでも、臨の父親、立花克己は社内では知らぬ者のいない人気者だったらしい。忘年会や社員旅行の際には率先して道化を演じ皆を盛り上げる。組合のソフトボール大会やバレーボール大会では持ち前の運動神経で大活躍して皆を引っ張る。いつも明るく分け隔てない性格で、社内では偏屈者とされている社員でも立花克己の前では笑顔を見せる。
心優しく正義感も強い。困った人がいれば放ってはおけず部署に関係なく助太刀する。先輩には愛され、後輩には慕われる絵にかいたような快男児だった。
当然、女性社員にも人気があったが浮いた話は無く、そんな彼が社内恋愛の末、佐々木塔子との結婚を会社に報告した時は大層驚かれた。
「奥さんの塔子さんは当時片桐印刷で経理を担当していました。とても優秀でしたが性格がおとなしく、社内で業務以外の会話をすることは殆んどなかったと記憶しています」
そんな二人の第一子が臨であり、立花克己が事故で他界するまでは幸せな家庭を築いていた。
「それで、息吹さんは私に何をさせにいらっしゃったのでしょうか」
片桐グループ会長の春京さんに何かをさせるなどと大それたことを言えるはずがない。お願いに来たのだ。
「臨の母親は俺達が必ず目を覚まさせます。問題はその後、三年も引きこもった中年女性が条件の良い仕事を見つけるのは簡単ではない、ですが臨には時間がありません。春京さんには臨の母親の就業を後押ししていただきたくお願いに参りました。どうかお願いします。力をお貸し下さい」
座布団から斜め後ろに下がり畳に両手をつけ頭を下げようとすると、突然春京さんが声を荒げた。
「御止め下さい、入間川様。今、今何をしようとしたのですか」
普段には見せない余裕のない物言いに、俺も片桐も固まる。
「貴方様が私のような者に頭を下げてはなりません」
「しかし、俺はお願いする立場ですから」
「お願いなどする必要はありません。ただこうしろと命令すればよいのです」
「そんなこと出来ませんよ」
片桐と父親の一件以降、春京さんは時折こういった姿勢を取る。確かに俺の介入により事件は動いたが全てが正しかった訳ではない。事実片桐はその後大きく落ち込んだ。
「春京さん、もし以前の一件で俺に負い目を感じているのであればその必要はありません。俺も多くの間違いを犯しましたし学ばせてももらいました。一方的に助けたのでもなく、俺も片桐に助けられましたから。それにほら左腕も完治しましたし」
なんとか宥めようと包帯のとれた左腕を見せるが表情は変わらず厳しいまま、この件に関して春京さんは一切折れるつもりがなさそうだ。しかし、必要以上の負い目を感じる必要はない。片桐の機転が無ければ俺は罪を背負っていたかもしれないのだ。正当防衛として許されない大怪我を、下手をすれば命を奪いかねない攻撃をあの男にしていたかもしれない。
「負い目などではありません。ただ、ただ、大いなる感謝を。そした貴方様に対する尊敬の念を持っております。貴方様に頭を下げさせるなど以ての外、ましてや畳に手を付け額まで付けようとしませんでしたか。その様なことを貴方様にさせるぐらいなら私は自ら命を絶ちます」
「わかりました。もう二度としませんから、勘弁してください」
「わかっていただけてなによりです。塔子さんの件は了承いたしました。就業の件はお任せ下さい」
本当に恐ろしいことを言う。今後二度と人前で土下座はしないと俺は固く誓った。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
初金星
淡女
青春
喘息持ちの女子高生、佐々木茜は何にも打ち込むことができなかった。心が震える瞬間をずっと待っていた。そんな時、剣道少女、宗則菊一と出会う。彼女の素振りはその場の空気を、私の退屈を真っ二つに断ち切ったようだった。辛くても息を切らしながら勝ちたい、誰かの為じゃない、自分のために。
切り抜き師の俺、同じクラスに推しのVtuberがいる
星宮 嶺
青春
冴木陽斗はVtuberの星野ソラを推している。
陽斗は星野ソラを広めるために切り抜き師になり応援をしていくがその本人は同じクラスにいた。
まさか同じクラスにいるとは思いもせず星野ソラへの思いを語る陽斗。
陽斗が話をしているのを聞いてしまい、クラスメイトが切り抜きをしてくれていると知り、嬉しさと恥ずかしさの狭間でバレないように活動する大森美優紀(星野ソラ)の物語
火花 ~ハラカラ五分の四~
hakusuya
青春
両親を知らず母方祖父と叔父一家に育てられた鮎沢火花は、高校一年生の終わり、父方一族の存在を知らされる。余命が短い父方祖父の後継として離れ離れになっていたきょうだいと共同生活をすることになった火花は、恋焦がれた女子たちとの関係を清算して。生まれ育った地に別れを告げた。(故郷 佐原編)
裕福な子女が通う私立高校に転校し、地味で目立たない男子として学園デビューを果たした火花は、姉妹との関係を公にしないまま未知の学園生活に身を置いた。(御堂藤学園二年生編)
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる