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第三章 パーフェクト・マザー
第二話 不在
しおりを挟む木下真紀の話を聞いてから二週間、その間に竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の晴れ舞台である竹ヶ鼻祭りは、例年どおり例年程度の盛り上がりで終了した・・・らしい。
律子曰く、我が部の制作した『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』は例年に比べ盛況だったとのことだが真意の程は定かではなく、そもそも去年まで律子が『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』の存在を知っていたこと自体が疑わしい。
この二週間、出来うる限りの平常心を持ち続け日常を過ごした。授業中は雑念を取り払い教師の言葉に集中し、昼休みに部室で彼と昼食を共にする。午後も同じく授業に集中し、放課後は彼と共に部室へ向かう。
部室では主に読書をして過ごすが、時に律子とのお喋りに興じる。友人と会話をする経験に乏しく初対面では苦手だと感じた律子だが、今は全く違った思考を持つ彼女の話が面白く思えるようになった。
彼は相変わらずだ。日課の筋トレを終えると宿題をする日があれば読書の日もある。私達の会話に進んで加わることはないが、話を振れば必要最低限の言葉は返してくれる。
何事にも無関心な素振ではあるが優しい彼のことだ、私や律子が変わらぬ日常を過ごしているか心配しているに違いない。
だから私は演じる、もう大丈夫だと。
彼の心配事を少しでも減らせるよう、彼がいてくれたことが私達にとってどれ程尊いかを知らしめる。
以前までの私ならば闇雲に突っ走っていただろう。彼の闇の深さも知らず、思いも分からぬまま、彼の為だと勘違いして自分の価値観を押し付けていたに違いない。彼が教えてくれたのだ、それでは何も解決しないと。
彼と木下真紀の出会いを聞いた日、内側から湧き出る怒りと負の感情が身体を突き破り暴走しそうになったが、既の所で抑えた。
だが、まだだ。私には冷静さが足りない。今、何かを伝えようとしても、彼に感情を乱され言い包められるのが関の山だ。傾向と対策を冷静な思考のもと分析し、彼が求める彼自身の幸せを理解出来なければ、僅かな光すら彼には届かない。
不安はある。とんでもない過ちを犯しているのかもしれない。いや、既に犯している。彼の前で自分を偽り続けているのだから。
それでも止まれない。彼を救えるのであれば、私が地獄に堕ちるのは大した問題ではない。
だから演じ続ける。彼と時間を共にするときは、彼の闇を思考から排除する。今の所、平常心を保つのに最も効果的な方法だ。
木下真紀とは、あの日以来言葉を交わしていない。今迄、是といった交流の無かった彼女と必要以上の接点を持てば、彼が疑問を持つのは間違いない。聡明な彼のことだ、私と木下真紀の接点が自分だとすぐに行き着くだろう。
常に目立たず、自分に興味を持たれるのを疎ましく感じる彼にストレスを与える行動は控えるべきだ。これ以上学校を居心地の悪い場所にしてしまえば、きっと彼は消えてしまう。
この広い世界に、たった一つ残された彼の居場所、あの部屋まで奪ってしまえば行き場を失った彼が学校に残る理由など何一つ無い。
慎重の上に慎重を重ね、彼に疑問を抱かせない状況でしか木下真紀と接することはできない。そんな状況は、ほぼ皆無だ。
そう、今日のように彼が学校を欠席しない限りは。
衣替えを間近に控えた五月中旬、日光を浴びると汗ばむ程の気候だが、旧校舎が近づくにつれ冷気が差し込む。竹林に光を遮断された薄暗い空間は、そこだけ春に置き去りにされたかのようだ。
左腕の傷が順調に回復し、抜糸の為明日欠席すると聞いたのは昨日の放課後、完全下校時刻の数分前だった。木下真紀と交換する情報も無い今、私にとって彼のいない学校は無価値だが、私も欠席するという選択肢は無かった。彼の希望が、私が普通の高校生として日常を送ることであるのだから。
ぽっかりと空いた彼の席を気にするのは私と木下真紀のみ。他のクラスメイトにとって彼の存在感はそれ程に薄い。彼が今日傷の抜糸に行くことも、それ以前に彼が怪我を負っていることすらクラスメイト知らない。
そのまま二度と戻ってこなくても、元よりあの席は空席だったかのように彼の存在が消えてしまいそうで恐ろしい。
早くあの場所へ行きたい。彼が部長を務める、彼の存在が色濃いあの部屋へ。
四時限目の終了を告げるチャイムと同時に逃げるように旧校舎へ向い、暗く冷たいこの空間に入ると不思議と心が落ち着く。
一般生徒にとっては二の足を踏ませる雰囲気を持った旧校舎の昇降口も私には心地よく、昼食は彼の席で食べようと思いつき今日初めて顔が綻ぶ。その顔が引きつったのは昇降口に入った直後だった。
私の物よりも数センチは小さい学校指定のスニーカー。学校で一番暗いあの部屋に誰かが、いや、今は物置として使われている旧校舎だ、備品を取りに来た可能性のほうが高い。それでも自然と部室に向かう足が逸る。
今日、彼はいない。もし、あの時、彼があの部屋にいなかったら私はどうなっていたか。知らぬ間に駆けていた。お願い、誰も居ないで、そう願いドアを開ける。
「あ・・」
「貴女は・・」
勢いよく開いたドアに驚いたのか、その少女は動きを止め目を見開いている。
口に咥えている筒状の黄色い物体は、一本十円、駄菓子という物を殆ど食べたことのない私でも知っている有名なお菓子だ。
「あ・・か、勝手に入ってすみません」
慌てて筒状の物体を口に押し込み、直立したかと思えば大きく腰を折り曲げ後頭部を向ける。昇降口で見た小さなスニーカーが少女の物であるのは間違いない。制服を着ていなければ小学生と言われても信じられる程小柄な少女は、心底私に怯えている。
「構わないわ。貴女一年生」
ここに来たのが偶然なのか、私のように必然なのか見極める必要がある。今日彼はいないのだ。
「は、はい。一年五組の立花りんと言います。りんは臨時の臨です」
緊張で声がやや上ずっている。先ずは落ち着かせる必要がある。
「そう、私は二年十二組の・・」
「し、知っています。片桐志摩子先輩ですよね」
「そうよ。初めてではなかったかしら」
「いえ、先輩は美人さんで有名ですから」
「そう、貴女だって、とても可愛らしいわよ」
「あ、ありがとうございます」
照れくさそうに顔を赤らめる少女を前に二の句が続かない。
律子だったら直ぐに打ち解けられそうだが、私のコミュニケーション能力ではどうにも上手く行かない。会話が終われば引き止めるのが不自然になってしまう。
彼ならばどうする。
「お邪魔しました。それでは・・」
「そんなに慌てなくてもいいでしょ、珈琲を淹れるから立花さんも飲んでいきなさい」
「で、でも・・」
「貰い物だけれどお菓子もあるからどう」
「お菓子ですか」
「ええ。結構上等なお菓子だそうよ」
「それでは、お言葉に甘えて」
「ええ、そこに座って待っていて」
「はい」
助かった。苦し紛れの偶然ではあったが、彼女にとって『お菓子』が有効な手段であるのは表情が示している。明日、彼に食べてもらおうと用意しておいた物が役に立った。
珈琲メーカーをセットして席に戻ると立花臨は平常の表情を作ろうと必死だがお菓子への期待がそれをさせないといった感じで、行儀よくチョコンと腰掛けている。その姿は愛嬌があり小さな体躯もともなって、なんとも庇護欲をそそる。
「昼食はもう食べたの」
「あ、その、はい」
そう言って一瞬、先ほど口に咥えていて駄菓子の空き袋に目線を動かす。
「まさか、それじゃないでしょうね」
「あ、えっと、今日は財布を忘れてしまって・・」
目をキョロキョロさせ両手を忙しくバタつかせるとバツが悪そうに言う。その姿がまた可愛らしい。
「仕様がない子ね、私のお弁当を半分あげるわ」
「そんな、悪いです」
彼女の言葉に耳を貸さず、弁当箱と蓋の上に均等に中身を分け、珈琲用のスプーンを添えて差し出す。これで、昼食を食べ、珈琲を飲み、お菓子を食べ終えるまでの時間、彼女はこの部屋を出られない。
「遠慮しなくていいわ、いま料理を勉強中だから感想を聞かせて」
「わ、わかりました。いただきます」
食べる理由を作ると、余程空腹だったのか小さな口に次々と米やおかずを放り込む。『がっつく』の一歩手前で品があるとは言えないが、ハムスターが口の中いっぱいに向日葵の種を押し込んでいるようで実に可愛らしい。
「お味はどうかしら」
「はい、まあまあです」
思わず笑みが漏れる。先程までの態度から嘘でも美味しいと言うものと決めつけていたが、そこは別だとは思わなかった。実に興味深い。
「どのあたりに改善点があるのかしら」
パタリと食事の手が止まった。
「な、生意気言って、す、すみません」
失言だ。漸く解け始めた緊張が一気に戻る。
彼女が怯えていたことに気付いていながら、何故不用意な言葉を投げかける。どうして心情を察してあげられない。
「違うの、ごめんなさい。嫌味な言い方に取られても仕方のない物言いだったわ。私は本当に料理が上手くなりたいの」
青褪めた表情は変わらず、恐々とこちらを窺う。
「お弁当を作ってあげたい人がいるの。でも、まだ料理に自信が無くて・・・」
響かない。一度纏ってしまった恐怖感は簡単には拭えない。
「立花さん料理に詳しそうだったから、お母さんのお手伝いをしながら料理を教わっているのなら是非アドバイスして欲しいと思って。私の母は既に他界してしまったから・・」
「・・・唐揚げに・・味がありません・・」
「え・・」
「片桐先輩の作った唐揚げ・・味がしません・・」
弁当箱から唐揚げを摘み咀嚼すると確かに味が薄い。
「下味は付けたのだけれど・・確かに美味しくないわね」
「揚げたてならば問題ありませんが、お弁当は基本冷めてしまいます」
「下味を濃い目にすればいいのね」
小さく頭を振り、顔を上げると、愛嬌のある表情に戻っていた。
「それは危険です。下味は味見が出来ませんので。濃すぎれば目も当てられません」
「では、どうすれば・・」
「これはお母さんに教えてもらった裏技ですが、お弁当に入れる唐揚げは鶏肉だけではなく衣の方にも少し味を付けると冷えても美味しいです。但し、衣に味を付けた場合、厳密には唐揚げではなくフライドチキンになりますが、美味しければOKです」
先程までの弱々しさが嘘のように、鼻を鳴らし、胸を張る。
「なるほど、勉強になったわ。立花さんのお母さんは料理が得意なのね」
「料理だけではありません。洗濯、掃除、裁縫、何でもござれのスーパー主婦なのです。私も将来はお母さんみたいなお母さんになるのが夢なのです」
張った胸を更に掲げ、大きく鼻を鳴らす姿は、母親への尊敬と自慢、愛情が溢れ、見ているこちらが微笑ましくなる。
「素敵なお母さんなのね」
「はい」
立花臨は今日一番の大きな声で頷いた。
昼食を終えると部屋を珈琲の香りが包み込む。二つのカップに珈琲を注ぎ、皿にお菓子を十並べる。砂糖の数を聞くと以外にもブラックを所望された。
先に珈琲を差し出すと香りを楽しむように鼻の前でカップを揺らす姿が、背伸びをした子供のようで実に可愛らしい。
「お待たせ、待望のお菓子をどうぞ」
「わーい、やったー」
短い腕をいっぱいに伸ばし、小さな掌をいっぱいに開いて喜びを表現する。勿論、満面の笑みで。なんと振る舞い甲斐のある子だろう。
両手でお菓子を持つとサクサクと前歯で咀嚼する。それも立て続けに二つ。
「美味しい?」
「美味しいです。こんな上等で美味しいお菓子初めてです」
「それは良かった。全部食べていいわよ」
「本当ですか。わーい、やったー」
先程と同じ動作を繰り返し、サクサクと前歯で咀嚼する。先程と同じで立て続けに二つ。砂糖の入っていない珈琲を口に運び一言
「やっぱり珈琲はブラックに限りますよね」
そのアンバランスさが可笑しくて思わず口角が上がる。そんな私を見て自分が馬鹿にさせたと思ったのか頬を膨らませる姿がまた可愛らしい。
「ところで片桐先輩、この部屋って何の部屋ですか」
「ここは竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の部室で、私は部員」
「何をする部活動なのです」
「竹ヶ鼻祭りで掲示板に貼るB4サイズの『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』を作る部よ」
「それだけですか」
「ええ、それだけ」
途切れた会話のスキを突くようにお菓子を口元に運ぶと、サクサクと齧る。あっという間に一つ食べ終わると同時に次のお菓子に手を伸ばしたところで動きが止まった。
「片桐先輩。お腹が一杯になってしまったので残りのお菓子は持って帰っていいですか」
「どうぞ」
「わーい、やったー」
本当に可愛いらしい。結城先生の気持ちが少しだけ理解できた気がする。こんな妹が居たら甘やかさないのは不可能だ。
ハンカチを取り出し残った五つのお菓子を小さな手で丁寧に包む。お腹が一杯と言う割には名残惜しそうな表情で。
「この部はいつもお菓子が出るのですか」
「今日は用事で欠席しているのだけれど、部長が淹れてくれる珈琲が絶品なのよ。私の家はお菓子の貰い物が多いから珈琲と一緒に出せば喜んでもらえるのではないかと思って」
「素晴らしいです。決めました。私はこの部に入部を希望します」
フスンと鼻を鳴らし右手を高らかに掲げ私より薄い胸を張る姿が、頭を撫でたくなる衝動に駆られるほど可愛らしい。
「だったら明日の放課後入部届を持ってもう一度いらっしゃい。入部許可は部長しか出せないの」
「わかりました。片桐先輩、今日は沢山ご馳走して頂いてありがとうございました」
「どういたしまして」
ペコリと頭を下げると大切そうにお菓子の入った包みを両手で抱えて旧校舎の廊下を明るい方へ駆けて行く。
闇から遠ざかる背中を見ながら漸く息をつく。
豊かな表情、快活な口調、素直な性格、話せば話す程、僅かな希望が霧散する。
初めから見極める必要など無かった。問題は彼女自身なのか、それ以外なのか。彼女が大きな問題を抱えているのは一目瞭然だ。
どう考えてもおかしい。どうしてあの状態で放置されている。
立花臨は痩せすぎいる。
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