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第二章 ブラザー・オン・ザ・ヒル
第六話 店舗
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子供の頃、竹ヶ鼻商店街へ買い物に行くことを「街に行く」と言った。衣類、食品、金物、本、玩具、街へ行けば何でもある。母さんが「街に行く」と言うだけで、幼い俺達姉弟は期待に胸を膨らまし、手を叩いて喜んだ。
休日ともなれば通りは人で溢れ、はぐれないよう母親の手を握り目的地を目指す。帰りは決まって肉屋でコロッケを買ってもらい、口一杯に頬張りながら家路に着く。
ほふほふと出来立てのコロッケと格闘する姉さんと俺を見て、母さんはいつも笑っていた。
「楠生肉店、まだあったのか・・・」
店構えは昔と何ら変わりないが、俺の知っている楠生肉店とは雰囲気が違う。変わったのは両隣のシャッターが下りた店舗と、人っ子一人居ない通りのほうだ。
時の流れとは残酷だ。あれ程賑わっていた商店街も、幾つかの大型店舗の出現により今は寂れたシャッター街に変貌している。俺自身が、商店街の店舗へ向かうのはいつ以来か記憶に無い。
結城クリーニングは、子供の頃よく通った石川模型店の隣にあった。石川模型店は閉店して随分立つのだろか、シャッターが下ろされ看板も無く、そこが店舗だった形跡は無い。
「いらっしゃいませ」
明るく出迎えてくれた細身の中年女性、結城の母親だろう。
「これ、お願いします」
学校用のカッターシャツなど家の洗濯機で洗っている為、クリーニング屋に来るのは初めてで勝手が分からない。それ程汚れてもいないカッターシャツを二枚、カウンターに差し出した。
「竹ヶ鼻高校の学生さんなんて珍しい。お名前伺っても宜しいかしら」
「入間川です」
店内は綺麗に整頓され、床やガラス窓は清潔に保たれている。カウンターの奥には沢山のジャケット類がハンガーに掛けられ、手前にはビニールで包装されたカッターシャツが並び、どれも名札が付けられている。
その中の一つ「島正」と書かれたカッターシャツの柄に見覚えがあった。
「もしかして、ここって結城先生のご自宅ですか」
出方を伺う。娘が竹ヶ鼻高校の生徒なら知っているはずだ。竹ヶ鼻高校の制服はブレザーの襟の縁取りが学年別に色分けされていることを。俺の襟は緑、二年生で、結城巧が休職してから入学した為、彼の存在を知る由はない。
「そうよ。もしかして律子のお友達」
「いいえ、友達という程親しくはありません」
「なんだ、残念。君みたいな彼氏が出来れば、あの子も少しは女らしくなるでしょうに」
結城巧の休職に触れないのはおかしい、まるで休職自体を知らない素振りだ。それ以上におかしいのは、強引に兄から妹へと話を切り替えたところだ。
「結城先生はご在宅ですか」
「いいえ、まだ帰ってないわ。ねえ貴方、律子の彼氏に立候補してくれないかしら、どうにも色気より食い気でこの先心配なのよ。あの子、意外に大きいわよ」
おどけて、自分の胸を持ち上げる。俺のよく使う手だ、兄の話を妹にすり替えようと道化を演じている。
知らないふりをするのに何の意味があるのだ。母親は俺が結城巧の休職を知っていると気付いている。
「明日の午後には仕上がるから。なんなら明後日、律子に学校まで持って行かせるわよ」
「いいえ、明日の放課後お伺いします」
一礼して店を出ると結城クリーニングと石川模型店の間の路地に身を隠し、聞き耳を立てる。
結城巧に関しての質問は全て暖簾に腕押し、妹を前面へ押し出し話をすり替え躱し続けた。一瞬で俺の性格を見抜いて、不得手そうな話題を選ぶあたりは、あの結城律子の母親とは思えない程、相当に頭が切れる。会話の間、一度として顔色を変えなかった辺り、肝も据わっている。
隙間で待つこと三十分、漸くもう一つのパーツが帰宅した。未だ、顔すら知らない竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部顧問、結城巧。
「お帰りなさい」
返事は無い。
「夕食、すぐに準備するから」
「夕食は外で済ませて来ると言っているじゃないか、何度も同じことを言わせないでくれ。いい加減学習しろよ」
「ごめんなさい。そ、そうだったわね、お母さん馬鹿だから」
寂れた商店街の中にあって、結城クリーニングの経営が成り立っているのは母親の能力が大きい。綺麗に整頓された店内、適度に明るく不快感を与えない接客、どの点においても抜かりはない。
そんな母親から考えられない台詞が吐き出される。優秀な人間が最も嫌う台詞だ。自分で気付いているなら何故改善しない、と言われるのは目に見えている。
この母親が、そんなことを分からないものか。ほんの少し会話をしただけで母親の優秀さが分かったから、俺は一旦引いたのだ。
「母さん、それは最低の言い訳だ。自分が馬鹿だと気付いているなら、馬鹿は馬鹿なりに努力しろ。まったく、僕は母さんに似なくて良かったよ」
本来なら、母親を罵倒する息子の声など聞きたくない。だが、言葉とは裏腹に俺の脳裏に浮かんだのは母親に甘える息子の絵だった。
確信がある。この母親は、息子が罵倒してくるのを分かってやっている。あえてストレスの捌け口になっているとしか考えられない。
結城巧の引き篭もり、いや、休職を母親に隠して毎日出勤している体を成しているのだから引き篭もりとはいえないが、この問題の本質を知っているのは母親だけではないだろうか。
結城巧は隠している心算だが、間違いなく母親は知っている。カウンターに在った「島正」の名札が着いたカッターシャツはジジイの物だ。「島正」とは鍋島成正の苗字と名前の最後を取った隠語だろう。二人は情報を共有している。だから、ジジイは多くを語らなかったのだ。
兄と妹は、結城巧が休職しているのを母親に隠している。
母親はそれに気付いていることを二人に隠している。
まだ足りない。だが、漸く結城律子に話を聞くところには辿り着いた。今晩、頭を整理して作戦を練るとしよう。
家路に向かい一歩踏み出そうとして、慌てて隙間の路地に戻る。俺の帰路を結城律子が全力で逆走してくる。
「お母さん、ただいまー。お腹減ったー」
「お帰りなさい。まったく律子は、いくつになっても色気より食い気なのだから」
息子とは間逆の打ち解けた会話だ。
「すぐに出来上がるから、律子も手伝いなさい」
「えー」
「文句を言わない」
「はーい」
どこにでもある母子の会話だが、それが尚のこと考察の難易度を上げる。
パワーバランスが滅茶苦茶だ。
隙間に挟まったまま、考えは纏まらない。腕を組み直し、交差する足を逆にすると、何かが踵に当たった。
人目を避けるようにひっそりと置かれ、所々錆びた鉄板を裏返すと黒に白抜きで見覚えのある文字が描いてある。朽ち果てるのを待つように放置された「石川模型店」の看板に懐かしさが込み上げた。
「大丈夫だ、俺は忘れていない」
小さく呟いて家路に就いた。
休日ともなれば通りは人で溢れ、はぐれないよう母親の手を握り目的地を目指す。帰りは決まって肉屋でコロッケを買ってもらい、口一杯に頬張りながら家路に着く。
ほふほふと出来立てのコロッケと格闘する姉さんと俺を見て、母さんはいつも笑っていた。
「楠生肉店、まだあったのか・・・」
店構えは昔と何ら変わりないが、俺の知っている楠生肉店とは雰囲気が違う。変わったのは両隣のシャッターが下りた店舗と、人っ子一人居ない通りのほうだ。
時の流れとは残酷だ。あれ程賑わっていた商店街も、幾つかの大型店舗の出現により今は寂れたシャッター街に変貌している。俺自身が、商店街の店舗へ向かうのはいつ以来か記憶に無い。
結城クリーニングは、子供の頃よく通った石川模型店の隣にあった。石川模型店は閉店して随分立つのだろか、シャッターが下ろされ看板も無く、そこが店舗だった形跡は無い。
「いらっしゃいませ」
明るく出迎えてくれた細身の中年女性、結城の母親だろう。
「これ、お願いします」
学校用のカッターシャツなど家の洗濯機で洗っている為、クリーニング屋に来るのは初めてで勝手が分からない。それ程汚れてもいないカッターシャツを二枚、カウンターに差し出した。
「竹ヶ鼻高校の学生さんなんて珍しい。お名前伺っても宜しいかしら」
「入間川です」
店内は綺麗に整頓され、床やガラス窓は清潔に保たれている。カウンターの奥には沢山のジャケット類がハンガーに掛けられ、手前にはビニールで包装されたカッターシャツが並び、どれも名札が付けられている。
その中の一つ「島正」と書かれたカッターシャツの柄に見覚えがあった。
「もしかして、ここって結城先生のご自宅ですか」
出方を伺う。娘が竹ヶ鼻高校の生徒なら知っているはずだ。竹ヶ鼻高校の制服はブレザーの襟の縁取りが学年別に色分けされていることを。俺の襟は緑、二年生で、結城巧が休職してから入学した為、彼の存在を知る由はない。
「そうよ。もしかして律子のお友達」
「いいえ、友達という程親しくはありません」
「なんだ、残念。君みたいな彼氏が出来れば、あの子も少しは女らしくなるでしょうに」
結城巧の休職に触れないのはおかしい、まるで休職自体を知らない素振りだ。それ以上におかしいのは、強引に兄から妹へと話を切り替えたところだ。
「結城先生はご在宅ですか」
「いいえ、まだ帰ってないわ。ねえ貴方、律子の彼氏に立候補してくれないかしら、どうにも色気より食い気でこの先心配なのよ。あの子、意外に大きいわよ」
おどけて、自分の胸を持ち上げる。俺のよく使う手だ、兄の話を妹にすり替えようと道化を演じている。
知らないふりをするのに何の意味があるのだ。母親は俺が結城巧の休職を知っていると気付いている。
「明日の午後には仕上がるから。なんなら明後日、律子に学校まで持って行かせるわよ」
「いいえ、明日の放課後お伺いします」
一礼して店を出ると結城クリーニングと石川模型店の間の路地に身を隠し、聞き耳を立てる。
結城巧に関しての質問は全て暖簾に腕押し、妹を前面へ押し出し話をすり替え躱し続けた。一瞬で俺の性格を見抜いて、不得手そうな話題を選ぶあたりは、あの結城律子の母親とは思えない程、相当に頭が切れる。会話の間、一度として顔色を変えなかった辺り、肝も据わっている。
隙間で待つこと三十分、漸くもう一つのパーツが帰宅した。未だ、顔すら知らない竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部顧問、結城巧。
「お帰りなさい」
返事は無い。
「夕食、すぐに準備するから」
「夕食は外で済ませて来ると言っているじゃないか、何度も同じことを言わせないでくれ。いい加減学習しろよ」
「ごめんなさい。そ、そうだったわね、お母さん馬鹿だから」
寂れた商店街の中にあって、結城クリーニングの経営が成り立っているのは母親の能力が大きい。綺麗に整頓された店内、適度に明るく不快感を与えない接客、どの点においても抜かりはない。
そんな母親から考えられない台詞が吐き出される。優秀な人間が最も嫌う台詞だ。自分で気付いているなら何故改善しない、と言われるのは目に見えている。
この母親が、そんなことを分からないものか。ほんの少し会話をしただけで母親の優秀さが分かったから、俺は一旦引いたのだ。
「母さん、それは最低の言い訳だ。自分が馬鹿だと気付いているなら、馬鹿は馬鹿なりに努力しろ。まったく、僕は母さんに似なくて良かったよ」
本来なら、母親を罵倒する息子の声など聞きたくない。だが、言葉とは裏腹に俺の脳裏に浮かんだのは母親に甘える息子の絵だった。
確信がある。この母親は、息子が罵倒してくるのを分かってやっている。あえてストレスの捌け口になっているとしか考えられない。
結城巧の引き篭もり、いや、休職を母親に隠して毎日出勤している体を成しているのだから引き篭もりとはいえないが、この問題の本質を知っているのは母親だけではないだろうか。
結城巧は隠している心算だが、間違いなく母親は知っている。カウンターに在った「島正」の名札が着いたカッターシャツはジジイの物だ。「島正」とは鍋島成正の苗字と名前の最後を取った隠語だろう。二人は情報を共有している。だから、ジジイは多くを語らなかったのだ。
兄と妹は、結城巧が休職しているのを母親に隠している。
母親はそれに気付いていることを二人に隠している。
まだ足りない。だが、漸く結城律子に話を聞くところには辿り着いた。今晩、頭を整理して作戦を練るとしよう。
家路に向かい一歩踏み出そうとして、慌てて隙間の路地に戻る。俺の帰路を結城律子が全力で逆走してくる。
「お母さん、ただいまー。お腹減ったー」
「お帰りなさい。まったく律子は、いくつになっても色気より食い気なのだから」
息子とは間逆の打ち解けた会話だ。
「すぐに出来上がるから、律子も手伝いなさい」
「えー」
「文句を言わない」
「はーい」
どこにでもある母子の会話だが、それが尚のこと考察の難易度を上げる。
パワーバランスが滅茶苦茶だ。
隙間に挟まったまま、考えは纏まらない。腕を組み直し、交差する足を逆にすると、何かが踵に当たった。
人目を避けるようにひっそりと置かれ、所々錆びた鉄板を裏返すと黒に白抜きで見覚えのある文字が描いてある。朽ち果てるのを待つように放置された「石川模型店」の看板に懐かしさが込み上げた。
「大丈夫だ、俺は忘れていない」
小さく呟いて家路に就いた。
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