サンスポット【完結】

中畑 道

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第一章 サイレント・マドンナ

第十一話 地獄

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 話し終えた片桐春京は、神に懺悔するかのように胸の前で手を組み、そっと両目を閉じた。彼女が北条志摩子の壮絶な過去を話す前に「自分も加害者だ」と言ったのが頷ける。

 北条の父親、北条克己が悪の枢軸であることは間違いないが、片桐清志、春京、三重子、誰もが正しいとは到底思えない。そのツケが、今現在も北条志摩子にのしかかっている。

 何故、北条が清算しなければならない。唯一、何の罪も無い彼女が何故これ程までに薄幸な運命を背負わなければならないのだ。

 母親の死後、北条は何を支えに、何を目標に、何を喜びに生きてきたのだろう。小学六年生の少女が愛情の欠片もない家庭で、孤独に耐え、暮らしていけるのか。

 だが、北条は今日までそれをやって退けた。しかも、己を律し、強く、正しくだ。常人の成せる業ではない。そんな彼女に対する仕打ちがこれなのか。


「理不尽すぎる・・・」

 両膝に置いた手のひらが、強く膝小僧を握り締める。片桐春京が、そっと俺の手に触れた。

「私共の間違いは、いつからだったのでしょう・・」

 彼女の問いに、俺は思いのままを口にする。

「初めからじゃないですか」

 言葉の意味を量りかねたのか、彼女は無言で次の言葉を促すように俺の目を見る。これ以上口を開けば、孫の悲しみに直面している彼女に更なる追い討ちをかける辛辣な言葉を連ねてしまう。

 わかっていた。わかってはいたが、それでも俺は言わずにはいられない。

「貴方達は娘さんの幸せを願ってなどいない。自分達の幸せを願っていたんだ。その為に娘さんの幸せが必要だったに過ぎない。真に娘の幸せを願うのであれば、失敗させてあげればいいじゃないですか。連れて来た男がどんな人物であろうが、娘さんにとっては初めての大人の恋愛だった。失敗し、間違え、経験を積めばいいじゃないですか。貴方達は娘さんの失敗する姿を見たくなかっただけだ。貴方達が辛い思いをするから」

 思いが堰き止められない。言葉が濁流となりダムを決壊させ、激情のまま俺の口を開かせる。

「何だよ、人並みの幸せって。幸せなんて人それぞれ違うに決まっているだろ。自分達の理想を押し付けているだけだ。本当に踏み外しそうになったら手を差し伸べればいい。初めから拒絶して、恋愛する自由も無いのか。娘さんは貴方達に幸福感を味合わせる為に生まれてきた訳じゃない。自分が幸せになる為に生まれてきたんだ。貴方達の理想を叶えられなくなったのは、あいつが、北条志摩子が・・・」

 言っちゃ駄目だ。この先は口に出してはいけない。わかっている。が、止まれない。

「あいつは・・北条は・・生まれて来ちゃ・・・・」

 その時、背後から大きな手でグッと肩を掴まれる。振り向くと、速水巡査部長が無言で首を振った。
 彼の右手が怒気を吸い取る。間違ったことを言っているとは思わない。だが、今の片桐春京には余りに酷だ。彼女自身が現状を誰よりも悔いているのだから。

 改めて己の未熟さを痛感した。

 ここに来た時と同じように速水巡査部長がポンと俺の肩を叩くと、顎で片桐春京を指し立ち去る。振り返ると彼女は食い入るように俺の顔を見て震える声で話した。

「よくぞ、よくぞ仰ってくださいました。私共の間違いを、よくぞ御指摘くださいました。入間川様のお言葉、一生肝に銘じておきます。己の身勝手さ、強欲さ、無知さ、弱さ、決して忘れません。貴方様に誓って、今度こそ、今度こそ志摩子に、生まれて来た喜びを実感させてみせます。命に代えても」

 俺の両手を包み込むように優しく握り、何度も頷く。決意の瞳からは涙が止めどなく流れる。北条にはこれほど思ってくれる身内がいる。それが嬉しい。

「本当に、なんと優しい御方・・・」

 そう囁くと、包み込む手に少しだけ力を込めた。




 翌日金曜日、北条は学校を欠席した。中央最前列の席がぽっかり空いている。片桐春京に保護者が変わり、何かと手続きがあるのだろう。存在感のある彼女の欠席は、クラスに違和感を生む。

 土日を挟んだ翌月曜、いつもの朝と同じようにショートホームルームが始まる。今日も北条の姿は無い。金曜日には彼女を心配する声も聞こえたが、今日は誰も話題にしない。このまま彼女が学校から姿を消しても、何事も無かったと日々が過ぎ去ってしまいそうでいても立ってもいられない。ホームルームが終わると同時に学校を抜け出し、北条の引越し先である片桐春京宅へ向かった。

 この町の住人で片桐グループ会長宅を知らない人間は居ない。地元中学校のグラウンドに隣接する片桐邸は、広大な敷地を黒壁で取り囲み中を窺うことが出来ないようになっている。
 時代劇に出てきそうな門の横に設置された呼鈴を鳴らすと、まるで来るのが分かっていたかのようにインターホンから片桐春京の声が応対した。

『ようこそお越し下さいました、入間川様』



 壮麗な庭を二人で歩く。

「あのー、片桐さん」

「何でございましょう。入間川様」

 くるりと正対し、姿勢を正す。これほどの屋敷の主人でありながら居丈高なところが無く好感が持てる。以前から気になっていたことをお願いするいいチャンスだ。

「そのー、入間川は勘弁してもらえませんか」

 目をぱちくりさせて、疑問を顔に浮かべた。

「俺は片桐さんに様付けで呼ばれるような人間ではありません。どうにもむず痒い。呼び捨てで構いません」

 俺の言葉を聞くと、眉間に皺をよせ凛然とした表情で言い放つ。

「お断りします」

 予想外の言動に驚く俺を余所に彼女は言葉を続けた。

「呼び捨てなどあり得ません。わたくしは入間川様を心より尊敬し、崇拝しております。入間川様こそ、「片桐さん」などと呼ぶのはおやめ下さい。貴様、お前の類で結構です」

 何故そうなる。俺は何時信仰の対象になったのだ。彼女の言っていることは滅茶苦茶だが、こう姿勢正しく堂々と言われると論破されてしまいそうで実に拙い。

「片桐さんほどの立派な大人を、貴様なんて呼べる訳ないじゃないですか」

 話が複雑にならぬよう出来る限りフランクな雰囲気で話すが、彼女の表情は変わらない。

「立派などではございません。貴方様からすれば、私など下女にも満たない存在であり、無駄に年を重ねた只の役立たずに過ぎません」

 何故そこまで己を卑下するのか全く理解できない。どうして片桐グループ会長が下女以下なのだ。
 孫の危機を救ったから感謝していると言うのなら分からなくも無いが、俺の何処を尊敬し、何を崇拝すると言うのだ。アプローチの仕方を変えるしかないな・・・

「俺も岐阜県民として片桐グループの恩恵を与っている一人です。貴女を蔑むようなことは出来ません。「片桐さん」が気に入らないのであれば、敬愛の意味も込めて「春京さん」で如何でしょうか」

 彼女に習い、姿勢を正し真摯に言葉を発した。

「そこまで仰られては、わたくしが折れるしかございません。甚だ不本意ではありますが、わたくしも敬愛の意を込めまして「息吹さん」とお呼びさせていただきます」

 言い終わり首を傾けニコりと微笑む姿は、北条と濃い血の繋がりを感じる。
 ここらが妥協点だろう。ここでまた名前ではなく苗字でなどと言おうものなら話が振り出しに戻りかねない。

「優しさ、勇気、行動力、頭脳だけでなく話術までお持ちとは、ますます尊敬致しますわ、息吹さん」

 この話はこれでお終いとばかりに踵を返し母屋へと歩き始めた春京さんに続く。あえて初めに呼び捨てでいいと言ってから、条件を引き下げたのは見透かされていたようだ。


 老舗旅館のような玄関で、春京さんが用意してくれたスリッパに足を通す。これからが本題だ。北条を父親の魔の手から救うだけが目的ではない。それだけで彼女を救ったことにはならない。

 玄関から続く長い廊下を左に曲がったところで春京さんが立ち止まり此方に向き直る。俺が大きく頷くと、目の前のドアをノックした。

「志摩子、息吹さんがお越し下さいましたよ」

 返事は無い。
 もう一度ノックすると、ようやくくドアの向こうから応対した。

「ごめんなさい、今は会いたくないの。お帰りいただいてください」

 落ち着いた声音に安堵する。同時に北条の沈んだ表情が脳裏を掠めた。

 今の北条が幸福を感じているとは到底思えない。父親との生活が終わったところで、マイナスがゼロに近づいただけ。激痛が鈍痛に変わったに過ぎず、病巣はそのままだ。彼女は救われてなどいない。俺は何も救えていない。何も解決していない。

「入るぞ」

 春京さんを押しのけ、北条の許可無くドアを開く。大きなベッドで上半身を起こしている彼女と目が合うが精気が無く、その姿を陽炎と見紛うような錯覚に陥る。あの日と同じだ。

 ズカズカと北条に近づき、ベッドの横に胡坐をかく。北条は俺を目で追うだけで人形のように微動だにしない。かまわず話し掛けた。

「学校に来いよ」

 北条は言葉を発さず、小さく首を横に振った。

「また、珈琲を飲ましてやるよ」

 同じ動作を繰り返す。

「もう一度、新体操が出来るように俺が掛け合ってやる。実は俺、理事長の孫なんだ」

「・・・って」

 何かを呟くが、声が小さくて聞き取れない。

「北条・・・」

 ギロリと怒気を含んだ両目が俺を睨みつける。

「帰って・・・気持ち悪いでしょ、父親にレイプされた女なんて。いいのよ、蔑んでも。汚らわしいでしょ」

 言葉に詰まる。何かを言わなければ、無言は肯定を意味してしまう。

「大丈夫だ。今回の事件は担任にも知らされていない」

 北条の目が更に怒気を孕んだ。

「貴方が知っているじゃない。クラスメイトで、部活メイトの貴方が・・・・・。帰って、私の前に二度と現れないで。貴方のいる学校なんて、私には地獄よ。お願い・・」

 言い終えるとベッドに潜り込み頭まで布団を被る。震える掛け布団の中から、呻き声が聞こえた。

 俺は布団に包まった北条に聞こえるよう大声で叫ぶ。

「救ってやる。必ず救い出してやる。ちょっと待っていろ」

 そのまま部屋を出るなり全力で走った。出来ることは全てやる。

 俺に出来ることは全てだ。
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