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★ひとりごと★
金剛夜叉明王にいただいた御縁
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(不思議な感覚)
先日、栃木県足利の山の中、断崖絶壁に囲まれた場所にある「行道山 浄因寺」というお寺に行ってきました。和銅6年(713年)に開かれた古刹で、別名を「関東の高野山」といい、参道から山頂にかけ3万3千体を超える石仏や寝ている寝釈迦仏があるみないなのです。
断崖絶壁に囲まれた山深い古刹なら訪れる人も少ないだろうということで、プチドライブ、プチハイキングに家族で出かけることにしたのです。
それにしても、栃木県の足利や佐野方面はよく遊びにいく場所で大きなお寺や神社はほとんど知ってるはずなのに、地図にものってるこのお寺をなんで今まで見過ごしてきたのか、そして今回はなんで急に意識に上ってきたのか、とても不思議に思いました。
(独鈷杵が頭に浮かんで離れない)
その不思議な思いに拍車をかけたのが、出がけに、急に、独鈷杵が頭に浮かんで離れなくなったことです。ここ数年しまったまま放置していた独鈷杵なのですが、急に頭に浮かんできて、そして意識から離れないのです。
何が起こってるの?
と問いかける暇もなく、慌ただしく独鈷杵を探してすでに車に乗っている妻と息子に追いつきました。
独鈷杵持ってくの?、なんで?
と妻に聞かれても理由もわからず、なんとなく、と答えることしかできませんでした。
(久しぶりのドライブでワクワクMAX)
しかし、そんな出がけの一件も車を運転したらすっかり忘れてしまい、久しぶりに走る高速ドライブはとても楽しくワクワクMaxになりました。途中パーキングに寄って買い物したり昼食をとったり、久しぶりのプチ旅行を楽しみました。
そんなハイな気持ちのまま「行道山 浄因寺」に着いた私たちは、駐車場から20分かかる石段を登って本堂に行きました。駐車場には私たちの他に1台だけ車が止まっていましたが、山奥の古刹に来ている人はほとんどいませんでした。
私たちは石段の周りを取り囲む六地蔵様や多くの石仏に手を合わせたり持ってきたお酒やお水をお供えしながら進みました。けっこう急な石段が続いてても小川のせせらぎが心地よく響き疲れを癒やしてくれました。妻も息子もまったく疲れた様子はありません。これぞまさしく自然パワーって感じです。ビルの中の階段だったらとっくにへばってると思います(笑)
(猫の顔がどうみても変だよ)
数年前の台風でかなりの被害があったのか、途中、倒木の注意書きや閉鎖されている場所などもありました。そんなわけで本堂も隣接する宿坊らしき建物も今は無人になっていて誰もいませんでした。
持ってきたお酒とお水を捧げて手を合わせていると、荒れた建物のわき、雨があたらない場所に2匹の猫が住み着いているのが見えました。
2匹ともデンと腰を下ろし、私たちの様子を目で追っている感じです。
私の視線が猫と合うと、猫も視線をそらさずずっと私を見ています。お互いに見つめたまま視線を外せずにいると、なんと奥にいる猫の顔が変なことに気づいたのです。目が4つに見えるのです。
そうか、この違和感のために視線が外せないんだ
私はとっさにそう思いましたが不思議なことに視線が外せないのです。私の錯覚かもしれないと思いメガネを外して目をこすってみたりしましたが、どう見ても奥の猫だけ目が4つあるように見えるのです。ちょっと怖い感じの違和感がする中、私は妻と息子に声をかけました。
ねえ、見て、あの猫ちゃん目が4つあるように見えるんだけど、私だけがそう見えるのかな?
二人とも猫がいることすら気づいていなかったらしくビックリした様子でしたが、私が示す方を見ると納得するように言葉を失ってました。。。
やっぱり4つ目に見えるよね?、ちょっと変な感じ、変な違和感を感じるんだけど
私がそう言った瞬間、頭に、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)、という言葉が浮かんできました。
金剛夜叉明王って今までご縁がなかったので存在は知っていたけど見たことも意識したこともない方だし、なんか名前も怖い感じだよね。なんなんだろう。と妻と息子と話しながらスマホで検索してみました。
やべー
出てきた画像を見てビックリ、目が4つある憤怒の明王様がでてきたのです。そしてその瞬間「ピン!」とすべてがつながった感覚がありました。
金剛夜叉明王はダイヤモンドのように固く何ものにも破壊されない仏の智慧を持っているお方で、右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ち悪鬼や魔を打ち砕く明王様なのだそうです。
つまり私は金剛夜叉明王にご縁をいただくためにここにきたのかもしれないということ。そしてその証として独鈷杵を持ってきたのかもしれないということがわかったのです。(金剛夜叉明王の正面の目は本当は5つあるそうです。4つ目+眉間にあります)
(本堂から奥の院、寝釈迦への山道)
本堂から先の山道はハイキングコースとは言ってもかなりきつい勾配がありますし、本格的に回ると1日あっても足りない行程です。なので私たちは20~30分登ったところにある奥の院とその先の寝釈迦様の石仏まで行くことにしました。
ここから先の山道もあちらこちらに大小の石仏があり、手を合わせながら進むとけっこう時間がかかります。そして少し開けた場所までくると奥の院とその先の岩を登った場所に寝釈迦様と多くの石仏群がありました。
ここから見る景色は格別でした。足利の町を一望できるくらい開けた見晴らしでひとやすみしながら寝釈迦様と周りの石仏にお酒とお水をお供えしました。そして持ってきた独鈷杵を寝釈迦様に委ねパワーを授けてもらいました。
ーーーーーーーーーーーーーーー
(寝釈迦様のそばに金剛夜叉明王がいた!)
1つだけ腑に落ちないこと、それはこのお寺「浄因寺」と「金剛夜叉明王」のつながりがわからないということでした。浄因寺を調べても観音様やお釈迦様は出てきても金剛夜叉明王はまったくでてきません。
でも、このお寺を知って急に行きたくなったこと。密教の法具である独鈷杵を持っていきたくなったこと。本堂にいた猫が4つ目に見えて金剛夜叉明王が浮かんできたこと。そして金剛夜叉明王は金剛杵や金剛鈴などの密教法具(武具)を持っていてそれが象徴になっていること。これだけでも私は金剛夜叉明王にご縁をいただいたことは間違いないと思うのですが、なぜ「浄因寺」なのかがわからなかったのです。
そんな思いを抱きながら家に帰ってからネットでいろいろと調べてみたら、なんと寝釈迦仏の脇に金剛夜叉明王の石仏もあると書かれているブログを発見しました。(写真も撮ってアップしてありました。嬉しかったです)
けっきょく私は自分では気づかなかったけど金剛夜叉明王にも挨拶してきたのだということがわかりました。すべての謎が解けてとても嬉しかったのですが、目の前まで行って挨拶させていただいたのだから、せめて、「私はここにいるよ」と教えてくれればよかったのに~と思っちゃいました。。。が、もう一度会いにいく機会ができたじゃないかということで一件落着しました
(変な屋台で手に入れたもの)
金剛夜叉明王とご縁をいただけるなんてこれ以上ない光栄だと思っていましたが、さらにさらに私の気持ちは崇高な世界へと引き上げられていきました。
その日の夜は頭の芯が興奮していてなかなか寝付けず、去年から続いているクンダリーニの上昇と眉間のチャクラの光もチラチラしていて寝ているのに起きている、起きているのに寝ているという変な意識状態にありました。
(クンダリーニの目覚め以降よくある状態です。昔はこのエネルギーを制御できず、またナディも細くエネルギーの詰まりがひどく苦しくて入院したりもしましたが、今はどんどん頭頂から抜けるようになったことと、全身のパイプもかなり太くなってきたこともあり慣れてきました)
そんな半覚醒意識の状態の中で、私は神社の境内のような長い参道を一人で歩いていました。
今日は神社のお祭りか何かの日のようで、赤い提灯に照らされた参道の両脇には屋台が並びけっこうな人でにぎわっていました。
ただ、よくよく見ると、歩いている人は「本当の人間なのか?」、屋台のおじさんもお兄さんもおねえさんも「人間なのかどうか?」わからないのです。
ああ、ここは人間の世界とはちょっと違う幽界みたいなところだな、と夢見の意識にありながらも考えている私がいました。
そんなことを考えながら歩いていると、商品がなにも陳列されていない変な屋台の前に立っていました。
私が店主のおじさんに「この屋台なにもないけど準備中なの?」と聞いたとたん、陳列棚に1冊の古く分厚い本が現れました。よく見ると表紙にうっすら「大全」と書かれていました。
屋台のおじさんは、「おー。珍しい珍しい」といい、早く取るように促してきました。「さあ、早く取りなさい。これはあなたのために現れたもの。久しぶりに表れたので珍しがって見物人が集まってきてるから、ほら、誰かに横取りされないうちに早くとりなさい」と言われました。
私は言われるままにその分厚い本を手に取りました。が、この本がいくらするのかもわからないし、そもそもこの本が何なのかもわかりません。事情がまったく飲み込めない私は、再度屋台のおじさんの方を見ました。
ああ、そうか、何もわからないんだね。じゃあ教えてあげるよ。
この屋台はね、お店の前に立った人に必要なものがあるときだけものが出現するんだ。必要なものがないときは何もでてこない。本人が望んだからって出るものじゃないし、私がああだこうだできるものでもない。さらにいうとね、そのものはお金で買ったり売ったりできないものなんだ。だから何がでるか私にもわからないし、かりに出たとしても使い方や扱い方は私にはわからないのだ。
とのことでした。
不思議に思った私はおじさんにいくつか質問してみました。
おじさんは何者なのか?、私に必要なものがあるのかどうか誰が判断してこのものをここに出現させているのか?、お金で売買できないものを扱っているのなら、おじさんは奉仕かボランティアをしてるのか?、それとも何か別の思わくがあるのか?
おじさんはそのほとんどの質問には答えませんでしたが、1つだけ教えてくれました。
それは、自分自身はお金は必要ない世界にいるのでお金は関係ないということ。しかしこの屋台の仕事はまったくの奉仕というわけでもないということ。つまり、私がこの本を受け取って使うとき、おじさんの霊格みたいな何かがあがるとのことでした。
(五大明王あらわる!)
屋台のおじさんがそこまで話したとき、暗闇の向こう、はるかかなたから巨大な何かが近づいてくるのがわかりました。ものすごく大きな足音で地響きを鳴らしながら近づいてくる足音を聞いていると、周りにいた人たちや屋台のおじさんの気配もなくなりました。あたりは一瞬にして静寂に包まれました。
見上げるとそこには金剛夜叉明王が立ってました。5つ目の金剛夜叉明王はとても力強くパワフルでした。心の中に悪しき思いを抱えているときは怖くて震えあがるだろうな・・・と思いました。
かくいう私は、私の中の不完全なものをすべて金剛夜叉明王にさらけ出す覚悟をしているので、「どうか私の中の未浄化の悪しき思いや欲を飲み込んで燃やしてください」と魂をさらけ出しました。
私の中のすべてをさらけ出すこと、どうしてそんな気持ちになったのかはわかりませんが、きっと私の魂が望んでいるのだと思います。いいものも悪いものもすべてを出し切りたい気持ち。
物質の断捨離を徹底的にして生きるための最小限以外を手放し、潜在意識や心や魂の断捨離もして自分自身の内面と何年も向き合って手放してきた私は、去年から本格的なクンダリーニやチャクラの目覚めがあり、肉体的にも精神的にも苦しみ体験や逆に至福体験を繰り返しながら今に至ってます。
正直に言っちゃうと、投げやりな意味ではなく、本当にどうでもいい感じ。隠すものもないしなんでもいいやっていう心境なのです。。。
「私を見てください。これが私のすべてです。いいものも悪いものも持ってる私ですが、でも私は堂々とあなたにすべてを見せられます。本当はいいも悪いもないのですよね。ただ傷を負って苦しんでいるだけだということ。私の傷をあなたに見られまいとするから苦しいんだということ。さらけ出す覚悟ができたときはもう傷も闇も消滅するということ。私はようやく気付きました。」
私が金剛夜叉明王に自分自身のすべてをさらけ出したとき、その背後に別の大きな4つの炎が現れました。そうです、私は五大明王に囲まれたのです。憤怒の顔と焼けるような炎で私の中の何かを昇華してくれているのが伝わってきました。怖いどころか、嬉しくて嬉しくて涙があふれました。
われらはそなたに「大全」を与えた。これでそなたはわれらが使いしすべての「祈りや呪法」を理解し使うことができるだろう。この「大全」はそなたの心にしまわれた。そなたが必要になったとき、必要なページを思い出し、そして祈りの方法を知ることができるだろう。
5つの炎は私に深い安心感と安らぎを残して帰っていきました。。。私はずっとずっと泣いていました。ありがとうございます。ありがとうございます。私は幸せです。。。
ウソのような本当の話、長文にもかかわらず読んでくださりありがとうございました。
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先日、栃木県足利の山の中、断崖絶壁に囲まれた場所にある「行道山 浄因寺」というお寺に行ってきました。和銅6年(713年)に開かれた古刹で、別名を「関東の高野山」といい、参道から山頂にかけ3万3千体を超える石仏や寝ている寝釈迦仏があるみないなのです。
断崖絶壁に囲まれた山深い古刹なら訪れる人も少ないだろうということで、プチドライブ、プチハイキングに家族で出かけることにしたのです。
それにしても、栃木県の足利や佐野方面はよく遊びにいく場所で大きなお寺や神社はほとんど知ってるはずなのに、地図にものってるこのお寺をなんで今まで見過ごしてきたのか、そして今回はなんで急に意識に上ってきたのか、とても不思議に思いました。
(独鈷杵が頭に浮かんで離れない)
その不思議な思いに拍車をかけたのが、出がけに、急に、独鈷杵が頭に浮かんで離れなくなったことです。ここ数年しまったまま放置していた独鈷杵なのですが、急に頭に浮かんできて、そして意識から離れないのです。
何が起こってるの?
と問いかける暇もなく、慌ただしく独鈷杵を探してすでに車に乗っている妻と息子に追いつきました。
独鈷杵持ってくの?、なんで?
と妻に聞かれても理由もわからず、なんとなく、と答えることしかできませんでした。
(久しぶりのドライブでワクワクMAX)
しかし、そんな出がけの一件も車を運転したらすっかり忘れてしまい、久しぶりに走る高速ドライブはとても楽しくワクワクMaxになりました。途中パーキングに寄って買い物したり昼食をとったり、久しぶりのプチ旅行を楽しみました。
そんなハイな気持ちのまま「行道山 浄因寺」に着いた私たちは、駐車場から20分かかる石段を登って本堂に行きました。駐車場には私たちの他に1台だけ車が止まっていましたが、山奥の古刹に来ている人はほとんどいませんでした。
私たちは石段の周りを取り囲む六地蔵様や多くの石仏に手を合わせたり持ってきたお酒やお水をお供えしながら進みました。けっこう急な石段が続いてても小川のせせらぎが心地よく響き疲れを癒やしてくれました。妻も息子もまったく疲れた様子はありません。これぞまさしく自然パワーって感じです。ビルの中の階段だったらとっくにへばってると思います(笑)
(猫の顔がどうみても変だよ)
数年前の台風でかなりの被害があったのか、途中、倒木の注意書きや閉鎖されている場所などもありました。そんなわけで本堂も隣接する宿坊らしき建物も今は無人になっていて誰もいませんでした。
持ってきたお酒とお水を捧げて手を合わせていると、荒れた建物のわき、雨があたらない場所に2匹の猫が住み着いているのが見えました。
2匹ともデンと腰を下ろし、私たちの様子を目で追っている感じです。
私の視線が猫と合うと、猫も視線をそらさずずっと私を見ています。お互いに見つめたまま視線を外せずにいると、なんと奥にいる猫の顔が変なことに気づいたのです。目が4つに見えるのです。
そうか、この違和感のために視線が外せないんだ
私はとっさにそう思いましたが不思議なことに視線が外せないのです。私の錯覚かもしれないと思いメガネを外して目をこすってみたりしましたが、どう見ても奥の猫だけ目が4つあるように見えるのです。ちょっと怖い感じの違和感がする中、私は妻と息子に声をかけました。
ねえ、見て、あの猫ちゃん目が4つあるように見えるんだけど、私だけがそう見えるのかな?
二人とも猫がいることすら気づいていなかったらしくビックリした様子でしたが、私が示す方を見ると納得するように言葉を失ってました。。。
やっぱり4つ目に見えるよね?、ちょっと変な感じ、変な違和感を感じるんだけど
私がそう言った瞬間、頭に、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)、という言葉が浮かんできました。
金剛夜叉明王って今までご縁がなかったので存在は知っていたけど見たことも意識したこともない方だし、なんか名前も怖い感じだよね。なんなんだろう。と妻と息子と話しながらスマホで検索してみました。
やべー
出てきた画像を見てビックリ、目が4つある憤怒の明王様がでてきたのです。そしてその瞬間「ピン!」とすべてがつながった感覚がありました。
金剛夜叉明王はダイヤモンドのように固く何ものにも破壊されない仏の智慧を持っているお方で、右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ち悪鬼や魔を打ち砕く明王様なのだそうです。
つまり私は金剛夜叉明王にご縁をいただくためにここにきたのかもしれないということ。そしてその証として独鈷杵を持ってきたのかもしれないということがわかったのです。(金剛夜叉明王の正面の目は本当は5つあるそうです。4つ目+眉間にあります)
(本堂から奥の院、寝釈迦への山道)
本堂から先の山道はハイキングコースとは言ってもかなりきつい勾配がありますし、本格的に回ると1日あっても足りない行程です。なので私たちは20~30分登ったところにある奥の院とその先の寝釈迦様の石仏まで行くことにしました。
ここから先の山道もあちらこちらに大小の石仏があり、手を合わせながら進むとけっこう時間がかかります。そして少し開けた場所までくると奥の院とその先の岩を登った場所に寝釈迦様と多くの石仏群がありました。
ここから見る景色は格別でした。足利の町を一望できるくらい開けた見晴らしでひとやすみしながら寝釈迦様と周りの石仏にお酒とお水をお供えしました。そして持ってきた独鈷杵を寝釈迦様に委ねパワーを授けてもらいました。
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(寝釈迦様のそばに金剛夜叉明王がいた!)
1つだけ腑に落ちないこと、それはこのお寺「浄因寺」と「金剛夜叉明王」のつながりがわからないということでした。浄因寺を調べても観音様やお釈迦様は出てきても金剛夜叉明王はまったくでてきません。
でも、このお寺を知って急に行きたくなったこと。密教の法具である独鈷杵を持っていきたくなったこと。本堂にいた猫が4つ目に見えて金剛夜叉明王が浮かんできたこと。そして金剛夜叉明王は金剛杵や金剛鈴などの密教法具(武具)を持っていてそれが象徴になっていること。これだけでも私は金剛夜叉明王にご縁をいただいたことは間違いないと思うのですが、なぜ「浄因寺」なのかがわからなかったのです。
そんな思いを抱きながら家に帰ってからネットでいろいろと調べてみたら、なんと寝釈迦仏の脇に金剛夜叉明王の石仏もあると書かれているブログを発見しました。(写真も撮ってアップしてありました。嬉しかったです)
けっきょく私は自分では気づかなかったけど金剛夜叉明王にも挨拶してきたのだということがわかりました。すべての謎が解けてとても嬉しかったのですが、目の前まで行って挨拶させていただいたのだから、せめて、「私はここにいるよ」と教えてくれればよかったのに~と思っちゃいました。。。が、もう一度会いにいく機会ができたじゃないかということで一件落着しました
(変な屋台で手に入れたもの)
金剛夜叉明王とご縁をいただけるなんてこれ以上ない光栄だと思っていましたが、さらにさらに私の気持ちは崇高な世界へと引き上げられていきました。
その日の夜は頭の芯が興奮していてなかなか寝付けず、去年から続いているクンダリーニの上昇と眉間のチャクラの光もチラチラしていて寝ているのに起きている、起きているのに寝ているという変な意識状態にありました。
(クンダリーニの目覚め以降よくある状態です。昔はこのエネルギーを制御できず、またナディも細くエネルギーの詰まりがひどく苦しくて入院したりもしましたが、今はどんどん頭頂から抜けるようになったことと、全身のパイプもかなり太くなってきたこともあり慣れてきました)
そんな半覚醒意識の状態の中で、私は神社の境内のような長い参道を一人で歩いていました。
今日は神社のお祭りか何かの日のようで、赤い提灯に照らされた参道の両脇には屋台が並びけっこうな人でにぎわっていました。
ただ、よくよく見ると、歩いている人は「本当の人間なのか?」、屋台のおじさんもお兄さんもおねえさんも「人間なのかどうか?」わからないのです。
ああ、ここは人間の世界とはちょっと違う幽界みたいなところだな、と夢見の意識にありながらも考えている私がいました。
そんなことを考えながら歩いていると、商品がなにも陳列されていない変な屋台の前に立っていました。
私が店主のおじさんに「この屋台なにもないけど準備中なの?」と聞いたとたん、陳列棚に1冊の古く分厚い本が現れました。よく見ると表紙にうっすら「大全」と書かれていました。
屋台のおじさんは、「おー。珍しい珍しい」といい、早く取るように促してきました。「さあ、早く取りなさい。これはあなたのために現れたもの。久しぶりに表れたので珍しがって見物人が集まってきてるから、ほら、誰かに横取りされないうちに早くとりなさい」と言われました。
私は言われるままにその分厚い本を手に取りました。が、この本がいくらするのかもわからないし、そもそもこの本が何なのかもわかりません。事情がまったく飲み込めない私は、再度屋台のおじさんの方を見ました。
ああ、そうか、何もわからないんだね。じゃあ教えてあげるよ。
この屋台はね、お店の前に立った人に必要なものがあるときだけものが出現するんだ。必要なものがないときは何もでてこない。本人が望んだからって出るものじゃないし、私がああだこうだできるものでもない。さらにいうとね、そのものはお金で買ったり売ったりできないものなんだ。だから何がでるか私にもわからないし、かりに出たとしても使い方や扱い方は私にはわからないのだ。
とのことでした。
不思議に思った私はおじさんにいくつか質問してみました。
おじさんは何者なのか?、私に必要なものがあるのかどうか誰が判断してこのものをここに出現させているのか?、お金で売買できないものを扱っているのなら、おじさんは奉仕かボランティアをしてるのか?、それとも何か別の思わくがあるのか?
おじさんはそのほとんどの質問には答えませんでしたが、1つだけ教えてくれました。
それは、自分自身はお金は必要ない世界にいるのでお金は関係ないということ。しかしこの屋台の仕事はまったくの奉仕というわけでもないということ。つまり、私がこの本を受け取って使うとき、おじさんの霊格みたいな何かがあがるとのことでした。
(五大明王あらわる!)
屋台のおじさんがそこまで話したとき、暗闇の向こう、はるかかなたから巨大な何かが近づいてくるのがわかりました。ものすごく大きな足音で地響きを鳴らしながら近づいてくる足音を聞いていると、周りにいた人たちや屋台のおじさんの気配もなくなりました。あたりは一瞬にして静寂に包まれました。
見上げるとそこには金剛夜叉明王が立ってました。5つ目の金剛夜叉明王はとても力強くパワフルでした。心の中に悪しき思いを抱えているときは怖くて震えあがるだろうな・・・と思いました。
かくいう私は、私の中の不完全なものをすべて金剛夜叉明王にさらけ出す覚悟をしているので、「どうか私の中の未浄化の悪しき思いや欲を飲み込んで燃やしてください」と魂をさらけ出しました。
私の中のすべてをさらけ出すこと、どうしてそんな気持ちになったのかはわかりませんが、きっと私の魂が望んでいるのだと思います。いいものも悪いものもすべてを出し切りたい気持ち。
物質の断捨離を徹底的にして生きるための最小限以外を手放し、潜在意識や心や魂の断捨離もして自分自身の内面と何年も向き合って手放してきた私は、去年から本格的なクンダリーニやチャクラの目覚めがあり、肉体的にも精神的にも苦しみ体験や逆に至福体験を繰り返しながら今に至ってます。
正直に言っちゃうと、投げやりな意味ではなく、本当にどうでもいい感じ。隠すものもないしなんでもいいやっていう心境なのです。。。
「私を見てください。これが私のすべてです。いいものも悪いものも持ってる私ですが、でも私は堂々とあなたにすべてを見せられます。本当はいいも悪いもないのですよね。ただ傷を負って苦しんでいるだけだということ。私の傷をあなたに見られまいとするから苦しいんだということ。さらけ出す覚悟ができたときはもう傷も闇も消滅するということ。私はようやく気付きました。」
私が金剛夜叉明王に自分自身のすべてをさらけ出したとき、その背後に別の大きな4つの炎が現れました。そうです、私は五大明王に囲まれたのです。憤怒の顔と焼けるような炎で私の中の何かを昇華してくれているのが伝わってきました。怖いどころか、嬉しくて嬉しくて涙があふれました。
われらはそなたに「大全」を与えた。これでそなたはわれらが使いしすべての「祈りや呪法」を理解し使うことができるだろう。この「大全」はそなたの心にしまわれた。そなたが必要になったとき、必要なページを思い出し、そして祈りの方法を知ることができるだろう。
5つの炎は私に深い安心感と安らぎを残して帰っていきました。。。私はずっとずっと泣いていました。ありがとうございます。ありがとうございます。私は幸せです。。。
ウソのような本当の話、長文にもかかわらず読んでくださりありがとうございました。
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