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第11章 叶【かなえる】

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 エレベーターには下向きのボタンしかついていない。ボタンを押してしばらく待つと、またギギギ…と嫌な音を響かせて、エレベーターが到着した。
 内装も稔兄ちゃんと乗った時と同じだ。………ただ違うのは、

「…………?」

 中にはボタンが無かった。
 稔兄ちゃんと乗った時はあったような気がするのに、今は真っさらだ。四方、どの壁も…。

 ボタンを押していないのに、エレベーターは勝手に下の階へ向かっていく。
 真っさらな壁に対して扉の上部には、オレンジ色に点滅する階を表す数字が、たくさん記されていた。

「…………っ。」

 地下80階どころじゃない。
 100階、300階、500階…。
 数字は800階まで記されていたけど、どうやらそれを振り切ったらしい。明らかに800階を過ぎたのに、オレンジの点滅はいつまでも800階の位置にあった。
 このエレベーターは商店街じゃなく、地の底へ向かっているんだ…。

 そこからがまた長かった。
 いつ着くのかも分からず、嫌な浮遊感だけが続く。
 1600階ぶんは超えただろうにエレベーターのスピードは衰えず、むしろ加速していった。

 不安げに天井を見る。つい10分前までいた地上がとても懐かしく思えた。
 帰りたくない…と言ったら嘘になる。でもそんな時はヨシヤの顔を思い浮かべて、耐える。

 ………やがて、

「!」

 エレベーターの風音が弱まってきた。
 同時に緩むスピード。目的地が近いんだ。

「………もうすぐ…。」

 もうすぐ会える。私をここへ導いたやつに。


 “チンッ”


 軽いベルを鳴らすと、エレベーターは何事もなかったかのように扉を開いた。
 そこは真っ暗で、きぃんと耳鳴りがするほど静かな空間だった。
 明かりもなにもない。天井も壁も地面も見えなくて、ここが狭いのか広いのか、それすら見当がつかない。

 恐る恐る一歩だけ足を出して、

「………あ。」

 硬い地面を踏むことができた。どうやらコンクリート…みたいだ。
 二歩、三歩と進み出る。ついでに左手を伸ばしてみると、案外すぐに硬い壁に触れた。これもコンクリートみたい。

「…そうか、トンネル…。」

 人が二人並んで歩ける程度の狭いトンネル。例えるならそれが、今いるこの空間だ。

 勇気を出して、先を目指して歩く。
 壁を伝いながら。目を凝らしながら。

 見世物屋でのオバケみたいに天井から何かが現れたらどうしよう…。そんな不安もあったけど、周囲はしんと静まり返るばかり。何かが現れるような気配は無かった。幸いというべきか、残念というべきか…。

 ――ひた、ひた…

 ――ぺた、ぺた……

「……………。」

 私が壁に手をつく音と、靴が地面を歩く音ばかりが、嫌に耳につく。
 あまりの静寂。まるでこの世界に私一人しかいないみたいな…そんな恐怖がじわじわと沸き上がって、

「…っ、だ、…誰か!
 …誰かいませんかっ?」

 長く長く続く暗闇に向かって呼び掛けてみた。
 すると、どうだろう。


「…ようこそ。
 ずうっと待っていたよ、不思議な地上の子…。」


 不変かに思われた暗闇トンネルに、変化があった。
 明かりが点いたんだ。

「……っ!!」

 思わず目を覆う。その間際に見えたのは、トンネルの両側の壁に等間隔で並べられた、ブリキのカンテラ。
 さっきまでの暗闇から一変して、辺りはカンテラの放つ淡いオレンジ色の光に包まれた。

「………うっ…。」

 光が目に染みるけど、そんなことよりも、今しがた聞こえた“声”のほうが気になる。

「……誰?」

 そろりそろりと覆っていた手をどける。
 声の聞こえたトンネルの向こうに目をやると…、そこには見たことのない“黒い人”がいた。

 黒い着物に黒い髪、黒い雪駄せったに、チューリップの花をひっくり返したような古めかしい黒い帽子。目深にかぶっているから顔はよく見えない。
 そんな、不自然に黒ずくめな人が、トンネルの真ん中に立っていた。

「勇気のある子だ。逃げる機会を与えられたにも関わらず、自らこの世界に舞い戻るなんて…。」

 背が高くて声が低い。男の人…のようだけど、

「………あ、あんたも…“人鬼”なの…?」

 帽子を突き破って生えている、二本のひしゃげた黒い角が、ただの人間でも商売人でもないことを物語っていた。

 男の人は、口をにんまり歪めて笑う。
 けれどその笑みは、肯定の意味ではなかった。

「……いいや、わたしはそんな明瞭な存在じゃあない。
 もっとあやふやなものだよ。」

「………え…?」

 そう。それは、

 ―――自嘲だ。

 …ヨシヤが見せた自嘲より遥かに、開き直った印象があるけど。

 姿は人鬼のよう。オバケたちとも似つかない、見たことのない人物。彼はおもむろに両手を広げた。

「…改めて、地上の子よ。賽の河原への来訪を歓迎しよう。
 …いや、君の世界ではこちらのほうが馴染み深いか。
 ようこそ、アンダーサイカへ。
 “西城 豊花”…。」

「………っ?」

 なぜ私の名前を知っているんだろう。
 誇らしげに口上を述べた直後、彼は俯きがちだった顔をほんの少しだけ上げて見せた。

 帽子のつばの奥にちらりと見えた瞳は、ぞっとするくらいに綺麗な…紫色をしていた。
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