狗神巡礼ものがたり

唄うたい

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四:狒々の池泉

ひとりぼっち

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 ***

 わたしが目を覚ました時、太陽は既に頭上高くに移動していました。
 そして驚くべきは…

「…仁雷、さま…?」

 仁雷さまの姿が無かったこと。

 洞の中に溜まった木の葉に手を乗せれば、まだほんのりとぬくみが感じられる。仁雷さまがいなくなってから、そう時間は経っていないのでしょう。

 けれど、どうして消えてしまったのかしら…。何か理由があって姿を消されたのか、もしくは…お猿達に見つかってしまった…?

「…………仁雷さま……」

 胸を突く心配と心細さを押し殺し、わたしは必死に頭を働かせます。
 どうしよう。まず、わたしはどうするべき…?

『俺達を信じて』

 義嵐さまも、仁雷さまも居ない今、一人になってしまったわたしはどうするべきか。
 私が向かうべき場所。それは、ひとつしかありませんでした。

「……狒々の、池泉の試練…」

 何かに試されている。これ以上逃げても無駄だというように。
 それならば、わたしは前に進む他ない。元より命の危険は、覚悟の上だったはずだもの…。躊躇するのも今更というものだわ。

 体を微かに震わせながら、わたしは立ち上がります。洞から身を乗り出し、鬱蒼と繁る木々を見上げます。
 山の中で右も左も分からない。そんな状況で、わたしは一か八か、意を決しました。

「………ど、どなたか…! 見ておられますか…? わたしは…犬居の娘はここにおります…!」

 仁雷さまを連れ去った者がいるのなら、今もわたしを見ているかもしれない。
 その一縷いちるの望みに賭けたのです。

「…池泉の試練に参ります…! け、けれど、わたしは…わたしだけでは、この山を抜けられないのです…っ。ですから、どうか……」

 返事はない…。思い過ごしであったのかしら…。
 わたしは語尾を弱めながら、懇願にも似た思いでした。

「…どうか、わたしを導いてくださいませ……」

 わたしは己の無力を痛感しました。
 仁雷さまや、義嵐さまがいなくては、わたしは何も出来ない。

 犬居屋敷にいた頃は、あの屋敷の中が世界のすべてでした。それに比べたら、この狗神さまのお山のなんと広大なことか…。

「……どうかっ…」

 わたしは妾の子。狗神さまの生贄となるために産み育てられ、それを受け入れることは必然でした。
 わたしの意志など入る余地が無かったから…言われるまま、与えられるまま、わたしは今日まで十三年間を生きてきたのです。

「……どうか、お願い、いたします…っ」

 そんなわたしが今ようやく、自分の意志と向き合っている。
 これは、狗神さまの巡礼を成し遂げたいからでしょうか…? 信仰する狗神さまのおそばへ、早く行きたいからなのでしょうか…?

 ーーー…いいえ。そんな崇高な気持ちでは断じてない。

 わたしはただ、ただ、お二人を…。
 “仁雷さまと義嵐さま”を、助けたい一心でした。


「………………」

 けれど、返事はない。
 どうすることも出来ないのかしら…。
 わたしは項垂れ、足元に目を落とします。

 その時、視界の端に誰かの爪先が見えました。

「………あ……」

 顔を上げれば、わたしのすぐ先に、一匹のお猿が立っているではありませんか。
 白い体毛はくしゃくしゃで、胡乱うろんな目つき。しかもその右目には、痛々しい裂き傷の痕が…。

「……あなたは、青衣の…?」

 その姿は確かに、青衣の塒でわたしを見張っていたお猿の片方でした。

 わたしが恐る恐る訊ねると、お猿は黙ったまま身を翻します。

「あっ、待っ………」

 待って、と言いかけましたが、お猿は身を翻した状態で、その場に留まりました。
 顔だけをこちらへ向け、わたしをじっと見つめています。
 “付いて来い”。そんな意図を感じました。

「………」

 わたしは胸の前で手をギュッと握り締め、洞から足を踏み出しました。
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