漆黒の碁盤

渡岳

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第七章 家康と算砂

碁盤の秘密が明かされる

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【七】
本能寺の変後、中国地方で戦っていた秀吉は、毛利方と和睦する否や、明智光秀を山崎で打ち滅ぼし、織田家の跡継ぎの地位を掴んだ。その後、賤ケ岳の戦いで旧織田家の重臣柴田勝家に、小牧・長久手の戦いでは徳川家康に勝利し、その天下をほぼ手中に収めていた。家康も秀吉の軍門に下っていた。
乱世も治まりつつあり、人々の生活も落ち着きを取り戻し始めていた。
そんな折、天正十五年(一五八七年)の仲秋、徳川門下の奥平信昌を通して、家康から対局の要請があり駿府に赴くことになった。

「久しいのぉ、日海。ここ数年色々あったが、しばし戦はお預けじゃ。さあさあ、早速対局しようぞ」
そういって、家康は愛用の目新しい檜皮色の碁盤を持ってこさせ、対局の準備を始めた。変わらず、五目の手合割で碁を打ち始めた。
「思えば亡き信長公も大の囲碁好きであったのぉ」
家康と対局中、家康がつぶやいた信長という言葉に息を吞み、ふと日海は語り始めた。
「家康様、実はお伝えしたきことがございます。件の本能寺の事件の前、信長公と拙僧と朝廷から拝借した木画紫檀棊局という碁盤で囲碁の対局をしたのを覚えたいらっしゃいますでしょうか」
「うむ、覚えておる、確か、儂の三戦全敗であったの」
「実は、あの碁盤、呪いの碁盤でございます。あの碁盤を使って対局し三敗すると十日以内に亡くなりまする。本能寺での対局は、信長様が家康様を亡き者にするために仕組んだ罠でございました」
「なんと、しかし、三敗した儂は今でも至極健康でおる、むしろ亡くなったのは信長公の方じゃが」
「はい、三敗という則の他に、実は信長様が存じていなかった碁盤の定めが二つございます。一つ目は、囲碁の則に違反して勝った者もその対局は負けと認められるということ。拙僧は、二局目の整地の時、信長様と家康様の目を盗み、使っていなかった碁石を、家康様の地に一個放り込んで僅差で勝つように仕組みましてございます。ですので、二局目の拙僧との対局は、拙僧の反則負け、家康様の勝ちになります。本能寺での対局は、実は家康様は三局中二敗しかしておりませぬ」
「なんと、まるで初耳じゃ。貴殿が敢えて負けてくれたと」
 日海は静かに頷いた。
「そして、もう一つの定め、それは対局を邪魔し台無しにした者も三回の負けとなり死ぬ、ということでございます」
「どういういことじゃ」
 日海は、茶を溢し溺死した小僧の話を、信長に伝えた時と同じように、家康に言上した。
「偶然ということではないのか」
「いえ、他にもございまする。草庵の茶室でその主人と対局していたことがございました。天気が崩れ始め、雨も次第に強くなりそうな気配で、主人が心配し、今日はもう中止にしてお帰りになられてはと、多少強引に中止を勧められました。断り続けたところ、玄関から雨傘を持ち出してきて、たまたま雨傘の先が碁石に触れ、形勢が元に戻せないほど崩れてしまいました。その主人も翌日亡くなりましてございます」
「なるほどのう。末恐ろしい碁盤じゃのう。その折の信長様との対局は昔語りなどして楽しかったが、微塵の油断もならぬ碁盤じゃったな」
「実は、本能寺の事件の前日、拙僧は信長公の御前で対局いたしまいた。拙僧から願い出たものでございます。対局を邪魔してはいけないとの定めを、信長様が犯してくださると信じ眼前での対局を所望いたしました。というのも、自らの手で三劫を出現させれば、碁石を取って取り返しを続け、永遠に打ち続けなければなりませぬ。それを見た信長公のご気性であれば、きっと中止をお命じになるはずと見込んでおりました。もちろん、その日のご気分で、信長様がどう発言されるかはわかりませなんだ。三劫といってもどちらかがあきらめれば続けられぬわけではございませぬ、ただ、信長様のご気性に賭けましてございます」
「それで信長公に対局を中止させたと。三劫など聞いたことないわ。三劫を意図して作り出すとは、さすがの囲碁名人だのう」
「ちなみに、秀吉様も囲碁に御執心じゃが、その呪いの碁盤の件、ご存じなのか」
まだ半信半疑な様子ではあったが、やはり、家康、肝心の質問は逃さない。
「いえ、伝えておりませぬ。拙僧を除いて、家康様のみが存じておりまする」
日海は、間髪入れず想定通りに答えた。
家康も一時の泰平に慣れたのか、戦時の面影がなくなり前屈みで小さくなった好々爺に見えていた。急に、背筋が伸び、身なりが大きくなったように感じ、何を思ったか眼孔から底光りする鋭い視線が西の方角を向いた。
人と人が血で血を洗う争いを終わらせ、仏界の隆盛を期待できるのは家康を置いて他にいないだろう、日海はそう思った。日海は、何も言わず碁盤に石を置き、家康と対局を続ける。盤上、木と石が触れ合う鋭い音が、小気味良く鳴り響いていた。
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