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第五章 本能寺の対局
本能寺にて家康と信長、算砂が対局する
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【五】
それから三年が経過した天正十年(一五八二年)の冬、織田勢は武田勝頼を自害に追い込むことに成功し、甲斐・信濃・駿河の広大な領土を手に入れることができた。
日海は、日蓮宗徒として、変わらず、仏事の勤めと修養に励む日々を過ごしている。朝廷ゆかりの木画紫檀棊局のことも、頭から消えていた。碁盤のことより、むしろ浄厳院での信長の所業が頭の隅に燻ぶって、時が経っても消し去ることができなかった。
眼前で鴨のように、一人の人間の頸がはねられ命を落としたこと、それが何より自分より遥か高位の僧であったこと、瞼を閉じると信長の非情な行いが今でも昨日の如く網膜に映し出されるのである。
ある日、寂光寺の本堂で普伝和尚を弔うため読経をしていると、小僧が信長から使いが来たと知らせに来た。信長の滞在先の京の本能寺まで尋ねて来いとのこと。
本能寺は、同じく日蓮宗の寺院で、堀や塀で囲われており、寺院にしてはやや物々しさを感じる造りになっている。織田家指定の宿泊所として時折提供させられていた。
「武田も知っての通りじゃ。毛利や島津もおるが、戦国の世も終わり、天下も治まるのもそう遠くないであろう」
「この度の武田勢との勝ち戦、誠におめでたきことに存じます」
日海は、通り一遍の祝賀の挨拶を述べた。
「突然じゃが、そちに相談があるじゃ。覚えておるか、例の木画紫檀棊局のことじゃ。あの碁盤を使って家康と対局してくれぬか。一局は私が打とう。残り二局はそちに打ってほしい。近々、武田家滅亡の祝いに家康を呼んで安土城で饗宴を催す予定じゃ。光秀に言いつけてある。その後、京都にて一座設けることにしておる。まあ、儂との対局では、家康の碁がいかに強かろうが、儂に勝つような真似はしはしまい。そもそも儂の方が強いからの」
信長は、日海の顔色を確かめながら高らかに笑った。
――やはり、来た。
碁盤吟味の結果を具申した時の不安が再び頭をもたげてきた。信長は家康を殺せと言っている。いずれ信長の天下になろう、そのとき唯一織田家の禍根となるのが家康なのだ。
例の朝廷の碁盤もさることながら、この手で人を殺めろと、手段は違えどそう命じられたことに、日海は身に迫る思いを感じた。
殺しを生業とする武将の間で立ち回り、囲碁を教える身ではあるものの、所詮は囲碁という則に守られ我が身の安全が保障されている。
生きるか死ぬか、常に命を失う危険に晒されながら生きている武家の理が、仏に仕える身でありながらそのままわが身に降りかかってきたのだ。
日海は、胃袋に蓄えた全ての食物をその胃袋ごと今にも吐きだすような悪寒を感じた。
「は、ははっ、承知いたしました」
躊躇する気持ちを気取られまいと、平静を装い答えた。喉元から這い出てこようとする胃袋を押し戻すが如く、大量の唾液を吞み込んだ。
家康に何の恨みもない。否、それどころか、仏に仕える者として、異教徒のキリシタンを保護する近年の信長は理解に苦しむ。それに、仏門への風当たりの激しさは目に余る。比叡山の焼き討ちで数千に及ぶ僧侶、女子供の殺戮、長島や大坂、各地の一向一揆の虐殺、果ては普伝和尚の斬首など枚挙に暇がない。光秀からもなりふり構わぬ仏教弾圧政策に不満の声も聞こえてくる。家康を亡き者にしてはたして仏門は栄えるのだろうか。
天正十年(一五八二年)五月十五日、徳川家康は安土城の信長のもとに御礼言上にやってきた。武田攻めの褒賞として、駿河一国を授かったことへの返礼のためである。
石川数正、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政等、層々たる諸将を引き連れての参上である。諸所の饗宴を受けた後、家康が勧められたのは京都への滞在と堺見物であった。
信長が言うのは、家康も当初物見遊山に気乗りしないようであったが、例の碁盤での対局の話をしたら、是非京に伺いたいと身を乗り出して誘いに乗ったという。正倉院宝物の一つ、木画紫檀棊局で対局できるとしたら、さしもの家康も、その誘惑には適わなかったのだろうと思った。
同年五月二十八日、家康が配下の武将数名を引き連れ、本能寺にやってきた。門前で日海が出迎え、対局の間まで案内した。
家康は微笑を絶やさず、飄々とした趣きで一礼をして部屋に入っていく。綸子(りんず)の小袖に指貫を穿き、茶褐色の広袖の胴服をまとい、戦国武将というよりは、流行り茶屋の主人のようにも思える。戦場を駆け回っているわりには膨よかで血色も良く、平素の食事の良さが偲ばれる。
広々とした広間の中央に木画紫檀棊局が置かれている。日海は、家康の配下の武将を隣の別室で待機させ、家康を広間中央の対局の場まで導いていく。さっそく、使いに信長を呼ばせにやった。
信長は一緒に連れだって来た小姓を下がらせると、対局の場に座り、家康と対峙した。
広間には、自分の他、天下をほぼ手中に収めた随一の権力者織田信長と、同盟者筆頭の徳川家康以外にいない。後は広間入口で小間使いのために控えている小僧一人のみ。今を時めく権力者二人と時間と空間を共有するのは、何やら別世界いるような心持ちがする。日海は、二人の対局の判者を務めるのに一瞬たりとも気が抜けなかった。
「家康殿。これが聖武天皇のゆかりの碁盤じゃ。さあさあ、一局打とうではないか」
信長は、一切の発言を許さぬよう、言うが早いが、対局を始めた。互先、握りで、家康の黒先手、信長白後手となる。家康は、碁石や碁盤の珍しさに魅入られながらも、色鮮やかな碁石の感触を確かめつつ、時を置かず、右下隅の小目に黒石を置く。
信長も、相対するように左上隅の小目に白石を置く。信長は家康が置いたもう一つの隅の小目を攻め、家康は守り、一進一退が続いている。早くも戦いの端緒が切って開かれそうな情勢になった。
堅実に守りを固める家康と攻めを急ぐ信長、日海は、二人の性格が現れていると思った。
家康が左上隅の信長の地に攻撃を仕掛け、間延びしている間に、信長は、左下隅の家康の地に攻撃を仕掛け、左辺に壁を築き中央に広大な地ができるやに思えた。その意図を察知した家康が、中央に風穴をあけるように、左上隅から中央に引き返し、築いた壁を活かしながら中央突破を試みている。
「姉川の戦いを思い出すのぉ。兵数で劣っている浅井・朝倉軍に押されて、一時はどうなるかと思ったが、徳川麾下の別動隊が朝倉軍の横腹をついて一気に形勢が逆転したのぉ。あの一撃は見事であった」
「有難きお言葉に存じます」
「だが、今回はそうは行かぬわ」
そう言って信長は、家康の手の裏側に回り込むそぶりで、壁の傷を覗く一手を置く。
「そうきますか。喉元を押さえられては、攻撃も儘になりませぬ。一時撤退ですな。では、こちらから進むとしましょう」
家康は、信長の守りの薄い左下隅から入り込んで、中央を窺う。
「今度は背後からか。朝倉攻めの時の浅井の裏切りのようじゃな。あの時は一気に撤退して正解じゃったわい。徳川殿が後詰めで防いでくれたのは大いに助かったわい。じゃが、今回はどうかな」
信長は、その動きを封じるべく、今度は戦列に切れ目を入れて、動きの根拠を奪う。
「当時の信長様の撤退の決断は見事でござりました。ですが、今回はそうは行きませぬ」
家康は、切られた戦列を立て直し、中央に領地を確保すべく歩を進めてくる。
「ほう、金ヶ崎の退口でも引かぬと申すか。その意気や良し、褒めて遣わす」
信長は、興奮気味に笑みを浮かべ、中央に取り残されたかに見える家康の包囲戦を始める。
戦働きを知らぬ日海にとっても、二人の石の動きは、戦場を指揮し知略を競う戦場の駆け引きのように思えた。
強引に歩を進めてきた中央で、家康は辛くも小さく地を確保することができた。しかし、中央にこだわったことで、逆に辺への信長の動きを許している。
「ここが急所であろう」
信長は、得意げに笑い、ふと、右辺の黒で囲まれた空地の一点に白石を置いた。
「むむむ、お見事、見抜けなんだ。いやなんの、まだ取り返すことはできるはず」
家康は、荒い信長の領地の弱点を責め、狭めつつ領地を稼ごうとしている。しかし、先ほどの仕損じを補えるほどの手は残されていない。
家康は、顔に噴き出る汗を拭い、時に盤面を見ながら思案をし、時に遠くを見てはまた長考に入り碁を打ち続けた。
結果、整地をすると、信長の十目勝ち。守の家康が破の信長の猛攻をかわしつつ、弱点を責めるものしのぎ切れず、逆に失策をつかれて力尽きた、そんな対局であった。
信長は安堵して大きく溜息をつき、手持ちの扇子を仰ぎ、顔の熱を冷まそうとする。
まずは、家康の一敗。後二回の負けで家康の命は失われる。
「家康殿もまだまだ修練が足りぬな。戦場でまみえたら命が失われておるぞ」
信長は上機嫌にけらけら笑った。
「では、次は拙僧が受けたまわります」
信長と目が合ったが、その意志を込めた視線に耐えられず、すぐに目を逸らした。
――残りは自分次第か。
家康との二局目。家康は、通常通り五目の手合割として、四隅の星と盤の中央の天元に先手分の五つの黒石を置いた。
――五目の手合割、決して油断はできぬ。
この対局の日海の真の目的、一つ目は、ほんの僅差で勝利し、実力が伯仲していると思わせ、家康にもう一局対局させたいと思わせること。二つ目は、信長にも家康にも自分が勝ったと見せかけて、その実、信長に気づかれないよう家康を勝たせ、家康を三敗させず、碁盤の呪いが家康に降りかからないようにすることである。可能であれば、両目的を一遍にこの対局で達成したい。
それには、信長に秘している定め事の一つ、『囲碁の則に違反して勝った者は、その対局は負けとなる』、この定め事をいかに利用するかにかかっている。
先程の家康の腕前、決して筋は悪くない。五目の手合割で、油断をすれば、自分も危ない。加えて、件の如く幾つか家康を勝たせるための足枷もある対局。
日海は、碁笥から白石を一つ取り出し、石を盤面に置こうとする。指先の震えがとまらず、危うく摘まんだ石を落としそうになる。
――過てば、自分の命は失われる、負けられぬのだ。
信長に気取られまいと、深く息を吸い、大きく吐き出し、意志を固め、石を握り直し、右下隅の黒石に対し右辺から掛かりを置く。家康もそれを受け、下辺に開く。
左上隅の上辺側から掛かると、家康はそれを挟み込む。日海はさらに挟み返し、中央に逃げる黒を余所に右上隅の黒に攻撃を仕掛ける。
徐々に盤面に散りばめられた黒が所々切断され、上辺の中央、左上隅は日海の地が作られ始めている。五子の手合割がなかったように互角の情勢になってきている。
日海は落ち着きを取り戻し、少し気を紛らわせようと、家康に話しかけた。
「家康様の流れ旗には、『厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)』と、浄土教の言葉が使われておりますが、これはどういった由来でございましょうか」
「ふむ、信長様が、今川義元公を桶狭間でお討ちになられた時、今川家で前線にいた拙者も、絶体絶命の危機に陥ってのぉ。近くの菩提寺の祖先の墓前で自害しようとしたのじゃ。すると、寺の住職が突然話しかけてきてのぉ、拙者をそう言って諫めてくれたのじゃ」
「汚れた現世を離れ、平和な浄土を喜んで求めよ、つまり武士はやめて仏門に帰依すべし、ということでござりましょうか」
「いやいや、戦乱に終止符を打ち、この世に天下泰平を願うならば、必ずや仏の加護を得て事を成すことができる、との意味じゃ。信長様も拙者も戦乱を終わらせるという大義のもとに戦こうておる。決して自己の欲望のみで戦こうておるのではない」
信長は、興味なさ気に、対局の行末だけを気にかけている様子。
「左様なお心積もりであれば、きっと仏の加護もござりましょう」
日海は軽く家康に頭を下げた。
なるほど、家康は、戦の合間でも暇さえあれば念仏を書くほど信心篤き方と聞く。宗派は違えど、仏門への帰依も深い。この方にこそ天下泰平を築いていただければ、仏門も栄えるのではないか、そんな考えが日海の頭をよぎった。やはり、信長から家康を守らねばならぬのだ。
家康らしい定石通りの碁を難なくかわし、対局は終了した。対局は五分と五分。予断を許さない情勢。信長も固唾を飲みながら盤面を見詰めている。
「五子の手合割じゃ。そろそろ、勝てる気もしてきたわい」
家康は、対局に手ごたえを感じたのか、嬉々として、整地の作業を始める。
日海が目算で数えたところ、完全に五分と五分。想定通りの対局ではある。日海は、ふと、広間の入り口付近で控えている小僧に目配せをした。
二人は、整地を続ける。
整地をしつつ、目線を盤面に向けながらも、日海は、半眼で上座の信長の様子を視界に入れ機会をうかがう。
すると、家康の家臣が控える別室で、ごそごそっと物音がした。一瞬、信長が身構え、信長と家康が盤面から目を離した。長らく別室で控えている家康の家臣に、茶と菓子を振るまえと小僧に言い含めておいたものだ。
その瞬間を逃さず、ずっと袖に隠し持っていた黒石を一つ手の平の中に隠し、地を整えるふりをして、自陣近くの家康の地に置いた。
結果は日海の一目勝ち。
実際は、自分が家康の地に一石置き、囲碁の則に反したことで、自分の負けになっている。あの刹那、信長も気づかなかったはず。
「おしい、一目敗けかのう。信長様にはかなわなんだが、棋力も上がってきているようじゃ。次こそは。もう一局打とうぞ」
家康は日海の誘いに乗った。信長も家康の発言を聞くや、微笑し、日海と目が合った。次も言われた通りやれ、と言わんばかりである。
前の対局で反則により家康を勝たせ、既に目的を達した三局目、結果は日海の十目勝ち。
整地の作業を見ながら、信長は、何食わぬ顔で喜びをかみしめているように見えた。
「本日は、家康殿の三敗。だが、二局目は惜しかったのぉ。三局も連続して対局し、三局目は少し疲れが出た結果でござろう」
信長は平静を装い家康を労った。
家康は、言い訳をぶつくさ言って、やがて従者を連れて宿坊に戻っていった。
信長は家康が三敗したと言った。だが、一局は自分の違反負けで、実は、家康は二敗しかしていない。
――後は、今後の展開、もう一つの布石を打てるかどうかじゃ。
「日海よ、よくやってくれた。これで織田家も安泰じゃ。十日のうちに家康も亡き者になろう。そちに何か褒美をつかわそう」
「ありがたき幸せにござります。では、拙僧の囲碁敵に鹿塩利玄と申す者がおります。ぜひ、その者と木画紫檀棊局にて対局させていただきとうございます。この者、賭碁をしており、様々な不正行為を用いて、碁の弱き者から金を巻き上げておりまする。」
「よかろう。死を賭しても囲碁でその者に勝ちたいと申すか。では、数日後、本能寺にて儂の眼前で対局するがよい」
それから三年が経過した天正十年(一五八二年)の冬、織田勢は武田勝頼を自害に追い込むことに成功し、甲斐・信濃・駿河の広大な領土を手に入れることができた。
日海は、日蓮宗徒として、変わらず、仏事の勤めと修養に励む日々を過ごしている。朝廷ゆかりの木画紫檀棊局のことも、頭から消えていた。碁盤のことより、むしろ浄厳院での信長の所業が頭の隅に燻ぶって、時が経っても消し去ることができなかった。
眼前で鴨のように、一人の人間の頸がはねられ命を落としたこと、それが何より自分より遥か高位の僧であったこと、瞼を閉じると信長の非情な行いが今でも昨日の如く網膜に映し出されるのである。
ある日、寂光寺の本堂で普伝和尚を弔うため読経をしていると、小僧が信長から使いが来たと知らせに来た。信長の滞在先の京の本能寺まで尋ねて来いとのこと。
本能寺は、同じく日蓮宗の寺院で、堀や塀で囲われており、寺院にしてはやや物々しさを感じる造りになっている。織田家指定の宿泊所として時折提供させられていた。
「武田も知っての通りじゃ。毛利や島津もおるが、戦国の世も終わり、天下も治まるのもそう遠くないであろう」
「この度の武田勢との勝ち戦、誠におめでたきことに存じます」
日海は、通り一遍の祝賀の挨拶を述べた。
「突然じゃが、そちに相談があるじゃ。覚えておるか、例の木画紫檀棊局のことじゃ。あの碁盤を使って家康と対局してくれぬか。一局は私が打とう。残り二局はそちに打ってほしい。近々、武田家滅亡の祝いに家康を呼んで安土城で饗宴を催す予定じゃ。光秀に言いつけてある。その後、京都にて一座設けることにしておる。まあ、儂との対局では、家康の碁がいかに強かろうが、儂に勝つような真似はしはしまい。そもそも儂の方が強いからの」
信長は、日海の顔色を確かめながら高らかに笑った。
――やはり、来た。
碁盤吟味の結果を具申した時の不安が再び頭をもたげてきた。信長は家康を殺せと言っている。いずれ信長の天下になろう、そのとき唯一織田家の禍根となるのが家康なのだ。
例の朝廷の碁盤もさることながら、この手で人を殺めろと、手段は違えどそう命じられたことに、日海は身に迫る思いを感じた。
殺しを生業とする武将の間で立ち回り、囲碁を教える身ではあるものの、所詮は囲碁という則に守られ我が身の安全が保障されている。
生きるか死ぬか、常に命を失う危険に晒されながら生きている武家の理が、仏に仕える身でありながらそのままわが身に降りかかってきたのだ。
日海は、胃袋に蓄えた全ての食物をその胃袋ごと今にも吐きだすような悪寒を感じた。
「は、ははっ、承知いたしました」
躊躇する気持ちを気取られまいと、平静を装い答えた。喉元から這い出てこようとする胃袋を押し戻すが如く、大量の唾液を吞み込んだ。
家康に何の恨みもない。否、それどころか、仏に仕える者として、異教徒のキリシタンを保護する近年の信長は理解に苦しむ。それに、仏門への風当たりの激しさは目に余る。比叡山の焼き討ちで数千に及ぶ僧侶、女子供の殺戮、長島や大坂、各地の一向一揆の虐殺、果ては普伝和尚の斬首など枚挙に暇がない。光秀からもなりふり構わぬ仏教弾圧政策に不満の声も聞こえてくる。家康を亡き者にしてはたして仏門は栄えるのだろうか。
天正十年(一五八二年)五月十五日、徳川家康は安土城の信長のもとに御礼言上にやってきた。武田攻めの褒賞として、駿河一国を授かったことへの返礼のためである。
石川数正、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政等、層々たる諸将を引き連れての参上である。諸所の饗宴を受けた後、家康が勧められたのは京都への滞在と堺見物であった。
信長が言うのは、家康も当初物見遊山に気乗りしないようであったが、例の碁盤での対局の話をしたら、是非京に伺いたいと身を乗り出して誘いに乗ったという。正倉院宝物の一つ、木画紫檀棊局で対局できるとしたら、さしもの家康も、その誘惑には適わなかったのだろうと思った。
同年五月二十八日、家康が配下の武将数名を引き連れ、本能寺にやってきた。門前で日海が出迎え、対局の間まで案内した。
家康は微笑を絶やさず、飄々とした趣きで一礼をして部屋に入っていく。綸子(りんず)の小袖に指貫を穿き、茶褐色の広袖の胴服をまとい、戦国武将というよりは、流行り茶屋の主人のようにも思える。戦場を駆け回っているわりには膨よかで血色も良く、平素の食事の良さが偲ばれる。
広々とした広間の中央に木画紫檀棊局が置かれている。日海は、家康の配下の武将を隣の別室で待機させ、家康を広間中央の対局の場まで導いていく。さっそく、使いに信長を呼ばせにやった。
信長は一緒に連れだって来た小姓を下がらせると、対局の場に座り、家康と対峙した。
広間には、自分の他、天下をほぼ手中に収めた随一の権力者織田信長と、同盟者筆頭の徳川家康以外にいない。後は広間入口で小間使いのために控えている小僧一人のみ。今を時めく権力者二人と時間と空間を共有するのは、何やら別世界いるような心持ちがする。日海は、二人の対局の判者を務めるのに一瞬たりとも気が抜けなかった。
「家康殿。これが聖武天皇のゆかりの碁盤じゃ。さあさあ、一局打とうではないか」
信長は、一切の発言を許さぬよう、言うが早いが、対局を始めた。互先、握りで、家康の黒先手、信長白後手となる。家康は、碁石や碁盤の珍しさに魅入られながらも、色鮮やかな碁石の感触を確かめつつ、時を置かず、右下隅の小目に黒石を置く。
信長も、相対するように左上隅の小目に白石を置く。信長は家康が置いたもう一つの隅の小目を攻め、家康は守り、一進一退が続いている。早くも戦いの端緒が切って開かれそうな情勢になった。
堅実に守りを固める家康と攻めを急ぐ信長、日海は、二人の性格が現れていると思った。
家康が左上隅の信長の地に攻撃を仕掛け、間延びしている間に、信長は、左下隅の家康の地に攻撃を仕掛け、左辺に壁を築き中央に広大な地ができるやに思えた。その意図を察知した家康が、中央に風穴をあけるように、左上隅から中央に引き返し、築いた壁を活かしながら中央突破を試みている。
「姉川の戦いを思い出すのぉ。兵数で劣っている浅井・朝倉軍に押されて、一時はどうなるかと思ったが、徳川麾下の別動隊が朝倉軍の横腹をついて一気に形勢が逆転したのぉ。あの一撃は見事であった」
「有難きお言葉に存じます」
「だが、今回はそうは行かぬわ」
そう言って信長は、家康の手の裏側に回り込むそぶりで、壁の傷を覗く一手を置く。
「そうきますか。喉元を押さえられては、攻撃も儘になりませぬ。一時撤退ですな。では、こちらから進むとしましょう」
家康は、信長の守りの薄い左下隅から入り込んで、中央を窺う。
「今度は背後からか。朝倉攻めの時の浅井の裏切りのようじゃな。あの時は一気に撤退して正解じゃったわい。徳川殿が後詰めで防いでくれたのは大いに助かったわい。じゃが、今回はどうかな」
信長は、その動きを封じるべく、今度は戦列に切れ目を入れて、動きの根拠を奪う。
「当時の信長様の撤退の決断は見事でござりました。ですが、今回はそうは行きませぬ」
家康は、切られた戦列を立て直し、中央に領地を確保すべく歩を進めてくる。
「ほう、金ヶ崎の退口でも引かぬと申すか。その意気や良し、褒めて遣わす」
信長は、興奮気味に笑みを浮かべ、中央に取り残されたかに見える家康の包囲戦を始める。
戦働きを知らぬ日海にとっても、二人の石の動きは、戦場を指揮し知略を競う戦場の駆け引きのように思えた。
強引に歩を進めてきた中央で、家康は辛くも小さく地を確保することができた。しかし、中央にこだわったことで、逆に辺への信長の動きを許している。
「ここが急所であろう」
信長は、得意げに笑い、ふと、右辺の黒で囲まれた空地の一点に白石を置いた。
「むむむ、お見事、見抜けなんだ。いやなんの、まだ取り返すことはできるはず」
家康は、荒い信長の領地の弱点を責め、狭めつつ領地を稼ごうとしている。しかし、先ほどの仕損じを補えるほどの手は残されていない。
家康は、顔に噴き出る汗を拭い、時に盤面を見ながら思案をし、時に遠くを見てはまた長考に入り碁を打ち続けた。
結果、整地をすると、信長の十目勝ち。守の家康が破の信長の猛攻をかわしつつ、弱点を責めるものしのぎ切れず、逆に失策をつかれて力尽きた、そんな対局であった。
信長は安堵して大きく溜息をつき、手持ちの扇子を仰ぎ、顔の熱を冷まそうとする。
まずは、家康の一敗。後二回の負けで家康の命は失われる。
「家康殿もまだまだ修練が足りぬな。戦場でまみえたら命が失われておるぞ」
信長は上機嫌にけらけら笑った。
「では、次は拙僧が受けたまわります」
信長と目が合ったが、その意志を込めた視線に耐えられず、すぐに目を逸らした。
――残りは自分次第か。
家康との二局目。家康は、通常通り五目の手合割として、四隅の星と盤の中央の天元に先手分の五つの黒石を置いた。
――五目の手合割、決して油断はできぬ。
この対局の日海の真の目的、一つ目は、ほんの僅差で勝利し、実力が伯仲していると思わせ、家康にもう一局対局させたいと思わせること。二つ目は、信長にも家康にも自分が勝ったと見せかけて、その実、信長に気づかれないよう家康を勝たせ、家康を三敗させず、碁盤の呪いが家康に降りかからないようにすることである。可能であれば、両目的を一遍にこの対局で達成したい。
それには、信長に秘している定め事の一つ、『囲碁の則に違反して勝った者は、その対局は負けとなる』、この定め事をいかに利用するかにかかっている。
先程の家康の腕前、決して筋は悪くない。五目の手合割で、油断をすれば、自分も危ない。加えて、件の如く幾つか家康を勝たせるための足枷もある対局。
日海は、碁笥から白石を一つ取り出し、石を盤面に置こうとする。指先の震えがとまらず、危うく摘まんだ石を落としそうになる。
――過てば、自分の命は失われる、負けられぬのだ。
信長に気取られまいと、深く息を吸い、大きく吐き出し、意志を固め、石を握り直し、右下隅の黒石に対し右辺から掛かりを置く。家康もそれを受け、下辺に開く。
左上隅の上辺側から掛かると、家康はそれを挟み込む。日海はさらに挟み返し、中央に逃げる黒を余所に右上隅の黒に攻撃を仕掛ける。
徐々に盤面に散りばめられた黒が所々切断され、上辺の中央、左上隅は日海の地が作られ始めている。五子の手合割がなかったように互角の情勢になってきている。
日海は落ち着きを取り戻し、少し気を紛らわせようと、家康に話しかけた。
「家康様の流れ旗には、『厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)』と、浄土教の言葉が使われておりますが、これはどういった由来でございましょうか」
「ふむ、信長様が、今川義元公を桶狭間でお討ちになられた時、今川家で前線にいた拙者も、絶体絶命の危機に陥ってのぉ。近くの菩提寺の祖先の墓前で自害しようとしたのじゃ。すると、寺の住職が突然話しかけてきてのぉ、拙者をそう言って諫めてくれたのじゃ」
「汚れた現世を離れ、平和な浄土を喜んで求めよ、つまり武士はやめて仏門に帰依すべし、ということでござりましょうか」
「いやいや、戦乱に終止符を打ち、この世に天下泰平を願うならば、必ずや仏の加護を得て事を成すことができる、との意味じゃ。信長様も拙者も戦乱を終わらせるという大義のもとに戦こうておる。決して自己の欲望のみで戦こうておるのではない」
信長は、興味なさ気に、対局の行末だけを気にかけている様子。
「左様なお心積もりであれば、きっと仏の加護もござりましょう」
日海は軽く家康に頭を下げた。
なるほど、家康は、戦の合間でも暇さえあれば念仏を書くほど信心篤き方と聞く。宗派は違えど、仏門への帰依も深い。この方にこそ天下泰平を築いていただければ、仏門も栄えるのではないか、そんな考えが日海の頭をよぎった。やはり、信長から家康を守らねばならぬのだ。
家康らしい定石通りの碁を難なくかわし、対局は終了した。対局は五分と五分。予断を許さない情勢。信長も固唾を飲みながら盤面を見詰めている。
「五子の手合割じゃ。そろそろ、勝てる気もしてきたわい」
家康は、対局に手ごたえを感じたのか、嬉々として、整地の作業を始める。
日海が目算で数えたところ、完全に五分と五分。想定通りの対局ではある。日海は、ふと、広間の入り口付近で控えている小僧に目配せをした。
二人は、整地を続ける。
整地をしつつ、目線を盤面に向けながらも、日海は、半眼で上座の信長の様子を視界に入れ機会をうかがう。
すると、家康の家臣が控える別室で、ごそごそっと物音がした。一瞬、信長が身構え、信長と家康が盤面から目を離した。長らく別室で控えている家康の家臣に、茶と菓子を振るまえと小僧に言い含めておいたものだ。
その瞬間を逃さず、ずっと袖に隠し持っていた黒石を一つ手の平の中に隠し、地を整えるふりをして、自陣近くの家康の地に置いた。
結果は日海の一目勝ち。
実際は、自分が家康の地に一石置き、囲碁の則に反したことで、自分の負けになっている。あの刹那、信長も気づかなかったはず。
「おしい、一目敗けかのう。信長様にはかなわなんだが、棋力も上がってきているようじゃ。次こそは。もう一局打とうぞ」
家康は日海の誘いに乗った。信長も家康の発言を聞くや、微笑し、日海と目が合った。次も言われた通りやれ、と言わんばかりである。
前の対局で反則により家康を勝たせ、既に目的を達した三局目、結果は日海の十目勝ち。
整地の作業を見ながら、信長は、何食わぬ顔で喜びをかみしめているように見えた。
「本日は、家康殿の三敗。だが、二局目は惜しかったのぉ。三局も連続して対局し、三局目は少し疲れが出た結果でござろう」
信長は平静を装い家康を労った。
家康は、言い訳をぶつくさ言って、やがて従者を連れて宿坊に戻っていった。
信長は家康が三敗したと言った。だが、一局は自分の違反負けで、実は、家康は二敗しかしていない。
――後は、今後の展開、もう一つの布石を打てるかどうかじゃ。
「日海よ、よくやってくれた。これで織田家も安泰じゃ。十日のうちに家康も亡き者になろう。そちに何か褒美をつかわそう」
「ありがたき幸せにござります。では、拙僧の囲碁敵に鹿塩利玄と申す者がおります。ぜひ、その者と木画紫檀棊局にて対局させていただきとうございます。この者、賭碁をしており、様々な不正行為を用いて、碁の弱き者から金を巻き上げておりまする。」
「よかろう。死を賭しても囲碁でその者に勝ちたいと申すか。では、数日後、本能寺にて儂の眼前で対局するがよい」
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