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第二章 正倉院宝物 木画紫檀棊局
木画紫檀碁局の呪いと明智光秀
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【二】
数か月後、日海は、安土城に登城し事の次第を報告し、木画紫檀棊局を信長に返した。
「間違いありませぬ。碁盤の物珍しさから対局する者には事欠きませんでしたが、信長様のおっしゃる通りでございました。この碁盤で対局し三回負けた者は、負けた日の翌日から十日間以内に全ての者が亡くなりました」
「やはりか、思った通りじゃ」
信長は嬉々として思わず立ち上がり、天井を見上げると、再び腰を下ろした。
「亡くなり方は、その者次第で特段の決まりはないように思われます。ただ、医者は流行り病で亡くなり、盗みの噂のある者は盗賊に襲われ、辻斬りの過去のある者は刃傷沙汰にて亡くなりました。どうやら背負った業にふさわしい亡くなり方をするようでございます。つまりは、碁盤によって業の清算が幾ばくか早まる、ということのようでございます」
「なるほどのぉ、でかしたぞ」
信長は、木画紫檀棊局の使い途が頭によぎっているのか、たいそう機嫌良くみえた。
「しかし、業、といったな。業とはなんぞ。まだ、何の業も背負っておらぬ年若き者がその碁盤で三局負けたらどうなるのじゃ」
「しかるに、現生において業を背負ってない者はおらぬと考えます。生きるということは業を積み重ねることでござりまする。蟻を踏みつぶさねば歩けませぬ、稲穂を刈り取らねば生きて行けませぬ。生きとし生けるもの、全ての生命が業を背負っているのでございまする」
日海は、日蓮の言葉を引用しながら、業の考えを説く。
「ふん、どうでもよいわ」
まだ年若い日海の御託にうんざりしたのかその言葉を遮った。自分から聞いておきながら、興味がないとなれば一向に構わず遮る、日海は信長がひどく気が短く身勝手な方なのだと改めて認識した。日海は続ける。
「実は、日々善行を積み重ね、そのたたずまいが仙人のようだと噂された評判の若衆と対局いたしましてございます」
「仙人のような善行を積んだ若衆とな。あまり聞かぬな」
「もちろんその背景は知りませなんだ。しかし、対局後、閨(ねや)で馴染みの遊女に刺され、命果ててござります。聞かば、織田家の者ではござりませぬが、その若衆の父親は、職分とは申せ金山に稼ぎに来ていた多数の遊女を機微を洩らさぬよう全員殺めておりまする。宴を催し、あつらえた宴台にて舞わせ、舞が佳境に至る刹那、宴台ごと谷底に落としたとのことでございます。業の因果も子々孫々引き継がれるものなのでござりましょう」
「なるほどのう、まあよいわ。それで、お主は誰かに負けたのか」
「はい、一度、拙僧の師の仙也と勝負し、負けましてございます」
「だとすると、そちも後二回だの」
信長は、まるで人の命を賭けにしているかのように軽笑いをした。
日海は、何を決意したのか、はっと息を呑み、少し声量を上げ話始めた。
「信長様、拙僧と碁を打った者に不幸が訪れると、町々での噂となっております。噂がはれるまで、しばらくは、公の場で人と碁打つのは控えとうございます。それと、恐れながら申し上げます。仏に仕える身で、この事実を知りながら、今後あの碁盤を使って人様を不幸にしたくはありませぬ」
「ふん、棋譜並べでもして、己で囲碁の研鑽にでも励んでおれ。後のことは、我が命に従えばよい」
信長は、木画紫檀棊局を用いたくないという日海の依頼には明確に答えず話を打ち切った。ただ、信長は、今後の使い道が頭にあるのか、木画紫檀棊局をじっと見詰め不敵な笑みを浮かべた。
日海は、碁盤の秘密を探れとの命について、信長の推論には答えを出し報告を上げた。しかし、実は信長に伝えていない木画紫檀棊局の隠された定め事が二つあった。日海は、それを信長に伝えるかどうか決めかねていた。
一つは、囲碁の則に違反して勝った者は、その対局は負けと認められるということ。そして、もう一つ、対局を邪魔し台無しにした者は三回の負けとみなされ死ぬ、ということである。
信長の命で木画紫檀棊局を検分している際、師の仙也と対局していたが、年若い小僧がお茶をこぼし、焦って盤上の碁石を全て払い落としてしまったということがあった。三日後、小僧は湯船で息絶えているのが見つかった。日海は、これで対局の邪魔をすると突然三回の負けとなり命が失われるという定め事が存在するのも間違いないのだと思った。
仏に仕える身であり碁盤を用いたくないとの歎願には明確な答えを頂けなかった。そうであれば、二つの秘した定めを今ここで伝えるのは、囲碁の嵌め手(はめて)破りの手筋を明かしてしまうようで、どうしても憚られたのだ。
信長は、木画紫檀棊局を何らかの形で利用するだろう。しかし、いつどう利用するのかわからぬ。信長が隠された定め事に気づけば、知らなかったと言えば済む話。自分もどう利用されるのかわからぬ、手の内のすべてを明かしたくはなかった。
日海は居住まいを正すと、大広間を辞し、渡り廊下を下っていった。
すると、向かいから赤みがかったくすんだ茶色の肩衣を羽織り、薄くなった白髪で無理に二つ折りの髷を結った年配の男が近づいてくる。
すれ違い、お互い軽く会釈をする。謹直な印象ではあったが、立ち居振る舞いに隙はなく、動きの所作も丁寧で、公家に近い出身の者と思われた。
ただ、顔の皴は深く、疲れているようで、悩み深く何事かを考え抜いているようである。寝殿の出口を守衛する門番に尋ねたところ、かの明智光秀であるとのことだった。
明智光秀は、将軍足利義昭に仕えていたが、件の比叡山焼き討ちで、信長に大いに認められたと聞く。近江国志賀郡に五万石を与えられ、琵琶湖岸に坂本城を築き、外様では一早く城持ちになったとか。丹波攻めでも亀山城を築き、今や二つの城持ちの将。近畿方面の遊軍として織田家の戦にはほとんど顔を出している。出世の早さでも織田家一、二を競うほどらしい。今を時めく旗頭武将として世上でも評判も高い。
安土城の完成も間近で武将が訪れる機会も増えてきており、日海は、安土城下で度々光秀を見かけることがあった。また、信長主宰の碁会でも光秀と顔を合わせるようになっていた。
数か月後、日海は、安土城に登城し事の次第を報告し、木画紫檀棊局を信長に返した。
「間違いありませぬ。碁盤の物珍しさから対局する者には事欠きませんでしたが、信長様のおっしゃる通りでございました。この碁盤で対局し三回負けた者は、負けた日の翌日から十日間以内に全ての者が亡くなりました」
「やはりか、思った通りじゃ」
信長は嬉々として思わず立ち上がり、天井を見上げると、再び腰を下ろした。
「亡くなり方は、その者次第で特段の決まりはないように思われます。ただ、医者は流行り病で亡くなり、盗みの噂のある者は盗賊に襲われ、辻斬りの過去のある者は刃傷沙汰にて亡くなりました。どうやら背負った業にふさわしい亡くなり方をするようでございます。つまりは、碁盤によって業の清算が幾ばくか早まる、ということのようでございます」
「なるほどのぉ、でかしたぞ」
信長は、木画紫檀棊局の使い途が頭によぎっているのか、たいそう機嫌良くみえた。
「しかし、業、といったな。業とはなんぞ。まだ、何の業も背負っておらぬ年若き者がその碁盤で三局負けたらどうなるのじゃ」
「しかるに、現生において業を背負ってない者はおらぬと考えます。生きるということは業を積み重ねることでござりまする。蟻を踏みつぶさねば歩けませぬ、稲穂を刈り取らねば生きて行けませぬ。生きとし生けるもの、全ての生命が業を背負っているのでございまする」
日海は、日蓮の言葉を引用しながら、業の考えを説く。
「ふん、どうでもよいわ」
まだ年若い日海の御託にうんざりしたのかその言葉を遮った。自分から聞いておきながら、興味がないとなれば一向に構わず遮る、日海は信長がひどく気が短く身勝手な方なのだと改めて認識した。日海は続ける。
「実は、日々善行を積み重ね、そのたたずまいが仙人のようだと噂された評判の若衆と対局いたしましてございます」
「仙人のような善行を積んだ若衆とな。あまり聞かぬな」
「もちろんその背景は知りませなんだ。しかし、対局後、閨(ねや)で馴染みの遊女に刺され、命果ててござります。聞かば、織田家の者ではござりませぬが、その若衆の父親は、職分とは申せ金山に稼ぎに来ていた多数の遊女を機微を洩らさぬよう全員殺めておりまする。宴を催し、あつらえた宴台にて舞わせ、舞が佳境に至る刹那、宴台ごと谷底に落としたとのことでございます。業の因果も子々孫々引き継がれるものなのでござりましょう」
「なるほどのう、まあよいわ。それで、お主は誰かに負けたのか」
「はい、一度、拙僧の師の仙也と勝負し、負けましてございます」
「だとすると、そちも後二回だの」
信長は、まるで人の命を賭けにしているかのように軽笑いをした。
日海は、何を決意したのか、はっと息を呑み、少し声量を上げ話始めた。
「信長様、拙僧と碁を打った者に不幸が訪れると、町々での噂となっております。噂がはれるまで、しばらくは、公の場で人と碁打つのは控えとうございます。それと、恐れながら申し上げます。仏に仕える身で、この事実を知りながら、今後あの碁盤を使って人様を不幸にしたくはありませぬ」
「ふん、棋譜並べでもして、己で囲碁の研鑽にでも励んでおれ。後のことは、我が命に従えばよい」
信長は、木画紫檀棊局を用いたくないという日海の依頼には明確に答えず話を打ち切った。ただ、信長は、今後の使い道が頭にあるのか、木画紫檀棊局をじっと見詰め不敵な笑みを浮かべた。
日海は、碁盤の秘密を探れとの命について、信長の推論には答えを出し報告を上げた。しかし、実は信長に伝えていない木画紫檀棊局の隠された定め事が二つあった。日海は、それを信長に伝えるかどうか決めかねていた。
一つは、囲碁の則に違反して勝った者は、その対局は負けと認められるということ。そして、もう一つ、対局を邪魔し台無しにした者は三回の負けとみなされ死ぬ、ということである。
信長の命で木画紫檀棊局を検分している際、師の仙也と対局していたが、年若い小僧がお茶をこぼし、焦って盤上の碁石を全て払い落としてしまったということがあった。三日後、小僧は湯船で息絶えているのが見つかった。日海は、これで対局の邪魔をすると突然三回の負けとなり命が失われるという定め事が存在するのも間違いないのだと思った。
仏に仕える身であり碁盤を用いたくないとの歎願には明確な答えを頂けなかった。そうであれば、二つの秘した定めを今ここで伝えるのは、囲碁の嵌め手(はめて)破りの手筋を明かしてしまうようで、どうしても憚られたのだ。
信長は、木画紫檀棊局を何らかの形で利用するだろう。しかし、いつどう利用するのかわからぬ。信長が隠された定め事に気づけば、知らなかったと言えば済む話。自分もどう利用されるのかわからぬ、手の内のすべてを明かしたくはなかった。
日海は居住まいを正すと、大広間を辞し、渡り廊下を下っていった。
すると、向かいから赤みがかったくすんだ茶色の肩衣を羽織り、薄くなった白髪で無理に二つ折りの髷を結った年配の男が近づいてくる。
すれ違い、お互い軽く会釈をする。謹直な印象ではあったが、立ち居振る舞いに隙はなく、動きの所作も丁寧で、公家に近い出身の者と思われた。
ただ、顔の皴は深く、疲れているようで、悩み深く何事かを考え抜いているようである。寝殿の出口を守衛する門番に尋ねたところ、かの明智光秀であるとのことだった。
明智光秀は、将軍足利義昭に仕えていたが、件の比叡山焼き討ちで、信長に大いに認められたと聞く。近江国志賀郡に五万石を与えられ、琵琶湖岸に坂本城を築き、外様では一早く城持ちになったとか。丹波攻めでも亀山城を築き、今や二つの城持ちの将。近畿方面の遊軍として織田家の戦にはほとんど顔を出している。出世の早さでも織田家一、二を競うほどらしい。今を時めく旗頭武将として世上でも評判も高い。
安土城の完成も間近で武将が訪れる機会も増えてきており、日海は、安土城下で度々光秀を見かけることがあった。また、信長主宰の碁会でも光秀と顔を合わせるようになっていた。
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