YUZU

箕面四季

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【微妙な距離】

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 冷たく清々しい風に薄っすら漂うつんと尖った潮の匂い。畑の肥えた土の匂い。土手で枯れている雑草の匂い。
 遠くには山。

 列車を降りた瞬間、柚樹は思った。夏目のじいちゃんばあちゃんちの匂いがする。と。

 土と海の混ざり合った独特の匂いを嗅ぐと、反射的に夏目のじいちゃんばあちゃんちに来たな、と思う。風土の匂い、とでもいうんだろうか。

 そういえば、お線香と古い畳の匂いを嗅ぐと春野のじいちゃんばあちゃんちの大座敷が目に浮かぶ。あと、自転車オイルの匂い。
 春野家は古い商店街の端にあり、一階で『春野サイクル』という自転車屋を営んでいる。だから春野のじいちゃんの手はいつでもキュッと鼻につく自転車オイルの匂いがする。あの匂い、好きなんだよな。

 寡黙なじいちゃんが自転車を修理している姿がかっこよくて、一時期の柚樹の将来の夢は自転車屋さんだった。今は、夢とか別にないけど。

 排気ガスと焼け焦げたアスファルトの匂いは、秋山のじいちゃんばあちゃんちを彷彿とさせる。秋山家のマンションのすぐ下は幹線道路が走っているから。

 秋山の家では洗濯物をベランダに干せない。白いTシャツを干したら黒く染まるというのが、秋山家鉄板のジョークで、柚樹にはどこが面白いのかさっぱりわからないけれど、みんな笑うからとりあえず合わせて笑っとくというのも、恒例行事だ。

 どの匂いも、なんだかホッとするような、懐かしいような、そんな匂いだ。夏休みや冬休みを連想させる、ワクワクする匂い。

 そんなことをつらつら考えながら歩いていたら「ユズ? ユズじゃあないか? おーい」と、遠くから柚樹を呼ぶ声が聞こえた。
 目を凝らすと、遠くに見えていたばあちゃんちの畑に小さな人影があった。声からして、たぶん夏目のじいちゃんだが、遠すぎて顔は判別できない。

「なんであそこから、オレのことがわかったんだ?」
 こっちから見てじいちゃんかどうか判別不能ということは、あっちから見ても柚樹かどうかわからないはずだ。遊びに行くと事前に電話を入れていたなら、まだしも、今日は突然来たのに。

「愛よ、愛」
 後ろで柚葉がむず痒いセリフを吐いた。

 駅を出てからこっち、何故か柚樹と一定の間隔をあけて後ろをついてくる柚葉。
 まるで通学路の先を苦手な知り合いが歩いていて、気づかれないように距離を保ってついていくみたいな、絶妙に他人行儀な距離感だ。

「あのさ、もうちょい近づいたら?」
 振り返ってそう柚樹が言っても「いいのよ、これで」と、柚葉は頑なだ。

 いつもはパーソナルスペースないんかい!ってくらい近すぎで、すぐ手を繋ぎたがるくせに、なんなんだよ一体と、柚樹は眉をよせる。

「おーい。ユズ~」
 夏目のじいちゃんは、柚樹の名前を連呼して手をブンブン振り続けている。

(こっちはこっちで、ハズい)
 ここが、ど田舎でよかったと、柚樹は思う。

 水族館の時とは違って人目を気にする必要がないから、柚葉のおかしな行動もじいちゃんのハズい言動も、とりあえず目をつぶっていられる。

「それじゃ、私は駅前の喫茶店でパフェ食べてるから」
「は? なんで? じいちゃんちに用事があるんだろ?」

「今のでわかったしもういいの。じゃねー」
 柚葉はくるりと方向転換をして、足早に駅の方へ向かって行ってしまった。

(なんなんだよ、一体)
 夏目のじいちゃんばあちゃんちに行きたいって言ったのは柚葉なのに。訳も分からず取り残されて立ち尽くす柚樹の肩を、ぽんと、誰かが叩いた。

「や~っぱりユズだったか。じいちゃん、目がいいじゃろ」
 振り向けば作業着に長靴姿のじいちゃんが立っていた。

「ゲッ、いつの間に!」
「じいちゃん、駿足じゃろ」
 わっはっはと笑う日焼けしたじいちゃんは、還暦間近とは思えないダイナミックな風貌である。
 アメリカのカンザス州にいそうなイメージ。カンザス州、知らないけど。

「ユズ、グッドタイミングじゃい。今、畑の枯草燃やして焼き芋しとったんだぞ。ちょうど焼きあがるところだ。はよ来い。今年のサツマイモは小ぶりだが目ん玉飛び出すくらい甘いぞ~。あ、ほっぺた落ちるくらいだったか。わっはっは」

「え、あ……うん」
 既に柚葉は、通りの角を曲がって見えなくなっていた。後ろ髪引かれつつ、柚樹はじいちゃんと並んで歩き出す。

「どうだ、一人暮らしは」
 唐突に尋ねられ、柚樹は驚いてじいちゃんを見上げた。

「何で知ってるの?」
「お前の父さんが空港からうちに電話してきてな。出張中に母さんが産気づいて連絡がつかないと困るので~、とかなんとか、言うとったわ。なんぞ焦っとってよう聞き取れんかったがな」
 わっはっは、と、何がおかしいのか、じいちゃんはまたしても豪快に笑う。

「お前が一人暮らししとるんは、ばあちゃんに内緒にしとる。アレに言うたら血相変えて押し掛けるんが見えとるからな」
(確かに)
 柚樹の頭にも、あれこれ世話を焼こうとする面倒くさすぎるばあちゃんがぱっと浮かんだ。

「誰にでも独りになりたいときくらいある」
 じゃりじゃりの顎髭を触りながら呟いたじいちゃんに、柚樹の心臓がドキリと跳ね上がった。

(じいちゃんは、オレが赤ちゃんを嫌ってること、気づいてるんだ)
 母さんのお腹にいる赤ちゃんは、正真正銘じいちゃんの孫だ。血のつながった、目に入れても痛くない、可愛い可愛い初孫。その初孫の誕生を嫌うオレ。

『義理孫は所詮他人です。よその子どもです。主人は「我慢するしかない」と言いますが……』

 ネットの投稿が思い出され、もくもくと柚樹の胸の中に深い闇が立ち込めていく。やっぱりじいちゃんも心の中では「我慢するしかない」って思っているのかな。

「ほれ、畑の奥で煙が上がっとるじゃろ。あそこでイモ焼いとる。焚火イモじゃ。今、ばあちゃんはお前の母さんのところに行っとるから、チャンスチャンス」

 いつもと同じじいちゃんの明るい声が、何故か嘘くさく聞こえて、柚樹の胸はズキズキと痛んでいた。
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