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【6年3組の方程式】
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運転席でハンドルを握る父さんの表情は硬く、少し青ざめて見える。
「母さんな、予定日が近づいてきたから、父さんたちのためにご飯のおかずを作って冷凍してたらしいんだ。朝から立ちっぱなしで料理してたら、急に具合が悪くなって、救急車を呼んだみたいだ」
会議で携帯の電源を切っていた父さんに代わって、母さんの母さんである夏目のばあちゃんが救急病院に駆けつけた。
母子ともに異常はなかったものの、大事を取って出産まで入院したほうがいいと言われ、隣の県にある夏目のばあちゃん家の近くの総合病院に入院したという。
「総合病院まで高速を使っても2時間近くかかるから、腹が減ったら後ろのパンをテキトーに食べてくれ」
父さんは一瞬だけ柚樹に目をやってから、すぐに前を向いて運転を続けた。撥水加工を施したフロントガラスに玉のような雨がぶつかっては流れていく。
ワイパーの作動音がウィーン、ウィーンと規則正しい音を奏で、ボリュームを絞ったFMから流れる人気のK-popだけが、場違いに明るかった。
後部座席を覗き込むとコンビニ袋が転がっていて、菓子パンやお茶がはみ出ている。
柚樹が上半身を乗り出して、袋の中にあったメロンパンを取り出していると「夏目のおばあちゃんの話だと、今はお腹の赤ちゃんも母さんもすごく元気みたいだ。父さん、ホッとしたよ」と、父さんが声をかけてきた。
(どうせなら赤ちゃんだけ助からなきゃ良かったのに)
ホッとした父さんとは真逆に、柚樹は心底がっかりしていた。
母さんの妊娠がクラスにバレたのは、家の近所にあるすこやか産婦人科で、クラスメイトのゆかりの母親が事務のパートを始めたからだった。
「柚樹君ち、赤ちゃんが生まれるんでしょ? いいなぁ」とにっこり笑いかけてきたゆかりに、柚樹は内心舞い上がった。
クラスで一番人気の可愛いゆかりに話しかけられて、嬉しくない男子はいない。
その上「なに?」「なんの話?」と他の女子たちも集まってきて……。
「名前はもう決まった」「弟? 妹?」「今何か月? お腹動く?」と、質問攻めにあったのだ。
まさにハーレム。
柚樹は「妹だよ」とか、「お腹、すげぇ動いてる」とか、得意になって話していた。
「柚樹最近モテモテじゃん」と、ダチの康太と春信が肘でつついてくるのを「そんなんじゃねーよ」と否定しながら、まんざらでもなかった。
浮かれていた。
なにせ父さんと母さんから「赤ちゃんができた」と聞かされて以降、モヤモヤしっぱなしだったのだ。女子たちの反応、特にゆかりと親しく話せる日々に「赤ちゃんも悪くないか」と、ようやく気持ちを切り替えようとした矢先だったのだ。
朔太郎らによってクラスの風向きが一変したのは。
「なあなあ。お前んちって、再婚なんだって?」
いつものようにゆかりや他の女子たちに囲まれていた柚樹の机に、朔太郎と律と悠馬がニヤニヤしながら割り込んできた。
「そうだけど」
三人は顔を見合わせて意味ありげに笑い合う。
「父ちゃんが再婚らしいじゃん? つまり父ちゃんは二人目の女を妊娠させたって事だろ。しかもさー、お前の母ちゃんって、お前が通ってた保育園の先生だったらしいじゃん? 子供の先生と保護者が再婚とか、エロくね? しかも妊娠ってやっべー。オレなら知られた時点でハズ過ぎて死ぬんだけど」
「え」
「だよなー、マジ死にたくなるわー! エロすぎて死(笑)みたいな。教師と保護者のイケない関係的な? そんでもって妊娠って最悪じゃん。もう死ぬしかねー」と律もニヤニヤする。
「響きがエグイわ(草)」と悠馬もかぶせてくる。
二人の言葉を満足そうに聞いた後、朔太郎が柚樹と女子を見回しニタニタ笑った。
「お前も父ちゃんのエロ遺伝子を受け継いでるから、こうやって女子をはべらかしてんだろ」
「そんな、オレは」
「ちょっと男子! そういうこと言うのは良くないわ! 柚樹君困ってるじゃない」
柚樹が言いかけるより早く、クラス委員を務める優等生のゆかりが朔太郎たちに強い口調で注意したので、柚樹はホッとしていた。思った通り「そうよ、そうよ」と他の女子たちも応戦し始めている。
こうなると、女子の方が男子よりも圧倒的に強い。団結した女子は弁が立つ。言い争いになれば、男子は尻尾を巻いて逃げるしかなくなるのだ。
が、朔太郎たちは違った。
「え? ゆかりってもしかして、こいつに気がある系?」
「はぁ? なによ、それ」
思いがけず水を向けられたゆかりがほのかに動揺を見せ、にやりと朔太郎がほくそ笑む。
「あ、お二人さんって、もうそういう関係? 教師と保護者の次は、生徒同士のイケない関係ですかぁ?」
真っ赤になったゆかりが「違う!」と怒鳴った。
思いっきり否定された柚樹は、何故かコクってフラれたみたいな心境になってへこんだが、あの時、悠長に傷ついている場合じゃなかったのだ。
(もっと早くに、オレがちゃんと言い返していたら)
悔やんでも、もう遅いけれど。
いきなりの展開にいろいろ動揺している柚樹を見ながら、朔太郎は意地悪い笑みを湛えて、とどめの一言を放ったのである。
「女子さぁ、気をつけろよ~。柚樹に触れると妊娠するぜ」
「ちょ、何言って」
さすがに慌てた柚樹だが、時既に遅し。女子たちは「きゃ」と一斉に柚樹の机から飛びのいてしまった。
キーンコーンカーンコーンと、休み時間終了のチャイムが鳴り響いた。まるで、試合終了のゴングのようだと思った。でも今思えば、あれは始まりゴングだったのだ。
その日を境に、朔太郎、律、悠馬に先導されたクラスの男子たちが、柚樹をエロいとからかい始めるようになったのである。
そのうち、柚樹の机に集まらなかったおとなしめな女子たちが、嫌悪の視線を投げてくるようになった。それはあっという間に女子全体に伝播して、柚樹に好意的だった女子たちも柚樹を避けるようになっていった。
その辺りから、女子たちの間では、休み時間になるといろんな再婚話が飛び交い始めるようになった。
親戚で再婚した人がいるけど、略奪婚だったらしいよ。
芸能人の○○と○○って、不倫の末の再婚なんだって。
私の知り合いの子の話なんだけどね、その知り合いの子の幼稚園でも、シングルの保護者と先生がそういう関係になっちゃって問題になったんだって。それで、先生は仕事を辞めて、その保護者と遠い場所に引っ越して再婚したんだって。でもすぐに上手くいかなくなって離婚しちゃったらしいよ。
やっぱり再婚って普通じゃないんだねー。再婚の子供ってちょっと可哀想~、でもやっぱりなんか怖いかも、手が早そうだよねーと、囁きながら、チラチラと柚樹を見てくる。
しっ、よくないよー、と一応たしなめながら、ゆかりもちゃっかりその輪に入っていた。
ダチだったはずの康太と春信は、ひっそりと離れていった。
クラスのムードで善悪が決まることは、わりとよくある話だ。いつの頃からか、みんな、空気を読んで生きている。
6年3組では、再婚、妊娠、出産=エロい=柚樹=悪という方程式が完成した。
あっという間に柚樹は孤立。今やぼっちだった。
「母さんな、予定日が近づいてきたから、父さんたちのためにご飯のおかずを作って冷凍してたらしいんだ。朝から立ちっぱなしで料理してたら、急に具合が悪くなって、救急車を呼んだみたいだ」
会議で携帯の電源を切っていた父さんに代わって、母さんの母さんである夏目のばあちゃんが救急病院に駆けつけた。
母子ともに異常はなかったものの、大事を取って出産まで入院したほうがいいと言われ、隣の県にある夏目のばあちゃん家の近くの総合病院に入院したという。
「総合病院まで高速を使っても2時間近くかかるから、腹が減ったら後ろのパンをテキトーに食べてくれ」
父さんは一瞬だけ柚樹に目をやってから、すぐに前を向いて運転を続けた。撥水加工を施したフロントガラスに玉のような雨がぶつかっては流れていく。
ワイパーの作動音がウィーン、ウィーンと規則正しい音を奏で、ボリュームを絞ったFMから流れる人気のK-popだけが、場違いに明るかった。
後部座席を覗き込むとコンビニ袋が転がっていて、菓子パンやお茶がはみ出ている。
柚樹が上半身を乗り出して、袋の中にあったメロンパンを取り出していると「夏目のおばあちゃんの話だと、今はお腹の赤ちゃんも母さんもすごく元気みたいだ。父さん、ホッとしたよ」と、父さんが声をかけてきた。
(どうせなら赤ちゃんだけ助からなきゃ良かったのに)
ホッとした父さんとは真逆に、柚樹は心底がっかりしていた。
母さんの妊娠がクラスにバレたのは、家の近所にあるすこやか産婦人科で、クラスメイトのゆかりの母親が事務のパートを始めたからだった。
「柚樹君ち、赤ちゃんが生まれるんでしょ? いいなぁ」とにっこり笑いかけてきたゆかりに、柚樹は内心舞い上がった。
クラスで一番人気の可愛いゆかりに話しかけられて、嬉しくない男子はいない。
その上「なに?」「なんの話?」と他の女子たちも集まってきて……。
「名前はもう決まった」「弟? 妹?」「今何か月? お腹動く?」と、質問攻めにあったのだ。
まさにハーレム。
柚樹は「妹だよ」とか、「お腹、すげぇ動いてる」とか、得意になって話していた。
「柚樹最近モテモテじゃん」と、ダチの康太と春信が肘でつついてくるのを「そんなんじゃねーよ」と否定しながら、まんざらでもなかった。
浮かれていた。
なにせ父さんと母さんから「赤ちゃんができた」と聞かされて以降、モヤモヤしっぱなしだったのだ。女子たちの反応、特にゆかりと親しく話せる日々に「赤ちゃんも悪くないか」と、ようやく気持ちを切り替えようとした矢先だったのだ。
朔太郎らによってクラスの風向きが一変したのは。
「なあなあ。お前んちって、再婚なんだって?」
いつものようにゆかりや他の女子たちに囲まれていた柚樹の机に、朔太郎と律と悠馬がニヤニヤしながら割り込んできた。
「そうだけど」
三人は顔を見合わせて意味ありげに笑い合う。
「父ちゃんが再婚らしいじゃん? つまり父ちゃんは二人目の女を妊娠させたって事だろ。しかもさー、お前の母ちゃんって、お前が通ってた保育園の先生だったらしいじゃん? 子供の先生と保護者が再婚とか、エロくね? しかも妊娠ってやっべー。オレなら知られた時点でハズ過ぎて死ぬんだけど」
「え」
「だよなー、マジ死にたくなるわー! エロすぎて死(笑)みたいな。教師と保護者のイケない関係的な? そんでもって妊娠って最悪じゃん。もう死ぬしかねー」と律もニヤニヤする。
「響きがエグイわ(草)」と悠馬もかぶせてくる。
二人の言葉を満足そうに聞いた後、朔太郎が柚樹と女子を見回しニタニタ笑った。
「お前も父ちゃんのエロ遺伝子を受け継いでるから、こうやって女子をはべらかしてんだろ」
「そんな、オレは」
「ちょっと男子! そういうこと言うのは良くないわ! 柚樹君困ってるじゃない」
柚樹が言いかけるより早く、クラス委員を務める優等生のゆかりが朔太郎たちに強い口調で注意したので、柚樹はホッとしていた。思った通り「そうよ、そうよ」と他の女子たちも応戦し始めている。
こうなると、女子の方が男子よりも圧倒的に強い。団結した女子は弁が立つ。言い争いになれば、男子は尻尾を巻いて逃げるしかなくなるのだ。
が、朔太郎たちは違った。
「え? ゆかりってもしかして、こいつに気がある系?」
「はぁ? なによ、それ」
思いがけず水を向けられたゆかりがほのかに動揺を見せ、にやりと朔太郎がほくそ笑む。
「あ、お二人さんって、もうそういう関係? 教師と保護者の次は、生徒同士のイケない関係ですかぁ?」
真っ赤になったゆかりが「違う!」と怒鳴った。
思いっきり否定された柚樹は、何故かコクってフラれたみたいな心境になってへこんだが、あの時、悠長に傷ついている場合じゃなかったのだ。
(もっと早くに、オレがちゃんと言い返していたら)
悔やんでも、もう遅いけれど。
いきなりの展開にいろいろ動揺している柚樹を見ながら、朔太郎は意地悪い笑みを湛えて、とどめの一言を放ったのである。
「女子さぁ、気をつけろよ~。柚樹に触れると妊娠するぜ」
「ちょ、何言って」
さすがに慌てた柚樹だが、時既に遅し。女子たちは「きゃ」と一斉に柚樹の机から飛びのいてしまった。
キーンコーンカーンコーンと、休み時間終了のチャイムが鳴り響いた。まるで、試合終了のゴングのようだと思った。でも今思えば、あれは始まりゴングだったのだ。
その日を境に、朔太郎、律、悠馬に先導されたクラスの男子たちが、柚樹をエロいとからかい始めるようになったのである。
そのうち、柚樹の机に集まらなかったおとなしめな女子たちが、嫌悪の視線を投げてくるようになった。それはあっという間に女子全体に伝播して、柚樹に好意的だった女子たちも柚樹を避けるようになっていった。
その辺りから、女子たちの間では、休み時間になるといろんな再婚話が飛び交い始めるようになった。
親戚で再婚した人がいるけど、略奪婚だったらしいよ。
芸能人の○○と○○って、不倫の末の再婚なんだって。
私の知り合いの子の話なんだけどね、その知り合いの子の幼稚園でも、シングルの保護者と先生がそういう関係になっちゃって問題になったんだって。それで、先生は仕事を辞めて、その保護者と遠い場所に引っ越して再婚したんだって。でもすぐに上手くいかなくなって離婚しちゃったらしいよ。
やっぱり再婚って普通じゃないんだねー。再婚の子供ってちょっと可哀想~、でもやっぱりなんか怖いかも、手が早そうだよねーと、囁きながら、チラチラと柚樹を見てくる。
しっ、よくないよー、と一応たしなめながら、ゆかりもちゃっかりその輪に入っていた。
ダチだったはずの康太と春信は、ひっそりと離れていった。
クラスのムードで善悪が決まることは、わりとよくある話だ。いつの頃からか、みんな、空気を読んで生きている。
6年3組では、再婚、妊娠、出産=エロい=柚樹=悪という方程式が完成した。
あっという間に柚樹は孤立。今やぼっちだった。
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epilogue...
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◆献辞
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