上 下
49 / 52

49 他人事

しおりを挟む


 理性と言うものは、人が社会的な生活をおくる上で必要不可欠であり無くてはならない大切なもの。

 なのに自分の事を軽々と抱き上げて膝の上に乗せたその男はその理性が保てないと、熱い眼差しでこちらを見つめながら宣ってきた。

 ……引きこもりの中に眠る、ほんの僅かな野生の本能がこれは危険だと警鐘を鳴らす。

 だからアイリスはそろりと、自分の事を包み込むように抱きしめているラファエル公爵から逃げ出そうと身動ぐが。

 しっかりとアイリスは抱きすくめられていて、その膝の上から全く逃げ出せそうな気配がない。

「……どうした、アイリス?」

 そんなアイリスの行動を不審に思ったのか、ラファエル公爵は余計にしっかりとまるで囲うようにその逞しい腕で抱きしめた。

 アイリスはラファエル公爵のその行動に、身の危険を感じてしまい。

「ひゃあっ……!」

 情けない声を出してその腕から逃げ出そうするが、貧弱なアイリスでは抜け出せなくて。

 くりっとしたチョコレート色の瞳は潤み、顔を少し赤らめて上目遣いするという精神攻撃をアイリスはラファエル公爵にするから。

 二人が乗る馬車がフォンテーヌ公爵家に到着するまでの間、ラファエル公爵は理性と戦うはめになった。

 

「おかえりなさいなさいませ、アイリス様!」

 にっこりと微笑んでフォンテーヌ公爵邸の前で出迎えてくれたのは、アイリスの専属メイドジェシカで。

「っジェシカただいま!」

 花が咲くような笑顔でアイリスは、出迎えてくれたジェシカの元へ一目散に駆け寄っていく。
 
 そんなアイリスの後ろ姿を、少しやつれたような顔でラファエル公爵は見守りながら一息つく。

 ラファエル公爵は耐えきった、そしてどうにか己との苛烈な戦いに勝利した。

 何度その誘惑に負けそうになっただろうか、これならば近衛隊の訓練のほうが余程楽だとラファエル公爵は思った。

 
「ああ、ジェシカ? 君は他の仕事をしていてくれ、アイリスは私が部屋に連れていくから」

 そうラファエル公爵は、アイリスとの再会を喜ぶジェシカに命令するから。

 ちらりとアイリスの専属メイドジェシカは、雇い主であるラファエル公爵を横目に見て。

「……はい、かしこまりました。ではアイリス様、また後程湯浴みのお手伝いに参りますので、私はこれにて失礼いたします」

 と、アイリスだけにジェシカは恭しくお辞儀をしてその場を去っていく。

 そして取り残されたアイリスは、やっと危険から解放されたのにと肩をがっくりと落とす。

 たしかにアイリスはラファエル公爵に、恋をしていると自覚している。

 ……でも、ソレとコレとは話が違う。

 そりゃ一応アイリスは、ラファエル公爵と契約結婚した三年前にたとえお飾りの妻でも夫婦になるのだから、があるかもしれないと覚悟はしていた。

 でも……今さら? 

 だがそんな覚悟、アイリスは三年前の初夜に小躍りしながら投げ捨てた。
 
 だから今さらそんな熱い眼差しをラファエル公爵に向けられても、正直困るのである。

 いくらラファエル公爵に恋をしたとしても、まだアイリスはそんな事は全く望んでいない。

 だってそれは本当の夫婦がする事だから。

「私が君の部屋までエスコートしよう、……さあアイリス、おいで?」

 ……いやいや、『おいで?』じゃ、ないし!

 スッ……っと腕を出して来ないで?!

 使用人達がじぃっ……と見てるからその腕を、ラファエル様のエスコートを拒否出来ないっ……!

「っ……お願いいたします、ラファエル様」

 渋々とアイリスはラファエル公爵にエスコートされて、フォンテーヌ公爵家の公爵夫人の部屋に向かう。

 十日ぶりのフォンテーヌ公爵家は、アイリスの実家ヴァロア男爵家とは天と地ほど違っていて、とても広くて洗練されていて豪華。

 廊下には美術品が飾られていて、屋敷内を歩くだけで美術館にでも来たような気分になれる。

 同じ貴族なのに、貧乏男爵家の令嬢として転生したアイリスとは住む世界がラファエル公爵とはあまりにも違い過ぎた。

 でもここは貴族の屋敷だし、まあそんなもんか?

 と、この豪華な屋敷の女主人で、今は貧乏男爵家の令嬢ではなく公爵夫人なのにアイリスは他人事。

 いくらラファエル公爵に『本当の夫婦になりたい』と言われても、恋をしても。

 まだアイリスは自分の事をお飾りの妻と認識して、王都のフォンテーヌ公爵邸をただの仮住まいだと思っていた。



「さあ、……どうぞ? アイリス」

 カチャリ……と、ドアノブをラファエル公爵は回して公爵夫人の部屋の扉を開ける。

 そこには見慣れた前公爵夫人が使っていた内装そのままのモスグリーンにオフホワイトの色彩の壁紙で落ち着いた質実剛健な雰囲気の部屋が広がっているはずだった。

 ……だけどそこには。

「え……?」

 アイリス好みの水色の壁紙に、可愛らしい調度品の部屋に様変わりしていた。

「アイリスはそのまま使っていただろう? ここはもう君の家で、君の部屋なのだから好みの部屋に変えていいのに……だから君が実家に滞在している間に改装させた……余計だっただろうか?」

「あ、ここ……私の……家?」

 ポロリ……と一粒の涙がアイリスの頬を伝う。

「……ああ、君は私の愛する妻だからな?」

 アイリスはこの時初めて、フォンテーヌ公爵家が自分の家だという認識に変わった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】転生したらモブ顔の癖にと隠語で罵られていたので婚約破棄します。

佐倉えび
恋愛
義妹と婚約者の浮気現場を見てしまい、そのショックから前世を思い出したニコル。 そのおかげで婚約者がやたらと口にする『モブ顔』という言葉の意味を理解した。 平凡な、どこにでもいる、印象に残らない、その他大勢の顔で、フェリクス様のお目汚しとなったこと、心よりお詫び申し上げますわ――

ごめんなさい、お淑やかじゃないんです。

ましろ
恋愛
「私には他に愛する女性がいる。だから君は形だけの妻だ。抱く気など無い」 初夜の場に現れた途端、旦那様から信じられない言葉が冷たく吐き捨てられた。 「なるほど。これは結婚詐欺だと言うことですね!」 「……は?」 自分の愛人の為の政略結婚のつもりが、結婚した妻はまったく言う事を聞かない女性だった! 「え、政略?それなら最初に条件を提示してしかるべきでしょう?後出しでその様なことを言い出すのは詐欺の手口ですよ」 「ちなみに実家への愛は欠片もないので、経済的に追い込んでも私は何も困りません」 口を開けば生意気な事ばかり。 この結婚、どうなる? ✱基本ご都合主義。ゆるふわ設定。

侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。

二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。 そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。 ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。 そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……? ※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください

【完結】余命三年ですが、怖いと評判の宰相様と契約結婚します

佐倉えび
恋愛
断罪→偽装結婚(離婚)→契約結婚 不遇の人生を繰り返してきた令嬢の物語。 私はきっとまた、二十歳を越えられないーー  一周目、王立学園にて、第二王子ヴィヴィアン殿下の婚約者である公爵令嬢マイナに罪を被せたという、身に覚えのない罪で断罪され、修道院へ。  二周目、学園卒業後、夜会で助けてくれた公爵令息レイと結婚するも「あなたを愛することはない」と初夜を拒否された偽装結婚だった。後に離婚。  三周目、学園への入学は回避。しかし評判の悪い王太子の妾にされる。その後、下賜されることになったが、手渡された契約書を見て、契約結婚だと理解する。そうして、怖いと評判の宰相との結婚生活が始まったのだが――? *ムーンライトノベルズにも掲載

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※おまけ更新中です。

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

処理中です...