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探偵の初依頼

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 元々推理ができるほど頭の回転も出来も良かったオニキスに、チャロアが「探偵事務所をしましょう!」と提案した時。言葉だけは知っていたものの、どんなものかは知らないまま頷き。
 早口言葉や会話をすることで喋り続けるという基礎的な練習を続けた結果。
 わずか一週間後には、ほとんど滑らかに会話ができ今日に至っては専門用語さえ操っている。なんというか、チャロアの頭の中には「天才」の二文字しか浮かんでこない。
 だが、「天才」であるが故にオニキスに与えられなかったもの、奪われたものを考えれば感動ばかりしていられない。
 なんとも言えない気分になりながら、ドアベルの音を響かせ探偵社に入る。
 初めて入ったときとはがらっと違う印象を与えるため、DIYや模様替えが大変だった。ほぼチャロア一人で行ったので。
 入ってすぐに、依頼人用の向い合せのソファーとローテーブルは二階にしまい込まれていたものを。
 大きなワークデスクを色を塗り直し等リメイクして。オニキスがいつも座っていた椅子は、丁寧に塗料を塗り肘をつけ革を貼って。ちょっとお茶目心で椅子の下に隠し箱なんかを作ってみたりして。そうして完成したのが今の事務所だ。
 窓から入る光に照らされながら、オニキスは椅子に座り突っついてみたり撫でてみたり。その顔はむっつりとしているようで何かを耐えていた。
 同じく陽に輝くそれが何かを知っているチャロアは、その光景を見てにんまりと口が緩んだ。
 慌てて顔をそらしたが、ちょうど良くも視線を上げたオニキスに気づかれてしまったらしい。

「……なに」
「いえ、なんでもー……ふふっ」
「なによ!」

 毛を逆立てた子猫。まさしくそれに該当するオニキスに、チャロアは溢れてしまった笑みが止まらない。
 オニキスが大事そうに弄っていたのは、デフォルメされたクマの形のインク瓶だ。
 珍しいことに、背中にキャップが付いており瓶だけで売っていた。瓶だけと言っても希少性を考えればのそれなりなお値段。絶対オニキスに似合う! と心に決めたチャロアが取り置きしてもらい、一週間だけバイトをして手に入れたものである。
 そのインク瓶に、事務所を改装しているときに出てきた年代物の白と紫のインク。二つを適当に混ぜた結果、作り上げられた色は。白い花びらに落ちた影にも、レースの隙間に埋もれた言葉にも似た不思議な輝きを放っていた。
 その輝きが気になるようで、オニキスはよくインク瓶を恭しく机に中から取り出して、じっと見つめている。
 それが妙に嬉しくて、笑ってしまうのを見咎められこうして怒られるのだ。
 小さな両手を握って、たんっと講義するみたいに叩きつけた後、ふと何かを思い出したように慌てて左の手首を見る。それから頬を緩ませたから、壊れてはいなかったのだろう。そんなにやわに作った覚えはないので当然と言えば当然だが。
 きらりと光った細い左手首にはブレスレットが付いていた。黒いオニキスを中心として、細かな装飾のされた二、三センチのプレート、長さは調節できるように鎖にしてある。何を隠そう、チャロアが作ったものだ。
 石の名前が付けられる子どもは石持ちの可能性が高い。
 石持ちとは、生まれた時に貴石を握って生まれてくる子どものことだ。なぜ石を持っているのか、その石だったのかは未だにわかっていない。
 しかし「石を持って生まれてきた子どもはその石に大きく影響された人生を送る」と言われている。「成人するまでに石が特別な経験をもたらす」とも。そして一般的に石はブレスレットに加工されることが多い。生まれてきてくれた子どもへの初めてのプレゼントになることが多いのだ。それを。
『あぁ、どこかに転がっているはずよ』等と適当に扱って良いものではない。本当にただ適当に棚の上に誇りをかぶって置いてあったのを見たときは、呆然唖然と憤慨したものだ。
 初めてのプレゼントすら、差し出されることのなかったオニキス。そんな彼女のために、チャロアが徹夜で作ったものだ。手作り感は少し否めないが、強い衝撃でもなければ……それこそ石が割れるくらいの衝撃にしか壊れないように頑丈にしてある。昔取った杵柄と言うが、まさそくそれだ。

 こちらを見て、また毛を逆立て始めたオニキスに近づこうと、探偵社の奥に一歩踏み出したところ。

 こんこん

 控えめなドアノッカーの音がした。来客だ。
 扉に吸い寄せられていた視線を慌ててオニキスに戻すと、顎を「早くいけ」とばかりにしゃくられた。どこで覚えたのか。

「はーい!」

 その場で返事だけをして、急いで扉を開け出迎えると泣きそうな顔をした少女と困ったように微笑む女性がいた。親子だろうか。なので、こほん、小さく咳払いをすると。
 チャロアは少女の背丈に合わせて屈み、満面の笑みで幼い子ども聞き取りやすいようにゆっくりと。

「ようこそ、躑躅森つつじがもり探偵事務所へ」
「……つつじもりじゃないの?」
「あ」

 母親らしき女性の影に隠れ、すがりついていた少女の顔半分で放たれた言葉に。
 看板に「つつじ」の文字は強調したが、「が」をすっかり忘れていたことにようやく気づいた瞬間だった。
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