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(後編)愛のためには傷つくのを気にしている場合ではない。

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「ほらほら、さとる!遊士がいるよ!」

「お、マジだ。遊士、久しぶりじゃんか。最近全然顔出さないんだもんなー!」

「ダンスの大会でアメリカまで行ってたんでしょ?マジかっこいーよねー!……ていうか、この子、誰?」

声をかけてきたのは、游士の友人たちだった。
他校の制服を身に付けた高校生の男女の集団に囲まれ、沙雪は黙ってしまった。
全員、髪は明るい色に染まっており、制服の着こなしもオシャレだ。男子は腰パンが決まっているし、女子は短いスカートから細い足が覗いている。メイクもしているようで、女の子たちの長い睫毛が大きな目をさらに大きく見せていた。

乃木は気まずそうに沙雪の腕を離すと、ベンチから立ち上がった。

「久しぶり。この人は、僕の……えっと。いや、同じ学校のクラスメイトだよ」

乃木と沙雪との関係は、説明できないものがある。
しかし、あえて言葉にするとしたら「クラスメイト」以外の単語は思いつかないのだった。
少女達が沙雪に好奇の目を向ける。

「遊士のクラスメイト?さすが進学校、すっごい真面目そう!委員長ーっ!て感じ?」

からかうような言葉に対しても、沙雪はつい真面目に答えてしまう。

「はあ……。学級委員ならやっていますが」

その言葉に、少女達はどっと笑い出した。

「学級委員とか。まじウケる~」

「遊士と正反対じゃーん!」

「で、遊士はその学級委員さんとこんなところで何してるわけ?」

乃木は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……口説いてたんだよ。まったく、邪魔してくれちゃって……」

一瞬の間の後、大爆笑が沸き起こった。

「遊士ー、冗談きついぜ」

「そうだよ~、そんなこと言われて学級委員さん困ってるじゃん。かわいそうだよ~」

「あ、わかった!罰ゲームかなんか?オタクっぽい子に告んなきゃいけないやつとか!」

高校生達はゲラゲラと笑い続けている。沙雪は、静かにベンチから立ち上がった。

「乃木君。アイスご馳走様。私、帰るわ」

そう言うやいなや、沙雪は駆け出していた。

バカな沙雪。

きりりと絞られるような胸の痛みを、沙雪は初めて体験していた。

モデルのようにすらっとして格好のいい乃木と、地味な自分とでは釣り合うわけもない。元々住む世界が違ったのだ。

さっきの言葉だって、本気なわけがない。あの女の子達の言うように、からかわれていたんだろう。

走るのに疲れた沙雪は、一旦止まって呼吸を整えた。駅に向かってとぼとぼと歩き始める。

その時だった。
沙雪の耳が背後から駆け寄ってくる音を捉えた。

「――捕まえた」

気が付いた時には、沙雪は後ろから抱きすくめられていた。

乃木だった。

息が乱れているところを見ると沙雪を追って公園からここまで駆けてきたのだろう。

「乃木君!?は、離して」

「離さない。って、さっきも言ったね……」

沙雪を後ろから抱きながら、金髪の少年がぼやいた。

「さっきみたいに逃げないっていうなら離す」

「別に逃げたわけじゃないわ……」

言いながら、胸にこみ上げるものがあり沙雪は慌てた。自分で思っている以上に、先ほどの高校生達にバカにされたことに傷ついているようだった。

乃木は、慌てて沙雪を離した。

「ごめん。……嫌な思いさせて。あいつら、悪気はないんだ」

「悪気がなさそうなのはわかるわ……」

沙雪はそう言うと黙り込んだ。
悪気のない言葉であっても、人を傷つけることは十分にできるのだ。だけどこれ以上言うと、彼の友人の悪口を言うことになってしまう。

乃木はもう一度頭を下げた。

「本当にごめん」

「もう謝らないで。……でも、もう一緒に下校するのは今日で終わりにしましょう」

「……なんで?」

問われて、沙雪の脳裏にドロドロとした気持ちが浮かんでは消える。言いたくはない。口に出したら心の底の惨めな気持ちが噴き出してきて泣いてしまいそうだ。それに、きっと乃木を傷つける。

あなたとは、住む世界が違う。
私みたいなオタクっぽい真面目な女子と一緒にいたってつまらないでしょう。
本当は、私と一緒にいるの、恥ずかしいと思っているんじゃないの。

……また、あなたの友達にバカにされたくないのよ。

すべての言葉を飲み込み、表情を消す。

「これから勉強も忙しくなるし。一緒に下校する時間が惜しいの。それだけよ」

乃木は、沙雪をジッと見つめて黙っている。

「それじゃ。また学校で。さよなら」

立ち去ろうとする沙雪の前に、乃木の腕が勢いよく差し出される。沙雪の体が、人通りの少ない往来の壁際に押し付けられる。

「本気で言ってんの?」

「……ええ。そうよ」

乃木の瞳が沙雪の体を射抜く。
……大きくため息をついて、乃木は壁から体を離した。

「……わかった。ごめんね、今まで」

ちくん。
胸に大きな棘が刺さる。
「さよなら」ともう一度言い、沙雪は駅に向かって走り去った。

今度は、乃木は追いかけて来なかった……。





その後、乃木は沙雪にまとわりつくことを一切しなくなった。2年C組の面々はもちろんその理由を訝しんだが、誰も正面切ってなぜかと問える者はいなかった。

沙雪は学級委員として雑用をこなし、勉学にも励み、中間考査では学年で1番の成績を軽々とマークした。

すべてこれまで通りの生活だった。
ぽっかりと穴が空いたような空虚さが少女の胸を支配していることを除けば。


……時は流れ、期末試験を1ヶ月後に控えたある日、沙雪はまたもや担任の横田に呼び止められたのだった。

「ごめんねえ、度々。乃木君のことなんだけど」

「乃木」という単語を聞いた瞬間、沙雪の胸がどくんと高鳴る。

「……なんでしょうか」

「あなた達、仲良かったわよね?乃木君、さっき職員室に来て、学校をやめるつもりだって言うのよ」

沙雪は全身の血がさっと引くのを感じた。

「どういうことですか」

「それがねえ、ダンスの武者修行ですって。アメリカとかヨーロッパとか、あちこち行くので高校に通ってる暇なんてないっていうのよ。でもねえ、ダンスなんてたかだか趣味でしょう。高校やめてまでやる価値があるとは思えないのよね。ねえ、あなたからも説得してくれない?高校やめるなんてバカだって」

沙雪は、静かに担任の教師を見た。
怒りが全身を震わせる。

「な、なによあなた、その目は」

「先生。あなたも教師なら、乃木君が心からやりたいことを応援してあげたらどうですか。高校をやめるなんて並大抵の決心じゃありません。あなたが彼の意志をバカだなんて判断できることではないです」

「なっ……!あなた、教師に向かってなによその口の利き方は!」

「尊敬できる先生に対しては、きちんと考えて話してます。それでは」

女性教師がコケにされたことに気がついたときには、沙雪はすでに走り出していた。

乃木の姿を懸命に探すが、教室にもどこにもいない。クラスメイトに尋ねると、先ほど早退したということだった。

まさか、このまま学校をやめてしまうというのだろうか。

突き動かされるように沙雪は走り続けた。





金髪の少年は、スマホのスクリーンから目を離して駅に向かって歩き始めた。今つけた外国の曲がイヤホンから流れてくる。

いつものダンスの練習曲。
この曲に合わせて踊った時に、沙雪が一生懸命に褒めてくれた姿が脳裏に蘇る。

「あなたのお父さんも、あなたの踊りを見るべきだと思うわ。素晴らしいもの」

乃木遊士の父は有名な政治家だった。家にはめったに帰ってこないのだが、アメリカで開催されたダンス大会から帰った直後に鉢合わせしてしまった。
父は遊士を頭ごなしに否定した。

「またダンスか。そんな子供の踊りなんか早くやめて勉強しろ」

「子供の踊り!?僕は真剣にやってるんだ!」

「くだらん。折角進学校に入ったのに勉強もせずに。お前にはT大法学部に進んでその後政界に入る道が用意されてるんだぞ!」

「そんなのやりたくない」

「子供のくせに親に逆らうのか。アメリカ行きの飛行機のチケットだって、私のクレジットカードを勝手に使って購入したものだろう。自分1人では何もできないくせに思い上がるな」

父から発される息苦しくなるほどの重圧感。押さえつけられ、身動きが取れなくなる。しかし、家出をするような勇気もない。1人で生きていくことなんて無理だと思っている。

……結果、父から言われたことも、自分も気持ちも、なんとなく曖昧にしたまま生きてきたのだ。

父が行ってしまうと、遊士の心にはどうしようもない苛立ちだけが残った。
むしゃくしゃきて、腹いせに学校なんてやめてやろうかとすら思った。

そんな時、沙雪が現れたのだ。

遊士が学校を休んでるのは自己責任で、自分には関係ないとハッキリと言う冷たいほどの物言いが新鮮だった。

……父親に反発し駄々をこねているだけだと、自分でも気づいてはいたのだ。

沙雪の言葉が逆に学校に行くはずみになった。融通のきかなそうな真面目な学級委員を学校でからかってやろうと思った。

……それなのに、どうしたことだろう。
気がついたら、目が沙雪を追うようになってしまっていた。

自分のふざけた態度に不機嫌になった時の顔。
わざと接近してみせたときの赤くなった顔。
良いことも悪いこともはっきりと意見を言う強さ。

冷たいと思われがちだが、それは嘘のつけない真面目さと責任感の強さの裏返しなのだ。遊士がいくら付きまとっても本気ではねつけるようなことはしなかった。

そんな真面目な彼女を、傷つけたのは自分だ。友達に囲まれた時、なぜもっと堂々とかばう事ができなかったのだろう。
無意識にあっちもこっちも曖昧に収めようとしていたツケが回ってきたのだ。
そして、大事な人を傷つけるなんて、最低すぎる。

沙雪とはあれからずっと話していない。
本当は、声を聞きたい。
抱きしめたい。

だが、もう無理な話だ。
切ない想いを胸にしまい、蓋をしようとしたまさにその時。

「――乃木君!」

沙雪の、声が降ってきた。





今まさに電車に乗るところであった金髪の少年を沙雪がつかまえたのは、学校を出てから半刻後のことだった。
都内であっても、各駅停車しか停まらない平日の午前中の駅は閑散としていた。乃木は乗ろうとしていた電車から離れ、ホームを沙雪に向かって歩いてきた。

「……須藤さん?……どうしたの。すっげー息切れしてる」

「学校から、駅まで、あちこち探しながらずっと走ってきたから……。でも、そんなことはいいの。一言言いたくて」

「学校から走ってきたの!?どうして……」

はあはあと肩を大きく動かす沙雪を、乃木は呆気に取られて見ている。

「そうね……。どうして、かしら。それに、授業も、サボってしまったし」

「はあ!?優等生の須藤さんが、なにやってんだよ!」

いつも温和な物腰の乃木が、さすがに驚いて声を荒げた。

「本当ね。自分にこんなことができるなんて、知らなかったわ」

さわさわと風が吹いて、沙雪の汗に濡れた髪をなびかせた。

「……言いたいことって、何?」

乃木が、意志の強そうな瞳を沙雪に向けた。息を整えた沙雪がしっかりと少年に向き直る。

「私、あなたのことやっぱり誤解してたんだわ」

乃木の瞳に訝しげな光が浮かぶ。沙雪は構わず続けた。

「遊び人じゃないって言ってるのに、どこか信じられないでいた。ダンスのことも、趣味だって決めつけていた。……でも、そうじゃなかった。あなたは、いつでも真剣だった」

「…………」

「だから、ごめんなさい。もう会えないと思うけど……。武者修行、がんばって。応援してるわ」

「それじゃあ」と踵を返そうとする沙雪の腕がつかまれる。

「須藤さん……それだけ言うために、わざわざ走ってきたの?ここまで?優等生の君が、学校までサボって?」

「え、ええ……」

「……なんてことしてくれるんだよ……」

「なによ。あなたに何の迷惑がかかるわけでもないでしょう。それに学校には今から戻るわ」

「……ダメだ」

えっ?と聞き返す言葉は、沙雪の口から発されることはなかった。

乃木の唇が、沙雪のそれを塞いでいたからだ。

「……んっ……」

乃木の腕が沙雪の体を強く抱きしめる。最初は抵抗したものの、すぐに沙雪の体からは力が抜けてしまった。

――長い長い口づけがようやく終わる頃には、沙雪の足は体を支えられなくなっていた。ガクッと足が落ちそうになるところを、乃木が支える。

「……ちょっと、やりすぎたか」

沙雪は混乱していた。今、一体なにが起こったのだろう。犬に噛まれたのだろうか。犬に噛まれてこんなに力が抜けるものなのだろうか。

「い、犬……」

「はあ?何言ってるの」

「あなたこそ、なんてことするのよ」

「そりゃあ、仕方ないよ。好きな女が自分のためにはるばる走ってきたなんて知ったら。我慢できない」

「す、好きって……」

「なんだよ。僕が言う言葉は本気だってわかったって、今さっき言ったよね」

「そう……だけど……」

「まだ信じてないの?じゃあ、もっとすごいことしてわからせてあげようか?」

「すごい……こと、って?」

「真面目に聞かないで。こっちが照れる」

「…………!」

やっと意味がわかった沙雪は、耳までゆでダコになっていた。

「僕、須藤さんには、嫌われてると思ってた。迷惑かと思って自分の気持ち押し付けないようにしてたけど……」

微笑みながらも少しうつむいた乃木に、沙雪が声をかけた。緊張しすぎて、自然と声が上ずる。

「わっ、私も……!本当は、一緒にずっと帰りたかった。あなたの友人にバカにされるのがつらくて……。でも、下校するのを断った後もずっと後悔していた。……ごめんなさい」

離れかけていた沙雪の体を、もう一度乃木が強く抱きしめた。
「つらい思いさせてごめん」と小さな声が聞こえた。沙雪の目に涙が滲む。

「ううん……。乃木君、好きよ。……今言わないと、後悔しそうだから」

目に滲んだ涙を拭きながら、乃木に問いかける。

「あなた、本当に学校やめてしまうの?」

乃木の目が見開かれる。

「はあ?なにそれ?」

沙雪の目も丸くなる。

「なにそれって、どういうことよ!?」



……2人の話を擦り合わせた結果、横田先生の話は大いなる勘違いによるものだったことが判明した。

乃木は夏休みにダンスの武者修行を計画しており、その資金を貯めるためのアルバイトの許可をもらいにいったのだと言う。
父親に反対されているため、ダンス関係の活動に対して金銭的な援助は受けられない。自分の本気度を親に伝えるためにも、初めてのアルバイトをする決心をしたんだそうだ。

そこのどこをどう勘違いしたのか、高校をやめてダンスの武者修行に行く話にすり変わっていたのだった。ちなみに今日乃木が早退したのは、純然たるサボりであった。

「なんだ……。だったら私、なんのために走ったのかしら?」

乃木と沙雪は顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。青空に笑い声が響く。

「横田先生に感謝だ」

乃木が満面の笑顔を見せる。沙雪も同感だった。2人は手をつなぎながら、電車を待つ人が増えだした駅のホームを、学校に戻るために歩き始めたのだった。





そして、1年後。
ブレイクダンスの国内大会に乃木遊士の姿があった。

「そして、今大会の優勝者は!……ザ・ウィナー・イズ……ユーシ・ノギ!!高校三年生の乃木遊士君に決まりましたぁ~~!!」

優勝者を知らせる司会者のアナウンスが響き渡る。

乃木の独創性の高い正確無比なダンスの技に高評価がつけられ、見事優勝に輝いたのだ。

応援に駆けつけた友人達の中に、ひときわ目立つ美少女がいた。セミロングの黒髪に大きな瞳が印象的なその少女は、須藤沙雪だった。

昨年乃木と付き合い始めてから、都内で働いている美容師の姉の手により大規模なイメージチェンジが執り行われたのだ。

メガネはコンタクトになり、おさげはおろされてカットされた。手入れなどほとんどしたことのなかった眉毛は整えられた。しかし、これといった化粧はしていない。メガネでいつも隠れていたが、沙雪は清楚で可憐な美貌の持ち主であったのだ。

ちなみに私服は姉の雪奈のおさがりを大量にもらい受けたので、現在はその中からサイズの合うものを選んで着ている。この日はスパンコールとフリルの付いたTシャツにショートパンツというカジュアルないでたちだ。

会場の男性の視線を集めながら、沙雪は優勝した乃木のそばに近づく。

「遊士君、おめでとう!」

「沙雪、サンキュー。まだまだだけどさ。これからまだアメリカ大会が控えてる。今年はどこまでいけるか……」

「遊士君なら大丈夫よ。自信を持って」

「ああ。アメリカ行って、一丁はじけてこなきゃな!頑固親父を説得した甲斐がない」

「ふふ。勉強もして大学も行くっていう条件で許可してくれたのよね」

「まだ今は、大学までって期限付きだけどな。でも、沙雪が親父を説得した時の顔は笑えたなー。学級委員がなんでダンスの良さをアピールしてるんだって不思議そうだったよな」

「私が説得したわけじゃないわ。あなたのダンスを見て、感動してくれたのよ」

乃木は思い出し笑いを噛み殺しながら沙雪の手を取った。

「じゃあ、行こうか」

「ええ」

差し出された手をしっかりと握り返し、2人は並んで歩き出す。

沙雪と乃木が初めて出会った頃と同じ、穏やかな春の陽射しが2人を暖かく照らしていた――。


Fin.
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