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五十、内面
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「死んでくれ。」
誰かがアフレコの台詞を間違えたように、言葉とは似つかわしくない笑顔のままで、ガラスの向こうに立つソイツはそう言った。
幸せです、とでも言いたげな笑顔に、先程と同じく仏頂面と沈黙を返す。
「なぁ、分かってるだろ?あんたがいると困るんだよ。」
大げさに肩をすくめながら、表情筋が疲れそうなほど口角をあげている。
延々と続く押し問答にもいい加減疲れてきたのか、相手の口調が一際強くなった。
「あっちもこっちも傷だらけ。笑いもしないし泣きもしない。それだって…」
トン、とガラス越しに指をさされる。
「…未だに治る気配もない…。」
その指の先には何があるのか、確認せずともわかる。刺さるような視線から庇うように右手で傷ついた心臓を隠した。
あちこちに引き攣れた古傷が刻まれた肉塊のど真ん中には、腐臭と共にジクジクと透明な体液を垂れ流す深い傷がある。鼓動を打つたびに鈍く痛み、忘れされてくれない。
「隠したって無駄だろ。そんな汚いモノ、すぐにバレる。」
相手の口元は笑顔のままだったが、その瞳は汚物でも見るかのように蔑みの色が浮かんでいた。
「だから、な?死んでくれよ。全部やっといてやるからさ。」
「…………。」
「お前と違ってコッチはちゃんと笑える!喋れる!場を盛り上げて、人にちゃんと好かれて、輪の中心になれる!文句なしだろ?な?」
「………………。」
「意地張るのやめないか?どう考えたって、お前は死んだほうがいいんだ。自分でも分かってるだろ?な?」
な?と同意を求める声が強くなる。
それでも沈黙を貫いていると、どんどん語気が強くなっていった。
しまいには貼り付いていた笑顔さえ崩して怒号をとばし始める。
「死ね!死ねよ!お前なんかいらねぇんだよ!死ね!はやく!!」
ガンガンとガラスが叩かれる様子をただ見つめていた。
泣きもせず、笑いもせずに。
どのくらいだっただろうか。
ガラスを叩く音は既に弱々しく、その手は赤く腫れていた。
ズルリと相手がへたり込む。
「…なんで…、…死…んで、死んでくれよぉ…」
「…………。」
「…なんで…死んで、くれ、ないんだ…?」
しゃくれ上げながら初めてされた質問に、ようやく沈黙を破った。
「…捨てられないから。」
とうの昔に、叫んで、嘆いて、潰してしまった喉を震わせる。
「…この傷が、一つでもなかったら、違う人間になってしまう。」
泣いて、啼いて、擦って赤く濁った眼でガラスの向こうを見据える。
「過去もないカラッぽ人間なんて、なりたくない。」
何度も噛み締め、血の滲む唇でそう言い放つと、質問者は口を尖らせた。
「…誰にも見せないくせに。」
「見えないけれども在るんだよ?」
「…あんただけ傷つくくせに。」
「まぁ、そうなんだけどね。」
「………。」
更に不服そうに口を尖らせる、傷一つない顔をガラス越しに覗き込む。
「『外側』はこれからも任せるよ。」
よろしく、と続ければ、返事のように手の甲がガラスをノックした。
と、タイミングを見計らったかのように辺りが明るくなり始める。
今日も、一日が始まる。
誰かがアフレコの台詞を間違えたように、言葉とは似つかわしくない笑顔のままで、ガラスの向こうに立つソイツはそう言った。
幸せです、とでも言いたげな笑顔に、先程と同じく仏頂面と沈黙を返す。
「なぁ、分かってるだろ?あんたがいると困るんだよ。」
大げさに肩をすくめながら、表情筋が疲れそうなほど口角をあげている。
延々と続く押し問答にもいい加減疲れてきたのか、相手の口調が一際強くなった。
「あっちもこっちも傷だらけ。笑いもしないし泣きもしない。それだって…」
トン、とガラス越しに指をさされる。
「…未だに治る気配もない…。」
その指の先には何があるのか、確認せずともわかる。刺さるような視線から庇うように右手で傷ついた心臓を隠した。
あちこちに引き攣れた古傷が刻まれた肉塊のど真ん中には、腐臭と共にジクジクと透明な体液を垂れ流す深い傷がある。鼓動を打つたびに鈍く痛み、忘れされてくれない。
「隠したって無駄だろ。そんな汚いモノ、すぐにバレる。」
相手の口元は笑顔のままだったが、その瞳は汚物でも見るかのように蔑みの色が浮かんでいた。
「だから、な?死んでくれよ。全部やっといてやるからさ。」
「…………。」
「お前と違ってコッチはちゃんと笑える!喋れる!場を盛り上げて、人にちゃんと好かれて、輪の中心になれる!文句なしだろ?な?」
「………………。」
「意地張るのやめないか?どう考えたって、お前は死んだほうがいいんだ。自分でも分かってるだろ?な?」
な?と同意を求める声が強くなる。
それでも沈黙を貫いていると、どんどん語気が強くなっていった。
しまいには貼り付いていた笑顔さえ崩して怒号をとばし始める。
「死ね!死ねよ!お前なんかいらねぇんだよ!死ね!はやく!!」
ガンガンとガラスが叩かれる様子をただ見つめていた。
泣きもせず、笑いもせずに。
どのくらいだっただろうか。
ガラスを叩く音は既に弱々しく、その手は赤く腫れていた。
ズルリと相手がへたり込む。
「…なんで…、…死…んで、死んでくれよぉ…」
「…………。」
「…なんで…死んで、くれ、ないんだ…?」
しゃくれ上げながら初めてされた質問に、ようやく沈黙を破った。
「…捨てられないから。」
とうの昔に、叫んで、嘆いて、潰してしまった喉を震わせる。
「…この傷が、一つでもなかったら、違う人間になってしまう。」
泣いて、啼いて、擦って赤く濁った眼でガラスの向こうを見据える。
「過去もないカラッぽ人間なんて、なりたくない。」
何度も噛み締め、血の滲む唇でそう言い放つと、質問者は口を尖らせた。
「…誰にも見せないくせに。」
「見えないけれども在るんだよ?」
「…あんただけ傷つくくせに。」
「まぁ、そうなんだけどね。」
「………。」
更に不服そうに口を尖らせる、傷一つない顔をガラス越しに覗き込む。
「『外側』はこれからも任せるよ。」
よろしく、と続ければ、返事のように手の甲がガラスをノックした。
と、タイミングを見計らったかのように辺りが明るくなり始める。
今日も、一日が始まる。
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