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正義の心
うっかり者
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鬼柳ちゃんはちょいと肩を持ち上げた。ぼくはあたかも何事もなかったように、素知らぬ顔でそれじゃあと改めて訊く。
「この小説は、何が目的なんだろうね」
肩透かしを喰らったのだろう。目を丸くしてちいさく息をつき、肩をストンと落とす。本を手に取り顔の前へ掲げてみせた。
「やっぱりね、だれかに読んでもらいたかったんだと思うのよ。だって本だもの」
言い当てられたのをおくびにも出さず、うっかりすると持ち上がっちゃいそうなほほを隠すようにしてぼくは口を開いた。
「じゃあさ、名前を差し変えたのは?」
「そうね」
とひと間空く。
本毎、すうっと上を向いてから下りてくる。本の裏からひょこりと目がのぞいた。
「告発、なのかな」
「告発だって?」
いきなりの物騒な言葉の登場に、笑顔はその身をそっと隠した。鬼柳ちゃんは真剣なまなざしで本の表紙をくるりとひっくり返しながら、しげしげと眺めている。
「わたしね。このふたりが実際にいじめをしているんじゃないかなと思ってるの」
「それで、本の中で復讐をしていると?」
だとすると、この本の作者はとても後ろ向きな夢小説の使い方をしていると言えるのだろう。もっと健全で建設的な、前向きになれる使い方をレクチャーしてもらったらどうだろうかと思わないでもない。
たとえば、鬼柳ちゃんとかに。
視線を向けてみるとだまって首を左右にふられる。そして気が付いた時には鬼柳ちゃんはすでに瞳を閉じていた。瞑想したままの状態で話しはじめる。
「最初は私もね、そう思ってたの。本の中で復讐をしてスッキリしてるんじゃないのかなって。図書室に本を置いたのもね。人知れずに出していたSOSなのかなって」
声に出すことをためらう気持ちを文字へと変えて、だれにも頼ることができなかった細く届かぬ想いを形として残す、か。
なるほどね。いじめられているひとだったらそんな事もあるのやも知れなかった。そうやってかろうじて心の平静を保とうとする、涙ぐましい処世術の可能性もある。
「でも違ったの。守屋くんの言う通りね」
おや、その説を否定していたのはどうやらこのぼくだったようだ。自らを指さし、そうだっけと首をかしげる。いつの間にか名推理をしてしまう自分自身が恐ろしい。
まったく、困ったものだよ。
「いやあ、その節はどうも。知らずの間に名推理をかましてしまうのは、ぼくです」
と名乗る日も遠い日の事じゃない。
うっかり八兵衛ならぬ、しっかり探偵になっちゃわない様に慎まなければならないやね、と自らに謹んでおく。
「たしか、守屋くんは言ってたよね」
返事がなかったからか、鬼柳ちゃんはもう一度、そう口にした。ちゃんと聞いているのかと不安になっちゃったのだろうか。ぼくとした事がうっかりしていた。
目を開ければ聞いてるかどうかすぐわかるのになと思うのは野暮という物だろう。しっかりした黒幕ならばこう返すべきだ。
「ぼくはどう言ったんだっけ」
と。
そうしたならば、探偵は気持ちよく推理を披露してくれることだろう。
「いじめられてる張本人ならやっぱりこの小説は選ばない。わたしもそう思ったの。ほかにも作品はたくさんあるんだもん」
そういえばそんな事を言ったような気がする。登場人物として自分も気持ちよくなれる物語を選べばいいのにね、と。
そこまで大きな図書室ではないけれど、それでもこの中には膨大な数の物語が存在しているのだ。お眼鏡に叶う物語もきっとどこかにはあるはずだった。
名前を変えられたのが、加害者であろうふたりだけというのもおかしな話である。張本人の名前が出てこないのはおかしい。本当に助けを求めたのなら、登場して然るべきなのに。何かがチグハグとしている。
その時、閉じていた大きな瞳がスッと開かれた。はて、その視線のさきにはどんな真実が見えているのだろうか。
「この小説は、何が目的なんだろうね」
肩透かしを喰らったのだろう。目を丸くしてちいさく息をつき、肩をストンと落とす。本を手に取り顔の前へ掲げてみせた。
「やっぱりね、だれかに読んでもらいたかったんだと思うのよ。だって本だもの」
言い当てられたのをおくびにも出さず、うっかりすると持ち上がっちゃいそうなほほを隠すようにしてぼくは口を開いた。
「じゃあさ、名前を差し変えたのは?」
「そうね」
とひと間空く。
本毎、すうっと上を向いてから下りてくる。本の裏からひょこりと目がのぞいた。
「告発、なのかな」
「告発だって?」
いきなりの物騒な言葉の登場に、笑顔はその身をそっと隠した。鬼柳ちゃんは真剣なまなざしで本の表紙をくるりとひっくり返しながら、しげしげと眺めている。
「わたしね。このふたりが実際にいじめをしているんじゃないかなと思ってるの」
「それで、本の中で復讐をしていると?」
だとすると、この本の作者はとても後ろ向きな夢小説の使い方をしていると言えるのだろう。もっと健全で建設的な、前向きになれる使い方をレクチャーしてもらったらどうだろうかと思わないでもない。
たとえば、鬼柳ちゃんとかに。
視線を向けてみるとだまって首を左右にふられる。そして気が付いた時には鬼柳ちゃんはすでに瞳を閉じていた。瞑想したままの状態で話しはじめる。
「最初は私もね、そう思ってたの。本の中で復讐をしてスッキリしてるんじゃないのかなって。図書室に本を置いたのもね。人知れずに出していたSOSなのかなって」
声に出すことをためらう気持ちを文字へと変えて、だれにも頼ることができなかった細く届かぬ想いを形として残す、か。
なるほどね。いじめられているひとだったらそんな事もあるのやも知れなかった。そうやってかろうじて心の平静を保とうとする、涙ぐましい処世術の可能性もある。
「でも違ったの。守屋くんの言う通りね」
おや、その説を否定していたのはどうやらこのぼくだったようだ。自らを指さし、そうだっけと首をかしげる。いつの間にか名推理をしてしまう自分自身が恐ろしい。
まったく、困ったものだよ。
「いやあ、その節はどうも。知らずの間に名推理をかましてしまうのは、ぼくです」
と名乗る日も遠い日の事じゃない。
うっかり八兵衛ならぬ、しっかり探偵になっちゃわない様に慎まなければならないやね、と自らに謹んでおく。
「たしか、守屋くんは言ってたよね」
返事がなかったからか、鬼柳ちゃんはもう一度、そう口にした。ちゃんと聞いているのかと不安になっちゃったのだろうか。ぼくとした事がうっかりしていた。
目を開ければ聞いてるかどうかすぐわかるのになと思うのは野暮という物だろう。しっかりした黒幕ならばこう返すべきだ。
「ぼくはどう言ったんだっけ」
と。
そうしたならば、探偵は気持ちよく推理を披露してくれることだろう。
「いじめられてる張本人ならやっぱりこの小説は選ばない。わたしもそう思ったの。ほかにも作品はたくさんあるんだもん」
そういえばそんな事を言ったような気がする。登場人物として自分も気持ちよくなれる物語を選べばいいのにね、と。
そこまで大きな図書室ではないけれど、それでもこの中には膨大な数の物語が存在しているのだ。お眼鏡に叶う物語もきっとどこかにはあるはずだった。
名前を変えられたのが、加害者であろうふたりだけというのもおかしな話である。張本人の名前が出てこないのはおかしい。本当に助けを求めたのなら、登場して然るべきなのに。何かがチグハグとしている。
その時、閉じていた大きな瞳がスッと開かれた。はて、その視線のさきにはどんな真実が見えているのだろうか。
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