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見ていたのは 

だれが射抜く

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 それに何より納得することは、根本先輩が漏らしたあの言葉を置いて外にない。先生と生徒の恋だったのならばそれは、『あってはいけないこと』なのかもしれない。

 木村先生は目を閉じ、ううんと唸る。

「そうか、見られていたのか。なら認めるしかないな」

 それは大人の余裕と言うものだろうか。とても堂々としたものである。新任の教師なはずなんだけど。落ち着きがあるというのか、貫禄があるというのか。大人と子どものちがいを見せつけられた気がするな。

 しかし認めちゃったよ、この先生。

 これは問題になっちゃわないのかな? いち教師が、いち生徒にラブレターを贈るだなんてね。それがダメなことだとはぼくも言いはしないけれど。褒められたものではない気がしてならない。

 そこまで考え、あれ、と首をかしげる。そしてずいっとラブレターを指差した。

「でも、これは先生が書いたものじゃないですよね」

 鬼柳ちゃんが真似をした、オリジナルのラブレター。そのすみっこには控えめに、読んでくださいという丸っこい文字が鎮座してある。それはもちろん、ぼくが知っている先生の字じゃなかった。

 先生に聞いたつもりだったけれど、答えてくれたのはなぜか鬼柳ちゃんだった。どこかうっとりとした面持ちで、きらきらと瞳を輝かせているのがすこし気にかかる。

「それを書いたのはね、高橋杏奈なの」

 ふぅむ、高橋杏奈の書いたラブレター。それを木村先生が彼女の下駄箱に入れているところを根本先輩に見られた──、と。

「なるほど、逆だったんだね。告白をされていたのは、木村先生の方だったのか」

 はは、と先生は頭をなでる。

「突然、渡されちゃってな」

 なんと、そもそもそれは手渡されたものだったのか。それならいくつかの謎も紐解けていくというものだ。

 ラブレターのどこにも名前が書かれていなかったこと。未開封のはずのラブレターを迷わずに彼女の下駄箱に入れれたこと。ぜんぶ高橋杏奈。本人から直接渡されたと考えるなら、不思議なことはなにもない。

 そう言えばさっき、ぼくと鬼柳ちゃんがここにやって来たときも先生は疑わなかったものな。ぼくが手紙の話を切りだしたあの時、となりには鬼柳ちゃんがいたのだ。

 そばにもう一人の少女がいたら、
「その子の手紙なのか?」
 と聞いても良さそうなのに。

 でも先生は尋ねもしなかった。それはすでに誰が書いたものかを知っていたからだったのか。へえ、とも、ほお、とも。言葉にならない感嘆の声がでる。それはまあ、なんとも妬ましいものじゃないか。

 なかば放心状態のぼくをちらりと眺め、先生は片眉だけを器用にあげる。

「気持ちは嬉しいんだけどな」
 と、ラブレターにそっと手を這わした。

「それでもやはり教師と生徒だから。そこはしっかり、一線を引いておかないとな」

 そう口を引き結ぶ先生の手元にあるラブレターには、開けられた形跡がなかった。そうなんだね、淡い思いを綴ったであろうその恋文は読まれることがなかったのか。

「じゃあ。先生は断るつもりで、ラブレターを返却していたということですか」

 開けられることのなかったラブレター。きっとそれが木村先生の、高橋杏奈に対する返事だったのだろう。先生はうなずく代わりに瞳を閉じ、ほんのりとほほ笑む。

 ひとつの想いが今日、実ることもなく土に還るはずだった。

 だけどそれを見ていた根本先輩が、うっかりと掘りおこしてしまったわけなのか。自らの想い人が禁断の果実に手を伸ばさないようにと、手を出してしまったんだね。

 それがなぜか巡り巡ってぼくの下駄箱に来たというわけだ。手出しさせまいと手を出しておまけに足を置いていくだなんて。そんなの、笑い話にもなりゃしない。

 それにしても根本先輩はいつも下駄箱を見張っていたというのだろうかな。それはものすごい執着じゃないか。

 まったく、執念とは恐ろしいものだね。
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