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見ていたのは 

察する力

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 迷うこともなく、鬼柳ちゃんはまっすぐに木村先生の元へ向かう。ぼくもあとに続いた。カルガモの親子を思い出しつつだ。

 グワッグワッと近付くぼくらに気が付いたのか。先生は走らせていたペンをそっと置き、首をぐるりと回して笑顔で迎えてくれた。爽やかでひとの良さそうな柔和な顔付き。生徒の間でも評判がいいらしい。

 女子には特に。

 うらやましい限りだね、とすこしひねた視線を向ける。先生の机には集められたノートが広げられていた。どうやら、ぼくらの宿題の採点をしている所だったようだ。

「おお、どうした。ふたりして」

 目があったので訊いてみる。

「先生。あの手紙、もうだれか取りに来ましたか?」

「うん?」
 と目と口が跳ねあがり、
「ああ、これか」
 と机に手を伸ばす。

 そこにはあのラブレターが無造作に置かれていた。うん、やっぱりまだあったか。

「まだ、だれも取りにきてはないようだ。なんだ、守屋。それが気になってまだ残ってたのか? 鬼柳もそうなのか?」

 おや、と思う。先生、それって──。

 そしてぼくの隣で突然にソワソワ、モジモジとしはじめた鬼柳ちゃんにも、おや、と思う。どうしちゃったというのだろう。

 照れていたりでもするのかな。

 木村先生は甘いマスクと、その物腰の柔らかさから女生徒に人気があるみたいだ。鬼柳ちゃんも例外ではなくて、甘酸っぱいものでも持っているのかもしれなかった。

 ニコッとほほ笑み、
「どうした、鬼柳」
 と言う先生も察してそうな気がする。

 なおさら身悶える鬼柳ちゃんをみて、ぼくもうっすらと察した。ああ、これはちがうなと。そういえばと思い出す。鬼柳ちゃんは名字呼びが嫌いなんだったっけ……。
 
 なにせ、先生が相手だからか。ぼくに呼ばれた時とはちがって、『名字で呼ばないで』とも言えずに悶えているのだろうな。くつくつと笑い声を殺していると、鋭い視線がつき刺さってくる。おっといけない。

 気を取り直し、鬼柳ちゃんはぶんぶんと髪をなびかせてからペコリと頭を下げた。

「まずは先生、ごめんなさい。そのラブレターは偽物なんです」

 どこから取り出したのか、いつのまにかその手に本物のラブレターを持っていた。

「本物はここにあります」

 そして先生の目の前にそっと置きつつ、
?」
 と言った。

 虚を突かれた先生は眉根をあげる。それから腕を組んで、ふむ、と息をついた。

 そしてまるで授業をするときのように、
「どうしてそう思うんだ」
 とやさしく問いかける。

 その声はとても落ちついたものだった。柔らかい笑顔のままで、真っ直ぐに鬼柳ちゃんを見つめている。負けじと鬼柳ちゃんもそのおおきな瞳で見つめ返していた。

「じつは三年の根本先輩がみてたんです」

「おお、それはいいブラフだね」
 と思わず声に出しちゃいそうになるのをあわてて手で押さえ込む。

 喉を鳴らすことで事なきを得たようだ。

 たしかに根本先輩は差出人の姿を見ているんだろうけど、まだぼくらはそれがだれなのかまでは聞き出せていなかったのだ。

 でも、ヒントはあった。

 ぼくが今日、朝に会ったひとの中に差出人がいる。あの時ぼくはスリッパを借りに職員室まで行っていたから、たしかに先生とも会っていたことにはなる。

 先生が差出人なのかと考えてみる。だとすると納得できることがいくつかあった。

 根本先輩にそれは偽物のラブレターだと言ったときのことだ。ラブレターを眺めてすぐに偽物だと信じてくれた。その理由は先輩の見たラブレターの差出人が、本当は男だったからじゃないだろうか。

 それが女の子の字で書かれていたからこそ、すぐに信じたんじゃないのか。一瞬、目にしただけの字のちがいだなんてね。そんなの普通は分かりやしないはずだもの。

 でも男女の字のちがいということなら話はべつだ。とてもわかりやすい。女子は丸く、男子は尖る。ましてや先生の字とくれば、ぼくらはよく目にしているのだから。
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