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みえない変化

交換条件

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 スタスタと迷いなく、鬼柳ちゃんは教員用の調理台へと向かっていった。推理してくれる気マンマンなようで頬もほころんでいく。スキップしたくなるような軽やかな足取りで、ぼくもそのあとにつづいた。

 すぐにそれは先生の目に止まり、どうしましたかと尋ねられてしまう。おや、本当に跳ねちゃってたろうかなと足元をみる。

 そんな事をしている間に鬼柳ちゃんは、
「先生、この卵すこし見てもいいですか」
 と卓上にある玉子のパックを指差した。

 パックの中には、先生の手によって回収されたゆで卵たちがずらりと並んでいる。

「それはべつに構いませんが。そんなことよりも、実習の方は大丈夫なんですか。調理の時間はもうあまり残っていませんよ」

 それはまあ、ごもっともな意見だった。

 ハンバーグ作りはどこもかしこも佳境を迎えているようで。あっちこっちからジュウという小気味よい音と共に、お肉が焼けるなんともいい香りが漂ってきている。

 ぼくらは料理を完成させて、それらを美味しく食べて、きれいに片付けまでして。おまけに、メインディッシュの謎解きまでしなければならないというのだから。

 まったく、忙しいったらありゃしない。

 先生の問いに鬼柳ちゃんはコクリとうなずき、くるりとふり返ってはちらとぼくをみる。そして大きな瞳が細くにっこりしたかと思えば先生に向き直り、言った。

「はい、大丈夫です。もう焼いてる所ですし。わたし達の班の後片付けは、この守屋くんが自らすすんでやってくれることになりましたから」

 はて、そうだっけ?

「そうなんですか?」
 と先生は不安そうにぼくに訊く。

 いくら推理の場にひっぱり出すためとはいえ、とんだ交換条件になってしまった。すこし高くついちゃったのかもしれない。

 まあいいさ。せめてここは黒幕らしく、にやりとしておこうじゃないか。

 悪戯っ子のような笑顔をみせる鬼柳ちゃんに、苦みを含んだ笑顔でほほ笑み返しておく。先生はそんなぼくらの姿を交互にながめて、しばらく目を剥いていた。

 さてと言うことで、ぼくらは改めて卵のパックをじっくりと見てみることにした。封印はもうすでに破られていたのでパックの上蓋をそおっと取り外し、鬼柳ちゃんはそのちいさな手でゆで卵をつまみあげる。

 白くてつるんとした表面、弾むみたいにぷにぷにとしている弾力、うっかり丸ごとかぶり付きたくなるようなそのフォルム。

 どこからどうみても、まちがいなくゆで卵だ。生卵は手で掴めたりしないもんね。くるりとひっくり返してみたり、その大きな瞳で穴があくほどじっとみつめている。

 もうゆで卵だから、穴があいちゃったとしても安心だ。思う存分みるがいいさ。

 うーん、と唸り、
「この玉子は、先生が買ってきたものなんですか?」
 と訊く。

「ええ、そうですよ。ほかの材料とまとめて、全部スーパーで買ってきたものよ」

「もちろん、ゆで卵として売っていた。──わけではないですよね?」

 そう言いながらゆで卵を元に戻し、今度は玉子パックの上蓋を手にとってじっくり舐めるように観察している。封印部分を念入りに触ってたしかめているようだった。

 封印になにか細工があったとでも考えているのかな。でも残念だったね。たしかに封印はされていたんだよ。このぼくが保証するんだから、そこはまず間違いないさ。

 先生は頬に手をあて、首をかしげる。

「もちろん生卵として売られていた物よ。変よねえ、業者さんの手違いなのかしら」

 どうやら先生はまだ、怪盗の仕業だと認めてくれてはいないみたいだった。

 どうしてもっと、すなおに物事を考えないんだろうかねと嘆息をつく。こんなにも立派な予告状が届いたっていうのにさ。

 調理台の上に無造作に放置されていた、ぼくの自信作である予告状に目をやった。スッと手が伸び、それは持ち上げられる。
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