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探偵見習い

怪談の側

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「と、言うと?」

 ぼくの捻った頭は中原先輩をふり向かすことくらいはできたようだ。まあ、ちょいと捻くれた物の考え方かも知れないけど。

「だって、だれもいない部屋なんてないじゃないですか。その曲を耳にしているひとがそこにいるんですから」

「なんだそれは」
 
 珍妙な顔をされた。

 中原先輩はくいっと小首をかしげ、口元に薄い笑みを含んで見上げてきた。さらりと肩にのる髪に、ぱっちりとしたその視線に、ぼくは思わず吸い込まれそうになる。

「つまりですね。その部屋には訪問者がいただろうということです」

「それはまあ、そうだろう。そうでないと怪談話は幕を開けない」

 何を言っているんだと。困った奴だと、眉をしかめられる。

 ぼくはといえば、ある猫に想いを馳せていた。その猫の名はシュレディンガーの猫。有名な思考実験に登場する世界一有名な猫だ。実験はこう締めくくられている。

 箱の中身は開けてみるまでどの状態でもありえる。だれにもわからないのだ、と。

「それは単なる解釈のちがいなんですよ。その部屋は毎日ずっと、その訪問者が来ようか来まいがお構いなしに曲が流れていたのかもしれないじゃないですか」

「だとしたら?」

「怪談側になってみてくださいよ。その部屋は音楽が流れていてあたりまえだった。なのに突然やってきた訪問者が不気味だ、怪談だと騒ぎ立てる。迷惑きわまりない」

 ふう、と息をついて首をふる。

 それから首をかしげる。おや、ぼくはいつの間にか怪談側として語っているじゃないか。仕掛ける側として、黒幕としてだ。なにか相通じるものでもあったろうか。

 中原先輩はなぜか怪談側の味方についたぼくを、不思議そうな、あきれたような顔で見つめてくる。

 そしてクスクスと笑いだした。

「変わったやつだな、君は」

 愉快そうに笑う中原先輩からはすっかり険がとれていた。そうやって笑うだけで、どれほどのひとが救われるだろうと思うほどの良い笑顔をしている。さっきまでの近寄りがたさは、もう感じる事もなかった。

「君は、名はなんと言うんだ」

「ニ年の守屋です」

「そうか、守屋君。私はもうすこしここで練習をしていくとしよう。君も良かったら聞いていくと良い」

 ピアノの演奏がはじまる。こうして誰もいなくなくなった音楽室から旋律が流れはじめた。曲の名は月光。今度はすこしばかり淋しげではなかったのかもしれない。

 音楽室に月光が響きわたる。

 なめらかに動く白くて長い指。弱々しいようでいて、所々に力強く。不思議な音色をしている。たしかにこれは夜に聞こえてきたら怖いものがあるかもしれない。

 しかしよくもまあ、左右の手であんなにすばやく別々の動きができるものだと感心してしまう。ぼくはその動きを、目で追うことすらままならないというのに。

 どう逆立ちした所でぼくにはとうてい無理な芸当なんだろう。なにせまずは逆立ちができないのだから、どうしようもない。

 中原先輩の演奏は、きっと上級者のそれだった。たしか、大会にも出場すると言っていたくらいだから大したもののはずだ。相当な練習を積んできたのだろうと思う。

 ピアノと向きあう真剣な横顔を見ている内に演奏は終わった。最後の音色が心地よく消えていき、ゆっくりと手がひかれる。頭を持ちあげて、瞳がこちらを向いた。

 やっぱりここは、なにか言ったほうがいいのかなと頭を悩ませる。 

 出てきた言葉は、
「あの……。格好よかったです」
 パチパチと拍手を贈った。

 もっと気の利いたコメントをしたい所だけど、どうにもまぬけな感想である。しかたないよね。音楽はぼくの手に余るんだ。

 中原先輩はふふっと、小さく微笑んだ。たぶんぼくの感想がうれしかったわけじゃないだろうから、なにを笑っているのかは訊かないほうがよさそうだね。
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