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一輪の花

お姉ちゃん

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 晴れ女とは、褒め言葉だったはずだけれど。それは気を付けないとダメな物なのだろうか。雨女なら分からなくもない気がするけどね。

「どういう意味なんですか」

 中原先輩は分かっていないぼくをじっと見つめ、妖艶さを秘めた笑顔を魅せた。

「彼女が歩けば、晴れるんだ」

 晴れ女とは本来、そういう物だろうに。何か裏の意味があるのだろうな。考え込むぼくを他所に、先輩は窓際から離れピアノの練習を始めてしまった。

 流れてくる旋律は以前とは違い、明るく朗らかな曲だった。曲名はあいかわらず分からなかったけれど。

 中原先輩の言葉が気にかかり、松永結愛を目で追う日々を過ごした。彼女は活動的で気さくな女性のようだった。友人も多いのだろう。ひとりでいる事の方がまれなくらいだ。学年違いの友人も多いように見える。

「今度はストーカーでも始めたの?」

 背後からの辛辣な言葉。振り返るまでもなく鬼柳ちゃんだね。確かめようと振り返ってみると、鬼柳ちゃんもコソコソと身を隠していた。

「心配性のお姉ちゃんという所かな」

 へらへらと笑っていると睨み返されてしまった。心配性なお姉ちゃんに、心配のタネをプレゼントしておくとしようか。

「どうもね、松永先輩は晴れ女と呼ばれているらしいよ。それも良くない意味でね」

「誰に聞いたの?」

 ヒソヒソと声も落とし秘密めいて来た。これぞ立派な探偵の姿だ。……立派かな?

「中原先輩に聞いてきたんだよ」

「……ふーん」

 期待を込めて鬼柳ちゃんを見ていたけれど、彼女は瞳を閉じなかった。まだ分からないか。そうだよね。ぼくも今の所、お手上げだよ。

「あれから一也くんはどうなんだい。進展はあったの? 」

 どこか不機嫌そうな声で、鬼柳ちゃんは答えた。ブラコンの気でもあるのだろうか。

「先輩とデートをしたみたいなの。告白をもう一度したって、惚気けてたわ」

 どうやら交際は順調なようだね。お姉ちゃんが不機嫌な事を除けば。なんてね、そうでもないか。

 鬼柳ちゃんに聞けば女の勘だと言われそうだけれど、鬼柳ちゃんが調べ回っているのにも理由があるんだろう。それに晴れ女の噂。何だか不穏な気配がしてきている。

 ぼくも何かを忘れている気がするんだけどな。何だっけ。松永先輩を初めて見た日の事を思い返す。

 あの日は雨だったな。鬼柳ちゃんの彼氏疑惑があり。下駄箱は混んでいて。そもそも、なぜ先輩は二年の下駄箱に来たんだったか。そう言えば彼女はあの時、手ぶらだったな。

「雨だ。雨を待ってみようか」

 鬼柳ちゃんはキョトンとした顔をしていた。

「晴れ女の実力を見るには、雨の日が一番だからね」

 ぼくの思いつきを不思議そうに眺め、鬼柳ちゃんはそっと目を閉じた。

 もうひとり調べないといけない人がいることを思い出したよ。あの日ぼくは睨まれたんだった。あの狂犬のような彼は誰だったのだろうか。

 彼の正体はすぐに分かったが、彼の肩書きは分からないままだった。

 今日は待望の雨が降っている。朝からしとしと降り続ける雨に、少々の嫌気を感じながらも、ぼくは早目に登校する事にした。

 学校で松永先輩を待ち構えようと思う。ぼくの前方を行く、赤い傘の少女もきっと同じ考えなのだろう。どうやら今日は相合い傘ではないようだね。

 たまにはぼくも驚かしてみようかと思い、下駄箱前に隠れた少女の背後にこっそりと近付いた。声をかけようとしたら鬼柳ちゃんはくるりと向き直り、
「ストーカー相手がわたしに変わったの?」
 とあきれ顔だ。

 違わい!

 そんな事をしていると松永先輩が下駄箱に着いたようだった。

「あれはどういう事なの……」
 
 鬼柳ちゃんが声を無くしている先には、相合い傘で登校してくる松永先輩の姿があった。傘を下ろしたふたりの顔の内、ひとりはぼくの知らない顔だった。

 一也くんでもなく、あの雨の日の狂犬でもなく。彼は一体誰なんだろう。
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