ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

文字の大きさ
上 下
218 / 230
第28章 ノインキルヘン会談

第28章-⑥ ディナーへの誘い

しおりを挟む
 帝国においては帝都と呼ばれ、政治面、軍事面、経済面でも中心地となした都市ヴェルダンディは、人口規模においても国内で群を抜いている。ただ、都会地域の特徴として、多くの場合、食料消費が現地での生産を上回るという点が挙げられる。つまり、ヴェルダンディの人口を養うには、ヴェルダンディとその近郊だけで生産する食料だけでは足りないということだ。保存の利く食料などは、他地域からの輸送によってまかなっていた。
 帝都陥落の前後は、物流の状況も大きく悪化し、一時的に食料が不足する事態に陥った。もともとヘルムス政権の継戦政策の一環として大都市では食料を含む物資が大量に徴発されたため、在庫も乏しい。教国軍や合衆国軍が積極的に物資の開放を行っていなかったら、飢餓に陥った民は多かったはずである。
 ただ、治安が早期に回復し、物流や物価の状況も安定化したことから、ヴェルダンディでは民衆が生活する上での大きな混乱はなく、レストランや酒場のたぐいも品薄に悩まされつつ、営業しているところが多い。
 シフがエミリアを伴って入店したレストランも、高級店ではないが、意外に活気があり、市民だけでなく教国兵や合衆国兵もちらほらと姿を見せ、敗戦直後とは思えない和やかな雰囲気で食事を楽しんでいる。
「帝都防衛隊のクメッツ中佐という者に聞きました。この街で素敵な女性を誘うなら、こういう落ち着いた店がいいと。正解だった」
「そうですか」
 にこやかなシフに対し、エミリアの反応は冷淡を通り越して冷酷でさえある。
 シフはそれでも、やわらかい態度を崩さない。
「この店は、シュニッツェルがいいそうです。ワインはいかがですか?」
「アルコールは遠慮します」
「ではレモネードにしましょうか」
 石、というよりは岩のように表情の硬いエミリアを前に、シフは思わず苦笑いをした。
「ひどく警戒をなさっているようだ。無理もありませんが、私には真実、一人の男性として女性をお誘いした、それ以上の下心などはありません」
 笑顔を見せて相手の警戒を解いた方が情報を得やすい、とクイーンが言っていたのを思い出し、エミリアは努力して口角を上げた。あまりに不自然で、きっと異様な表情になっているだろうと思ったが、効果はあったらしい。シフも例の爽やかな笑みで返した。
「私は片腕なので、作法にかなった食事ができません。お見苦しい際は、ご容赦ください」
「いえ、ご一緒できるだけでも光栄ですし、うれしく思っています。どうかお気を楽に」
 できるものか、とエミリアは内心で毒づきながら、またしてもぎこちなく表情を明るくした。
 (まったく、私は何をやっているのか)
 誤解をされることが多いが、彼女は別に笑顔が苦手なわけではない。クイーンや、仲の深い者と一緒にいるときは、自然と笑みがこぼれることがある。ただ、長く近衛兵団の要職にあって、部下には常に厳格に、距離を保って接してきただけだ。
 彼女の場合、女性として男性のもてなしを受けたこともなければ、相手の真意を探るためにその誘いを受け、ともに食事したこともない。仕事だ、と割り切ってはいるものの、どうも慣れない。
 会話をしている限り、特に不自然な様子はない。クイーンとは私的なお話をされるのか、それはどのような話か、王宮はいずれ大統領とともに訪ねてみたいがどのようなところか、エミリア個人についても、趣味は何か、片腕でも乗馬に差支えはないのか、同盟領や共和国領の食事の味はどうかなど、当たりさわりのないことばかりを聞いてくる。
 (この男は、世間話をするために私を呼んだのか)
 エミリアは分かっていないが、彼女のように日々のほぼすべての時間が公務に埋め尽くされている者というのはごくごく例外的で、世の男女というのは当たり障りのない世間話をしながら仲を深めていくものである。
 だが、シュニッツェルを食べ終え、食後の余韻の時間のなかで、ある話題に触れられて、彼女の緊張感は一気にはね上がった。
「そういえば、ぜひ聞いてみたかったのです。術者のこと」
 ぎくりとしたが、彼女は目をぼんやりとさせて、心理を読まれぬよう注意した。
「私に何を聞きたいのでしょう」
「合衆国側の受け止め方は、おおよそ半信半疑といったところです。いや、どちらかというと信より疑の方が多数派かな。術者などいるわけがない、と断言する者はいるが、まるきり信じ込む者はいないので」
「そうでしょうね」
「ただ、教国政府の公式発表でもありますから、完全な虚構と断ずることも難しい。私としては、真実にとても興味があります」
 この件こそ、この男の真の目的か、とエミリアは瞬間で察知した。術者の存在については、会談を含めた公式の場で話題にされたことは一度としてなかった。ブラッドリー大統領は恐らく、シフの言う疑の派閥に属しているのであろう。術者の話など、政治的交渉の材料にはなりえない、と思っているのかもしれない。一方で気にかかってはいて、こうして護衛担当者を使い、内情を探らせているのかもしれない。
 不用意なことは言えない、とエミリアは思った。
「政府の発表がすべてです。盲人の術者が現れ、クイーンのお命を狙いたてまつったが、たまたま宮殿内に別の術者がおり、暗殺を阻んだ。盲人の術者は近衛兵団が捕らえたものの、逃亡して現在は行方知れず、ということです」
「あなたは常に女王陛下と行動をともにされている。襲撃されたとは、具体的にどのような体験をされたのです」
「術を使われた、ということです」
「どのような術でしたか」
 シフの執拗しつようさに、彼の用件を確信する。術者について、彼は興味本位以上の動機でもって、知りたがっている。
 エミリアはいよいよ表情をくもらせた。
「私もクイーンも必死でしたので、よく覚えておりません」
「何か覚えていることは」
「失礼ですが」
 と、エミリアはすっくと席を立って告げた。
「私は帰ります」
 唖然とした様子のシフを残して、エミリアは早足で店から去った。
 (さて、どう出るかな)
 シフの周辺には、シュリアが影のようにぴたりとついて、彼の一挙手一投足を監視しているはずだ。
 その出方によっては、エミリア、というより教国側として動くべきように動かねばならない。内通の疑いがある近衛兵の件ともあわせて、最悪の場合、政治問題に発展するであろう。
 いずれにしても、シュリアの報告を待つ必要がある。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界で検索しながら無双する!!

なかの
ファンタジー
異世界に転移した僕がスマホを見つめると、そこには『電波状況最高』の表示!つまり、ちょっと前の表現だと『バリ3』だった。恐る恐る検索してみると、ちゃんと検索できた。ちなみに『異世界』は『人が世界を分類する場合において、自分たちが所属する世界の外側。』のことらしい。うん、間違いなくここ異世界!なぜならさっそくエルフさん達が歩いてる! しかも、充電の心配はいらなかった。僕は、とある理由で最新式の手回しラジオを持っていたのだ。これはスマホも充電できるスグレモノ!手回し充電5分で待ち受け30分できる!僕は、この手回しラジオを今日もくるくる回し続けて無双する!!

サクリファイス・オブ・ファンタズム 〜忘却の羊飼いと緋色の約束〜

たけのこ
ファンタジー
───────魔法使いは人ではない、魔物である。 この世界で唯一『魔力』を扱うことができる少数民族ガナン人。 彼らは自身の『価値あるもの』を対価に『魔法』を行使する。しかし魔に近い彼らは、只の人よりも容易くその身を魔物へと堕としやすいという負の面を持っていた。 人はそんな彼らを『魔法使い』と呼び、そしてその性質から迫害した。 四千年前の大戦に敗北し、帝国に完全に支配された魔法使い達。 そんな帝国の辺境にて、ガナン人の少年、クレル・シェパードはひっそりと生きていた。 身寄りのないクレルは、領主の娘であるアリシア・スカーレットと出逢う。 領主の屋敷の下働きとして過ごすクレルと、そんな彼の魔法を綺麗なものとして受け入れるアリシア……共に語らい、遊び、学びながら友情を育む二人であったが、ある日二人を引き裂く『魔物災害』が起こり―― アリシアはクレルを助けるために片腕を犠牲にし、クレルもアリシアを助けるために『アリシアとの思い出』を対価に捧げた。 ――スカーレット家は没落。そして、事件の騒動が冷めやらぬうちにクレルは魔法使いの地下組織『奈落の底《アバドン》』に、アリシアは魔法使いを狩る皇帝直轄組織『特別対魔機関・バルバトス』に引きとられる。 記憶を失い、しかし想いだけが残ったクレル。 左腕を失い、再会の誓いを胸に抱くアリシア。 敵対し合う組織に身を置く事になった二人は、再び出逢い、笑い合う事が許されるのか……それはまだ誰にもわからない。 ========== この小説はダブル主人公であり序章では二人の幼少期を、それから一章ごとに視点を切り替えて話を進めます。 ==========

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話

ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。 異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。 「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」 異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
キャラ文芸
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと57隻!(2024/12/18時点)(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。かなりGLなので、もちろんがっつり性描写はないですが、苦手な方はダメかもしれません。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。またお気に入りや感想などよろしくお願いします。  毎日一話投稿します。

処理中です...