ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

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第27章 旅は終わらず

第27章-③ 友との旧交

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 元帝国軍の将による再会といえば、彼らもそれを果たしている。
 ベルヴェデーレ要塞の守備を任されながら、麾下きかの将兵とともにそっくり要塞を教国軍に明け渡し降伏したリヒテンシュタイン中将と、帝都の戦いで連合軍に降伏した第五軍司令官ツヴァイク中将並びに帝都防衛隊司令官のミュラー中将である。
 彼らはシュウェリーン教会での会見において互いを擁護し、クイーンから罪なきことを宣告されたが、自らを恥じて会見ののちも自宅に引きこもり、人と面会しなかった。心配したクイーンが、わざわざ彼らのもとへ使いをり、外出して自由に過ごすよう勧めたほどのしおらしさであった。
 レイナートがかつての恋人クララの墓を訪ねたのと同じ4月26日。
 三人は独り身のミュラーの自宅に集まり、旧交を温めていた。ミュラーはリヒテンシュタインやツヴァイクと同世代で、妻を早くに亡くしてから男やもめを通しており、趣味の料理と骨董品集めに精を出す、軍人というよりは老書生のような雰囲気の人物である。
「しばらく雨が降っていなかったが、今日は空気が冷える。風邪をひかぬようにせんとな」
 年寄りくさい咳を繰り返しながら、ミュラーはザウアーブラーテンと呼ばれる牛肉の煮込みを調理して、僚友に振舞った。
「貴様も相変わらずの料理好きだな。こいつも、店を開けば繁盛はんじょうしそうなくらいには美味うまそうじゃないか」
「軍人から料理人に転職か、それもいいな」
 友人たちが和やかに会話する横で、リヒテンシュタインの表情は硬い。今回、最終的には帝国自体が丸ごと降伏したわけだが、彼は要塞と多くの将兵を教国軍に寝返らせたことで戦争の帰趨きすうを決定的にした裏切り者であるとの自覚がある。その罪悪感や肩身の狭さを、なおも感じていて、友との時間にも心から楽しめないでいるのだった。
 見かねたツヴァイクが、励ました。
「おいヴィルヘルム。ずいぶん辛気臭しんきくさい顔をしているな。こうなったことを、後悔しているのか」
「いや、後悔はしていない。帝国はこれからよくなるだろう。少なくとも、よくなると信ずるに足る材料が揃っている。だが、どうも俺自身の心にまだ完全には決着をつけられなくてな」
「頭では正しかったと思ってるが、心では納得できていない、ということか」
「すべてに納得して行動できることなんぞ、人生では一握りだろうよ。自分が常に正しい道を歩んできたなどと思うのは、傲慢というものだ」
 ミュラーの言葉に、リヒテンシュタインははっとした。リヒテンシュタインは直情径行、ツヴァイクは現実的で合理的、ミュラーはしかし哲学者のように達観したところがあり、しばしば同僚たちが持っていない視点を提供してくれることがある。現在は帝都防衛隊の司令官職に就いているが、数年前までは国防軍でともに軍務をっていて、彼もやはりメッサーシュミット将軍の影響を強く受けている。
「傲慢、か」
「あぁ、傲慢だ。そもそも物事に正しいか正しくないか、白黒をはっきりつけられることの方がよほど少ない。そのなかでも、正しいと信じた方を選び続けて、進んでいくしかない。ときには間違うこともあるし、間違っていると分かってて選ばねばならないことさえある。だが、そこでいちいち立ち止まって落ち込んでいることはできない。そんな暇があるなら、前向きに次の決断に立ち向かえ」
 (次の決断、か……)
 ミュラーの言葉に触発されて考え込むリヒテンシュタインに、もう一人の僚友がやや慌てたように乾杯を勧めた。リヒテンシュタインの苦悩に付き合っていたら、いつまでも料理と赤ワインにありつけないと危惧きぐしたのであろう。
 ミュラーは、軍人としてもそつがないが、もしかしたら料理人の方が向いているかもしれない。そう思わせるほどに、煮込まれた牛肉の味わいは芳醇ほうじゅんで、客人の食欲を大いに満足させた。帝都を離れた前線、特に野営ともなるとたとえ軍司令官であってもまともな料理に接する機会などまずない。美味い料理に、美味い酒。ささやかだが人生の幸福を実感させてくれる。
 腹を満たしたあとで、ダイニングからリビングのソファーに移り、酒もワインからジンに切り替えた。散会の気配が近づき、自然、話題も今後のことに触れられることとなる。
「さて、俺たちがどうこうできる話でもないが、今後、帝国はどうなるかな」
「そうだな、少なくとも従来の国家社会主義体制は解消されることになるだろうな。旧王家を復活させて、官僚が実権を握る古典的中道主義体制にするか、オクシアナ合衆国流の民主共和主義を取り入れるか、いくつかの州がゆるやかな連合体を形成する連邦国家になるか。少なくとも教国と合衆国の利害が絡む以上は、どちらかの国に完全併呑、などということはないだろう」
「鍵になるのは、やはり教国女王の意向だな」
「ヴィルヘルムは何か聞いているか?」
 二人の視線が、リヒテンシュタインに注がれた。戦争の最終局面で降伏した両名に比して、リヒテンシュタインはクイーンとの関係性が多少は深い。トリーゼンベルク地方とベルヴェデーレ要塞で降伏した際の会見でそれぞれ会話をしているし、エーデルの会戦以降もクイーンの客将として、その思考や行動を見ている。
 だが、帝国の戦後に関する構想については聞いたことがない。明敏な人だから、何も考えていないわけではないだろうが、この点に関する限りは構想が見えてこない。
 何も聞いていない、と答えると、両名はやや残念な表情を示したが、ツヴァイクはむしろ意気込んだ様子で、
「俺は、軍に残るつもりだ。この国がどうなるにせよ、自前の軍事力はある程度までは保存されるだろう。軍人として、国を守るつもりだ。もちろん、許されれば、だがな。貴様らもそうだろう」
「あぁ、料理人もいいが、弱った軍を立て直すのも生き残った者の務めだろう。ヴィルヘルムはどうだ。まさか、この国を捨てて、教国女王の臣下になる、などとは言わないだろう」
「これから、か……」
 リヒテンシュタインは遠い目をして、祖国の未来に自分がどう関わっていくべきか、思いをふくらませた。クイーンは確かに彼にとって尊敬すべき人ではあるが、臣下として王に忠誠を誓う、というのはどうも自分の姿として想像しにくい。母国を捨てるつもりもなかった。彼は生まれ育ったこの国に住みついて、軍人としての生涯をまっとうするのがよほどしょうに合っているだろう。それに、彼には軍人以外の仕事は向かないに違いない。
「俺も、この国に残る。軍人としてな」
 その声には生来の覇気や強さが感じられなかったが、確かな決意が含まれていた。
 友と再び同じ道を歩むことができる満足を得て、ツヴァイクとミュラーは静かに微笑し、ぐい、とジンを飲み干した。
 リヒテンシュタインも、ツヴァイクも、ミュラーも、敗戦国の将にしては妙にすがすがしい表情でいる。
 夜が深まってから、雨がやんだ。
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